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この戦争は宗教戦争である

  シモーヌ・ヴェーユの最晩年の試論の一つ「この戦争は宗教戦争である」を今読み返している(翻訳は『シモーヌ・ヴェイユ選集3』に収められている)。「この戦争」とは第二次世界大戦のこと。それを、ドイツを支配した偶像崇拝に対する戦いと見立てて、「宗教戦争」としたところに独自の着想がある。もちろん、興味深いのはそれに尽きるわけではないのだが、一応、あらましを表面的になぞってみることにしよう。

 テーマは全世界を包んでいる「善と悪の対立」にある。それは息ができないくらいの「耐え難い重荷」である。ヴェーユは、この重荷から解放される三つの方法を紹介する。

1) 第一は、善悪の対立という現実を否定すること。善も悪も等価値と考え、すべての価値観に対して距離を取ろうとする第一次世界大戦後のヨーロッパの知的態度を、ヴェーユは考えているようだ。おそらくそこには、善悪に対する関心の喪失といったニヒリズムの現象や、民主主義的寛容に対する楽観論(ワイマール憲法下のドイツを特徴づける楽観論)などが考えれているのだろう。善も悪も等価だが、それらの対立は、まるで予定調和によって規定されるかのように、一定の結果に帰着し、決してカタストロフには至らないだろうという根拠のない信念、というか無邪気な妄想というか。そして、それがどれほどの破滅的な結果を生み出したかは言うまでもない。 

2 第二は、偶像崇拝。ここでいう「偶像」とは、抽象的に言えば、善悪の対立を排除するような領域のことであり、具体的に言えば、それにすがればもう善悪のことを考えずに済むような国家や教会といった権威的制度である。そこに所属すれば、もう自動的に「善」という属性が自分に与えられるので、それに対立するすべてのものには「悪」というレッテルを投げつけることができる。ヴェーユは、ナチの親衛隊の青年のことを念頭に置いているようだが、彼らの輝かしい祖先はローマ帝国であり、シオンの丘に常に希望を託していたイスラエルの民でもある。政治的常識として、ローマとイスラエルは全く違うものとして扱われているが(一方は無神論的な皇帝崇拝、もう一方は一神教の原型)、ヴェーユにとって両者は「偶像崇拝」のヴァリエーションにすぎないようだ。異端審問に走ったカトリックも、そのカトリックと対立したプロテスタントも、偶像をどこかに秘めている(ドイツのプロテスタンティズムは、国家という後ろ盾がなければ成り立たない)。「ロシアも別の偶像崇拝によって生きている」。ここを読むと、何かウクライナ信仰を命ずるプーチンのことを思わざるを得ない。「日本を鼓舞する偶像崇拝」は他のいかなる国のそれよりも激越である。そう、だから、時折言われるように日本人は無宗教だというような言いぐさを私は信じない。現在そう見えるのは、ただその崇拝のメンタリティが休眠中であるだけだろう。


(すでに、『重力と恩寵』として後にまとめられる断章の中に、次のような洞察が書き込まれていた。「ヤハウェ、中世の教会、ヒトラー、これらは地上的な神々である」(15 悪))。


3 第三は神秘主義である。それは「善と悪が対立する領域のかなたに通じる道」である。一見、それは第一の方法に似ているように見えるかもしれないが、第一の方法は、無関心から、あるいは善意から、善悪を問題にしない。それに対し、神秘的な考え方は、善悪のかなたに行くが、善悪から離れるわけではなく、その膳の原型となるような絶対的善を目指そうとする。この「善」こそ、地上的なものに対する信仰としての「偶像崇拝」に対抗できる道だと、ヴェーユは考えている。そしてその道に入るには「霊的清貧」によらなければならないとされるが、残念ながらヴェーユの考察はそれ以上先には進まなかった。もう彼女には時間が残されていなかったのである。


「この戦争は宗教戦争である」。「この戦争」は、すでに遠い昔に終わった、と人は言うだろう。だが、「われわれがただ単にアメリカの金銭と工場の力で解放されるなら」、事態は何も変わらないとヴェーユは書いている。そしてその通りに事態は推移した。アメリカの富と物質力がヨーロッパを偶像崇拝から解放したのだが、それは真の解放ではなかった。偶像崇拝に根底から対峙できるような方途を見出さなければ、また出現するであろう偶像崇拝に対してヨーロッパは無力なままにとどまるのだし、そして事実はその通りだということは最近のロシアの侵攻がうんざりする形で証明している。いずれは中国や朝鮮が後に続くかもしれない。それは特定の危険な国の存在を消せば済むという話ではない。最近のアメリカの分裂状況は、何か新たな南北戦争の予感を感じさせるのだが、火種は至る所にある。いたるところで偶像が製造されている。だから、「この戦争」はまだ終わってはいない、と言う以外にないのだ。


 さて、ヴェーユの洞察を、なんとか自分なりに引き受けて、続けられないだろうか? 最近になってそんなことを考えているのである。 










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