MikSの浅横日記
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/
世界や歴史の動向を記す備忘録
MikS
2023-08-07T01:17:31+09:00
ja
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なでしこジャパン ノルウェー戦のBBCの視聴者評
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2023-08-07
イギリスBBCによるなでしこジャパンの対ノルウェー戦のオンライン実況に寄せられた視聴者のコメントが面白いので紹介したいと思った。 私は、2011年になでしこが優勝したときも、欧米での批評をいくつも読んだがネガティブな評価が多かったように覚えている。やっかみも少なからずあっただろうが、要するに、洗練されてないし退屈なサッカーだ、時の運で勝っただけという評価が多かった。 それに比べて、今回のなでしこに対しては、サッカーの質が断然高い、見ていてわくわくする、「楽しませてくれる(entertaining)」といったコメントが大半である。何という違いだろうか。 これは進歩なのだろうか? たしかにそうに違いないが、しかし、昨年暮れから今年初めにかけてのパッとしなかった遠征のあたりで、これほどのチームに変貌を遂げるとだれが予想できただろうか? 専門家も含め多くの人が困惑の念の入り混じった嬉しい予感を抱き始めているといったところだろう。いずれにせよ、イギリス人の率直な感想のいくつかをご覧ください。https://www.bbc.com/sport/football/66404312 「・ 「日本発の美しいフットボール。これほど才能豊かなチームを目にするは実に楽しい」(Steve P 11:11 5 Aug)。 ・ 「私の意見では、日本はこのワールド・カップで最も楽しませてくれるチームだ。楽しんでゴールを決めているし、ディフェンスも堅固だ。山下は素晴らしいゴールキーパーだ。米国かスウェーデンとの一戦が待ちきれない」(Wee Brian 11:06 5 Aug)。 ・ 「最高のチームかはわからないが、最も楽しませてくれるチームであるのは確かだ。ワールド・カップの日本男子チームそっくりだね。見ていて楽しい。」(RoyKent 16:48 5 Aug)・ 「日本は、これまで今大会で私が見たすべてのチームより1ランクか2ランク上だと思った」(NeverTrustaTory 11:02 5 Aug)・ 「ボールをめぐって日本人選手がハンセンに倒されたが – 見た目にも痛そうだったが、ネイマールのようにのたうち回ることなく – 彼女は顔をしかめながら起き上がり、深呼吸をしてプレーを続けた。こうした態度が大好きだ」(Curious 12:37 5 Aug)。・ 「日本おめでとう。まったく当然の勝利だった。私が見るところ、日本は、..
海外メディア記事
MikS
2023-08-07T01:17:31+09:00
私は、2011年になでしこが優勝したときも、欧米での批評をいくつも読んだがネガティブな評価が多かったように覚えている。やっかみも少なからずあっただろうが、要するに、洗練されてないし退屈なサッカーだ、時の運で勝っただけという評価が多かった。
それに比べて、今回のなでしこに対しては、サッカーの質が断然高い、見ていてわくわくする、「楽しませてくれる(entertaining)」といったコメントが大半である。何という違いだろうか。
これは進歩なのだろうか? たしかにそうに違いないが、しかし、昨年暮れから今年初めにかけてのパッとしなかった遠征のあたりで、これほどのチームに変貌を遂げるとだれが予想できただろうか? 専門家も含め多くの人が困惑の念の入り混じった嬉しい予感を抱き始めているといったところだろう。
いずれにせよ、イギリス人の率直な感想のいくつかをご覧ください。
https://www.bbc.com/sport/football/66404312
「
・ 「日本発の美しいフットボール。これほど才能豊かなチームを目にするは実に楽しい」(Steve P 11:11 5 Aug)。
・ 「私の意見では、日本はこのワールド・カップで最も楽しませてくれるチームだ。楽しんでゴールを決めているし、ディフェンスも堅固だ。山下は素晴らしいゴールキーパーだ。米国かスウェーデンとの一戦が待ちきれない」(Wee Brian 11:06 5 Aug)。
・ 「最高のチームかはわからないが、最も楽しませてくれるチームであるのは確かだ。ワールド・カップの日本男子チームそっくりだね。見ていて楽しい。」(RoyKent 16:48 5 Aug)
・ 「日本は、これまで今大会で私が見たすべてのチームより1ランクか2ランク上だと思った」(NeverTrustaTory 11:02 5 Aug)
・ 「ボールをめぐって日本人選手がハンセンに倒されたが – 見た目にも痛そうだったが、ネイマールのようにのたうち回ることなく – 彼女は顔をしかめながら起き上がり、深呼吸をしてプレーを続けた。こうした態度が大好きだ」(Curious 12:37 5 Aug)。
・ 「日本おめでとう。まったく当然の勝利だった。私が見るところ、日本は、このワールド・カップのどの出場国よりも技術的に優れているし、別の組のチームと対戦しても同じ結果になるだろう」(NeverTrustaTory 11:00 5 Aug)。
・ 「わくわくした。最初の試合ではポゼッション率が低いながら、素晴らしいカウンターとフィニッシュで4得点をあげた。今日はポゼッションを高めたが、前と変わらない効果をあげた – 得点以上にノルウェーとは開きがあった。ノルウェーは、スウェーデンやドイツと同様、ゴールめがけてむやみにボールを蹴りこむという北ヨーロッパ特有の戦術に頼るばかりだった。伝統的には、多様なスタイルのプレ-ができるチームが、ワールド・カップでは成功を収めてきた。米国が他国より抜きんでていたのは(ジルフィア・ナイト率いるドイツ・チームは別だが)そういう理由による。そういうプレーが出来ていることが日本を脅威にしている」(youlesie23 12:39 5 Aug)。
・ 「何とすごいチーム。彼らはフットボールのプレーの仕方が判っている。それは、判ってしまえば、とても簡単なことだ。スペースと速さを利用して、スペースにボールを蹴りこんで、そこに駆け込む。フットボールはかくあるべきというような鮮やかなカウンター攻撃だ」(London2012 12:02 5 Aug)。
・ 「これまでのところこの大会の日本は最も楽しませてくれるチームだったし,有力な優勝候補だと見なさなければならない。日本チームは、統率が取れていて、とても組織化されたフットボールをしている。カウンター攻撃は際立ち、ミット・フィールドは群を抜いて今大会のベストだ」(Finkelstein 13:53 5 Aug)。
・ 「ノルウェーはあまりに消極的で高さのアドバンテージを利用していなかった。進歩したとは言い難かった」(Mal 11:28 5 Aug)。
・ 「日本は観ていてとても楽しい」(Jenny 12:20 5 Aug)
・ 「ブライトンが第二の三苫マジックをやってくれる別の日本人プレーヤーを探しているときに、どれほど多くのWSLのクラブが宮澤を獲得する資金に思いをめぐらせていることか」(Dela Waros 14:31 5 Aug)
・ 「日本の三番目の得点につながったあのパスは、デ・プルイネ級のパスだった」(RoyKent 17:20 5 Aug)
」(おわり)
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なでしこジャパン スペイン戦後のBBCの記事
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2023-08-01
なでしこジャパンの活躍はうれしい限りだが、世界もようやく注目し始めるようになった。スペイン戦後、BBCがなでしこを優勝候補にあげている記事を紹介する。Women's World Cup 2023: Japan 'a joy to watch'By Neil JohnstonBBC Sport at Wellington Regional Stadiumhttps://www.bbc.com/sport/football/66360475「 日本は「見ていて楽しい」チーム 日本は、2011年の女子ワールドカップで優勝した黄金期以降、苦境にたえてきた。ドイツでのあの勝利から12年が経ったいま、上げ潮の時期がまた訪れようとしているのだろうか? なでしこは、ウェリントンでスペインを4-0で破りグループCを首位で通過しベスト16に進出することで、2023年の大会に真剣に取り組んでいるという強力なメッセージを発信した。 元スペイン代表のMFヴィッキー・ロサダはITVで「日本の陣形を固めた守備的なプレーも、カウンター攻撃も、マスタークラス級だった」と語った。 元イングランド代表のFWエニオラ・アルコは「日本は、あらゆる点で、今回のワールド・カップでわれわれが見た中で最高のチームだと思う」と付け加えた。 日本は、土曜日午前9時(BST)、ニュージーランドの首都でノルウェーと対戦する。2019年のフランスではベスト16のステージで敗退したが、今回は最後まで勝ち上がっていけるだろうか? 「日本はチャンスを無駄にしない」 日本代表監督の池田太は、ウェリントン・リージョナル・スタジアムでの試合後の記者会見で15分間質問に答えた後、日本のメディアから拍手を浴びながら部屋を出た。 それに先立ち、選手たちも、Fifaランキングで日本より5ランク高い6位のスペイン・チームに圧勝した後、スタンディング・オベーションの中ピッチを後にしていた。 日本の守備は堅固で、攻撃は破壊的だ。ニュージーランドで3試合を行ったがまだ無失点である一方、大会最多の11ゴールを挙げた。 さらに、宮澤ひなたはグループリーグ初戦のザンビア戦で決めた2得点にさらに2ゴールを加えたことで、得点王争いのトップにおどりでた。 信じられないことだが、日本は、ポゼッション率がわずか23%だったにもかかわらず、スペインを知恵で上回った。「日本はチャンスを無駄にしない」と元アイルランド..
海外メディア記事
MikS
2023-08-01T10:26:40+09:00
Women's World Cup 2023: Japan 'a joy to watch'
By Neil Johnston
BBC Sport at Wellington Regional Stadium
https://www.bbc.com/sport/football/66360475
「 日本は「見ていて楽しい」チーム
日本は、2011年の女子ワールドカップで優勝した黄金期以降、苦境にたえてきた。ドイツでのあの勝利から12年が経ったいま、上げ潮の時期がまた訪れようとしているのだろうか?
なでしこは、ウェリントンでスペインを4-0で破りグループCを首位で通過しベスト16に進出することで、2023年の大会に真剣に取り組んでいるという強力なメッセージを発信した。
元スペイン代表のMFヴィッキー・ロサダはITVで「日本の陣形を固めた守備的なプレーも、カウンター攻撃も、マスタークラス級だった」と語った。
元イングランド代表のFWエニオラ・アルコは「日本は、あらゆる点で、今回のワールド・カップでわれわれが見た中で最高のチームだと思う」と付け加えた。
日本は、土曜日午前9時(BST)、ニュージーランドの首都でノルウェーと対戦する。2019年のフランスではベスト16のステージで敗退したが、今回は最後まで勝ち上がっていけるだろうか?
「日本はチャンスを無駄にしない」
日本代表監督の池田太は、ウェリントン・リージョナル・スタジアムでの試合後の記者会見で15分間質問に答えた後、日本のメディアから拍手を浴びながら部屋を出た。
それに先立ち、選手たちも、Fifaランキングで日本より5ランク高い6位のスペイン・チームに圧勝した後、スタンディング・オベーションの中ピッチを後にしていた。
日本の守備は堅固で、攻撃は破壊的だ。ニュージーランドで3試合を行ったがまだ無失点である一方、大会最多の11ゴールを挙げた。
さらに、宮澤ひなたはグループリーグ初戦のザンビア戦で決めた2得点にさらに2ゴールを加えたことで、得点王争いのトップにおどりでた。
信じられないことだが、日本は、ポゼッション率がわずか23%だったにもかかわらず、スペインを知恵で上回った。
「日本はチャンスを無駄にしない」と元アイルランドのGKエマ・バーンはITVに語った。
「ハーフ・タイムまでに3回のチャンスと3つのゴール。ポゼッションの数字なんて気にしない – 私だってそっちのほうがいいわ」。
この試合、日本は相手ボックス内でわずか3回のタッチからの得点で、ハーフタイム時点で3-0とリードした。
「見ていて楽しかった」
日本が女子ワールド・カップのグループ・ステージで全勝するのは、2015年大会に次いで2度目である。8年前、日本は決勝に進出したが、決勝でアメリカに敗れた。ロサダは、8月20日にシドニーで行われる決勝戦まで日本が勝ち進むことがありうると考えている。
「日本が示したマスタークラスの試合だった」と彼女は付け加えた。
「日本はスペインのようなチームに勝てることを証明した。日本側から見ていてとても楽しかった」。
アルコはさらに「日本はやることすべてにおいて沈着冷静だった。フィニッシュのときであれ、守備的に陣形を固めたときであれ、攻撃中やボールを失ったときでさえ、彼らのカウンター攻撃のプレーは並外れたものだった」と付け加えた。
5人の変更、4つのゴール
日本代表チームの才能は豊富だ。
5日前のダニーデンでコスタリカを2-0で破ったチームから池田は5人の選手を変えたのに対して、スペインは1人を変更しただけだったが、これは最強のチームに近い選手起用だった。
スペイン戦での日本の先発メンバーにはリヴァプールのMF長野風花とウェストハムの清水理紗と林穂乃香のデュオが出場し、マンチェスター・シティのMF長谷川唯はサブとして出場した。
途中出場の守屋都弥のアシストから田中美南が素晴らしい4点目を決めたのだから、ベンチからのインパクトも加わった。
「1、2試合目はボールを保持する時間はもっとあったが、カウンターを警戒しなければならなかった」と池田は語った。「スペインとのこの試合では、守備に回る時間が多いことは分かっていた。自分たちが望む試合をするためには、あらゆるチャンスを活かさなければならないことも分かっていた。
「その点で上手くいきました」。
」(おわり)
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ドイツの敗北の伝えられ方
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2022-11-26
ドイツ敗北のニュースを各国の新聞がどう伝えたかを、『シュピーゲル』誌が簡潔に紹介している。イタリアとスペインの新聞が「ハラキリ(Harakiri)」という表現を使っているが、日本でほとんど使われなくなった言葉だが、向こうでは、それほど一般的に使わているのだろうか? それはともかく、伝え方が素っ気ないのは、『シュピ-ゲル』がワールド・カップにあまり乗り気でないのか、あるいは、そもそもドイツで盛り上がってないからなのか、それともただの負け惜しみなのか?Der Fall der Götter: Nach Argentinien stürzt auch Deutschland abhttps://www.spiegel.de/sport/fussball/wm-2022-deutschland-unterliegt-japan-die-pressestimmen-der-fall-der-goetter-a-0b2f1c4d-34ff-4c22-9b85-7f53459e1f7d「 神々の失墜: アルゼンチンに続きドイツも倒れる ドイツはワールド・カップの開幕戦で日本に敗れた。国際的な報道機関は「ハラキリ」や「強豪が倒れた日々」について書いている。その概要を紹介。24.11.2022, サッカーのドイツ代表チームは、カタールで開催されたワールドカップで、得点のチャンスが何度もあったにもかかわらず、開幕戦で敗北。ずっと優勢のように思われたが、1対2(前半1対0)で日本に屈した。海外メディアの反応は次の通り。イタリア :La Repubblica: 「神々の失墜:アルゼンチンの後ドイツも倒れる」。Gazzetta dello Sport: 「ドイツのハラキリ: 日本は打つ手がはまり、劣勢からの追い上げで2対1で勝利。スペイン :Marca: 「日本はドイツを絶句させた。ドイツ人は差別に抗議したが、最後に笑ったのは日本人」。As: 「ドイツのハラキリ。フリックのチームは、手中にしていた試合を勝ち切ることができなかった。このワールド・カップの二番目に大きな驚きをもたらしたのは日本人のファイティング・スピリットだった」。Sport:「スペインとの初マッチに先立って、日本はドイツ・チームにきつい一撃を食らわせた」。Mundo Deportivo : 「スペインと同組で日本がドイツを倒す! 日本代表は、世界チャンピオンに四度輝いた..
海外メディア記事
MikS
2022-11-26T00:18:40+09:00
Der Fall der Götter: Nach Argentinien stürzt auch Deutschland ab
https://www.spiegel.de/sport/fussball/wm-2022-deutschland-unterliegt-japan-die-pressestimmen-der-fall-der-goetter-a-0b2f1c4d-34ff-4c22-9b85-7f53459e1f7d
「 神々の失墜 : アルゼンチンに続きドイツも倒れる
ドイツはワールド・カップの開幕戦で日本に敗れた。国際的な報道機関は「ハラキリ」や「強豪が倒れた日々」について書いている。その概要を紹介 。
24.11.2022,
サッカーのドイツ代表チームは、カタールで開催されたワールドカップで、得点のチャンスが何度もあったにもかかわらず、開幕戦で敗北。ずっと優勢のように思われたが、1対2(前半1対0)で日本に屈した。海外メディアの反応は次の通り。
イタリア :
La Repubblica : 「神々の失墜:アルゼンチンの後ドイツも倒れる」。
Gazzetta dello Sport : 「ドイツのハラキリ: 日本は打つ手がはまり、劣勢からの追い上げで2対1で勝利。
スペイン :
Marca : 「日本はドイツを絶句させた。ドイツ人は差別に抗議したが、最後に笑ったのは日本人」。
As : 「ドイツのハラキリ。フリックのチームは、手中にしていた試合を勝ち切ることができなかった。このワールド・カップの二番目に大きな驚きをもたらしたのは日本人のファイティング・スピリットだった」。
Sport :「スペインとの初マッチに先立って、日本はドイツ・チームにきつい一撃を食らわせた」。
Mundo Deportivo : 「スペインと同組で日本がドイツを倒す! 日本代表は、世界チャンピオンに四度輝いたドイツに対して歴史的な勝利を収めた」。
El País : 「フリックの選手交代のせいでドイツは日本に負けた。監督がギュンドアンとムシアラをゴレツカとゲッツェに交代させて日本に追いつかれるまでは、明らかにドイツ・チームは思い通りやっていた」。
スイス:
Blick : 茫然自失だ。危なげない勝利でワールドカップの初戦を終えるどころか、90分後、カタールのドイツ人は混乱状態に陥っていた。 (...) 日本はセンセーションを巻き起こした。そしてドイツ人は皆無言で立ち去った」。
オランダ :
Algemeen Dagblad : ドイツは(試合前の)声明では感銘を与えたが、その足に語らせることはなく、日本に屈した。水曜日のドイツが印象深かったのは、日本戦の試合前だけだった。FIFAに対する挑発的な声明で、選手たちは明確なメッセージを伝えた。その後のパフォーマンスははるかに説得力がなかった。つまり、4年前と同じように、ドイツ・チームは初戦でつまずいたわけだが、今度は日本に対して1対2だった。
イギリス :
The Sun : 4年前はメキシコ人が手を振って別れを告げた。そして、今年、メキシコ人の波がハリファ・スタジアムに押し寄せるころには、ドイツ人は、日本のスーパー・サブのおかげで、またしても早々に帰国の途についているかもしれない」。
Daily Mirror : 日付がかわって、またもやワールド・カップに衝撃が走る。ドイツはトーナメントの常勝チームとしてカタールにのり込んだが、ブンデス・リーグの2人の選手、堂安律と浅野琢磨が、後半の8分間にゴールを決め、ハンジ・フリックのチームを、わずか1試合で、グループ・ステージ敗退の瀬戸際に追い込んだ」。
The Guardian : 「日本のドイツ戦初勝利はワールド・カップに激震をもたらしたが、それは森保一の勇気に対する報酬だった」。
アメリカ :
Washington Post : 0-1の劣勢から2-1で日本がドイツに勝利したことは、サウジアラビアがアルゼンチンに2-1で勝利した奇跡には及ばないものの、ワールド・カップにさらなる宝物をもたらした」。
New York Times : 強豪が倒される日々だった。ワールド・カップの3日目、アルゼンチンの人々は、いじめのような敗北の後、茫然自失の状態で取り残された。4日目はドイツ人の番だった。トーナメント常勝のチームは、たんなる穴埋めと思われたチームからショックと屈辱を与えられた。
」(おわり)
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培養肉が商品化に近づく
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2022-11-19
培養肉が商品化に近づいているようだ。採算の問題はまだありそうだが。『シュピーゲル』誌の記事を紹介。 US-Behörde gibt grünes Licht für Laborfleisch 18.11.2022, 16.49 Uhr https://www.spiegel.de/wissenschaft/usa-behoerde-haelt-laborfleisch-fuer-sicher-a-53696696-70bc-4b19-93ef-b1761f1cdc90「 米国食品医薬品局が培養肉にゴーサインを出す 米国ではもうすぐ人工的に培養された肉が利用できるようになる? 米国のメーカー「アップサイド・フーズ」は、バイオリアクター(発酵槽)由来の鶏肉で最初の成功を収めた。 18.11.2022, 16.49 動物が死ぬ必要はもうない。環境は保護される。実験室で生産される肉はそう約束している。だが安全なのか? たしかに安全であると米国食品医薬品局 (FDA) は判断した。FDAの声明 によると、カリフォルニアの企業の培養肉は「別の方法で製造された同等の食品と同じくらい安全」である。動物細胞から培養された肉を人間の食用に問題はないと当局が格付けたのはこれが初めてである。 推定によると、食料生産は、気候に有害なガスの人為的排出の3 分の1を引き起こしており、特に大きな比率を占めるのが食肉生産である。牧草地と農地は、地球の居住可能な土地の約半分を占め、淡水の供給量の約70%を消費している。人工的に製造される肉が流通するようになれば、気候のバランスは改善し、動物は殺されずに済むようになる。 良心が痛まない消費? アップサイド・フーズ社は細胞培養でニワトリを繁殖させている。この目的のために、生体から細胞を採取し、その細胞が、「バイオ・リアクター」と呼ばれるステンレス鋼のタンクで肉に成長する。そのために動物は死ぬ必要はない。 アップサイド・フーズ社は、 いわゆる市販前協議をFDAに求めた。製品の安全性に懸念があるかどうかを、食品局の専門家が独自の観点からチェックするわけである。FDAから評価されれば承認というわけではなく、米国農務省によるさらなる検査が必要となる。培養肉が市場に出回るまでには、まだ少なくとも数か月かかる。 代替肉は活況を呈している。投資家は、年間数億ドルをこのビジネスに注ぎ込んでいる。しかし実は、市場に..
海外メディア記事
MikS
2022-11-19T13:39:39+09:00
US-Behörde gibt grünes Licht für Laborfleisch
18.11.2022, 16.49 Uhr
https://www.spiegel.de/wissenschaft/usa-behoerde-haelt-laborfleisch-fuer-sicher-a-53696696-70bc-4b19-93ef-b1761f1cdc90
「 米国食品医薬品局が培養肉にゴーサインを出す
米国ではもうすぐ人工的に培養された肉が利用できるようになる? 米国のメーカー「アップサイド・フーズ」は、バイオリアクター(発酵槽)由来の鶏肉で最初の成功を収めた。
18.11.2022, 16.49
動物が死ぬ必要はもうない。環境は保護される。実験室で生産される肉はそう約束している。だが安全なのか? たしかに安全であると米国食品医薬品局 (FDA) は判断した。FDAの声明 によると、カリフォルニアの企業の培養肉は「別の方法で製造された同等の食品と同じくらい安全」である。動物細胞から培養された肉を人間の食用に問題はないと当局が格付けたのはこれが初めてである。
推定によると、食料生産は、気候に有害なガスの人為的排出の3 分の1を引き起こしており、特に大きな比率を占めるのが食肉生産である。牧草地と農地は、地球の居住可能な土地の約半分を占め、淡水の供給量の約70%を消費している。人工的に製造される肉が流通するようになれば、気候のバランスは改善し、動物は殺されずに済むようになる。
良心が痛まない消費?
アップサイド・フーズ社は細胞培養でニワトリを繁殖させている。この目的のために、生体から細胞を採取し、その細胞が、「バイオ・リアクター」と呼ばれるステンレス鋼のタンクで肉に成長する。そのために動物は死ぬ必要はない。
アップサイド・フーズ社は、 いわゆる市販前協議をFDAに求めた。製品の安全性に懸念があるかどうかを、食品局の専門家が独自の観点からチェックするわけである。FDAから評価されれば承認というわけではなく、米国農務省によるさらなる検査が必要となる。培養肉が市場に出回るまでには、まだ少なくとも数か月かかる。
代替肉は活況を呈している。投資家は、年間数億ドルをこのビジネスに注ぎ込んでいる。しかし実は、市場に出回っている代替肉のほとんどすべては植物ベースのもので、培養肉は生産が難しく、高価であると見なされている。8年前に作られたハンバーガーのパテは25万㌦もした。これまでのところ、培養肉の収益性の見通しに関する研究はまだわずかしかない。
三ヶ月後には出荷が可能
これまでのところ培養肉を消費者に販売できる唯一の国はシンガポールだけである。そこでは実験所由来ののチキンナゲットが17㌦で売られている。アップサイド・フーズ社の製品が承認された場合どれくらいの値段になるかは明らかになっていない。
同社が培養するニワトリ細胞は、動物飼料にもあるアミノ酸、脂肪、糖、塩、ビタミン、微量元素を含む独自に開発した養分の培養基で育成される。同社のウェブサイトによると、肉は三ヵ月後には出荷が可能になる。その後、肉は育成される容器の形に成形されるが、色は通常の肉よりも少し明るいが、その他の点では生肉に似たものとなる。
FDAによると、培養肉を開発しているのはカリフォルニアの企業だけではなく、同様の申請書を提出した企業は他にもあるという。 その中には、海洋生物からシーフードを培養しようとしている企業もあるという。「世界は食品革命を目の当たりにしており、FDAは食品部門のイノベーションを支援する義務がある」とFDAのロバート・:カリフ氏は述べている」(おわり)。
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第三次世界大戦はすでに始まっている
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2022-11-06
「第三次世界大戦はすでに始まっている」。そんな刺激的な見出し思わず引き寄せられてしまった。『シュピーゲル』誌がヌリエル・ルビーニにインタビューした記事を紹介する。何気なく語られているが、ひょっとしたら、どれも心の底にとどめておくべきことかもしれない。 ルビーニは、2008年のリーマンショックやコロナ危機の初期にグローバル経済の崩壊を予言した世界的に著名な経済学者。ペシミストで有名らしい、今度の悲観論は正しいかどうか。 "World War III Has Already Effectively Begun"Interview Conducted By Tim Bartz und David Böcking28.10.2022, 13.53 Uhr https://www.spiegel.de/international/business/star-economist-roubini-on-the-global-crises-world-war-iii-has-already-effectively-begun-a-fd3126eb-4dd4-42fc-889e-27e4165f6702「 第三次世界大戦はすでに始まっているDER SPIEGEL:ルビーニ教授、あなたは「破滅博士(Dr. Doom)」というあだ名が好きではなく、「リアリスト博士」と呼ばれたいと思っているとのこと。しかし、新著で、あなたは、私たちの未来を危険にさらす「10 の巨大脅威」について描写しています。それ以上に暗い話はないでしょう。Roubini : 私が書いている脅威は現実のものです-誰もそれを否定しないでしょう。私は1960年代から1970年代にかけてイタリアで育ちました。当時、私は大国間の戦争や核の冬について心配したことはありませんでした.ソ連と西側の間に緊張緩和がありましたからね。気候変動や世界的なパンデミックという言葉は耳にしたこともなかった。そして、ロボットがほとんどの仕事を奪うことについて心配する者もいなかった。貿易やグローバル化はより自由になっていたし、完璧ではないにしても安定した民主主義に暮らしていました。債務は非常に少なく、国民は過度に高齢化しておらず、年金や医療制度の借入金からの負債もなかった。それが私が育った世界です。それが、今や、今あげたすべてのことについて私は心配しなければならない - 誰もが心配しています。D..
探求
MikS
2022-11-06T00:51:02+09:00
ルビーニは、2008年のリーマンショックやコロナ危機の初期にグローバル経済の崩壊を予言した世界的に著名な経済学者。ペシミストで有名らしい、今度の悲観論は正しいかどうか。
"World War III Has Already Effectively Begun"
Interview Conducted By Tim Bartz und David Böcking
28.10.2022, 13.53 Uhr
https://www.spiegel.de/international/business/star-economist-roubini-on-the-global-crises-world-war-iii-has-already-effectively-begun-a-fd3126eb-4dd4-42fc-889e-27e4165f6702
「 第三次世界大戦はすでに始まっている
DER SPIEGEL:ルビーニ教授、あなたは「破滅博士(Dr. Doom)」というあだ名が好きではなく、「リアリスト博士」と呼ばれたいと思っているとのこと。しかし、新著で、あなたは、私たちの未来を危険にさらす「10 の巨大脅威」について描写しています。それ以上に暗い話はないでしょう。
Roubini : 私が書いている脅威は現実のものです-誰もそれを否定しないでしょう。私は1960年代から1970年代にかけてイタリアで育ちました。当時、私は大国間の戦争や核の冬について心配したことはありませんでした.ソ連と西側の間に緊張緩和がありましたからね。気候変動や世界的なパンデミックという言葉は耳にしたこともなかった。そして、ロボットがほとんどの仕事を奪うことについて心配する者もいなかった。貿易やグローバル化はより自由になっていたし、完璧ではないにしても安定した民主主義に暮らしていました。債務は非常に少なく、国民は過度に高齢化しておらず、年金や医療制度の借入金からの負債もなかった。それが私が育った世界です。それが、今や、今あげたすべてのことについて私は心配しなければならない - 誰もが心配しています。
DER SPIEGEL: でもみんな心配などしてますか? あなたの言葉は、荒野で叫んでいる声のように聞こえますが。
Roubini : IMFの会議でワシントンにいたときのことです。経済史家のニール・ファーガソンは、そこでのスピーチで、1940年代のような戦争ではなく、1970年代のような経済危機で済むならばラッキーだろうと語った。国家安全保障問題担当顧問たちは、NATOがロシアとウクライナの間の戦争に巻き込まれたり、イランとイスラエルが衝突の道を進んでいることに懸念を示していました。そして今朝、バイデン政権は中国が遅かれ早かれ台湾を攻撃すると想定しているという記事を読みました。正に言えば、第三次世界大戦は事実上すでに始まっています、ウクライナとサイバースペース上では確かにそうでしょう。
DER SPIEGEL: 政治家たちは大きな危機の多くが同時に生じていることに参ってしまっているように見えます。どの危機に優先して取り組むべきでしょうか?
Roubini : もちろん、政治家はイランやイスラエルや中国のことを考える前に、ロシアやウクライナのことを考えなければならない。しかし、政策立案者はインフレと景気後退、つまりスタグフレーションについても考えるべきです。ユーロ圏はすでに景気後退に陥っており、それは長くひどいものになると思います。イギリスはさらにひどい。パンデミックは封じ込められたように見えますが、新しいコロナの亜種がやがて出現するかもしれない。そして気候変動は、スローモーションのようであはあるが速度を速めつつある災難です。私の著書で述べている10 の脅威のそれぞれについて、遠い将来ではなく、今このときに起こりつつある10の実例を挙げることができます。気候変動に関する実例がいいですか?
DER SPIEGEL:そうしたいならばどうぞ。
Roubini : この夏、米国を含む世界中で干ばつが発生しました。ラスベガスの近くでは干ばつがひどく、1950 年代のギャングの死体が干上がった湖に姿を現したほどです。カリフォルニア州では、農業従事者が水利権を販売していますが、それはどんな作物を育てるよりも儲かるからです。そしてフロリダでは、海岸沿いの家屋に対して保険に加入することはできなくなりました。アメリカ人の半分は、最終的には、中西部またはカナダに移住する必要があるでしょう。それは科学であって、たんなる憶測ではないのです。
DER SPIEGEL: あなたが述べるもう一つの脅威は、大陸における米軍のプレゼンスを危険にさらさないために、中国とのビジネス関係を制限するよう米国がヨーロッパに圧力をかけるかもしれないというものです。そのシナリオはどのくらい先の話ですか?
Roubini : それはすでに起こっています。米国は、AI、量子コンピューティング、軍事用途のために半導体を中国企業に輸出することを禁止する新しい法案を可決しました。ヨーロッパの人々は、米国とも中国とも取引を続けたいと考えているでしょうが、国家安全保障上の問題からそれはできなくなるでしょう。貿易、金融、テクノロジー、インターネット: すべてが二つに分裂することになります。
DER SPIEGEL: ドイツでは今、ハンブルク港の一部を中国の国有企業コスコに売却すべきかどうかで論争が起きています。あなたならどうアドバイスしますか?
Roubini : このような取引の目的何か考える必要があります。ドイツはすでにロシアのエネルギーに依存することで大きな過ちを犯しました。中国はもちろん、ドイツの港を軍事的に占領するつもりはないでしょう。アジアやアフリカではありうるかもしれませんが。でも、この種の協定を進める経済的論拠があるとすれば、それは、中国におけるヨーロッパの工場が接収されならば逆襲できる、ということにしかないでしょう。そうでなければ、あまり賢い考えではない。
DER SPIEGEL: あなたは、ロシアと中国がドルとSWIFTシステムに代わるシステムを構築しようとしていると警告しています。しかし、両国はこれまでのところ失敗していますね。
Roubini : 決済システムだけの問題ではありません。中国は、スパイに使用できる補助金付きの5G技術を世界中で販売しています。私は、アフリカのある国の大統領に、5Gテクノロジーを西側ではなく中国から手に入れる理由を尋ねました。彼は私に、われわれは小国なので、どっちみちスパイ活動の対象になるでしょう、それなら、中国の技術を採用したほうがいい、なぜなら安いのだから、と。中国は、世界の多くの地域で経済、金融、貿易の力を拡大しています。
DER SPIEGEL: しかし、人民元は、長期的に見て、本当にドルに取って代わるのでしょうか?
Roubini : 時間はかかりますが、中国人は長期的にものを考えるのが得意です。彼らはサウジに対して、石油の価格を人民元で設定し、人民元で支払えるように提案しました。中国には世界のどこよりも洗練された支払いシステムがあります。アリペイとWeChatペイは、毎日 10 億の中国人が数十億件の取引に使用しています。パリのルイ ヴィトンではWeChatペイで買い物をすることができます。
DER SPIEGEL: 1970年代には、エネルギー危機もあったし、高インフレと成長の停滞、いわゆるスタグフレーションもありました。それと似たようなことを今われわれは経験しているのでしょうか?
Roubini: 今日はもっとひどいです。当時は今日ほど多くの公的債務や民間債務がありませんでした. 中央銀行が今、インフレに対抗するために金利を引き上げると、多くの「ゾンビ」企業、金融仲介業、政府機関が倒産することになります。その上、石油危機は少数の地政学的ショックによって引き起こされましたが、今日はさらに多くのショックがあることが考えられます。台湾に対する中国の攻撃の影響を想像してみてください。台湾は、世界の全半導体の50%を生産しているし、ハイエンド半導体に至っては80%です。台湾が攻撃されたらそのショックは全世界に及びます。今日、私たちは石油よりも半導体に依存しているからです。
DER SPIEGEL: あなたは各国中央銀行の面々と彼らの金融緩和策に非常に批判的です。最近まともな中央銀行はありますか?
Roubini : どっちに転んでも、ひどい結果になるでしょう。高い政策金利でインフレと戦って、実体経済と金融市場にとってハードランディングを引き起こすか、弱気になって見て見ぬふりをして金利を引き上げないなら、インフレは上昇し続けます。イングランド銀行がすでに行ったように、FRBとECBは見て見ぬふりをするのではないかと私は思います。
DER SPIEGEL: 他方で、インフレ率が高いと債務が吹き飛ぶので、有益かもしれないという考え方もできますが。
Roubini: たしかにそうですが、新たな債務ももっと高くなりますからね。インフレが上昇すると、貸し手はより高い金利を課すことになります。一例をあげると、インフレ率が 2% から 6% になった場合、同じ利子を維持するには、米国債の金利は4% から 8% に上昇しなければならないし、住宅ローンやビジネスローンの民間借入コストはさらに高くなります。このことは、安全と考えられている国債よりもはるかに高い金利を提供しなければならないため、多くの企業にとって非常に高くつくことになります。現在、私たちは非常に多くの債務を抱えているため、こうなれば、経済、金融、財政の完全な崩壊を引き起こしかねない。これでもまだワイマール共和国のようなハイパーインフレではないのです、一桁のインフレにすぎないのです。
DER SPIEGEL: あなたが本で述べている最重要のリスクは気候変動です。気候災害の起こりうる結果を考えると、債務の増加は二次的なことではないでしょうか?
Roubini : 巨大な脅威はすべて関連し合っているため、すべてを同時に心配しなくてはなりません。一例をあげると、現在、経済を縮小させずに CO2 排出量を大幅に削減する方法はありません。2020 年は過去 60 年間で最悪の不況でしたが、温室効果ガスの排出量は 9% しか減少しませんでした。しかし、力強い経済成長がなければ、債務問題を解決することはできません。したがって、私たちは排出なしで成長する方法を見つけなければなりません。
DER SPIEGEL: これらの並行した危機を考えると、中国やロシアのような権威主義システムに対して民主主義が生き残る可能性はどのくらいだと思いますか?
Roubini: 気がかりです。大きなショックが起こると、民主主義国は脆弱になります。そんなとき必ずや、マッチョな男が現れて「俺が国を救う」と言って、すべてを外国人のせいにするものです。それこそプーチンがウクライナに対してしたことです。来年、エルドアン大統領はギリシャに対して同じことを行い、危機を作りだそうとするかもしれません。そうしないと選挙に負けるかもしれませんからね。ドナルド-トランプが再び出馬して選挙に負けようものなら、今度こそ公然と白人至上主義者に国会議事堂を襲撃するよう呼びかけるかもしれない。米国で暴力と本当の内戦が見られるかもしれない。ドイツでは、今のところ状況は比較的良好に見えます。しかし、経済的にうまくいかず、右翼の野党に投票する人が増えたらどうなるでしょう?
DER SPIEGEL:あなたは災難の予言者としてだけでなく、大のパーティー好きとしても有名になりました。最近でもパーティー気分なんですか?
Roubini : 私はこれまでもつねに、社会的イベントだけでなく、アートやカルチャーや書物についてのサロンを主催してきました。パンデミックの間、私は自分のユダヤ人としてのルーツを再発見したのです. 今日でも、素敵なセレモニーと生演奏のある安息日のディナーに 20人もの人を招待したいくらいです。私が深刻な質問をし、全員が答えなければならないイベントを開催しますよ。おしゃべりではなく、人生と世界全体についての深い会話です。人生は楽しむべきですが、世界を救うために少しは行動するべきです。
DER SPIEGEL:というと?
Roubini : 私たちが排出する二酸化炭素の総量は大きすぎます。温室効果ガス排出量全体のかなりの部分は牧畜に由来します。だから私はペスカタリアン (鳥獣の肉は避けるが魚は避けずに食べる、という立場を取る人々を指す)になり、鶏肉を含む肉を食べないようにしました。
DER SPIEGEL:あなたは,一年のうち4分の3を旅行に費やしていたことで有名でしたが。
Roubini : 今でも年中旅行をしてますよ。でも一つだけ言っておくと、私はニューヨークが大好きなのです。パンデミックの間、私は、他の多くの人のように、ハンプトンズやマイアミに避難しませんでした。 私はここにとどまり、、Black Lives Matter のデモを見たり、ホームレスを支援するボランティアをしたりしました。仕事と収入を失い、家賃を払えなくなった多くのアーティストの友人の苦労を毎日目にしました。もしニューヨークをまたハリケーン・サンディが襲って、暴力と混乱を生み出すことになるかもしれないとなっても、私はとどまるでしょう。われわれは、 ありのままの世界と向き合わなければならないのです。たとえ核兵器使用の恐れがあろうともね。そうなれば、最初の核爆弾がニューヨークに落ちても、次の爆弾はモスクワに落ちるでしょうからね。
」(おわり)。
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奴隷制の年代記
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2022-10-29
ドイツを代表する雑誌『シュピーゲル』が、なぜか今年になって、奴隷制をテーマにした特集号を出した。あの「ブラック・ライブズ・マター」や、それに付随する差別の歴史の見直しという機運の影響だろうか? 私も思うところあって、最近になって、奴隷制に興味を持ち始めた経緯があるので、少し読んでみた。ドイツの雑誌だから、ドイツがどれほど奴隷制に関りをもったかという点に重点が置かれているものの、それなりに面白い。ともあれ、年代記を紹介したい。 Sklaverei – der Mensch als Ware 19.09.2022, 18.00 Uhr • aus SPIEGEL Geschichte 5/2022 https://www.spiegel.de/geschichte/sklaverei-der-mensch-als-ware-chronik-a-660b8bc8-0002-0001-0000-000206671383?context=issue「 奴隷制 - 商品としての人間 紀元前一万年以降 定住と耕作のために、労働力の所有が価値あるものとなる。 紛争で敗れた者は奴隷化され下男となり、女性と子供は所有物として召使となった。 紀元前4000年以降 都市文化が成立し、新たな奴隷制を伴うようになる。建築計画のために労働奴隷が必要とされるようになった。筋力が、豊かさを創造するエネルギー源となった。 (奴隷の贈与を証言するシュメールの粘土版 ) 文書の証言が示すところによると、古代ギリシアには私的な家に属する奴隷も国家に属する奴隷もいた(アテナイ)。紀元前100年以降はローマにもいたことが判っている。人間は商品として扱われた。アリストテレスは奴隷制を理論的に基礎づける書物を著している。紀元前73年 スパルタクスという奴隷が剣闘士の養成所の残酷さに対して反乱を起こす。この暴動は、数万の奴隷と貧農による対ローマ戦争に発展したが、おびただしい流血の末に鎮圧された。7世紀以降 サハラでの奴隷売買: アラブの商人たちが、人間の売買を、地方の中間業者も交えた輸出入の業務として商業化する。奴隷経済が成立する。 8・9世紀 フランク人がヨーロッパ中で戦闘や略奪行為を働き、おもにスラブ人を奴隷化し、ビザンチンやイスラム教徒の顧客に売却した。 9世紀から12世紀 ヴァイキングが北西ヨーロッパ一帯で略奪行為を行い、奴隷商人の地位に躍り出る..
探求
MikS
2022-10-29T13:53:42+09:00
Sklaverei – der Mensch als Ware
19.09.2022, 18.00 Uhr • aus SPIEGEL Geschichte 5/2022
https://www.spiegel.de/geschichte/sklaverei-der-mensch-als-ware-chronik-a-660b8bc8-0002-0001-0000-000206671383?context=issue
「 奴隷制 - 商品としての人間
紀元前一万年以降
定住と耕作のために、労働力の所有が価値あるものとなる。
紛争で敗れた者は奴隷化され下男となり、女性と子供は所有物として召使となった。
紀元前4000年以降
都市文化が成立し、新たな奴隷制を伴うようになる。建築計画のために労働奴隷が必要とされるようになった。筋力が、豊かさを創造するエネルギー源となった。
(奴隷の贈与を証言するシュメールの粘土版 )
文書の証言が示すところによると、古代ギリシアには私的な家に属する奴隷も国家に属する奴隷もいた(アテナイ)。紀元前100年以降はローマにもいたことが判っている。人間は商品として扱われた。アリストテレスは奴隷制を理論的に基礎づける書物を著している。
紀元前73年
スパルタクスという奴隷が剣闘士の養成所の残酷さに対して反乱を起こす。この暴動は、数万の奴隷と貧農による対ローマ戦争に発展したが、おびただしい流血の末に鎮圧された。
7世紀以降
サハラでの奴隷売買: アラブの商人たちが、人間の売買を、地方の中間業者も交えた輸出入の業務として商業化する。奴隷経済が成立する。
8・9世紀
フランク人がヨーロッパ中で戦闘や略奪行為を働き、おもにスラブ人を奴隷化し、ビザンチンやイスラム教徒の顧客に売却した。
9世紀から12世紀
ヴァイキングが北西ヨーロッパ一帯で略奪行為を行い、奴隷商人の地位に躍り出る。
13世紀
ヴェネチア、ジェノバ、パレルモといったイタリアの諸都市が、東ヨーロッパや中央アジアの奴隷をイスラム教徒やキリスト教徒に販売する活気ある交易センターに発展する。
1400年代
1444
ポルトガル人が、ラゴスで、初めての奴隷オークションを開催し235人のアフリカ人を売買する。ポルトガルは奴隷売買を収益性の高い商売に発展させ、それが全ヨーロッパにいきわたる。
1452
ローマ教皇ニコラウス五世は教皇勅書「ドゥム・ディウェルサス(Dum Diversas)」で異教徒を隷属化することを許可する - 彼が念頭に置いていたのは地中海のイスラム教徒だった。
1455
ローマ教皇ニコラウス五世は続けて教皇勅書「ロマーヌス・ポンティフェクス(Romanus Pontifex)」を発し、ポルトガル王アルフォンス五世とその後継、およびエンリケ航海王子に、キリスト教の敵を「未来永劫にわたって奴隷にすること」を許可する。
(16世紀のポルトガルの奴隷船 )
1493
三度にわたる教皇勅書において、アレクサンドル六世は、スぺインとポルトガルに、新世界の獲得権を認める。ほとんど財産を没収された現地民はキリスト教徒にされるべきだと。
15世紀から19世紀まで
約1100万のアフリカ人が故郷から北米・南米に連れ去られた。その多く - 553万人 - はブラジルに運ばれた。
1500年代
1530年から1780年まで
北アフリカの海賊が、概算で数十万ものヨーロッパ人を、今日のモロッコ、チュニジア、アルジェリア、リビアに連れ去った。スペインの著述家ミゲル・デ・セルヴァンテスは、1575年からアルジェリアで奴隷として働かねばならず、金銭的に自由の身になれたのはようやく5年後のことだった。
( ミゲル・デ・セルヴァンテス )
1537年
ローマ教皇パウルス三世は教皇勅書「スブリミス・デウス(Sublimis Deus)」で、アメリカの原住民を「奴隷状態に転化させること」を禁じた。彼らは、その代わり、キリスト教徒にされるべきだとした。
1600年
フッガー家の銅貨が奴隷売買の支払い手段となり、フッガー家の財政状態を向上させた。ヴェルザー家は南アメリカに植民地を創設し原住民を奴隷化した。
1682年
ブランデンブルク・アフリカ会社が、ブランデンブルクの国旗のもとで奴隷貿易にのり出す。この事業は1711年に、腐敗、放漫経営、強大な競合相手のゆえに失敗に終わる。
1685年
フランス国王ルイ14世は、奴隷との関わりを定めた「黒人法(Code Noir)」を発布(1848年まで有効だった)。この法は奴隷をフランスの臣民と定めたが、武器の携行は禁じ、集会や法廷への立ち入りも認めなかった。それでも、同法は、奴隷を鞭打ったり不法に殺害する所有者に対する罰則を盛り込んでいた。
1695年
ブラジルのパルマレスでは逃亡奴隷が土地を開拓し、約2万人が暮らしていた。彼らは、数十年生存していたが、制圧・殺害された。
1700年代
1780年頃
奴隷売買に対する抗議活動が起こる。ドイツ語圏では奴隷所有は法的に規制されていなかった - たいていは見て見ぬふりという扱いだったが、貴族や上流市民の家庭では日常的に行われていた。ただし、奴隷所有と呼ばれなかっただけである。
(「人間は自由に生まれたが、いたる所で鎖につながれている」(ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』1762 )
18・19世紀
ドイツ人の商人や企業家も大西洋の向こう側の奴隷システムで利益を上げ、それが労働市場となって職人や専門家にも利益をもたらした。シュレジアの職人は、プランテーションの奴隷たちが着る衣服の原料であるリンネルを輸出した。
(1823年アンティグアの砂糖プランテーションで働く奴隷たち )
1783年
奴隷船ゾング号で起きた出来事をめぐる訴訟と、溺死した奴隷に対する保険金の賠償は、奴隷廃止運動の先駆けとなった。
1788年
イギリスは、最初の「奴隷貿易法」で、奴隷の輸送に規制をかけた。奴隷船の船内での奴隷の数は1トン当たり1.67人に制限された。この措置により輸送中の死者数は減少した。
1789年
オラウダ・イクイアーノが自伝『オラウダ・イクイアーノあるいはアフリカ人グスタファス・ヴァッソー自身が書く彼の生涯の興味深い物語』を出版し奴隷船での移送の驚愕の事実を描く。
(ある船の船倉における奴隷たち 1800年頃 )
サント・ドミンゴで奴隷の反乱が勃発。植民地はフランスから決別し、1804年、独立した国家になる。それがハイチである。
(ドミニカにおける原住民の自由人 1758年頃 )
1792年
デンマークが奴隷売買を禁止する最初の国家となる。禁止法案の発議をしたのは、ドイツ系デンマーク人の政治家であり商人であり奴隷所有者でもあったハインリッヒ・エルンスト・フォン・シメルマン。この禁止法は、遅延行為に遭ったため、1803年になったようやく発効した。
1800年代
19世紀初頭
ドイツ諸州では農奴制の廃止は徐々にしか進まなかった。プロイセンで奴隷制が法的に禁止されたのは1857年になってからのである。
1807年
大英帝国は二番目の「奴隷貿易法」で奴隷売買を禁止したが、東インド会社に対しては例外が認められた。1833年に続く「奴隷廃止法」では、インドとセイロンをあらゆるイギリスの所有地での奴隷所有は、1834年8月1日までに廃止されなければならないと明記した。
1837年
ブレーメン政府は、奴隷売買を法的に罰則に処するものと定めた。それにもかかわらず、ブレーメンの商人は後になっても奴隷の商売に関わっていた。
1838年
北米カトリックのイエスズ会士は、自分たちが設立したジョージタウン大学を経営危機から守るために、奴隷を売却することにした。272人を売却して得た収益は115000ドルだった。
1839年
グレゴリウス16世は、教皇として初めて、明確かつ一般論という形で、いかなる奴隷制にも反対する声明を発した。
(「疑いもなく奴隷制は、これまでの人類に降りかかて来たあらゆる悪の中でも最大のものである」。アレクサンダー・フンボルト:1889年に発表された『キューバ島の政治的状態についての試論』 )
1850年
リオ・デ・ジャネイロは世界で最大の奴隷貿易港である。その街には約20万人が暮らしていたが、その40パーセントは奴隷であった。
1857年
奴隷状態はプロイセンの領土内で法的に廃止された。
1861年から1865年まで
合衆国では、奴隷制の問題をめぐって、北部諸州と南部諸州が市民戦争に突入。戦争の終わりとともに奴隷制が廃止された。
(ヴァージニアにおける解放奴隷の集団 1865年頃 )
1884/85年
コンゴ会議でヨーロッパの大国がアフリカの広大な領土を植民地として分割した。彼らの言い分は、アフリカの内部にある奴隷制を終わらせ、アフリカ人をキリスト教徒に改宗させたいからというものだった。
1900年代
1901年から1904年まで
ドイツの植民地に対する政令として、奴隷を担保にすることが禁じられ、奴隷の新生児は自由人とするよう定められた。
1926年と1930年
国際連盟は、奴隷制及び奴隷売買を終わらせる「奴隷-協定」を締結。1930年には、国際労働機関(ILO)が、署名国に強制労働を終わらせるように義務づける「条約29」を締結。
(オランダ領ギアナでフレームに吊るされる奴隷 )
1939年から1945年まで
第二次世界大戦ではとくにドイツと日本が大々的に強制労働を利用した。
1950
ヨーロッパ人権条約が、条項4で、奴隷制と強制労働の全般的禁止を明記。
1974年
国連人権委員会は強制売春を一種の奴隷労働として認定。
1992年
ヨハネ・パウロ二世は、アフリカ訪問の途上で、キリスト教徒のアフリカおよびアフリカ人に対するこれまでの関り方は「恥ずべきもの」だったと告白したが、教会の役割のことで謝罪することはなかった。
今日
2021年
イエスズ会は、奴隷の子孫と一億ドルで示談すると申し出た - 子孫たちの要求額は10億ドルだったのだが。2022年の8月までに教団が集めたのは総額の三分の一にすぎない。
今日
人権機関「ウォーク・フリー(Walk Free)」の「グローバル奴隷労働インデクス(Global Slavery Index)」は、2018年の最新の調査において、奴隷労働を強いられている人は世界全体で4030万人にのぼると試算している。そのうちの71%が女性で、2490万人が強制労働を強いられている。
」(おわり)
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この戦争は宗教戦争である
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2022-06-07
シモーヌ・ヴェーユの最晩年の試論の一つ「この戦争は宗教戦争である」を今読み返している(翻訳は『シモーヌ・ヴェイユ選集3』に収められている)。「この戦争」とは第二次世界大戦のこと。それを、ドイツを支配した偶像崇拝に対する戦いと見立てて、「宗教戦争」としたところに独自の着想がある。もちろん、興味深いのはそれに尽きるわけではないのだが、一応、あらましを表面的になぞってみることにしよう。 テーマは全世界を包んでいる「善と悪の対立」にある。それは息ができないくらいの「耐え難い重荷」である。ヴェーユは、この重荷から解放される三つの方法を紹介する。1) 第一は、善悪の対立という現実を否定すること。善も悪も等価値と考え、すべての価値観に対して距離を取ろうとする第一次世界大戦後のヨーロッパの知的態度を、ヴェーユは考えているようだ。おそらくそこには、善悪に対する関心の喪失といったニヒリズムの現象や、民主主義的寛容に対する楽観論(ワイマール憲法下のドイツを特徴づける楽観論)などが考えれているのだろう。善も悪も等価だが、それらの対立は、まるで予定調和によって規定されるかのように、一定の結果に帰着し、決してカタストロフには至らないだろうという根拠のない信念、というか無邪気な妄想というか。そして、それがどれほどの破滅的な結果を生み出したかは言うまでもない。 2 第二は、偶像崇拝。ここでいう「偶像」とは、抽象的に言えば、善悪の対立を排除するような領域のことであり、具体的に言えば、それにすがればもう善悪のことを考えずに済むような国家や教会といった権威的制度である。そこに所属すれば、もう自動的に「善」という属性が自分に与えられるので、それに対立するすべてのものには「悪」というレッテルを投げつけることができる。ヴェーユは、ナチの親衛隊の青年のことを念頭に置いているようだが、彼らの輝かしい祖先はローマ帝国であり、シオンの丘に常に希望を託していたイスラエルの民でもある。政治的常識として、ローマとイスラエルは全く違うものとして扱われているが(一方は無神論的な皇帝崇拝、もう一方は一神教の原型)、ヴェーユにとって両者は「偶像崇拝」のヴァリエーションにすぎないようだ。異端審問に走ったカトリックも、そのカトリックと対立したプロテスタントも、偶像をどこかに秘めている(ドイツのプロテスタンティズムは、国家という後ろ盾がなければ成り立たない)。「ロシアも別の偶像崇..
探求
MikS
2022-06-07T20:22:01+09:00
テーマは全世界を包んでいる「善と悪の対立」にある。それは息ができないくらいの「耐え難い重荷」である。ヴェーユは、この重荷から解放される三つの方法を紹介する。
1) 第一は、善悪の対立という現実を否定すること。善も悪も等価値と考え、すべての価値観に対して距離を取ろうとする第一次世界大戦後のヨーロッパの知的態度を、ヴェーユは考えているようだ。おそらくそこには、善悪に対する関心の喪失といったニヒリズムの現象や、民主主義的寛容に対する楽観論(ワイマール憲法下のドイツを特徴づける楽観論)などが考えれているのだろう。善も悪も等価だが、それらの対立は、まるで予定調和によって規定されるかのように、一定の結果に帰着し、決してカタストロフには至らないだろうという根拠のない信念、というか無邪気な妄想というか。そして、それがどれほどの破滅的な結果を生み出したかは言うまでもない。
2 第二は、偶像崇拝。ここでいう「偶像」とは、抽象的に言えば、善悪の対立を排除するような領域のことであり、具体的に言えば、それにすがればもう善悪のことを考えずに済むような国家や教会といった権威的制度である。そこに所属すれば、もう自動的に「善」という属性が自分に与えられるので、それに対立するすべてのものには「悪」というレッテルを投げつけることができる。ヴェーユは、ナチの親衛隊の青年のことを念頭に置いているようだが、彼らの輝かしい祖先はローマ帝国であり、シオンの丘に常に希望を託していたイスラエルの民でもある。政治的常識として、ローマとイスラエルは全く違うものとして扱われているが(一方は無神論的な皇帝崇拝、もう一方は一神教の原型)、ヴェーユにとって両者は「偶像崇拝」のヴァリエーションにすぎないようだ。異端審問に走ったカトリックも、そのカトリックと対立したプロテスタントも、偶像をどこかに秘めている(ドイツのプロテスタンティズムは、国家という後ろ盾がなければ成り立たない)。「ロシアも別の偶像崇拝によって生きている」。ここを読むと、何かウクライナ信仰を命ずるプーチンのことを思わざるを得ない。「日本を鼓舞する偶像崇拝」は他のいかなる国のそれよりも激越である。そう、だから、時折言われるように日本人は無宗教だというような言いぐさを私は信じない。現在そう見えるのは、ただその崇拝のメンタリティが休眠中であるだけだろう。
(すでに、『重力と恩寵』として後にまとめられる断章の中に、次のような洞察が書き込まれていた。「ヤハウェ、中世の教会、ヒトラー、これらは地上的な神々である」(15 悪))。
3 第三は神秘主義である。それは「善と悪が対立する領域のかなたに通じる道」である。一見、それは第一の方法に似ているように見えるかもしれないが、第一の方法は、無関心から、あるいは善意から、善悪を問題にしない。それに対し、神秘的な考え方は、善悪のかなたに行くが、善悪から離れるわけではなく、その膳の原型となるような絶対的善を目指そうとする。この「善」こそ、地上的なものに対する信仰としての「偶像崇拝」に対抗できる道だと、ヴェーユは考えている。そしてその道に入るには「霊的清貧」によらなければならないとされるが、残念ながらヴェーユの考察はそれ以上先には進まなかった。もう彼女には時間が残されていなかったのである。
「この戦争は宗教戦争である」。「この戦争」は、すでに遠い昔に終わった、と人は言うだろう。だが、「われわれがただ単にアメリカの金銭と工場の力で解放されるなら」、事態は何も変わらないとヴェーユは書いている。そしてその通りに事態は推移した。アメリカの富と物質力がヨーロッパを偶像崇拝から解放したのだが、それは真の解放ではなかった。偶像崇拝に根底から対峙できるような方途を見出さなければ、また出現するであろう偶像崇拝に対してヨーロッパは無力なままにとどまるのだし、そして事実はその通りだということは最近のロシアの侵攻がうんざりする形で証明している。いずれは中国や朝鮮が後に続くかもしれない。それは特定の危険な国の存在を消せば済むという話ではない。最近のアメリカの分裂状況は、何か新たな南北戦争の予感を感じさせるのだが、火種は至る所にある。いたるところで偶像が製造されている。だから、「この戦争」はまだ終わってはいない、と言う以外にないのだ。
さて、ヴェーユの洞察を、なんとか自分なりに引き受けて、続けられないだろうか? 最近になってそんなことを考えているのである。
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ローマ:恐怖の社会 (つづき)
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2022-05-25
Welbornの読み方によれば、パウロが抗ったのは、ローマの恐怖に満ちた全体主義的な支配体制だったが、それを読みながら、古い記憶がよみがえってきた。たしか、シモーヌ・ヴェーユがローマ帝国に対して似たような読み方をしていなかっただろうかと。ただし、断片的にしか読んだことがないので、あいまいでイメージ的な類似性の指摘しかできないのだが、とりあえず念頭に浮かぶことを書いてみよう。ヴェーユは、ナチが支配する現状に直面して、その全体主義的な支配体制のあり方の先駆をローマ帝国に求めた。その点についてきちんと考えるためには、「ヒトラー主義の起源にかんする若干の考察」や「この戦争は宗教戦争である」といった試論や『根をもつこと』を読む必要があるだろうが、今はその余裕はない。今の私に言えるのは、ヒトラーに対抗してその歴史的起源をローマに求め、ナチの全体主義にラディカルに対峙したヴェーユの姿勢と、ローマの支配領域をめぐりながらそのイデオロギーの全面的な転倒を説いて回ったパウロの姿勢はパラレルに扱えるのではないか、ということである。 ただし、ヴェーユの読み方は歴史的考察という形をとるので、直接的なパラレリズムは成り立っていないということは言うまでもないが、逆に、ナチと ローマの類似性というパースペクティヴを通してみるからこそ、ヴェーユの歴史の考察は、他には見られない興味深い論点を提供してくれる。ローマは、自らにとって「他なるもの」を一切許容しなかった。地中海一帯にあった雑多な文化的多様性は消滅し、ヘレニズム的教養も受け継がれることもなく直に消滅してしまった。ローマの支配政策に関してよくその「寛容さ」が喧伝されるが、その「寛容さ」とは、結局、ローマ的基準に抵触しないものを許容する「寛容さ」であって、少しでも抵触するものには容赦がなかった。ドルイデス教は、その「野蛮な習慣」のゆえに根絶させられたというが、どういう「野蛮」が問題なのかは不明だが、おそらくローマに内在する野蛮さに比べればかわいいものだっただろう。理由がどうであれ、他民族の宗教を「根絶」させる野蛮さに勝る野蛮さはそうそうないだろう。今日の中国は、習近平の肖像画を飾る教会には存続を認めてやるという「寛容」さをもってキリスト教に対して臨んでいるようだが、いってみれば、ローマの「寛容」も同じようなものだっただろう。その「寛容」の裏側にあるのは、ローマ皇帝に跪拝しない勢力に対しては..
探求
MikS
2022-05-25T01:33:38+09:00
ただし、ヴェーユの読み方は歴史的考察という形をとるので、直接的なパラレリズムは成り立っていないということは言うまでもないが、逆に、ナチと ローマの類似性というパースペクティヴを通してみるからこそ、ヴェーユの歴史の考察は、他には見られない興味深い論点を提供してくれる。ローマは、自らにとって「他なるもの」を一切許容しなかった。地中海一帯にあった雑多な文化的多様性は消滅し、ヘレニズム的教養も受け継がれることもなく直に消滅してしまった。ローマの支配政策に関してよくその「寛容さ」が喧伝されるが、その「寛容さ」とは、結局、ローマ的基準に抵触しないものを許容する「寛容さ」であって、少しでも抵触するものには容赦がなかった。ドルイデス教は、その「野蛮な習慣」のゆえに根絶させられたというが、どういう「野蛮」が問題なのかは不明だが、おそらくローマに内在する野蛮さに比べればかわいいものだっただろう。理由がどうであれ、他民族の宗教を「根絶」させる野蛮さに勝る野蛮さはそうそうないだろう。今日の中国は、習近平の肖像画を飾る教会には存続を認めてやるという「寛容」さをもってキリスト教に対して臨んでいるようだが、いってみれば、ローマの「寛容」も同じようなものだっただろう。その「寛容」の裏側にあるのは、ローマ皇帝に跪拝しない勢力に対しては容赦しないという不寛容があった。
このような風土においては文化的な活動が花開くことはない。ルネサンスの文芸復興に至るまでギリシア的な文化が顧みられなかったのは、結局、ローマ的な一元的偏狭さがいかに深く根づいていたかを示唆するものであろう。国教化されたキリスト教は、その一元的偏狭さを推進するように機能した。ローマの不寛容を受け継いだキリスト教が、異端排除に至るのは当然のことであった。
この記事を書くために、少しだけ「ヒトラー主義の起源にかんする若干の考察」を拾い読みをしたのだが、いくつか興味深い洞察を拾ってみよう。
「(若干の詩以外の)芸術、哲学、科学にかんするかぎり、古代文明はギリシアとともに消滅した」(『シモーヌ・ヴェーユ著作集2』42ページ)。
「他なるもの」に対する全面的無理解。古代の終焉により、世界は、過去の記憶を全く持たぬままに、全く不毛な形で放置されたようだ。
「ローマの政治の第一原理は…威信を最高度に保つことであった。…彼らはその町(=カルタゴ)が自由であることを許すわけにはいかなかったのだ」(同43ページ)。
自分に従わぬ小さな勢力がいようが、大帝国にとっては脅威にはならないはずだったが、ロ-マ人の無意味な「威信」がそれを許さなかった。異質なものが存在することすら許さぬプライドの高さ。もちろん、ヴェーユは、ナチの民族意識の傲慢さの先駆をそこに見ているわけである。私は、ナチの民族意識は、ドイツ・プロテスタンティズムの文化的傲慢さがあったからこそ可能だったのではないかというぼんやりした見通しをもって、それを肉づけしたいと考えている。ドイツ・プロテスタンティズムこそ、キリスト教の遅れて現実化した精髄であるという歴史観。したがって、ドイツ民族こそ歴史の先端に立つという歴史観。こういう「威信」が、政治的プログラムに組み込まれて現実化するとき、いかに破滅的な結果を生み出すか。おそらく「威信」とは罪のないものどころか、これほど有害なものはないと言うべきかもしれない。
「ローマにおける精神生活とは、権力への意志を表現すること以外ではなかった」(同48ページ)。
ローマ人は、表面を取り繕うことにばかり気を遣っていた。彼らにとって肝心なのは「宣伝」だけであって、「国家の権勢に奉仕することにはなりえない、さまざまの形の精神的創造はローマに存在しなかった」。
「ヒトラーのやり口のうちで、我々を憤らせ驚愕させるものは、すべてローマとの共通項になっている」(同52ページ)。
無慈悲で迅速な攻撃に関連してそう言われているのだが、それ以外にも、高度に中央集権化された体制、その中で無力化していく個々人(「グラックス兄弟の死後、カトーをのぞいて、ローマには気骨のある、誇りある人物はいなくなっていた」(同60ページ)、下の人間にはどれほどでも冷酷になれる兵士たち、ますます恐怖の度合いを増す軍隊…。ここら辺を読むと、自然に、ドイツの官僚的組織とその中でのうのうと暮らす「末人たち」の姿、官僚制の末端にいて絶滅計画に加担するアイヒマンのような凡庸な役人のことなどが思い出される。
「ローマ人は、国家への信仰をのぞけば、そもそも宗教などもってはいなかった」(同65ページ)。
ローマの神々はいわばお飾りであって、皇帝以外の崇拝の対象は存在しなかった。もちろんナチも同様。そこから、ヴェーユは、「この戦争は宗教戦争である」などにおいて、ナチ的「偶像崇拝」に対極に立つものとして、真の信仰のあり方を模索することになる。その対置すべき信仰は、当然ながら、偶像崇拝の要素を一切含まない、「非人格的なもの」に対する信仰にならなければならないのであるが。
「強制収容所が人間性の価値を消滅させるのに効果的な手段であるのは、あの剣闘士のゲームや奴隷に課された責苦の場合と全く同じである」(同68ページ)。
今日「剣闘士」は、長らく喧伝されてきたほど、悪しき習慣ではなかったという趣旨の紹介の仕方をしばしば見かける。NHKの特集番組でもそういうふうに紹介されていたと記憶しているが、やはり、「剣闘士」に関しては、あまり肯定的に扱うべきではないのではないかと思う。剣闘士の試合は、貴族が名を売るための機会であったから、剣闘士は、その限りで大事にされたという側面はあるが、結局は、貴族の道具であるにすぎない。その道具たちが戦ったり、場合によっては獣と格闘する様を見て興奮し憂さを晴らす社会というのは、全体としてやはり一抹の狂気をどこかに漂わせているというように見なければならない。それは、ナチのドイツで、強制収容所で具体的にどのようなことが行われているかをまったく知らないかのように見せかけながら、そして、いつの間にかいなくなったユダヤ人や政治犯たちが始めからいなかったかのように見せかけながら、平穏無事に過ぎていく社会の空気の中に、一抹の狂気の気配がつねに漂っていたのと同じ構造である。
おそらく、そのような観点から、パウロやドイツ・プロテスタンティズムやヴェーユを読んでいくべきなのだろうと思っている。
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デキマティオ(前回の補足)
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2022-05-06
前回の記事( ローマ:恐怖の社会)の補足をしたい。 古代のローマがいかに恐怖に満ちた体制だったかを示す格好の例が見つかったので報告したい気持ちにかられた。「デキマティオ」と呼ばれる恐るべき制度である。 ローマが地中海世界の覇者になったのは、カルタゴとの二度目の戦争につづく二世紀問、紀元前二世紀から一世紀にかけての期間だった。ローマは地中海世界の全域を征服し、征服した領土とその住民をローマの国家組織に組み入れた。その住民の数は当時の世界人口のおそらく五分の一ないし六分の一にのぼると考えられている。これほどの規模にわたって支配権を拡大しえた国家は、それ以前それ以後もなかった。 このような空前絶後の成果は、まれにみる徹底した規律なくしてはありえなかったが、それがいかに非情な掟によって支えられていたかは、籤で十人につき一人の兵士を処刑する「デキマティオ」によって最も判然とする。 いかなる部隊であれ、もしある部隊が命令に従わなかったとか戦闘において臆病だったと判断されたならば、兵士十人につき一人が籤で選び出され、つい先程まで戦友だった者たちによって棍棒で殴り殺された(ポリュピオス『歴史Histories』六・三八)。デキマティオは、たんに新兵たちに絶対服従を強いる目的で語られる恐ろしい話にすぎないというようなものではなかった。デキマティオは実際に行われたのであって、しかも特に取り立てて言及される必要もないほど頻繁に執行されたのである(たとえば、デイオン四一・三五および四八・四二)。ローマ兵たちはいわゆる公共の福祉のために互いに殺し合った。だから、彼らが脱走兵を情け容赦なく処刑したとか、時には戦争捕虜が無理やり剣闘士試合で戦わせられたり、大衆娯楽のために猛獣の前に投げ込まれたりしたというようなことは、別段驚くに当たらないわけである」(K.ホプキンス:『古代ローマ人と死』p.13~4)。 つまり、ローマは、外部の人間にその残忍な暴力を行使する以前に、自分の内部の人間に対しても容赦なく殺害するという文化を内包していた。こうした力の支配に対していかなる者も例外扱いされることはないのであって、皇帝でさえも、いったん信望が地に堕ちるや悲惨な末路を避けることは難しかった。ヴィテリウスがいい例であって、彼は、兵士たちになぶりものにされて死んでいった。ローマ市民の内部ですらそうなのであるから、ローマ市民にとっての「他者」、奴隷や他国民に対..
探求
MikS
2022-05-06T01:42:22+09:00
古代のローマがいかに恐怖に満ちた体制だったかを示す格好の例が見つかったので報告したい気持ちにかられた。「デキマティオ」と呼ばれる恐るべき制度である。
ローマが地中海世界の覇者になったのは、カルタゴとの二度目の戦争につづく二世紀問、紀元前二世紀から一世紀にかけての期間だった。ローマは地中海世界の全域を征服し、征服した領土とその住民をローマの国家組織に組み入れた。その住民の数は当時の世界人口のおそらく五分の一ないし六分の一にのぼると考えられている。これほどの規模にわたって支配権を拡大しえた国家は、それ以前それ以後もなかった。
このような空前絶後の成果は、まれにみる徹底した規律なくしてはありえなかったが、それがいかに非情な掟によって支えられていたかは、籤で十人につき一人の兵士を処刑する「デキマティオ」によって最も判然とする。
いかなる部隊であれ、もしある部隊が命令に従わなかったとか戦闘において臆病だったと判断されたならば、兵士十人につき一人が籤で選び出され、つい先程まで戦友だった者たちによって棍棒で殴り殺された(ポリュピオス『歴史Histories』六・三八)。デキマティオは、たんに新兵たちに絶対服従を強いる目的で語られる恐ろしい話にすぎないというようなものではなかった。デキマティオは実際に行われたのであって、しかも特に取り立てて言及される必要もないほど頻繁に執行されたのである(たとえば、デイオン四一・三五および四八・四二)。ローマ兵たちはいわゆる公共の福祉のために互いに殺し合った。だから、彼らが脱走兵を情け容赦なく処刑したとか、時には戦争捕虜が無理やり剣闘士試合で戦わせられたり、大衆娯楽のために猛獣の前に投げ込まれたりしたというようなことは、別段驚くに当たらないわけである」(K.ホプキンス:『古代ローマ人と死』p.13~4)。
つまり、ローマは、外部の人間にその残忍な暴力を行使する以前に、自分の内部の人間に対しても容赦なく殺害するという文化を内包していた。こうした力の支配に対していかなる者も例外扱いされることはないのであって、皇帝でさえも、いったん信望が地に堕ちるや悲惨な末路を避けることは難しかった。ヴィテリウスがいい例であって、彼は、兵士たちになぶりものにされて死んでいった。ローマ市民の内部ですらそうなのであるから、ローマ市民にとっての「他者」、奴隷や他国民に対する暴力性の行使は、日常茶飯のことだっただろうし、そもそも殺人が、特に良心に反する事柄とは見なされていなかったのだろう。
だから、ローマの支配が及んだ土地で、その文化とは相いれないものがすべて根絶やしにされたことは驚くに当たらない(いわゆる、ぺんぺん草も生えないという状態)。知識人の間でギリシア文化(ヘレニズム)が栄えたのも一時のこと、直に顧みられなくなった。後にルネサンスの文芸復興の機運の中でギリシア的なものが見直されるが、そのことは、ローマの文化の中で、非ローマ的なものがいかに徹底的に破壊され忘却されていたかを示唆するものである。ローマによる単一化、多様性の排除、他文化の英知に対する敵視、こうした恐ろしさを根底に秘めた傲慢と単細胞の共存する文化がそれ以降の世界の歴史を支配することになる。
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ローマ:恐怖の社会
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2022-05-04
ようやく最近になって、目の具合が少しはまともになってきたので、ぼちぼち読書のまねごとをしているのだが、何となく焦点が合わず(目の焦点ではなく、関心の焦点が定まらず、ということだが)、散漫な読書になりがちだった。しかし、徐々に色々なことが、収斂しつつあるのを感じる。特にきっかけを与えてくれたのは、Welbornという学者が書いたパウロについての小品だった。だから、前回の記事で「パウロの足どり」をしばらくたどってみたいと書いたが、それに先立って書きたいことができたので、テーマを変更することにしたい。 Welbornが書いていることは、ある意味で、ありふれたことである。つまり、ローマの社会がいかに残酷な社会だったか、ということである。たとえば、剣闘士(グラディエーター)が命を懸けて戦うさまをローマの市民が固唾をのんで注視する。それは、ある意味で、今日格闘技の試合を多くの人が好んで観る状況と大差がないように見える。しかし、その比較は成り立たない(かもしれない)。剣闘士の試合では、実際に人が死ぬからである。しかもその殺人には大義名分はなく娯楽の一環にすぎなかった。貴族が多額の費用を出して、このような見世物の機会を提供したのは、民衆の人気を得たいがためだったようだ。民衆は、暇つぶしのために、円形競技場に出向き、奴隷の剣闘士が死ぬ様を見物して、充実した時間を過ごせたというな気分になったのだろう。 これは「パンとサーカス」として世界史で出てきたことである。それがローマ時代の政治家の人心掌握術だったのです、で終わる話であるようにみえる。しかし、Welbornの小品や、彼が紹介している研究者は、このことをローマ社会の全体にまで押し広げようとする。つまり、暇つぶしに殺人の見世物をローマ市民が見ることが許容される社会とは、要するに、殺人など些末なこととして扱う残忍さが社会全体にいきわたっていたことでもある。ローマの為政者がいかに残酷であったかについては、様々な記録が残っているが、同様のことは、おそらく、社会の末端に至るまで再生産されていたことだろう。いたるところで、奴隷たちは、特に大した理由がなくとも、簡単に殺されたことだろうし、生命のはく奪には至らなくとも、人間性をはく奪された生を送らざるを得なかったことだろう。 Welbornは、このようなローマ帝国内に染み付いた非人間性を背景にして、パウロの言葉を読み解こうとした。 「…あな..
探求
MikS
2022-05-04T01:54:44+09:00
Welbornが書いていることは、ある意味で、ありふれたことである。つまり、ローマの社会がいかに残酷な社会だったか、ということである。たとえば、剣闘士(グラディエーター)が命を懸けて戦うさまをローマの市民が固唾をのんで注視する。それは、ある意味で、今日格闘技の試合を多くの人が好んで観る状況と大差がないように見える。しかし、その比較は成り立たない(かもしれない)。剣闘士の試合では、実際に人が死ぬからである。しかもその殺人には大義名分はなく娯楽の一環にすぎなかった。貴族が多額の費用を出して、このような見世物の機会を提供したのは、民衆の人気を得たいがためだったようだ。民衆は、暇つぶしのために、円形競技場に出向き、奴隷の剣闘士が死ぬ様を見物して、充実した時間を過ごせたというな気分になったのだろう。
これは「パンとサーカス」として世界史で出てきたことである。それがローマ時代の政治家の人心掌握術だったのです、で終わる話であるようにみえる。しかし、Welbornの小品や、彼が紹介している研究者は、このことをローマ社会の全体にまで押し広げようとする。つまり、暇つぶしに殺人の見世物をローマ市民が見ることが許容される社会とは、要するに、殺人など些末なこととして扱う残忍さが社会全体にいきわたっていたことでもある。ローマの為政者がいかに残酷であったかについては、様々な記録が残っているが、同様のことは、おそらく、社会の末端に至るまで再生産されていたことだろう。いたるところで、奴隷たちは、特に大した理由がなくとも、簡単に殺されたことだろうし、生命のはく奪には至らなくとも、人間性をはく奪された生を送らざるを得なかったことだろう。
Welbornは、このようなローマ帝国内に染み付いた非人間性を背景にして、パウロの言葉を読み解こうとした。
「…あなた方がすでに眠りから覚める時が来ている。今や我々の救いは、以前われわれが信じた時よりも近づいているのだ。夜はふけた。昼間が近づいた。だから、我々は闇の行為を脱ぎ、光の武具を着ようではないか」(ローマ13章11-12)。
パウロが伝道をして回ったのはローマ帝国の領内なのだから、ここで言われている「眠り」や「夜」とは、帝国内の隅々にまでいきわたっているローマ非人間的な価値観ということなる。パウロや他の初期のキリスト教徒の活動や教義は、こうした「反帝国主義(anti-imperialism)」を背景にして理解しなければならない。それがWelbornの解釈である。こうした捉え方は、正統的な神学者からは賛同が得られないかもしれない。少なくともウド・シュネレは同意していないようだ。ただし、私には腑に落ちるものがあるのである。私にとって、キリスト教がローマ帝国内でたびたび迫害されたにもかかわらず、なぜ廃れず広範囲な支持を得たのかという疑問は、つい最近まで解けないままであった。しかし、その疑問は、こうしたローマ帝国内にいきわたった残忍さの文化や、その文化が人心に深く植えつけた恒常的恐怖や、そしてその恐怖から逃れようとするはかない希望などを考慮に入ることで、ある程度、解けるのではないか、と思えたのである。
今の文脈から少し外れるが、ストア派の哲学者が自殺を賛美したということは、知識としては知っていたが、その背景にまでさかのぼって理解しようというところにまで考えが及ぶことはなかった。しかしWelbornの指摘によると、例えば、セネカが自殺したのは、そうする以外に人間的な尊厳をもって生きることができないほどの野蛮さに取り囲まれていたからだ、となる。剣闘士が死んでいったアリーナは、実は、いたる所にあったし、それはいわゆる上流階級に属する人間にも無縁のものではなかった、ということになる。違いは、上流の人間は、他の剣闘士や獣に殺される代わりに、自分で死に方を選べるという権利が与えられていた、という点にすぎない。ローマの世界は、まさに、恐怖の世界であったと言えるかもしれない。そんな中で、その世界に背を向けて、新たな世界をともに創り上げようと呼びかける運動体が、恐怖から逃れようと思う人々の耳目をとらえたとしても不思議はないかもしれない。
しかし、私がWelbornを読んで閃いたことは、それだけではなかった。それについては次回で。
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パウロの足取りを追う その一
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2022-04-20
私にとって、パウロは、よく分からない、そして、あまり追求したいという気持ちの湧かない人物であった。しかし、事情が少し変わり、やはりパウロについて調べる必要がありそうだと思うようになった。どうしてそう思うようになったかは、やがて詳しく述べていくことにして、しばらくの間、パウロの足跡やその背景となる事情をたどっていくことにする。 パウロがバルナバと別れて独自の道を歩みだしたのは48年の終わりごろだと考えられている。「使徒行伝」は、マルコと呼ばれるヨハネをめぐる扱いが離別の原因であるかのように書いているが(15:38)、そのような個人的な問題が元で彼らが袂を分かったとは考え難い。「エルサレムの使徒と長老」が定めた規定(16:4)についての見解の相違が、パウロを独自の行動に駆り立てた主な原因だと考える研究者が多いようだ。 アンチオキアの伝道はパレスティナ、シリア、小アジアの南東部に限定されていたが、パウロは小アジアの西部やギリシアに目を向ける。そして最終的に、ローマやスペインまども伝道の計画に入れることになる(ローマ15:22-23)。つまり、パウロは当時の地中海世界の中心を視野に収めるようになった。最初の伝道はシリアの砂漠地帯や故郷のキリキアでほぼ何の成果もあげられずに終わったのだが(ガラティア1:21)、それ以降、諸国を伝道するうちに普遍的な見通しを次第に持ち、ローマ帝国全体をカバーするようなパースペクティヴで考えるようになった(「エルサレムからイリュリコンに至るまで」(ローマ15:19)、「マケドニアとアカイア」で(ローマ15:26)。彼は、ローマ世界の諸都市を「凱旋行進」で巡る将軍であるかのような気持ちだった(第二コリントス2:14)。彼は、自分が神に召された使徒であり(ローマ1:1)、キリストの代わりの使者であると理解し、全世界に向かって、比類なき福音を延べ伝えるのであった。「あなた方は神と和解しなさい」(第二コリントス5:20)。
探求
MikS
2022-04-20T01:17:01+09:00
私にとって、パウロは、よく分からない、そして、あまり追求したいという気持ちの湧かない人物であった。しかし、事情が少し変わり、やはりパウロについて調べる必要がありそうだと思うようになった。どうしてそう思うようになったかは、やがて詳しく述べていくことにして、しばらくの間、パウロの足跡やその背景となる事情をたどっていくことにする。
パウロがバルナバと別れて独自の道を歩みだしたのは48年の終わりごろだと考えられている。「使徒行伝」は、マルコと呼ばれるヨハネをめぐる扱いが離別の原因であるかのように書いているが(15:38)、そのような個人的な問題が元で彼らが袂を分かったとは考え難い。「エルサレムの使徒と長老」が定めた規定(16:4)についての見解の相違が、パウロを独自の行動に駆り立てた主な原因だと考える研究者が多いようだ。
アンチオキアの伝道はパレスティナ、シリア、小アジアの南東部に限定されていたが、パウロは小アジアの西部やギリシアに目を向ける。そして最終的に、ローマやスペインまども伝道の計画に入れることになる(ローマ15:22-23)。つまり、パウロは当時の地中海世界の中心を視野に収めるようになった。最初の伝道はシリアの砂漠地帯や故郷のキリキアでほぼ何の成果もあげられずに終わったのだが(ガラティア1:21)、それ以降、諸国を伝道するうちに普遍的な見通しを次第に持ち、ローマ帝国全体をカバーするようなパースペクティヴで考えるようになった(「エルサレムからイリュリコンに至るまで」(ローマ15:19)、「マケドニアとアカイア」で(ローマ15:26)。彼は、ローマ世界の諸都市を「凱旋行進」で巡る将軍であるかのような気持ちだった(第二コリントス2:14)。彼は、自分が神に召された使徒であり(ローマ1:1)、キリストの代わりの使者であると理解し、全世界に向かって、比類なき福音を延べ伝えるのであった。「あなた方は神と和解しなさい」(第二コリントス5:20)。
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3/31上野を歩く
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2021-03-31
3月最後の日、いつものように湯島から上野方面に歩いた。 上野公園は、テレビで何度も見たが、花見は禁止。去年もそうだったが、去年よりも人出が少ないように見えたのは、たまたまか? そういえば、もう桜はピークは過ぎてましたね。ここ数日、ニュースや天気予報など見てなかったので、これからが見ごろかと思い込んでいた私がずれていたのか。しかし、例年ならば、少々、桜が散っていようが、花見客でごった返していたはずだから、やはり、みんな自粛の要請を守っているのだろう。やはり日本人は律儀だ、感心、感心・・・と言いたいところだが、それは日本人の一面を見ているだけだろう。多分、アメ横あたりに行けば、全然違う光景が見えるに違いないと思い、わざわざ行ってみると、案の定の賑わいだった。 これはまだ7時を少しすぎた頃だったから、まだおとなしかったが、誰もマスクなんてつけてない。まあ当たり前だよね、酒をマスクしながら飲んだりできるか、という魂の叫びが聞こえてきそう。まあ、その代償も大きいことは、いずれすぐ判るのだが。このイタチごっこ、いつまで続くのだろう?
雑感
MikS
2021-03-31T23:35:18+09:00
上野公園は、テレビで何度も見たが、花見は禁止。去年もそうだったが、去年よりも人出が少ないように見えたのは、たまたまか?
そういえば、もう桜はピークは過ぎてましたね。ここ数日、ニュースや天気予報など見てなかったので、これからが見ごろかと思い込んでいた私がずれていたのか。しかし、例年ならば、少々、桜が散っていようが、花見客でごった返していたはずだから、やはり、みんな自粛の要請を守っているのだろう。やはり日本人は律儀だ、感心、感心・・・と言いたいところだが、それは日本人の一面を見ているだけだろう。多分、アメ横あたりに行けば、全然違う光景が見えるに違いないと思い、わざわざ行ってみると、案の定の賑わいだった。
これはまだ7時を少しすぎた頃だったから、まだおとなしかったが、誰もマスクなんてつけてない。まあ当たり前だよね、酒をマスクしながら飲んだりできるか、という魂の叫びが聞こえてきそう。まあ、その代償も大きいことは、いずれすぐ判るのだが。このイタチごっこ、いつまで続くのだろう?
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湯島天神をまた通り過ぎる
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2021-03-12
しばらくぶりに湯島天神の境内を通る。一か月前に通ったときは、大学入試が始まったころで、わが子のことが気にならないわけでもなかったので、賽銭をあげたのだが、その功あってか、なんとか、かすって、この四月からニートになることもなく大学に通えることになった。 もっとも、正直に言うが、あのとき賽銭としてあげたのは財布にたまたまあった小銭の15円だけで、他に百円玉がいくつかあったにもかかわらず、ついケチってしまった。思い返してみると、そんなケチ臭い賽銭をあげて、むしろ罰(バチ)が当たらなかった方が不思議だと思うのみで、功徳に感謝などという殊勝な気持ちなどまったくない。今日も、境内をただ通り過ぎただけであった。 しかし、絵馬がまだいっぱいありますね。湯島天神の絵馬は、横から見ると、最初はいったい何なのか、誰も判らないにちがいない。すごい時は、これが爆発したみたいに膨れ上がっているように見えるのである。今日のボリュームは、まだ全然おとなしい方。 ちょっと歩いた先にも、まだ絵馬の棚がある。何を書こうかと思い悩んでいる人が数名いた。これからなのか? それとも結果はすでに出ていて、お礼の文言を考えていたのか? とりあえず、受験シーズンが終わり新学期である。しかし、コロナの感染者数が一向に減らないのが気がかりではある。私は、新年度はすべて対面で授業をする予定。ズームは性に合わないので、受講希望者が想定を超えても、数を絞って対面で行う予定。しかし、非常事態が解除されず、オンラインの授業にせざるを得なくなったら、どうしよう?
雑感
MikS
2021-03-12T22:50:25+09:00
もっとも、正直に言うが、あのとき賽銭としてあげたのは財布にたまたまあった小銭の15円だけで、他に百円玉がいくつかあったにもかかわらず、ついケチってしまった。思い返してみると、そんなケチ臭い賽銭をあげて、むしろ罰(バチ)が当たらなかった方が不思議だと思うのみで、功徳に感謝などという殊勝な気持ちなどまったくない。今日も、境内をただ通り過ぎただけであった。
しかし、絵馬がまだいっぱいありますね。湯島天神の絵馬は、横から見ると、最初はいったい何なのか、誰も判らないにちがいない。すごい時は、これが爆発したみたいに膨れ上がっているように見えるのである。今日のボリュームは、まだ全然おとなしい方。
ちょっと歩いた先にも、まだ絵馬の棚がある。何を書こうかと思い悩んでいる人が数名いた。これからなのか? それとも結果はすでに出ていて、お礼の文言を考えていたのか?
とりあえず、受験シーズンが終わり新学期である。しかし、コロナの感染者数が一向に減らないのが気がかりではある。私は、新年度はすべて対面で授業をする予定。ズームは性に合わないので、受講希望者が想定を超えても、数を絞って対面で行う予定。しかし、非常事態が解除されず、オンラインの授業にせざるを得なくなったら、どうしよう?
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湯島天神 02/09
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2021-02-10
夜7時ごろ湯島天神を通る。 土曜日に通りかかったとき、多くの参拝者が列を作って待っている状態だったので、素通りしたのだが、平日の夜はさすがに誰もいなかった。 受験シーズンだから、混雑するのは当然だよね。我が家でも、6年前は中学受験で大変だった。そして今年は大学受験。もう親がどうこうすることもないので、ほとんど何もしない。だがせめて賽銭でもと、やって来たというわけ。本人の怠惰ぶりを嫌というほど見て来たので、受験の成否にはほとんど関心はないのだが。 梅が綺麗だ、なんか造花っぽい感じだが。月日は流れるが、また同じ春がめぐって来る。
雑感
MikS
2021-02-10T00:55:38+09:00
土曜日に通りかかったとき、多くの参拝者が列を作って待っている状態だったので、素通りしたのだが、平日の夜はさすがに誰もいなかった。
受験シーズンだから、混雑するのは当然だよね。我が家でも、6年前は中学受験で大変だった。そして今年は大学受験。もう親がどうこうすることもないので、ほとんど何もしない。だがせめて賽銭でもと、やって来たというわけ。本人の怠惰ぶりを嫌というほど見て来たので、受験の成否にはほとんど関心はないのだが。
梅が綺麗だ、なんか造花っぽい感じだが。月日は流れるが、また同じ春がめぐって来る。
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図書を借りる
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2021-02-05
大学の図書館で3冊ばかり本を借りる。 一つ目は『ニーチェと宗教改革』(H.Heit &A.U.Sommers(ed):Nietsche und die Reformation)。 これは、二年くらい前に、図書館に購入希望を出した本。しかし、どんなトラブルがあったかは知らないが、発売が遅れに遅れ、ようやく、最近になって入手可能になったようだ。宗教改革についての捉えなおしの機運があって、それが反映されているのかなと勝手な期待を込めていたのだが、どうもそうではないらしい。月並みな内容にがっかり。 二つ目は、1979年刊の少し古い本で『中世ドイツの異端抑圧』(R.Kieckhefer: Repression of Heresy in Medieval Germany)。中世の異端排斥のことを、いつかはきちんと調べたいと思っているのだが、いつになるかは判らない。とりあえずコピー&スキャンして、PCに取り込んでおく。これが私の「積読(つんどく)」の流儀。 三つ目は、翻訳物で、H.E.テート著『ヒトラー政権の共犯者、犠牲者、反対者』。ヒトラー時代のプロテスタントの関係者の内面に焦点を当てた書物らしいが、冒頭の言葉にひきつけられた。 「文明化された国において、国家権力が一人の賭博師で政治的な扇動家である人間の手に落ちるというようなことが、どうして起こりえたのだろうか」。 原著は1997年に出たらしい。こういう問題意識をもって出された書物はたくさんあると思うが、20世紀の終わりになっても、こういう問いかけで始まる書物を出す人がいるということは、この問いが、まだぜんぜん解明されていないことを示唆しているのだろう。 ナチスは滅んだが、その後の歴史においても大量虐殺は繰り返された。「一人の賭博師」によって、「文明化された国」が翻弄される例は、最近のアメリカが示してくれた。ロシアや東欧、中国や東南アジアにも同じ危険はあるのだから、周囲の状況次第でまたひどい体制が復活しないとも限らない。というか、もうすでに存在しているか。いずれにせよ、ナチに関する問題はつねに重要であり続ける。そういうことを心にとどめながら、しばらくこの本を読んでみようと思った。
雑感
MikS
2021-02-05T17:17:03+09:00
一つ目は『ニーチェと宗教改革』(H.Heit &A.U.Sommers(ed):Nietsche und die Reformation)。
これは、二年くらい前に、図書館に購入希望を出した本。しかし、どんなトラブルがあったかは知らないが、発売が遅れに遅れ、ようやく、最近になって入手可能になったようだ。宗教改革についての捉えなおしの機運があって、それが反映されているのかなと勝手な期待を込めていたのだが、どうもそうではないらしい。月並みな内容にがっかり。
二つ目は、1979年刊の少し古い本で『中世ドイツの異端抑圧』(R.Kieckhefer: Repression of Heresy in Medieval Germany)。中世の異端排斥のことを、いつかはきちんと調べたいと思っているのだが、いつになるかは判らない。とりあえずコピー&スキャンして、PCに取り込んでおく。これが私の「積読(つんどく)」の流儀。
三つ目は、翻訳物で、H.E.テート著『ヒトラー政権の共犯者、犠牲者、反対者』。ヒトラー時代のプロテスタントの関係者の内面に焦点を当てた書物らしいが、冒頭の言葉にひきつけられた。
「文明化された国において、国家権力が一人の賭博師で政治的な扇動家である人間の手に落ちるというようなことが、どうして起こりえたのだろうか」。
原著は1997年に出たらしい。こういう問題意識をもって出された書物はたくさんあると思うが、20世紀の終わりになっても、こういう問いかけで始まる書物を出す人がいるということは、この問いが、まだぜんぜん解明されていないことを示唆しているのだろう。
ナチスは滅んだが、その後の歴史においても大量虐殺は繰り返された。「一人の賭博師」によって、「文明化された国」が翻弄される例は、最近のアメリカが示してくれた。ロシアや東欧、中国や東南アジアにも同じ危険はあるのだから、周囲の状況次第でまたひどい体制が復活しないとも限らない。というか、もうすでに存在しているか。いずれにせよ、ナチに関する問題はつねに重要であり続ける。そういうことを心にとどめながら、しばらくこの本を読んでみようと思った。
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近況(2021/02/03)
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2021-02-03
しばらくの間、家と大学の間を往復するだけで、いわば蟄居の生活をしていた。もっとも、ステイ・ホームの呼びかけに呼応したというわけではなく、身体がなまるのを避けて頻繁にウォーキングはしていた。よく行った場所は、湯島と不忍池、北千住近辺。不忍池では、鯉にパン屑をやるのが楽しかった、それと山谷のあたりも、なぜか急ぎ足で通過したりしながら、夜の散策を楽しんだ。 読書もなるべく控え、少し音楽に没頭してみた。ブラッド・メルドーやブライアン・ブレイドに少しはまったが深入りはせず。アルヴォ・ペルトのCDを集めまくったが、まだ集中して聴き込むという感じにはならない。最近のお気に入りは、VoxLuminisやウエルガスといったベルギーの古楽アンサンブル。あー、自分は、こういうのが好きなんだなということが、この年にして初めて判る。 あまり書物は集中して読めない状態なのだが、最近の関心は、20世紀初頭のプロテスタント神学者が、(そのころにはもうすっかり読まれなくなっていた)ルターを復活させて、ルターの毒を徐々に撒き散らして、いかにナチス台頭の土壌をつくったかに関心があって、すこし本を取り寄せたりしている。まあ、ぼちぼち行こか~、というところかな。 このブログも、ちょっと中断していたけど、やはり愛着があるので止めるわけにはいかない。こっちも、ぼちぼちやって行こか~、という感じでやって行こうかと思っている。
雑感
MikS
2021-02-03T16:17:34+09:00
読書もなるべく控え、少し音楽に没頭してみた。ブラッド・メルドーやブライアン・ブレイドに少しはまったが深入りはせず。アルヴォ・ペルトのCDを集めまくったが、まだ集中して聴き込むという感じにはならない。最近のお気に入りは、VoxLuminisやウエルガスといったベルギーの古楽アンサンブル。あー、自分は、こういうのが好きなんだなということが、この年にして初めて判る。
あまり書物は集中して読めない状態なのだが、最近の関心は、20世紀初頭のプロテスタント神学者が、(そのころにはもうすっかり読まれなくなっていた)ルターを復活させて、ルターの毒を徐々に撒き散らして、いかにナチス台頭の土壌をつくったかに関心があって、すこし本を取り寄せたりしている。まあ、ぼちぼち行こか~、というところかな。
このブログも、ちょっと中断していたけど、やはり愛着があるので止めるわけにはいかない。こっちも、ぼちぼちやって行こか~、という感じでやって行こうかと思っている。
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トルストイ『私の宗教』について 5
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2020-09-14
トルストイ『私の宗教』について 5 夏に入って左目が急に悪くなったため、その療養もかねて、8月後半から2週間弱、人里離れた所に籠って文明と縁遠い生活を送ってみた。こういうことは、自分の性に合うのかどうか判らなかったのだが、意外に楽しめた。自分も、里山暮らしのようなことを考えてみようかな・・・。 トルストイは『私の宗教』で「貧しさ」に触れて、次のように言っている(なぜ「貧しさ」が問題となるかというと、あの「貧しい人は幸い」というイエスの言葉を念頭においているから。ただし、トルストイの見解が、イエスの意図に合致しているかどうかはここでは問わない)。 「貧しいということは、都市に暮らすことではなく、田舎に暮らすことを意味するのであり、部屋に閉じこもるのではなく、野外で、森や畑で働くこと、太陽や開けた空や大地の歓びをもつこと、物言わぬ動物の習慣を守ることを意味する。… 貧しいことは、日に三度空腹になること、不眠症の犠牲者として何時間も枕の上で頭を左右に動かすことなく眠ることであり、子供を持ち、子供とつねに一緒にいることであり、したくもないことは何もしないことであり(これが肝心なこと)、何が起ころうと恐れをもたないことである」(『私の宗教』第10章)。 この基準に照らすと、私はなんと「豊か」なことか。年中部屋にこもっているし、慢性的に不眠に苦しみ、日に二度しか食事はとらないし、子供はいるが今年受験で、成績で人間の価値を測る制度の試練の真っただ中にいる。他人の上に行かない限り他人に蹴落とされるしかない状況の中で神経がかなり参っているはずなのに、それに何も有益な言葉の一つもかけてやれない、それに加えて、これから、好きとも言えない大学がまた始まる。いや、授業は嫌いではないのだが、通勤で電車に乗ったり、退屈な会議や、顔を合わせたくない職員や同僚がいたりとかね色々・・・ 「豊かな」人間が一極集中する東京は、今年度の「幸福度調査」では最下位に近かったという記事を、さっきどこかで見かけたが、そんなことは、調べてみるまでもないだろう。まあ、こういうことを書いているとキリがないので止めよう。一応、トルストイの『私の宗教』についての感想をまとめようとブログの「作成」のページをひらいたのであるから。 『私の宗教』の結論は、第7章辺りではっきり言われている。「山上の教え」を一通り解説し終わった文脈で、トルストイは、「イエスの教えは立派だ。だ..
探求(旧)
MikS
2020-09-14T16:16:13+09:00
夏に入って左目が急に悪くなったため、その療養もかねて、8月後半から2週間弱、人里離れた所に籠って文明と縁遠い生活を送ってみた。こういうことは、自分の性に合うのかどうか判らなかったのだが、意外に楽しめた。自分も、里山暮らしのようなことを考えてみようかな・・・。
トルストイは『私の宗教』で「貧しさ」に触れて、次のように言っている(なぜ「貧しさ」が問題となるかというと、あの「貧しい人は幸い」というイエスの言葉を念頭においているから。ただし、トルストイの見解が、イエスの意図に合致しているかどうかはここでは問わない)。
「貧しいということは、都市に暮らすことではなく、田舎に暮らすことを意味するのであり、部屋に閉じこもるのではなく、野外で、森や畑で働くこと、太陽や開けた空や大地の歓びをもつこと、物言わぬ動物の習慣を守ることを意味する。… 貧しいことは、日に三度空腹になること、不眠症の犠牲者として何時間も枕の上で頭を左右に動かすことなく眠ることであり、子供を持ち、子供とつねに一緒にいることであり、したくもないことは何もしないことであり(これが肝心なこと)、何が起ころうと恐れをもたないことである」(『私の宗教』第10章)。
この基準に照らすと、私はなんと「豊か」なことか。年中部屋にこもっているし、慢性的に不眠に苦しみ、日に二度しか食事はとらないし、子供はいるが今年受験で、成績で人間の価値を測る制度の試練の真っただ中にいる。他人の上に行かない限り他人に蹴落とされるしかない状況の中で神経がかなり参っているはずなのに、それに何も有益な言葉の一つもかけてやれない、それに加えて、これから、好きとも言えない大学がまた始まる。いや、授業は嫌いではないのだが、通勤で電車に乗ったり、退屈な会議や、顔を合わせたくない職員や同僚がいたりとかね色々・・・
「豊かな」人間が一極集中する東京は、今年度の「幸福度調査」では最下位に近かったという記事を、さっきどこかで見かけたが、そんなことは、調べてみるまでもないだろう。まあ、こういうことを書いているとキリがないので止めよう。一応、トルストイの『私の宗教』についての感想をまとめようとブログの「作成」のページをひらいたのであるから。
『私の宗教』の結論は、第7章辺りではっきり言われている。「山上の教え」を一通り解説し終わった文脈で、トルストイは、「イエスの教えは立派だ。だが、そうはいっても、それは実行が困難である」というつねに出てくる紋切型の反応を紹介する。(ちなみに、参考のために、別のところに第7章の私訳をアップしておく(https://miksil.blog.ss-blog.jp/2020-09-14 ))。
そういう反応が出てくる原因は、第6段落以降に書かれている。つまみ食い的に引用すると、「現実を存在しないものと誤解し、存在しないものを現実と見なすような奇妙な観念」、キリスト教の神学が西欧人の心の奥底に植えつけた観念が原因であるとトルストイは言う。
正直言って、この点については、最初読んだときはピンと来なかった。何度か読み返していくうちに、おぼろげに理解できるようになったのだが、要するにこういうことらしい。
現実(この世界)を「存在しないもの」と誤解する教義は、「原罪」の教義によく表れている。アダムとイブの失楽園以降、人類には神罰が下り、辛い労働と苦しい出産が人類の宿命になった。言い換えれば、罪に満ちた生が、この世界における人間の宿命になった。その罪を償ったのがイエス・キリストであり、イエス・キリストは、人類を罪深い生から救い、永遠の幸福に満ちた生を約束した。
(正直に言って、トルストイが前提しているキリスト教の神学について私は深い知識をもっていないので、きわめてまずい要約しかできないのだが、その点はご容赦願いたい)。
ただし、その幸福に満ちた永遠の生に与(あずか)るためには、イエス・キリストに対する信仰心をもち、定期的に教会の定めるサクラメント(秘跡)に参加することによって、キリスト者としての務めを果たさないといけない。その条件を満たした者だけが、あの永遠の生に与ることができる。キリスト教徒にとって、このようにして得られる「永遠の生」こそが「真の現実」、「真に存在するもの」である。あの罪や悪に満ちた「この世界」は偽の現実であり、一時的な滞在地にすぎないことになる。トルストイの文章を、きちんと引用しよう。
「イエスの教義は、この地上では、文字通りの仕方で実行されることはできない、なぜならこの地上の生は本質的に悪であり、真の生の影にすぎないからだと教会は言う。最良の生き方は、この地上での生を軽蔑し、そして、来るべき幸福で永遠の生に対する信仰に(すなわち想像力に)導かれること、そして、この地上では悪い生を送り続けながら、良き神に祈りを捧げることなのである」。
哲学的に言えば「観念論」のバリエーションの一つと言えないこともない。そんな考え方がキリスト教の世界観の根底にあるということは、別段、目新しい指摘でもない。プラトン的な二世界論は、初期のキリスト教の理論家たちにも重宝されたことは周知のことだからである。それにもかかわらず、私には、このトルストイの洞察は大変興味深く感じられた。その理由は、この二世界論が悪の問題とリンクしていることを知らしめてくれたからである。
「原罪」の観念が、どれ位早い時期から言われたのかは知らないが、少なくとも、アウグスティヌスの頃には、ある程度広がっていたのだろう(アウグスティヌスが「悪の問題」を問いつめたことは、原罪の問題にも影を落としていたに違いない)。なぜ、あんな下らない「(原罪という)
お話」が好まれたのか、私には不思議でならなかったのだが、この世界の「悪」を説明するための一つの手段として使われたと考えると、不思議に合点がいった。人類の初めから、悪は宿命として神によって人類に課せられたものだ。だとしたら、それには対処の仕様がない。少なくともこの世界においては。この世界に対しては「軽蔑」と諦念と絶望という態度が相応しい(この世に対する軽蔑(contemptus mundi)という言い回しは、中世でよく使われたようだ)。この世の悪から救われたいと思うならば、信仰心をもち、洗礼に始まるサクラメントを欠かしてはならない。そうすれば、別の本当の世界に参与できる、というわけである。
こうして、真のキリスト教徒にとって、「現実」は「存在しないもの」であり、「存在しないもの」こそ「現実」であるという観念は、彼らの信仰生活の一大原則となった。だとしたら、この世界で、イエスの「山上の教え」を実行しようとすること自体、始めから、きわめて空しい試みと見なされることは当然である。なぜなら、この世界は悪に満ちていて、それに対処できるのは現世的な警察力・軍事力、および司法的な権力のみである。
こうした考え方をさらに発展させるならば、キリスト教の(それ自体、罪のないように見える)教義が、現実世界に悪がはびこることを致し方ないとする考え方に行きつくのは当然である。いやだと思いながら、悪の生活にどぷり浸り、それを改変しようと思うことなく、結果的に、悪を肯定してしまう。
こうして、悪には悪をもって対処してはならない、悪には関わるなというイエスの教えは、見事なまでに捨てられてしまうのだが、そのことにキリスト教の教会側に少しの罪悪感もなかったらしいことは、門外漢にはまったく不可思議に思われたのだが、これも容易に説明がつく。なぜなら、この世界はあまりに悪に染まっているので、それに対してはどうしようもない。その代りに、まったく別の回路を創って、悪から人間を救う方途を考え出した。それがキリスト教の教義だというわけである。
トルストイは、あくまで、この世界に対する関心に導かれた人だったから、こういうキリスト教の現実無視の教義は許せなかったようだ。あのイエス自身が、何よりもこの世界に対する関心を第一に考えた人だと想定できるので、なおさら、キリスト教の教義のこういう側面は許しがたいものと映ったようだ。その教義は、現実の空無化や、現実世界の悪の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)を促すことはあれ、それらを食い止めるすべを何も持ち合わせていないという意味で、悪の蔓延に加担してさえいるのではないか?
こういうことを理解するに及んで、一つひらめいたことがあった。キリスト教は、プラトンに始まる形而上学的な世界観と悪の問題を合体させることで、その教義を打ち立てた。しかしその教義は、上で述べたように、「現実の空無化、現実世界の悪の跳梁跋扈」を食い止めるどころか、それを促しただけだった。ここに来て、なぜ、一握りの思想家や哲学者が、ニヒリズムの進展とキリスト教を結びつけようとしたのかが、自分なりの観点から見えてきたのである。
かの悪名高いハイデガーの「存在史」は、ギリシアの存在理解がローマ世界に取り入れられることで根本的に変わってしまったことを強調する。それは、それだけを取れば、ほとんど意味不明の主張にしか映らないし、それが、なぜニヒリズムに結びつけられるのかも不可解である。だが、ハイデガーはキリスト教について語ることはほとんどなかったが、ひょっとしたら、トルストイが考えたことくらいは念頭にあったのかもしれない、と(漠然とだが)思えるようになった。そこには、何かの接点があるに違いない。そういうことは誰かが、とうの昔に指摘していることかもしれないが、こういうことは、誰かに指摘されるだけではダメで、あくまで自分の頭で苦労して自力で行きつかないと、真に理解したとは言えないのである。
いずれにせよ、キリスト教と悪の問題は、自分の中では、まだまだ長く追求していく問題となりそうな予感がしている。
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トルストイ『私の宗教』について 4
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2020-08-24
トルストイ『私の宗教』について 4 前回の記事を、一旦、書き終わったときに、ダメだ、思ったことがうまく書けていないと感じ、いろいろ書き足したのだが、かえって余計に長くなり、論旨もまとまっていない。結局、自分の中で考えの整理がついてないと、こうなってしまうという悪い見本のような文章になってしまったので、自分の考えを改めてまとめようとした。 最近、キリスト教の歴史の関係の本を数冊(迫害関係、宗教改革関係、悪の概念の問題関係)読んでいるのだが、そこで思い知るのは、ある革新的な試みがなされても、長い時間の経過後には、結局、まるで何もなかったかのような元の木阿弥の状態に戻ってしまうのではないか、という身も蓋もない結論。例その一:イエスは「敵を愛せ」に始まる戒めによって、世の悪と対峙しようとした→ イエスの遺志を継いだキリスト教は、迫害に耐え、イエスの灯火を守りぬいた→ やがてキリスト教はローマ帝国に取り込まれて少数派から多数派の側に回る→ いつの間にか、キリスト教は思想・宗教警察のような組織に変貌する→ 中世ヨーロッパは「迫害社会」に突入する。例その二:堕落したロ-マ・カトリックのあり方に抗議する動きが表面化する(「宗教改革」の幕開け)→ プロテスタント諸派は、ローマ・カトリックの代わりとなる共同体を構築しようとする→ しかし、教義上のわずかな違いをめぐって内部抗争が絶えなかった→ 抗争は激化する一方で、ローマ・カトリックに代わる新たな共同体的秩序が形成されることはなかった→ キリスト教各派に代わって主権国家が発言権を増す→ 宗教的価値観に基づく「共通善の倫理」に代わり、個々人の「権利」に基づく「形式的倫理」が次第に支持を集めるようになる→ 簡単に言えば、宗教的規範ではなく主権国家の法の内に社会的活動全般を規制する権威を認める空気が大勢を占めるようになる・・・ ちょうど前回の記事を書いていたとき、宗教改革の前後の歴史を扱っているBrad.Gregory: The Unintended Reformationという本を読んでいたので、そこで述べられている倫理観の推移と、トルストイの主張が混然となってしまった。そこで、この点について、少しすっきりさせたい。 上の「例その二」には、まだ先がある。結局、宗教的な考えの違いから反目し合っていても、いつまでも争いを続けていることは出来ない。やがて厭戦気分がヨ—ロッパを蔽う。それに、ど..
探求(旧)
MikS
2020-08-24T13:18:20+09:00
前回の記事を、一旦、書き終わったときに、ダメだ、思ったことがうまく書けていないと感じ、いろいろ書き足したのだが、かえって余計に長くなり、論旨もまとまっていない。結局、自分の中で考えの整理がついてないと、こうなってしまうという悪い見本のような文章になってしまったので、自分の考えを改めてまとめようとした。
最近、キリスト教の歴史の関係の本を数冊(迫害関係、宗教改革関係、悪の概念の問題関係)読んでいるのだが、そこで思い知るのは、ある革新的な試みがなされても、長い時間の経過後には、結局、まるで何もなかったかのような元の木阿弥の状態に戻ってしまうのではないか、という身も蓋もない結論。
例その一:
イエスは「敵を愛せ」に始まる戒めによって、世の悪と対峙しようとした→ イエスの遺志を継いだキリスト教は、迫害に耐え、イエスの灯火を守りぬいた→ やがてキリスト教はローマ帝国に取り込まれて少数派から多数派の側に回る→ いつの間にか、キリスト教は思想・宗教警察のような組織に変貌する→ 中世ヨーロッパは「迫害社会」に突入する。
例その二:
堕落したロ-マ・カトリックのあり方に抗議する動きが表面化する(「宗教改革」の幕開け)→ プロテスタント諸派は、ローマ・カトリックの代わりとなる共同体を構築しようとする→ しかし、教義上のわずかな違いをめぐって内部抗争が絶えなかった→ 抗争は激化する一方で、ローマ・カトリックに代わる新たな共同体的秩序が形成されることはなかった→ キリスト教各派に代わって主権国家が発言権を増す→ 宗教的価値観に基づく「共通善の倫理」に代わり、個々人の「権利」に基づく「形式的倫理」が次第に支持を集めるようになる→ 簡単に言えば、宗教的規範ではなく主権国家の法の内に社会的活動全般を規制する権威を認める空気が大勢を占めるようになる・・・
ちょうど前回の記事を書いていたとき、宗教改革の前後の歴史を扱っているBrad.Gregory: The Unintended Reformationという本を読んでいたので、そこで述べられている倫理観の推移と、トルストイの主張が混然となってしまった。そこで、この点について、少しすっきりさせたい。
上の「例その二」には、まだ先がある。結局、宗教的な考えの違いから反目し合っていても、いつまでも争いを続けていることは出来ない。やがて厭戦気分がヨ—ロッパを蔽う。それに、どこの言い分が正しいのか宗教各派はそれぞれ勝手な主張をしているだけなので、その争いを暫定的に終わらせるには、中立的な「法廷」という場での決着に頼るしかない、という方向に社会の大勢が流れていったのは止む得ないことだったろう。そして、宗教的情熱が去り、善悪の基準は法律が決めてくれればいい、個々人の権利に基づく私的な活動に従事する以外に人生の意義はないということが社会の大勢の空気となるにつれ、ウェーバーが嘆いた「宗教改革」の行きつく状況、つまり、秩序さえあれば後は何も要らない「精神のない専門家、心情のない享楽家」から成る無のような世界が残るだけである・・・。(なぜウェーバーにつながるかと言うと、Gregoryの前掲書の「ウェーバーのテーゼ」を扱っている箇所をちょうど読んでいたからである。私も影響されやすいというか何というか・・・・)。
始めは情熱の炎の大いなる噴出があっても、次第に情熱は弾圧の憂き目にあい鎮火する。最後には、水の低きに流れるがごとくに、悪には悪をもって対処するしかないという陳腐な考えが大勢を占めるという構図。これは時間的な推移や歴史に限定する必要はないだろう、たとえば、あるイデオロギー的な運動の中心には、そのイデオロギーを強烈に体現する人々がいるとしても、中心から離れるにつれイデオロギーの側面は希薄になり、末端は、ただ単に、そうせよと命じられたがゆえにそう動いているにすぎない受動的な人間の群れがいるにすぎない。そのような人間にとって、「悪」とされる人間には処罰を下さなければならないというルール順守の意識があるにすぎない。アレントに「陳腐な悪」を着想させたアイヒマンは、そういう人間の一人だった。そのことを時間的経過として言い直せば、最初は傑出した運動や主張であっても、次第に華々しさのメッキが剥がれ落ちていき、最後には凡庸なものだけが残って終わる。イエス運動も宗教改革もご多分に漏れず、そういう軌跡をたどったと言えるのではないだろうか? もっとも、凡庸な要素は始めから存在する。最初は背後に沈んでいるが、やがて、当初目立っていた部分が剥落するにつれて顕在化していき、最後には凡庸な部分だけが支配的になる、と言うほうが良いのかもしれない。
私が、前回、トルストイの考えをいきなり「陳腐な悪」に結びつけたのは、以上のような関連を踏まえてのことだったが、自分の頭の中にはあってもそれを明示的に言い表すことをしなかったせいで、論旨が不明になってしまった。以上は、そのための補足である。
だから、もう一度言い直すが、キリスト教は、そのごく初期のころから、悪の問題に直面してはいた。その悪を罪という形に転化して、罪の浄化ということを教団の教義の中心に据えて独自の仕方で対処しようとしたが、やはり、その背後で、悪には悪をもってしか対処できないという陳腐な発想を捨て切ることはできなかった。あるいは、ローマ帝国に取り込まれることで、国の安全保障体制の一翼を担わされるという不本意な役割を背負わされてしまったがゆえに、いかにして悪を抑え込むかという課題に取り組むはめになってしまったことがケチの始まり、なのかもしれない。そのとき、やはり悪には悪で臨むしかないという結論は避けることができなくなった。そうなると、キリスト教は、イエスの教義には目をつぶるという矛盾を犯してまで、警察力による悪の抑止という手段に頼る以外になくなった。これが、教義の空洞化を招くことは避けがたい。そこから、イエスの教義からは想像もつかない「迫害社会」の形成に道がひらかれることになった。と言わなければならないようだ。
(つづく)
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トルストイ『私の宗教』について 3
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2020-08-16
私が、トルストイの古い著作に興味を覚えたのは、そこに、キリスト教の隠れたロジックを見い出しうるように感じただけではなく、悪の問題について、歴史的な観点から迫ることができるのではないかという予感を覚えたからである。まず、単純なロジックを示し、その後で、それが、どのように歴史的な意味をもつかを説明したいのだが、長くなるので、今回は最初のロジックのことだけに話を限定する。 キリスト教のロジックについて: キリスト教の核心には、イエスの教え、とくに「山上の教え」がある、と考えられてきた。しかし、その教えは、初めから、値切られたり裏切られた仕方でしか受容されなかった。かりに、「敵を愛せ」をその「教え」の代表として扱うことにしよう。愛敵の原理を文字通りに受け取ったとしても、教会という組織を守っていくには、場合によっては敵対的な存在に対して、愛とは無縁の態度をとることが多々あった。そもそも、キリスト教ほど敵と味方を峻別することに熱心だった宗教はないと言えるほど、異端と正統の区別には特別の関心を払った。さらに、悪の存在を徹底的に排除することにも細心の注意を払った。洗礼は、悪魔祓いの延長上にある祭祀行為である。信者になるためには、洗礼を通過して、悪と絶縁することが求められた。この善と悪の峻別ということがいかに深い意味をもつかを見るには、そのような祭祀的な側面ばかりに目を向けてはならない。「山上の教え」を素直に読めば、イエスの戒めとモーセの戒めが両立できないことは、誰の目にも明らかである。「汝らは「目には目を、歯には歯を」と言われたのを聞いたことがある。しかし、私は汝らに言う「悪人に逆らうな」」(マタイ5:21-26)。モーセの律法は同罪復讐を許容するが、イエスの戒めはそれを禁ずるのだから、両者が両立できるはずがない。しかし、そのように解釈する者はほとんどいなかった。それはなぜか? それは、結局、マタイの作者においてもそうだが、キリスト教は、ユダヤの宗教的伝統を必要としたのである。その理由は複数あるが、今の文脈で言えば、キリスト教は、やはり、悪に対する関わりを考えたとき、イエスの戒めだけでは到底やって行けないこと、場合によっては敵に対して容赦ない態度をとるユダヤの伝統をどうしても捨てきれなかったのではないかと考えられる。こうして、私に言わせれば、キリスト教の「二重底」の論理と言うべきものが、最初期から、自ずと形成されていった。前..
探求(旧)
MikS
2020-08-16T00:38:43+09:00
私が、トルストイの古い著作に興味を覚えたのは、そこに、キリスト教の隠れたロジックを見い出しうるように感じただけではなく、悪の問題について、歴史的な観点から迫ることができるのではないかという予感を覚えたからである。まず、単純なロジックを示し、その後で、それが、どのように歴史的な意味をもつかを説明したいのだが、長くなるので、今回は最初のロジックのことだけに話を限定する。
キリスト教のロジックについて: キリスト教の核心には、イエスの教え、とくに「山上の教え」がある、と考えられてきた。しかし、その教えは、初めから、値切られたり裏切られた仕方でしか受容されなかった。かりに、「敵を愛せ」をその「教え」の代表として扱うことにしよう。愛敵の原理を文字通りに受け取ったとしても、教会という組織を守っていくには、場合によっては敵対的な存在に対して、愛とは無縁の態度をとることが多々あった。そもそも、キリスト教ほど敵と味方を峻別することに熱心だった宗教はないと言えるほど、異端と正統の区別には特別の関心を払った。さらに、悪の存在を徹底的に排除することにも細心の注意を払った。洗礼は、悪魔祓いの延長上にある祭祀行為である。信者になるためには、洗礼を通過して、悪と絶縁することが求められた。この善と悪の峻別ということがいかに深い意味をもつかを見るには、そのような祭祀的な側面ばかりに目を向けてはならない。「山上の教え」を素直に読めば、イエスの戒めとモーセの戒めが両立できないことは、誰の目にも明らかである。「汝らは「目には目を、歯には歯を」と言われたのを聞いたことがある。しかし、私は汝らに言う「悪人に逆らうな」」(マタイ5:21-26)。モーセの律法は同罪復讐を許容するが、イエスの戒めはそれを禁ずるのだから、両者が両立できるはずがない。しかし、そのように解釈する者はほとんどいなかった。それはなぜか? それは、結局、マタイの作者においてもそうだが、キリスト教は、ユダヤの宗教的伝統を必要としたのである。その理由は複数あるが、今の文脈で言えば、キリスト教は、やはり、悪に対する関わりを考えたとき、イエスの戒めだけでは到底やって行けないこと、場合によっては敵に対して容赦ない態度をとるユダヤの伝統をどうしても捨てきれなかったのではないかと考えられる。こうして、私に言わせれば、キリスト教の「二重底」の論理と言うべきものが、最初期から、自ずと形成されていった。前面に立つのは、イエスの理想主義的な教えだが、それによってカバーしきれない部分、とくに「悪」に対する関り方に関する部分では、つねに旧約の言葉に言及がなされる。善良な言葉はイエスに言わせ、悪に対して身構える必要が生ずると、まるで用心棒に登場してもらうかのように、旧約の言葉を援用する。ユダヤの伝統を一切否定して、イエスの言葉だけに基づいてキリスト教の教義を形成しようとする動きがなかったわけではないが(マルキオン)、いち早く異端とされてしまった。私は、イエス運動は、ユダヤの伝統から絶縁して始められたと考えているので、どうしてこのようなユダヤ化の動きが盛り返したのか不思議なのだが、おそらくは用心棒の必要性という現実的な動機と無関係ではないのではないと考えている(まだ何も研究していない部分なので、ちがうかもしれないが)。
いずれにせよ、キリスト教は、最初からある種の「二重底」になっていて、それは善悪の問題と密接につながっている。この点についてのトルストイの言葉を引用してみよう。「悪人に逆らうな」の言葉がいかにまともに理解されてこなかったかを述べる箇所である。
「 第三の戒めの後に、古い法に対する第四の言及と第四の戒めが来る。
「目には目を、また歯には歯を、と言われていることを、汝らは聞いている。しかし私は汝らに言う、悪人に逆らうな。汝の右の頬を打つ者に対しては、もう一つの頬を向けてやれ。また汝に対し訴訟をおこして、下着を取り上げようとする者には、上着をもゆだねてやれ。汝を徴用して千歩行かせようとする者がいれば、その者とともに二千歩行ってやれ。汝に求める者には、与えよ。汝から借りようと望む者には、断るな」(マタイ5:37-42)。
これらの言葉の直接的で正確な意味については既に語ったし、これらの言葉に基づいて寓意的な説明をしなければならない理由はないということもすでに述べた。クリュソストモスから現代に至るまでの間に、それらに関してなされた注釈は実に驚くべきものである。その注釈の言葉は誰にとっても快いものであり、ありとあらゆる深遠なる反省を呼び起こすものではあるが、たった一つのことがそこには欠けている。すなわち、これらの注釈の言葉がまさにイエスが言わんとしたことを述べているという一つのことだけは欠けているのである。教会の注釈者たちは、彼らが神と認識する者(イエスのこと・・・引用者註)の権威に畏怖を感じることはまったくないので、イエスの言葉の意味を大胆にねじ曲げてしまっている。やられてもやり返すな、復讐心を抑えろというイエスの命令は、ユダヤ人の復讐心に満ちた性格に対して向けられたものである、などと彼らは言う。それらは、悪を押さえつけたり悪行をなす者を罰する一般的な方法を排除しないばかりか、正義を保ち攻撃者を逮捕し凶悪な者が他者に悪を加えることを防ぐための個人的努力をするように、各人に推奨しているのだという。なぜなら、そうしなければ、こうした霊的な戒めは、ユダヤ人の間でそうなったように、死文となってしまうだろうし、ただたんに、悪を広げ美徳を抑圧することに役立つだけになってしまうだろう。キリスト教徒の愛は、神の愛に倣って形成されるべきである。しかし、神の愛は、神の栄光とその下僕の安全のために必要とされる限りにおいて、悪を制限し悪に戒めを与えるものである。もし悪が広まるのであれば、我々は悪に対して制限を課し、それに罰を与えなければならない。いまや、それこそが権威者の義務なのである」(トルストイ『私の宗教』第6章より)。
途中で言及される「クリュソストモス」とは、コンスタンティノポリスのキリスト教会の主教を398年から404年までつとめたヨハネス・クリュソストモス(ca. 347 - 407)のこと。トルストイは、先立つ第5章で、モーセの律法を擁護するクリュソストモスの言葉を引用して検討を加えている。少し長くなるが、その箇所を見ておこう。
「「モーセがこの法(=「目には目を」)を作ったのは、我々が他人の目をえぐり出すためではなく、他者によって苦しみを与えられることに恐れを抱くならば、そんなことを他者に対してなすことを我々は躊躇うようになるためである。ゆえに、神がニネヴェの人々を滅ぼすと脅したのは、神が彼らを破滅させるためではなく(それが神の意志であるならば、神は沈黙していたはずだからである)、神がそれによって彼らをより良くし、神の怒りを鎮める だめであったのと同様に、モーセが、不当に他者の目を害する人々に対する罰を定めたのは、もし善良な原則を設定することで、彼らに、そのような残酷な行為を躊躇う気持ちが生じないのであれば、恐れを与えることで、彼らが、隣人の目に危害を加えることを躊躇う気持ちを抱くようにさせるためであった」。
「そして、もしこれが残酷であるならば、それは殺人者が抑制されるための残酷さであり、 姦夫が阻止されるための残酷さである。しかし、これらは分別のない人間の言い分、これ以上はないほど正気でなくなった人々の言い分である。なぜなら私は、 これが残酷であると言うどころか、人々の見解に合致して、これと正反対のことこそが不法であると言いたいからである。あなたは、目をやられたら目をえぐり出せと神が命じたのだから、神は残酷であると仰るが、私は、神がこのような命令を与えなかったならば、大抵の人々の判断によれば、神こそが残酷であると思われただろうと、私は言いたい」。
クリュソストモスは、はっきりと「目には目を」という法を神聖なる法と認識し、その法の反対、すなわち、「悪人には逆らうな」というイエスの教義を不正なものと認識する。なぜなら、次のように想定してみようと、クリュソストモスはさらに続ける。
「この法がすっかり廃止されてしまい、法によって定められた罰則を誰も恐れなくなり、 あらゆる凶悪な者、姦夫や殺人者や偽証する者や親殺しといったありとあらゆる凶悪な者に対して、安心して自分の性癖に従って構わないという許可が与えられたと仮定してみよう。すると、すべてのものがひっくり返り、町や市場や家や海や陸地や全世界が数え切れないほどの汚染と殺人によって満たされてしまうことにならないだろうか? そんなことは誰もが判ることだ。なぜなら、法や恐れや脅しがあるときでも、我々の悪しき性癖はほとんど抑えられないのであるとすれば、このような保障さえもが取り去らわれてしまったならば、人びとが悪徳を選ぶことを妨げるものは何もなくなるだろうし、人間生活の全体にどんな災難が降りかかって来ないとも限らないことになるからである」。
「しかも、残酷さは、悪人たちが思い通りにすることを許すことにあるだけではなく、それとまったく同じくらい悪いこと、すなわち、自らは何も悪いことをしていないのに原因や理由もなく苦しめられる人を見殺しにしたり、 無関心のままにやり過ごすということにもあるからである。もし誰かが、あらゆる界隈から凶悪な人間たちを集めてきて、彼らに剣を持たせ街をうろつかせて、途中で出会うすべての人を殺してしまえと命ずるならば、そのように命ずる人ほど野獣に似た者はいないことになるのではないか? そして、もしほかの人々が結束して、最大限の厳密さをもって、刀で武装した連中を投獄し、そうした無法者から、まさに殺されそうになった人を引き離したならば、その人ほど偉大な人間はいない、ということになるのではないだろうか? 」。
クリュソストモスは、凶悪な人間から見るとこの凶悪ではないとされる人がどう評価されるかについては何も言っていない。だが、この凶悪でないとされる人自身が凶悪で、罪のない人を監獄にぶち込むとしたらどうだろうか? クリュソストモスは次のように続ける。
「さて、私はこの例をモーセの法に移し変えるようにと命ずる。なぜなら、目をやられたら目をえぐり出せと命ずる者は、怖れというものを、悪人の心に重くのしかかる強力な鎖として置いたのであり、あの殺人者たちを牢獄で拘束する人に似ているのである。それに対して 、悪人に対して何ら罰則を定めない者は、悪人が安心して武装できるようにしているのであり、彼らに刀を手に握らせ、町中を闊歩するのを許すあの人のように振る舞っているのである」(Homilies on the Gospel of St.Mathew, xvi)。
もし、クリュソストモスがイエスの法を理解したならば、他者の目をえぐり出すのは誰かと言っただろう。誰が人々を牢獄にぶち込むのかと。もし法を作る神がそうするならば 矛盾はない。しかし、その命令を実行するのは人々であり、神の子は人々に向かって暴力を控えろと言った。神は目をえぐり出せと命じ、人の子は目をえぐり出すのはやめろと命じた。われわれは、そのどちらかの命令を受け入れなければならない。クリュソストモスは、他の教会関係者と同様、モーセの命令を受け入れ、キリストの命令を拒んだ。キリストの教義を信じているとクリュソストモスは主張しているのだが。
イエスはモーセの法を廃棄し、その代わりに自分自身の法を与えた。実際にイエスの法を 信じる者にとって、ほんのわずかの矛盾も存在しない。そのような人はモーセの法になんら 注意を向けず、イエスの法を実践するだろう、その人はイエスの法を信じているからである。 モーセの法を信じる人にとっても矛盾は存在しない。ユダヤ人はイエスの言葉を愚かしいと見なし、モーセの法を信じた。矛盾が存在するのは、イエスの法に従っていると見せかけてモーセの法に従う人々にとってである。そのような人々をイエスは偽善者として、蝮(まむし)の末として弾劾したのである。
この二つの法、モーセの法かイエスの法かのどちらかを神聖な真理として認識するかわりに、我々は両者がともに神聖なものであると認識する。しかし、日常生活の行為に関して問題が生じるとき、我々は、イエスの法を拒絶しモーセの法に従う。この間違った解釈の重要性を我々が認識するとき、それは善と悪との闘い、闇と光との闘いを記すあの恐るべきドラマの根源を明らかにするのである」」(トルストイ『私の宗教』第5章より)。
このクリュソストモスの言葉に、あの「二重底」のロジックが、この上なく明確に現れている。もちろん、言われていることはごく常識的なことである。刃物を持った無法者どもが好き勝手なことをしながら町中を歩いて好きなだけ殺人を犯して罪に問われないとしよう。そのような状況を許容する神が存在するならば、「目には目を」という命令を下したモーセよりもはるかに残酷な神ということになるだろう。
もちろん、そう主張することで、クリュソストモスはイエスの主張を否定していることになるのだが(イエスはこの上なく残酷な存在だということになる)、そこに矛盾を感じることはないのだろう。先ほどもいったように、善を説く場合にはイエスを持ち出すが、悪をたたく場合には用心棒モーセを登場させ、まるでイエスとモーセを同一人格の別側面であるかのように、融通無碍に人格交代をおこなうことに、なんの矛盾も感じない。これは、クリュソストモスの偏向した態度というよりも、福音書が書かれた頃からあった、イエス運動の遺産だけで賄いきれない部分はユダヤの伝統にすがるという一種のダブル・スタンダードが当然と見なされていたことの反映であろう。
私が興味を覚えるのは、「法や恐れや脅し」があっても日常的に悪行は発生しているのだから、このような「保障」がなくなってしまえば、この世は悪の巣窟になってしまうだろうというクリュソストモスのロジックにある。これは、ある意味、当たり前なことであり、警官や軍人がそう言うならば何の問題もないが、キリスト教団の権威者の口から発せられるとき、いろいろなことを考えさせてくれる。誰しもが思うにちがいないことだが、キリスト教の権威者たちも、悪の問題に直面するとき、ある種の警察的な悪の抑止力に訴えることは避けがたいと思っただろうことは疑問の余地がない。その時、もはや「悪人には逆らうな」ではなく、「目には目を歯には歯を」が正義の法となる。
一般に流布しているキリスト教的な世界観では、この世は悪に満ちている。人間の心には悪への傾向が抑えがたい形で潜んでいる。罪からは逃れられない。それどころか、アダムの原罪以降、罪が人間の運命になる。そのように、アウグスティヌス以降、キリスト教の教義は「罪」という要因を過大に強調するようになる。
「罪」ということが、初めは問題視されなかったというわけではない。イエスは、「われわれの罪のために」死に三日後に復活した。それは、ペテロ以降、キリスト教の祭祀の中心にある考え方である。しかし、最近の研究では、その「罪」とは、弟子たちがイエスを見殺しにしたことの罪悪感を指していたにちがいない、と考えられるようになった。後の神学者が言うような、イエスは人類の罪を償うために死んだなどという誇大妄想的な意味ではなかったにちがいない。
しかし、そのような、あくまで個人的な罪悪感が人類規模に拡大されていったのは、「罪」を問題にするとき、キリスト教の理論家たちは、悪にどう対処するかという問題を考えていたにちがいない、と私は思うようになった。洗礼によって、罪が洗い流される、というのは、教団内でのみ通用する理屈であって、より一般的な悪、世界の中の悪に対して、キリスト教は、結局、イエスの教えに反してでも、警察的な抑止力をもちだす以外に術がなかった、ということではないか?
この隠された警察的な抑止力の肯定は、後に「正義の警察」のような組織に変貌して、徹底した異端弾圧や迫害にのりだすキリスト教の一側面を示しているだろう。しかしそれと同時に私に感じられるのは、悪には悪をもって対抗するしかないだろうと説くときのクリュソストモスの「当然だろう」という態度である。人間は、悪への自然の傾向性を持っている。それは人間の本性に根ざしている。アウグスティヌスがアダム以降のすべての人間に罪を帰したとき、その罪とは悪の自然な傾向性のことでもあった。それに対して、それに対応する警察や司法的な手段によって抑止しようとするのも自然な対応であろう。誰もそのことに疑問を感じないし、実際、キリスト教がいつの間にか作り出した「迫害的な社会」を、一般の民衆は支持し続けたのである(「迫害社会(persecuting society)」とは、異端、ユダヤ人、ハンセン病患者、同性愛者などを排除していく10世紀以降のヨーロッパ社会を、中世史学者のR.L.Mooreが特徴づけた言葉)。
しかし、これは、「敵を愛せ」や「悪人には逆らうな」と主張するイエスの言葉を真っ向から否定する動向である。それほどまでに、つまり、イエスの金言との矛盾など全くお構いないかのように、悪人は抑止されるべきものであり、悪は、人間の本性に根ざした、何か否定されるべきものであるという考えは、社会の隅々にまで浸透しているものだったのだろう。それは、あまりにも当たり前すぎて、そこに含まれる矛盾など誰も考えもしなかった。思考すべきことがそこにあるにもかかわらず、誰も立ち止まって考えないようにしようとする空気が、とくに「悪」の問題に関しては濃密だったように思えるのである。
何が言いたいかと言うと、このような悪に対する考え方は、あの「悪の陳腐さ」というテーゼを何か思わせるものがある、ということである。こと悪に関する限り、キリスト教は、世俗的な考え方と同種のものしか生み出さなかった。アダムの堕落以降すべての人間に帰されたあの「罪=悪」も、悪についての陳腐な考え方を人類一般に押し広げただけの、それ自体陳腐な発想の上に成り立っているように映る。
少なくとも、「悪の問題」に関する限り、キリスト教は独自のものを提供することなく、いわば最初から悪の力に屈服している。イエスの「山上の教え」などなかったように、人間はみな悪に走り、それを止めることはできないのだから、悪はどうすることもできない、警察的な力によらない限りは。最終的には、力には力で対抗するしかない。それが正義であり、それについては議論の余地がない。すべてがこうした陳腐なロジックに基づいているだけではないか、その結果、あの二重底を作為せざるを得なかったのではないか、という疑問を持たざるを得ないのである。
やがて、キリスト教社会は権威と服従から成り立つ不寛容な「迫害社会(persecuting society)」になるが、その発端は、キリスト教の教義の中心にある警察力の肯定にまでたどることができるだろう。結局、宗教性の外皮がどうであれ、皆が望んでいるのは、つねに、悪の抑止であり、その結果得られる善の小康状態であった。そしてそのことを可能にする権力機構がありさえすればいい、それを拝みましょう、ということになる。
トルストイは、宗教心など何もないと公言する人にも宗教はあると言って、次のように述べている。
「宗教を否定する人々が信じているのは、支配層の多数派の意志に服従する宗教である。一言で言えば、既成の権威に対する服従の宗教である」。
「文明国にいる大半の人は、警察への信仰以外に、人生を規定するものを何ももたない」(いずれも『私の宗教』第11章より)。
そのように書いたとき、トルストイは同時代のロシアの現状を念頭においていたのだろうが、おそらく、いつの時代、どの地域にも当てはまる言葉だと思う(とりわけ、「信仰心が薄い」とよく言われる日本においても、この宗教に対する信仰心は強力である)。こうした俗っぽい信念からは最も遠いと思われるキリスト教においてでさえ、その教義の(解釈の)中心部分に、こうした警察信仰が顔をのぞかせているのだから、ある意味で、悪の力の影響力がいかに絶大かと思わざるをえない。悪に対抗するために、社会の大勢は暴力を行使する権限を支配権力に預け、それに服従することによって、善の側に回ることができる。そこから逸脱する者に容赦ない制裁が下されてもそれは容認するしかない。後は、いかに忠実に服従という義務を果たすだけだ。
こうした道徳意識の陳腐化が、どの時代のどの社会にもあるということは格別問題ではない。だから、キリスト教社会だけが例外をなさないのは当然と言えば当然なのだが、しかしキリスト教は、元来の意識が高かっただけに、水の低きに流れるようなこうした陳腐化の道をたどったことは、少なからぬ驚きを喚起するのは確かである。いずれにせよ、こうした陳腐な道をたどる途上で、キリスト教は、イエスの教えすらも死文化させてしまった。そして、さらなる教義上の工夫をする。その点については、次回述べる。 (つづく)
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トルストイ『私の宗教』について 2
https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2020-08-06
「汝らは「目には目を、歯には歯を」と言われたのを聞いたことがある。しかし、私は汝らに言う「悪人に逆らうな」」(マタイ5:38-39)。 トルストイは「山上の教え」をキリスト教解釈の中心に置くのだが、その中でも、この戒めをもっとも核心部分に据える。つまり彼の解釈を単純化して言えば、イエスの教えの核心には悪の問題がある、そして、悪については、太古より、悪には悪をもって対処するのが自明とされてきたが、その慣行を断ち切って、無抵抗という形で対処しようしようではないか、と考えた、とまとめることができる。 ちなみに、「山上の教え」の詳しい解釈は、『わが宗教』の第6章で行なっているが、今その結果だけを吸い取ることにしよう。トルストイが理解した形での「山上の教え」の「五つの戒め」は、以下の通りである。1.「あらゆる人々と平和にくらせ。怒りを何らかの機会で正当化できるものと見なすな、決して人間を無価値なものとか馬鹿と見なすな、自分が怒りを控えるだけではなく、他人の自分に対する怒りも空しいものと見なすな」(マタイ5:21-26)。2.「性的放縦には注意せよ。正当な形で性的関係に参入するあらゆる男性は一人の妻しかもてないし、あらゆる妻も一人の夫しかもてない。そしていかなる口実があろうとも、この結合が男あるいは女のどちかによって侵害されてはならない」(マタイ5:27-32)。3.「一切誓うな。誓いは、悪しき目的に奉仕するためになされるものである。国家や軍隊のような組織に誓うな。法廷でも誓うな」(マタイ5:33-37)。4.「悪人には逆らうな。この世は悪に対して、悪をもって報いるという原則によって成り立っている。しかし、それで悪は減るどころか、増える一方である。悪によって悪を押さえつけることなどできない。火は火を消すことはできない、それと同様に、悪は悪を廃棄することはできない。悪を廃棄するためには、悪を犯すことを避けなければいけない」(マタイ5:37-42)。5.「人々が、同郷人を隣人と見なし外人を敵とみなす習慣をやめろ。外人に対する敵対心を慎み、戦争や戦争に参加すること、戦争のために準備することをやめろ」(マタイ5:43-48)。 ここで、2だけは少し特殊なので除外すると、それ以外は、悪にどう対処するかという問題と深く関連していることが判る。悪に対して、悪をもって対処するならば、それ自体悪に加担することになるのであるから、それはやめ..
探求(旧)
MikS
2020-08-06T01:16:58+09:00
トルストイは「山上の教え」をキリスト教解釈の中心に置くのだが、その中でも、この戒めをもっとも核心部分に据える。つまり彼の解釈を単純化して言えば、イエスの教えの核心には悪の問題がある、そして、悪については、太古より、悪には悪をもって対処するのが自明とされてきたが、その慣行を断ち切って、無抵抗という形で対処しようしようではないか、と考えた、とまとめることができる。
ちなみに、「山上の教え」の詳しい解釈は、『わが宗教』の第6章で行なっているが、今その結果だけを吸い取ることにしよう。トルストイが理解した形での「山上の教え」の「五つの戒め」は、以下の通りである。
1.「あらゆる人々と平和にくらせ。怒りを何らかの機会で正当化できるものと見なすな、決して人間を無価値なものとか馬鹿と見なすな、自分が怒りを控えるだけではなく、他人の自分に対する怒りも空しいものと見なすな」(マタイ5:21-26)。
2.「性的放縦には注意せよ。正当な形で性的関係に参入するあらゆる男性は一人の妻しかもてないし、あらゆる妻も一人の夫しかもてない。そしていかなる口実があろうとも、この結合が男あるいは女のどちかによって侵害されてはならない」(マタイ5:27-32)。
3.「一切誓うな。誓いは、悪しき目的に奉仕するためになされるものである。国家や軍隊のような組織に誓うな。法廷でも誓うな」(マタイ5:33-37)。
4.「悪人には逆らうな。この世は悪に対して、悪をもって報いるという原則によって成り立っている。しかし、それで悪は減るどころか、増える一方である。悪によって悪を押さえつけることなどできない。火は火を消すことはできない、それと同様に、悪は悪を廃棄することはできない。悪を廃棄するためには、悪を犯すことを避けなければいけない」(マタイ5:37-42)。
5.「人々が、同郷人を隣人と見なし外人を敵とみなす習慣をやめろ。外人に対する敵対心を慎み、戦争や戦争に参加すること、戦争のために準備することをやめろ」(マタイ5:43-48)。
ここで、2だけは少し特殊なので除外すると、それ以外は、悪にどう対処するかという問題と深く関連していることが判る。悪に対して、悪をもって対処するならば、それ自体悪に加担することになるのであるから、それはやめろと第四の戒めは説く。しかし、世界は、この悪に対して悪をもってするという原則に上にその正義の観念を築いてしまった。そして、その正義を具体的に執行しているのが、警察であり、法廷であり、国家である。それらの組織に参加するための最初の手続きが「宣誓」であり「誓い」である。したがって、「一切誓うな」という第三の戒めが引き出される。さらに、自分を基準にして、異質な他者に敵対感情を抱いたり、更にそれを国家レベルに拡大して、自国以外の国民を敵対視することは、悪のない所に悪を認めることである。3と4が、悪に対してどう対処するかという原則を述べているのに対して、1と5は、悪が生み出される原因を指摘したものだ、と言えるかもしれない。
これらの解釈は、私個人としては、部分的に、反論したい箇所もあるのだが、その点には、今は立ち入らない。しかし、イエスの内に悪に対する無抵抗の抵抗という姿勢を読み取るという原則に基づく限り、実に首尾一貫しているし、「山上の教え」の基調にも合致したものと言っていいと思う。
しかし、トルストイが自ら認めているように、1800年というキリスト教の歴史において、このような解釈は一度もなされなかった。
クリュソストモス以降の注釈者は、みな一様に、悪人に逆らうなという原則を認めると、社会の存続が危うくなるという理由で、「山上の教え」の「五つの戒め」に制限を加えたり(「怒るな」を「理由なく怒るな」に変えたり)、例外を設けたり語句の意味をねじ曲げたりして(「離婚するな」に「ただし、女が不貞行為をした場合は別」と都合よく例外があるかのように解釈したり)、イエスの意図を骨抜きにし、裏切り続けてきたとトルストイは言う。イエスの教えなどより、社会の秩序の方が大事だ、と言わんばかりの態度である。結局、キリスト教の権威者であっても、社会の歯車の一つであり、役人の一種にすぎない、ということなのだろう。そうした権威者が払った苦心は、いかにイエスの教えを文字通り読まないかということに帰着するようだ。トルストイを憤懣が爆発させている箇所を一つだけ紹介しよう。
「我々は社会秩序を築き上げてきた、そしてそれを大事にしそれを神聖なものと見なしている。我々はイエスを神と認識しているが、そのイエスがやって来たのは、我々の社会組織は間違っていると言うためであった。我々は彼を神と認識しているが、我々は自分たちの社会制度を放棄しようとは思わない。ではどうすればいいのか? もしできるならば、「怒るな」という命令を無用なものにするために、「理由もなく」という語を付け加えればいいのである。絶対的に離婚を禁ずる命令の代わりに、離婚を認める文言を置き換えることで、厚かましい嘘つき達がしてきたように、法の意味を台無しにしてしまえばいいのである。そして、「裁くな、断罪するな、一切誓うな」といった命令の場合のように、曖昧な意味を導き出す手立てがないならば、最大限の厚かましさをもって、規則に従っていると断言しながら、その規則を破ればいいのである。実は、福音書がありとあらゆる誓いを禁じているという真理を理解することにとって大きな障害となるのは、偽のキリスト教注釈者たち自身が前例のない厚かましさをもって福音書そのものに誓いを立てるという事実のうちにある。彼らは福音書にかけて人々に誓わせている、すなわち、彼らは福音書が命ずることの正反対のことをしているのである。十字架や福音書にかけて誓いをさせられる人間に、十字架が神聖なものとされたのは一切の誓いを禁じた者の死のおかげであったということがどうして思い浮かぶだろうか? そして、そんな人間に、神聖なる書物にキスをするとき、彼は、一切誓うなという明確で直接的な戒めが記されているまさにそのページに、自分の唇を押し当てているのだということがどうして思い浮かぶだろうか?」。
こういう矛盾が平気で許容されたということは、どう考えればいいのか? 一つの(一番辛辣な)考え方としては、要するに、福音書など、ほとんど誰も本気で読まなかったし、かりに本気で読んだとしても、現実との矛盾がある場合には、現実を正すのではなく、福音書の語句や解釈を正すという形で、キリスト教は受容されてきた、ということになるだろうか? 注釈者や教会の権威者を含む誰もが、キリスト教を受け入れたが、それは、イエスの言葉に多大な注意を払うという仕方での受容ではなかった、ということなのだろうか? それほどまでに、悪の問題は、西洋のキリスト教の核心の盲点となっていた、ということなのだろうか?
この点は、「山上の教え」をどう解釈するかという狭い問題を飛び越えて、(イエスではなく)キリスト教は悪の問題にどう対処してきたか、そもそも、悪の問題をどうとらえればいいかということを考えるように誘う。どうしたら、それを簡明かつ一般性のある形で表現できるか、それが問題である。 (つづく)
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