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ローマ:恐怖の社会

ようやく最近になって、目の具合が少しはまともになってきたので、ぼちぼち読書のまねごとをしているのだが、何となく焦点が合わず(目の焦点ではなく、関心の焦点が定まらず、ということだが)、散漫な読書になりがちだった。しかし、徐々に色々なことが、収斂しつつあるのを感じる。特にきっかけを与えてくれたのは、Welbornという学者が書いたパウロについての小品だった。だから、前回の記事で「パウロの足どり」をしばらくたどってみたいと書いたが、それに先立って書きたいことができたので、テーマを変更することにしたい。

 Welbornが書いていることは、ある意味で、ありふれたことである。つまり、ローマの社会がいかに残酷な社会だったか、ということである。たとえば、剣闘士(グラディエーター)が命を懸けて戦うさまをローマの市民が固唾をのんで注視する。それは、ある意味で、今日格闘技の試合を多くの人が好んで観る状況と大差がないように見える。しかし、その比較は成り立たない(かもしれない)。剣闘士の試合では、実際に人が死ぬからである。しかもその殺人には大義名分はなく娯楽の一環にすぎなかった。貴族が多額の費用を出して、このような見世物の機会を提供したのは、民衆の人気を得たいがためだったようだ。民衆は、暇つぶしのために、円形競技場に出向き、奴隷の剣闘士が死ぬ様を見物して、充実した時間を過ごせたというな気分になったのだろう。

 これは「パンとサーカス」として世界史で出てきたことである。それがローマ時代の政治家の人心掌握術だったのです、で終わる話であるようにみえる。しかし、Welbornの小品や、彼が紹介している研究者は、このことをローマ社会の全体にまで押し広げようとする。つまり、暇つぶしに殺人の見世物をローマ市民が見ることが許容される社会とは、要するに、殺人など些末なこととして扱う残忍さが社会全体にいきわたっていたことでもある。ローマの為政者がいかに残酷であったかについては、様々な記録が残っているが、同様のことは、おそらく、社会の末端に至るまで再生産されていたことだろう。いたるところで、奴隷たちは、特に大した理由がなくとも、簡単に殺されたことだろうし、生命のはく奪には至らなくとも、人間性をはく奪された生を送らざるを得なかったことだろう。

 Welbornは、このようなローマ帝国内に染み付いた非人間性を背景にして、パウロの言葉を読み解こうとした。

 「…あなた方がすでに眠りから覚める時が来ている。今や我々の救いは、以前われわれが信じた時よりも近づいているのだ。夜はふけた。昼間が近づいた。だから、我々は闇の行為を脱ぎ、光の武具を着ようではないか」(ローマ13章11-12)。

 パウロが伝道をして回ったのはローマ帝国の領内なのだから、ここで言われている「眠り」や「夜」とは、帝国内の隅々にまでいきわたっているローマ非人間的な価値観ということなる。パウロや他の初期のキリスト教徒の活動や教義は、こうした「反帝国主義(anti-imperialism)」を背景にして理解しなければならない。それがWelbornの解釈である。こうした捉え方は、正統的な神学者からは賛同が得られないかもしれない。少なくともウド・シュネレは同意していないようだ。ただし、私には腑に落ちるものがあるのである。私にとって、キリスト教がローマ帝国内でたびたび迫害されたにもかかわらず、なぜ廃れず広範囲な支持を得たのかという疑問は、つい最近まで解けないままであった。しかし、その疑問は、こうしたローマ帝国内にいきわたった残忍さの文化や、その文化が人心に深く植えつけた恒常的恐怖や、そしてその恐怖から逃れようとするはかない希望などを考慮に入ることで、ある程度、解けるのではないか、と思えたのである。

 今の文脈から少し外れるが、ストア派の哲学者が自殺を賛美したということは、知識としては知っていたが、その背景にまでさかのぼって理解しようというところにまで考えが及ぶことはなかった。しかしWelbornの指摘によると、例えば、セネカが自殺したのは、そうする以外に人間的な尊厳をもって生きることができないほどの野蛮さに取り囲まれていたからだ、となる。剣闘士が死んでいったアリーナは、実は、いたる所にあったし、それはいわゆる上流階級に属する人間にも無縁のものではなかった、ということになる。違いは、上流の人間は、他の剣闘士や獣に殺される代わりに、自分で死に方を選べるという権利が与えられていた、という点にすぎない。ローマの世界は、まさに、恐怖の世界であったと言えるかもしれない。そんな中で、その世界に背を向けて、新たな世界をともに創り上げようと呼びかける運動体が、恐怖から逃れようと思う人々の耳目をとらえたとしても不思議はないかもしれない。

 しかし、私がWelbornを読んで閃いたことは、それだけではなかった。それについては次回で。






 
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