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トルストイ『私の宗教』について 3

 
 私が、トルストイの古い著作に興味を覚えたのは、そこに、キリスト教の隠れたロジックを見い出しうるように感じただけではなく、悪の問題について、歴史的な観点から迫ることができるのではないかという予感を覚えたからである。まず、単純なロジックを示し、その後で、それが、どのように歴史的な意味をもつかを説明したいのだが、長くなるので、今回は最初のロジックのことだけに話を限定する。

 キリスト教のロジックについて: キリスト教の核心には、イエスの教え、とくに「山上の教え」がある、と考えられてきた。しかし、その教えは、初めから、値切られたり裏切られた仕方でしか受容されなかった。かりに、「敵を愛せ」をその「教え」の代表として扱うことにしよう。愛敵の原理を文字通りに受け取ったとしても、教会という組織を守っていくには、場合によっては敵対的な存在に対して、愛とは無縁の態度をとることが多々あった。そもそも、キリスト教ほど敵と味方を峻別することに熱心だった宗教はないと言えるほど、異端と正統の区別には特別の関心を払った。さらに、悪の存在を徹底的に排除することにも細心の注意を払った。洗礼は、悪魔祓いの延長上にある祭祀行為である。信者になるためには、洗礼を通過して、悪と絶縁することが求められた。この善と悪の峻別ということがいかに深い意味をもつかを見るには、そのような祭祀的な側面ばかりに目を向けてはならない。「山上の教え」を素直に読めば、イエスの戒めとモーセの戒めが両立できないことは、誰の目にも明らかである。「汝らは「目には目を、歯には歯を」と言われたのを聞いたことがある。しかし、私は汝らに言う「悪人に逆らうな」」(マタイ5:21-26)。モーセの律法は同罪復讐を許容するが、イエスの戒めはそれを禁ずるのだから、両者が両立できるはずがない。しかし、そのように解釈する者はほとんどいなかった。それはなぜか? それは、結局、マタイの作者においてもそうだが、キリスト教は、ユダヤの宗教的伝統を必要としたのである。その理由は複数あるが、今の文脈で言えば、キリスト教は、やはり、悪に対する関わりを考えたとき、イエスの戒めだけでは到底やって行けないこと、場合によっては敵に対して容赦ない態度をとるユダヤの伝統をどうしても捨てきれなかったのではないかと考えられる。こうして、私に言わせれば、キリスト教の「二重底」の論理と言うべきものが、最初期から、自ずと形成されていった。前面に立つのは、イエスの理想主義的な教えだが、それによってカバーしきれない部分、とくに「悪」に対する関り方に関する部分では、つねに旧約の言葉に言及がなされる。善良な言葉はイエスに言わせ、悪に対して身構える必要が生ずると、まるで用心棒に登場してもらうかのように、旧約の言葉を援用する。ユダヤの伝統を一切否定して、イエスの言葉だけに基づいてキリスト教の教義を形成しようとする動きがなかったわけではないが(マルキオン)、いち早く異端とされてしまった。私は、イエス運動は、ユダヤの伝統から絶縁して始められたと考えているので、どうしてこのようなユダヤ化の動きが盛り返したのか不思議なのだが、おそらくは用心棒の必要性という現実的な動機と無関係ではないのではないと考えている(まだ何も研究していない部分なので、ちがうかもしれないが)。

  いずれにせよ、キリスト教は、最初からある種の「二重底」になっていて、それは善悪の問題と密接につながっている。この点についてのトルストイの言葉を引用してみよう。「悪人に逆らうな」の言葉がいかにまともに理解されてこなかったかを述べる箇所である。

 「 第三の戒めの後に、古い法に対する第四の言及と第四の戒めが来る。
「目には目を、また歯には歯を、と言われていることを、汝らは聞いている。しかし私は汝らに言う、悪人に逆らうな。汝の右の頬を打つ者に対しては、もう一つの頬を向けてやれ。また汝に対し訴訟をおこして、下着を取り上げようとする者には、上着をもゆだねてやれ。汝を徴用して千歩行かせようとする者がいれば、その者とともに二千歩行ってやれ。汝に求める者には、与えよ。汝から借りようと望む者には、断るな」(マタイ5:37-42)。

  これらの言葉の直接的で正確な意味については既に語ったし、これらの言葉に基づいて寓意的な説明をしなければならない理由はないということもすでに述べた。クリュソストモスから現代に至るまでの間に、それらに関してなされた注釈は実に驚くべきものである。その注釈の言葉は誰にとっても快いものであり、ありとあらゆる深遠なる反省を呼び起こすものではあるが、たった一つのことがそこには欠けている。すなわち、これらの注釈の言葉がまさにイエスが言わんとしたことを述べているという一つのことだけは欠けているのである。教会の注釈者たちは、彼らが神と認識する者(イエスのこと・・・引用者註)の権威に畏怖を感じることはまったくないので、イエスの言葉の意味を大胆にねじ曲げてしまっている。やられてもやり返すな、復讐心を抑えろというイエスの命令は、ユダヤ人の復讐心に満ちた性格に対して向けられたものである、などと彼らは言う。それらは、悪を押さえつけたり悪行をなす者を罰する一般的な方法を排除しないばかりか、正義を保ち攻撃者を逮捕し凶悪な者が他者に悪を加えることを防ぐための個人的努力をするように、各人に推奨しているのだという。なぜなら、そうしなければ、こうした霊的な戒めは、ユダヤ人の間でそうなったように、死文となってしまうだろうし、ただたんに、悪を広げ美徳を抑圧することに役立つだけになってしまうだろう。キリスト教徒の愛は、神の愛に倣って形成されるべきである。しかし、神の愛は、神の栄光とその下僕の安全のために必要とされる限りにおいて、悪を制限し悪に戒めを与えるものである。もし悪が広まるのであれば、我々は悪に対して制限を課し、それに罰を与えなければならない。いまや、それこそが権威者の義務なのである」(トルストイ『私の宗教』第6章より)。

 途中で言及される「クリュソストモス」とは、コンスタンティノポリスのキリスト教会の主教を398年から404年までつとめたヨハネス・クリュソストモス(ca. 347 - 407)のこと。トルストイは、先立つ第5章で、モーセの律法を擁護するクリュソストモスの言葉を引用して検討を加えている。少し長くなるが、その箇所を見ておこう。


 「「モーセがこの法(=「目には目を」)を作ったのは、我々が他人の目をえぐり出すためではなく、他者によって苦しみを与えられることに恐れを抱くならば、そんなことを他者に対してなすことを我々は躊躇うようになるためである。ゆえに、神がニネヴェの人々を滅ぼすと脅したのは、神が彼らを破滅させるためではなく(それが神の意志であるならば、神は沈黙していたはずだからである)、神がそれによって彼らをより良くし、神の怒りを鎮める だめであったのと同様に、モーセが、不当に他者の目を害する人々に対する罰を定めたのは、もし善良な原則を設定することで、彼らに、そのような残酷な行為を躊躇う気持ちが生じないのであれば、恐れを与えることで、彼らが、隣人の目に危害を加えることを躊躇う気持ちを抱くようにさせるためであった」。

 「そして、もしこれが残酷であるならば、それは殺人者が抑制されるための残酷さであり、 姦夫が阻止されるための残酷さである。しかし、これらは分別のない人間の言い分、これ以上はないほど正気でなくなった人々の言い分である。なぜなら私は、 これが残酷であると言うどころか、人々の見解に合致して、これと正反対のことこそが不法であると言いたいからである。あなたは、目をやられたら目をえぐり出せと神が命じたのだから、神は残酷であると仰るが、私は、神がこのような命令を与えなかったならば、大抵の人々の判断によれば、神こそが残酷であると思われただろうと、私は言いたい」。

  クリュソストモスは、はっきりと「目には目を」という法を神聖なる法と認識し、その法の反対、すなわち、「悪人には逆らうな」というイエスの教義を不正なものと認識する。なぜなら、次のように想定してみようと、クリュソストモスはさらに続ける。
 
 「この法がすっかり廃止されてしまい、法によって定められた罰則を誰も恐れなくなり、 あらゆる凶悪な者、姦夫や殺人者や偽証する者や親殺しといったありとあらゆる凶悪な者に対して、安心して自分の性癖に従って構わないという許可が与えられたと仮定してみよう。すると、すべてのものがひっくり返り、町や市場や家や海や陸地や全世界が数え切れないほどの汚染と殺人によって満たされてしまうことにならないだろうか? そんなことは誰もが判ることだ。なぜなら、法や恐れや脅しがあるときでも、我々の悪しき性癖はほとんど抑えられないのであるとすれば、このような保障さえもが取り去らわれてしまったならば、人びとが悪徳を選ぶことを妨げるものは何もなくなるだろうし、人間生活の全体にどんな災難が降りかかって来ないとも限らないことになるからである」。

 「しかも、残酷さは、悪人たちが思い通りにすることを許すことにあるだけではなく、それとまったく同じくらい悪いこと、すなわち、自らは何も悪いことをしていないのに原因や理由もなく苦しめられる人を見殺しにしたり、 無関心のままにやり過ごすということにもあるからである。もし誰かが、あらゆる界隈から凶悪な人間たちを集めてきて、彼らに剣を持たせ街をうろつかせて、途中で出会うすべての人を殺してしまえと命ずるならば、そのように命ずる人ほど野獣に似た者はいないことになるのではないか? そして、もしほかの人々が結束して、最大限の厳密さをもって、刀で武装した連中を投獄し、そうした無法者から、まさに殺されそうになった人を引き離したならば、その人ほど偉大な人間はいない、ということになるのではないだろうか? 」。

  クリュソストモスは、凶悪な人間から見るとこの凶悪ではないとされる人がどう評価されるかについては何も言っていない。だが、この凶悪でないとされる人自身が凶悪で、罪のない人を監獄にぶち込むとしたらどうだろうか? クリュソストモスは次のように続ける。

 「さて、私はこの例をモーセの法に移し変えるようにと命ずる。なぜなら、目をやられたら目をえぐり出せと命ずる者は、怖れというものを、悪人の心に重くのしかかる強力な鎖として置いたのであり、あの殺人者たちを牢獄で拘束する人に似ているのである。それに対して 、悪人に対して何ら罰則を定めない者は、悪人が安心して武装できるようにしているのであり、彼らに刀を手に握らせ、町中を闊歩するのを許すあの人のように振る舞っているのである」(Homilies on the Gospel of St.Mathew, xvi)。


  もし、クリュソストモスがイエスの法を理解したならば、他者の目をえぐり出すのは誰かと言っただろう。誰が人々を牢獄にぶち込むのかと。もし法を作る神がそうするならば 矛盾はない。しかし、その命令を実行するのは人々であり、神の子は人々に向かって暴力を控えろと言った。神は目をえぐり出せと命じ、人の子は目をえぐり出すのはやめろと命じた。われわれは、そのどちらかの命令を受け入れなければならない。クリュソストモスは、他の教会関係者と同様、モーセの命令を受け入れ、キリストの命令を拒んだ。キリストの教義を信じているとクリュソストモスは主張しているのだが。

 イエスはモーセの法を廃棄し、その代わりに自分自身の法を与えた。実際にイエスの法を 信じる者にとって、ほんのわずかの矛盾も存在しない。そのような人はモーセの法になんら 注意を向けず、イエスの法を実践するだろう、その人はイエスの法を信じているからである。 モーセの法を信じる人にとっても矛盾は存在しない。ユダヤ人はイエスの言葉を愚かしいと見なし、モーセの法を信じた。矛盾が存在するのは、イエスの法に従っていると見せかけてモーセの法に従う人々にとってである。そのような人々をイエスは偽善者として、蝮(まむし)の末として弾劾したのである。

  この二つの法、モーセの法かイエスの法かのどちらかを神聖な真理として認識するかわりに、我々は両者がともに神聖なものであると認識する。しかし、日常生活の行為に関して問題が生じるとき、我々は、イエスの法を拒絶しモーセの法に従う。この間違った解釈の重要性を我々が認識するとき、それは善と悪との闘い、闇と光との闘いを記すあの恐るべきドラマの根源を明らかにするのである」」(トルストイ『私の宗教』第5章より)。


  このクリュソストモスの言葉に、あの「二重底」のロジックが、この上なく明確に現れている。もちろん、言われていることはごく常識的なことである。刃物を持った無法者どもが好き勝手なことをしながら町中を歩いて好きなだけ殺人を犯して罪に問われないとしよう。そのような状況を許容する神が存在するならば、「目には目を」という命令を下したモーセよりもはるかに残酷な神ということになるだろう。

  もちろん、そう主張することで、クリュソストモスはイエスの主張を否定していることになるのだが(イエスはこの上なく残酷な存在だということになる)、そこに矛盾を感じることはないのだろう。先ほどもいったように、善を説く場合にはイエスを持ち出すが、悪をたたく場合には用心棒モーセを登場させ、まるでイエスとモーセを同一人格の別側面であるかのように、融通無碍に人格交代をおこなうことに、なんの矛盾も感じない。これは、クリュソストモスの偏向した態度というよりも、福音書が書かれた頃からあった、イエス運動の遺産だけで賄いきれない部分はユダヤの伝統にすがるという一種のダブル・スタンダードが当然と見なされていたことの反映であろう。

 私が興味を覚えるのは、「法や恐れや脅し」があっても日常的に悪行は発生しているのだから、このような「保障」がなくなってしまえば、この世は悪の巣窟になってしまうだろうというクリュソストモスのロジックにある。これは、ある意味、当たり前なことであり、警官や軍人がそう言うならば何の問題もないが、キリスト教団の権威者の口から発せられるとき、いろいろなことを考えさせてくれる。誰しもが思うにちがいないことだが、キリスト教の権威者たちも、悪の問題に直面するとき、ある種の警察的な悪の抑止力に訴えることは避けがたいと思っただろうことは疑問の余地がない。その時、もはや「悪人には逆らうな」ではなく、「目には目を歯には歯を」が正義の法となる。

一般に流布しているキリスト教的な世界観では、この世は悪に満ちている。人間の心には悪への傾向が抑えがたい形で潜んでいる。罪からは逃れられない。それどころか、アダムの原罪以降、罪が人間の運命になる。そのように、アウグスティヌス以降、キリスト教の教義は「罪」という要因を過大に強調するようになる。

「罪」ということが、初めは問題視されなかったというわけではない。イエスは、「われわれの罪のために」死に三日後に復活した。それは、ペテロ以降、キリスト教の祭祀の中心にある考え方である。しかし、最近の研究では、その「罪」とは、弟子たちがイエスを見殺しにしたことの罪悪感を指していたにちがいない、と考えられるようになった。後の神学者が言うような、イエスは人類の罪を償うために死んだなどという誇大妄想的な意味ではなかったにちがいない。

しかし、そのような、あくまで個人的な罪悪感が人類規模に拡大されていったのは、「罪」を問題にするとき、キリスト教の理論家たちは、悪にどう対処するかという問題を考えていたにちがいない、と私は思うようになった。洗礼によって、罪が洗い流される、というのは、教団内でのみ通用する理屈であって、より一般的な悪、世界の中の悪に対して、キリスト教は、結局、イエスの教えに反してでも、警察的な抑止力をもちだす以外に術がなかった、ということではないか?

この隠された警察的な抑止力の肯定は、後に「正義の警察」のような組織に変貌して、徹底した異端弾圧や迫害にのりだすキリスト教の一側面を示しているだろう。しかしそれと同時に私に感じられるのは、悪には悪をもって対抗するしかないだろうと説くときのクリュソストモスの「当然だろう」という態度である。人間は、悪への自然の傾向性を持っている。それは人間の本性に根ざしている。アウグスティヌスがアダム以降のすべての人間に罪を帰したとき、その罪とは悪の自然な傾向性のことでもあった。それに対して、それに対応する警察や司法的な手段によって抑止しようとするのも自然な対応であろう。誰もそのことに疑問を感じないし、実際、キリスト教がいつの間にか作り出した「迫害的な社会」を、一般の民衆は支持し続けたのである(「迫害社会(persecuting society)」とは、異端、ユダヤ人、ハンセン病患者、同性愛者などを排除していく10世紀以降のヨーロッパ社会を、中世史学者のR.L.Mooreが特徴づけた言葉)。

しかし、これは、「敵を愛せ」や「悪人には逆らうな」と主張するイエスの言葉を真っ向から否定する動向である。それほどまでに、つまり、イエスの金言との矛盾など全くお構いないかのように、悪人は抑止されるべきものであり、悪は、人間の本性に根ざした、何か否定されるべきものであるという考えは、社会の隅々にまで浸透しているものだったのだろう。それは、あまりにも当たり前すぎて、そこに含まれる矛盾など誰も考えもしなかった。思考すべきことがそこにあるにもかかわらず、誰も立ち止まって考えないようにしようとする空気が、とくに「悪」の問題に関しては濃密だったように思えるのである。

  何が言いたいかと言うと、このような悪に対する考え方は、あの「悪の陳腐さ」というテーゼを何か思わせるものがある、ということである。こと悪に関する限り、キリスト教は、世俗的な考え方と同種のものしか生み出さなかった。アダムの堕落以降すべての人間に帰されたあの「罪=悪」も、悪についての陳腐な考え方を人類一般に押し広げただけの、それ自体陳腐な発想の上に成り立っているように映る。


 少なくとも、「悪の問題」に関する限り、キリスト教は独自のものを提供することなく、いわば最初から悪の力に屈服している。イエスの「山上の教え」などなかったように、人間はみな悪に走り、それを止めることはできないのだから、悪はどうすることもできない、警察的な力によらない限りは。最終的には、力には力で対抗するしかない。それが正義であり、それについては議論の余地がない。すべてがこうした陳腐なロジックに基づいているだけではないか、その結果、あの二重底を作為せざるを得なかったのではないか、という疑問を持たざるを得ないのである。

 やがて、キリスト教社会は権威と服従から成り立つ不寛容な「迫害社会(persecuting society)」になるが、その発端は、キリスト教の教義の中心にある警察力の肯定にまでたどることができるだろう。結局、宗教性の外皮がどうであれ、皆が望んでいるのは、つねに、悪の抑止であり、その結果得られる善の小康状態であった。そしてそのことを可能にする権力機構がありさえすればいい、それを拝みましょう、ということになる。


 トルストイは、宗教心など何もないと公言する人にも宗教はあると言って、次のように述べている。


 「宗教を否定する人々が信じているのは、支配層の多数派の意志に服従する宗教である。一言で言えば、既成の権威に対する服従の宗教である」。

 「文明国にいる大半の人は、警察への信仰以外に、人生を規定するものを何ももたない」(いずれも『私の宗教』第11章より)。


 そのように書いたとき、トルストイは同時代のロシアの現状を念頭においていたのだろうが、おそらく、いつの時代、どの地域にも当てはまる言葉だと思う(とりわけ、「信仰心が薄い」とよく言われる日本においても、この宗教に対する信仰心は強力である)。こうした俗っぽい信念からは最も遠いと思われるキリスト教においてでさえ、その教義の(解釈の)中心部分に、こうした警察信仰が顔をのぞかせているのだから、ある意味で、悪の力の影響力がいかに絶大かと思わざるをえない。悪に対抗するために、社会の大勢は暴力を行使する権限を支配権力に預け、それに服従することによって、善の側に回ることができる。そこから逸脱する者に容赦ない制裁が下されてもそれは容認するしかない。後は、いかに忠実に服従という義務を果たすだけだ。

 こうした道徳意識の陳腐化が、どの時代のどの社会にもあるということは格別問題ではない。だから、キリスト教社会だけが例外をなさないのは当然と言えば当然なのだが、しかしキリスト教は、元来の意識が高かっただけに、水の低きに流れるようなこうした陳腐化の道をたどったことは、少なからぬ驚きを喚起するのは確かである。いずれにせよ、こうした陳腐な道をたどる途上で、キリスト教は、イエスの教えすらも死文化させてしまった。そして、さらなる教義上の工夫をする。その点については、次回述べる。                 (つづく)





















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