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トルストイ『私の宗教』について 4 [探求(旧)]

 トルストイ『私の宗教』について 4


 前回の記事を、一旦、書き終わったときに、ダメだ、思ったことがうまく書けていないと感じ、いろいろ書き足したのだが、かえって余計に長くなり、論旨もまとまっていない。結局、自分の中で考えの整理がついてないと、こうなってしまうという悪い見本のような文章になってしまったので、自分の考えを改めてまとめようとした。

 最近、キリスト教の歴史の関係の本を数冊(迫害関係、宗教改革関係、悪の概念の問題関係)読んでいるのだが、そこで思い知るのは、ある革新的な試みがなされても、長い時間の経過後には、結局、まるで何もなかったかのような元の木阿弥の状態に戻ってしまうのではないか、という身も蓋もない結論。

例その一:
イエスは「敵を愛せ」に始まる戒めによって、世の悪と対峙しようとした→ イエスの遺志を継いだキリスト教は、迫害に耐え、イエスの灯火を守りぬいた→ やがてキリスト教はローマ帝国に取り込まれて少数派から多数派の側に回る→ いつの間にか、キリスト教は思想・宗教警察のような組織に変貌する→ 中世ヨーロッパは「迫害社会」に突入する。

例その二:
堕落したロ-マ・カトリックのあり方に抗議する動きが表面化する(「宗教改革」の幕開け)→ プロテスタント諸派は、ローマ・カトリックの代わりとなる共同体を構築しようとする→ しかし、教義上のわずかな違いをめぐって内部抗争が絶えなかった→ 抗争は激化する一方で、ローマ・カトリックに代わる新たな共同体的秩序が形成されることはなかった→ キリスト教各派に代わって主権国家が発言権を増す→ 宗教的価値観に基づく「共通善の倫理」に代わり、個々人の「権利」に基づく「形式的倫理」が次第に支持を集めるようになる→ 簡単に言えば、宗教的規範ではなく主権国家の法の内に社会的活動全般を規制する権威を認める空気が大勢を占めるようになる・・・

 ちょうど前回の記事を書いていたとき、宗教改革の前後の歴史を扱っているBrad.Gregory: The Unintended Reformationという本を読んでいたので、そこで述べられている倫理観の推移と、トルストイの主張が混然となってしまった。そこで、この点について、少しすっきりさせたい。

 上の「例その二」には、まだ先がある。結局、宗教的な考えの違いから反目し合っていても、いつまでも争いを続けていることは出来ない。やがて厭戦気分がヨ—ロッパを蔽う。それに、どこの言い分が正しいのか宗教各派はそれぞれ勝手な主張をしているだけなので、その争いを暫定的に終わらせるには、中立的な「法廷」という場での決着に頼るしかない、という方向に社会の大勢が流れていったのは止む得ないことだったろう。そして、宗教的情熱が去り、善悪の基準は法律が決めてくれればいい、個々人の権利に基づく私的な活動に従事する以外に人生の意義はないということが社会の大勢の空気となるにつれ、ウェーバーが嘆いた「宗教改革」の行きつく状況、つまり、秩序さえあれば後は何も要らない「精神のない専門家、心情のない享楽家」から成る無のような世界が残るだけである・・・。(なぜウェーバーにつながるかと言うと、Gregoryの前掲書の「ウェーバーのテーゼ」を扱っている箇所をちょうど読んでいたからである。私も影響されやすいというか何というか・・・・)。

 始めは情熱の炎の大いなる噴出があっても、次第に情熱は弾圧の憂き目にあい鎮火する。最後には、水の低きに流れるがごとくに、悪には悪をもって対処するしかないという陳腐な考えが大勢を占めるという構図。これは時間的な推移や歴史に限定する必要はないだろう、たとえば、あるイデオロギー的な運動の中心には、そのイデオロギーを強烈に体現する人々がいるとしても、中心から離れるにつれイデオロギーの側面は希薄になり、末端は、ただ単に、そうせよと命じられたがゆえにそう動いているにすぎない受動的な人間の群れがいるにすぎない。そのような人間にとって、「悪」とされる人間には処罰を下さなければならないというルール順守の意識があるにすぎない。アレントに「陳腐な悪」を着想させたアイヒマンは、そういう人間の一人だった。そのことを時間的経過として言い直せば、最初は傑出した運動や主張であっても、次第に華々しさのメッキが剥がれ落ちていき、最後には凡庸なものだけが残って終わる。イエス運動も宗教改革もご多分に漏れず、そういう軌跡をたどったと言えるのではないだろうか? もっとも、凡庸な要素は始めから存在する。最初は背後に沈んでいるが、やがて、当初目立っていた部分が剥落するにつれて顕在化していき、最後には凡庸な部分だけが支配的になる、と言うほうが良いのかもしれない。

 私が、前回、トルストイの考えをいきなり「陳腐な悪」に結びつけたのは、以上のような関連を踏まえてのことだったが、自分の頭の中にはあってもそれを明示的に言い表すことをしなかったせいで、論旨が不明になってしまった。以上は、そのための補足である。

 だから、もう一度言い直すが、キリスト教は、そのごく初期のころから、悪の問題に直面してはいた。その悪を罪という形に転化して、罪の浄化ということを教団の教義の中心に据えて独自の仕方で対処しようとしたが、やはり、その背後で、悪には悪をもってしか対処できないという陳腐な発想を捨て切ることはできなかった。あるいは、ローマ帝国に取り込まれることで、国の安全保障体制の一翼を担わされるという不本意な役割を背負わされてしまったがゆえに、いかにして悪を抑え込むかという課題に取り組むはめになってしまったことがケチの始まり、なのかもしれない。そのとき、やはり悪には悪で臨むしかないという結論は避けることができなくなった。そうなると、キリスト教は、イエスの教義には目をつぶるという矛盾を犯してまで、警察力による悪の抑止という手段に頼る以外になくなった。これが、教義の空洞化を招くことは避けがたい。そこから、イエスの教義からは想像もつかない「迫害社会」の形成に道がひらかれることになった。と言わなければならないようだ。


   (つづく)














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