共感(empathy) その1
自分の講義で使用するという都合があって、テーマを変えて今回から「共感(empathy)」の項目を紹介する。
この概念は道徳的意識の根幹に関わるという意味合いがあるので、「悪」の概念と連続したテーマである。また、最近の「ミラーニューロンや「心の理論」の概念とも関係するので、幅広い分野との関連をもつと考えられる。
Empathy By Karsten Stueber
First published Mon Mar 31, 2008; substantive revision Thu Jun 27, 2019
https://plato.stanford.edu/entries/empathy/
「
共感
共感の概念は、社会的生物としての人間が構成される上で中心的であると考えられる幅広い心理的能力を指すために使われる。その能力とは、他の人々が考えたり感じていることを知ることを可能にしたり、彼らと感情的に関わり、彼らの考えや感情を共有したり、彼らの幸せに配慮したり、といったことを可能にする能力である。一八世紀以来、特にデビッド・ヒュームとアダム・スミスの著作の影響により、これらの能力は、私たちの社会的・道徳的本性の根底にある心理的基盤に対する学問的研究の中心部分に位置してきた。しかし、共感の概念は、比較的最近の知的遺産に属する。さらに、さまざまな分野の研究者が、共感に関連する幅広い現象の具体的な側面に研究の焦点を合わせてきたため、多くの多様な科学的・非科学的言説の中で、ある程度の概念的混乱が生じたり、共感の概念に関して多様な定義が与えられてきたことは、おそらく驚くには当たらない。このエントリの目的は、さまざまな哲学的・心理学的議論における共感の概念の歴史を概観することによって、そして、共感がなぜ、通常の文脈や、人間科学において、さらには、社会的および道徳的な行為主体としてわれわれ自身が構成されることにとって、これほど中心的な意義をもつと見なされてきたのはなぜか、そして見なされるべきであるのはなぜかを示すことによって、共感の概念を明確にすることである。もっと具体的に言うと、共感の概念が生み出された哲学的文脈を述べる短い歴史的序論の後、第二および第三章では、共感の能力に関連する認識論的次元が論じられることになる。それらの章は、共感が他者の心を知るための第一の認識手段であり、人間科学を自然科学から区別する唯一の方法として見なされるべきであるという主張を取りあげる。第四と第五章は、共感を社会の根本的な接着剤と見なし、社会的関係を設定・維持し、人間が相互に価値的にスタンスを取ることを可能にする心的メカニズムとして理解する主張に焦点を合わせる。
1. 歴史的序論
2. 共感と他者の心の哲学的問題
2.1 ミラーニューロン、シミュレーション、および、心をめぐる現代の論争におけ る共感の議論
3. 人間科学独自の方法としての共感
3.1 人間科学の解釈学的構想という文脈における共感批判
3.2 人間科学の自然主義的構想という文脈における共感批判
4. 心理学における科学的研究のトピックとしての共感
5. 共感、道徳哲学、道徳心理学
5.1 共感と利他的な動機
5.2 共感、その部分性、偏りがちな傾向、道徳的行為主体
5.3 共感、道徳的判断、道徳規範の権威
」(つづく)
この概念は道徳的意識の根幹に関わるという意味合いがあるので、「悪」の概念と連続したテーマである。また、最近の「ミラーニューロンや「心の理論」の概念とも関係するので、幅広い分野との関連をもつと考えられる。
Empathy By Karsten Stueber
First published Mon Mar 31, 2008; substantive revision Thu Jun 27, 2019
https://plato.stanford.edu/entries/empathy/
「
共感
共感の概念は、社会的生物としての人間が構成される上で中心的であると考えられる幅広い心理的能力を指すために使われる。その能力とは、他の人々が考えたり感じていることを知ることを可能にしたり、彼らと感情的に関わり、彼らの考えや感情を共有したり、彼らの幸せに配慮したり、といったことを可能にする能力である。一八世紀以来、特にデビッド・ヒュームとアダム・スミスの著作の影響により、これらの能力は、私たちの社会的・道徳的本性の根底にある心理的基盤に対する学問的研究の中心部分に位置してきた。しかし、共感の概念は、比較的最近の知的遺産に属する。さらに、さまざまな分野の研究者が、共感に関連する幅広い現象の具体的な側面に研究の焦点を合わせてきたため、多くの多様な科学的・非科学的言説の中で、ある程度の概念的混乱が生じたり、共感の概念に関して多様な定義が与えられてきたことは、おそらく驚くには当たらない。このエントリの目的は、さまざまな哲学的・心理学的議論における共感の概念の歴史を概観することによって、そして、共感がなぜ、通常の文脈や、人間科学において、さらには、社会的および道徳的な行為主体としてわれわれ自身が構成されることにとって、これほど中心的な意義をもつと見なされてきたのはなぜか、そして見なされるべきであるのはなぜかを示すことによって、共感の概念を明確にすることである。もっと具体的に言うと、共感の概念が生み出された哲学的文脈を述べる短い歴史的序論の後、第二および第三章では、共感の能力に関連する認識論的次元が論じられることになる。それらの章は、共感が他者の心を知るための第一の認識手段であり、人間科学を自然科学から区別する唯一の方法として見なされるべきであるという主張を取りあげる。第四と第五章は、共感を社会の根本的な接着剤と見なし、社会的関係を設定・維持し、人間が相互に価値的にスタンスを取ることを可能にする心的メカニズムとして理解する主張に焦点を合わせる。
1. 歴史的序論
2. 共感と他者の心の哲学的問題
2.1 ミラーニューロン、シミュレーション、および、心をめぐる現代の論争におけ る共感の議論
3. 人間科学独自の方法としての共感
3.1 人間科学の解釈学的構想という文脈における共感批判
3.2 人間科学の自然主義的構想という文脈における共感批判
4. 心理学における科学的研究のトピックとしての共感
5. 共感、道徳哲学、道徳心理学
5.1 共感と利他的な動機
5.2 共感、その部分性、偏りがちな傾向、道徳的行為主体
5.3 共感、道徳的判断、道徳規範の権威
」(つづく)
2020-04-17 12:34
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