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悪の概念  その1

 何かと窮屈で不穏な世の動向ではあるが、本来の仕事ができないまま無為に日々を過ごすのもよろしくないので、こういうときにこそ、普段ではできないことをすべきだと考えて、スタンフォード大学の発行しているオンラインの「哲学百科事典」の日本語による紹介をすることにする。かつていくつかの項目を紹介したことがあるが、とりあえず、紹介したいと考えているのは、「悪」、「ニーチェ」、「(プラトンの)カリクレス(とソクラテスの対比)」、「カント」などである。まずは、「悪」から始めよう。

 「悪」といえば、たとえばキリスト教の教義で出てくるわけだが、その没落とともに、「悪」という語も使われなくなった。この項目の最初で「懐疑論」と言われているのは、そういうことを指しているにちがいない。しかし、アレントの画期的な着想が、悪の概念にふたたびスポットライトを当てた。ミルグラムや、最近では、サイモン・バロン=コーエン などの心理学者の研究もこの動向に一役買っている。そのことも話題になるのだろう。私は、私なりに、この概念に関心をもっているのだが、その点については、いずれ書く機会があるかもしれない。

 全体は5章に分かれているので、その章分けにしたがって分載していく。今回は出だしの序論。



The Concept of Evil
First published Tue Nov 26, 2013; substantive revision Tue Aug 21, 2018
by Todd Calder 

https://plato.stanford.edu/entries/concept-evil/#Mir



  悪の概念


 第二次世界大戦以降、道徳哲学者や政治哲学者や法哲学者は、悪の概念にますます大きな興味を寄せるようになった。この関心は、領域外の人々、社会科学者、ジャーナリスト、政治家たちが、ジェノサイドやテロ攻撃や大量殺人や、サイコパスの連続殺人犯による拷問や連続殺傷事件のようなさまざまな残虐行為や恐るべき事件を理解したりそれに対応しようとするときに、「悪」の原因をどこに求めたらいいかという問題に一部起因している。これらの行為と加害者の道徳的意義は、たんにそれを「間違っている」とか「悪い」とか呼んだり、あるいは「とてもとても間違っている」とか「とてもとても悪い」と呼んだとしても、捉えられそうもない。われわれは悪の概念を必要としているのである。

 混乱を避けるために、悪には少なくとも二つの概念、すなわち広い概念と狭い概念があることに注意しておくことが大事である。広い概念は、いかなるものであれ悪い事態、不正な行為、あるいは性格上の欠陥などを指す。歯痛の苦痛は、罪のない嘘と同様に、広い意味で悪である。広い意味での悪は、自然の悪と道徳的な悪という二つのカテゴリに分類されてきた。自然の悪は、道徳的行為者の意図や過失に起因するわけではない悪い事態のことである。ハリケーンや歯痛が自然の悪の例である。対照的に、道徳的な悪は、道徳的な行為者の意図や過失から生じる。殺人や嘘が道徳的な悪の例である。

 広い意味での悪は、すべての自然の悪と道徳的な悪を含むので、悪の問題(the problem of evil)の議論でそうであるように、神学的な文脈で言及されがちな悪である。悪の問題とは、全知全能で最善な神によって創造された世界でどうして悪があるのかを説明する問題である。創造者がこれらの(「全知」「全能」「最善」という)属性をもっているならば、世界には悪は存在しないだろう。しかし、実際は、世界には悪が存在する。だから、全知で全能で最善な創造者は存在しないと信じる理由がある、ということになる。


 広い概念の悪とは対照的に、狭い概念の悪が対象とするのは、道徳的にもっとも卑劣な行為、性格、出来事のみである。マーカス・シンガーが言うように、「この狭い意味での」悪は…想像するかぎり最悪の非難の言葉である」(Singer2004,185)。狭い概念の悪は道徳的非難を含むのだから、道徳的行為主体とその行為にのみ帰せられるべきものである。たとえば、人間だけが道徳的な行為主体であるならば、人間だけが悪の行為をなすことが出来る。「悪」という語が現代の道徳的・政治的・法的文脈で使用されるときに、よりしばしば意図されているのは、この狭い意味での悪の方である。この項目は、この狭い意味での悪に焦点を当てる。この項目は、広義の悪や悪の問題についてそれほど議論することはない(これらのトピックについては、セクション2で簡単に議論することになる)。

 哲学者たちが悪というトピックについて議論した主な問題は、「悪」という言葉は道徳的・政治的・法的言説や思考で使用していいのか、それとも、悪は、放棄すべき古臭い概念または空虚な概念なのか、ということだった。邪悪さ(evil)と他の道徳的概念(悪さ(badness)や不正行為(wrongdoing))との関係はいかなるものか? 邪悪な行為の必要十分条件は何か? 邪悪な性格の必要十分条件は何か? 邪悪な行為と邪悪な性格の関係は何か? どんな種類の邪悪な行為や性格が存在しうるのか? 邪悪な制度などの派生概念の適切な分析はいかなるものか?

 この項目は、文献に見出されるこれらの問いに対する回答の概要を与えるものである。


1. 悪に対する懐疑論と再興論
1.1 悪と超自然的なもの
1.2 悪と説明的な力
1.3 「悪」の危険
1.3.1 ニーチェの悪に対する攻撃
1.4  悪の概念を支持する議論

2. 悪の理論の歴史
2.1 悪の二元論的理論と欠如理論
2.2 カントの悪の理論
2.3 アレントの悪の分析

3. 邪悪な行為についての現代の理論
3.1 悪と不正行為
3.2 悪と危害
3.3 悪と動機づけ
3.4 悪と感情
3.5 悪と責任
3.5.1 サイコパス
3.5.2 悪い育ち
3.5.3 無知

4. 邪悪な性格/人格についての現代の理論
4.1 行為に基づく説明
4.2 感情に基づく説明
4.3 動機づけに基づく説明
4.4 規則性の説明
4.5 素質による説明
4.6 邪悪な人格に関する追加のテーゼ
4.6.1 固定性のテーゼ
4.6.2 首尾一貫性のテーゼ
4.6.3 鏡像テーゼ

5. 邪悪な制度

書誌


                           」(つづく)







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