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どうしてアメリカはiPhone関連の仕事を失ったのか(3) [海外メディア記事]

 前回に引き続き、『ニューヨーク・タイムズ』の記事の5ページから7ページの部分を紹介する。長かったが、これでおしまい。

 さて、この記事の最後は、ハッピーな気分で終わっている。亡くなったジョブズ氏追悼の意味もあるだろう、少しエモーショナルな終わり方だ。

 しかし、終わり近くに掲げられた重大な問いは、問いのまま放置されている。つまり、かりに技術革新が近いうちに起きたとしても、かつて中流に所属していた人間は「もう二度と元の中流階級に戻れないのだろうか?」という問いだ。たぶん、この問いは、「中流階級は永久に消滅してしまったのか?」と言い換えられるかもしれない。


 この問いかけは答えられずに放置されているが、たぶん、それには「イエス」という答えしかない。それがこの記事の言外に込められているメッセージだろう。記事中のあのサラゴサ氏が、また浮上することがあるだろうか? そんなことは、ありそうにもない、そんな書き方だ。かつてアメリカの大部分を占めていた中間層は分裂し、ごくごく一部はアップルの幹部のようになるだろうが、大部分にとってはサラゴサ氏のような運命が待ちかまえているのである。

 かりに技術革新が起きたとしても、その商品の製造はすべてアジアに行ってしまうだろう。もはや、製造業のそうしたトレンドは変えられないほど、アジアへのシフトは世界経済の構造そのものと化してしまったようだ。しかし、アメリカの中間層にとって製造業が雇用の柱を提供していたのだから、製造業が復活できなければ中間層の復活もありえないのは当然のことだ。

 折しも、オバマ大統領が中間層の復活を1月24日の一般教書演説でぶち上げたばかりだ。それは確かに緊急の課題に応えるタイムリーな政策発表だった。 しかし、この記事が言うように、アジアに持っていかれた製造業をアメリカに呼び戻すには世界経済の構造の大転換が必要であるはずで、そんなことはアメリカの大統領でも恐らくは無理な仕事であると思えるのだ。





How the U.S. Lost Out on iPhone Work 


By CHARLES DUHIGG and KEITH BRADSHER
Published: January 21, 2012



http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=5&_r=1
http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=6&_r=1
http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=7&_r=1



  どうしてアメリカはiPhone関連の仕事を失ったのか(3)





「わが社の顧客は台湾、韓国、日本、中国にいますよ」とコーニング社の副会長兼最高財務責任者(CFO)のジェームズ・B.フローズは語った。「アメリカでガラスを作って船で運ぶこともできますが、35日もかかりますからね。飛行機で出荷することもできるでしょうが、10倍も高くつきます。だからガラス工場は組み立て工場の隣に建てることになり、どちらも海外にある、ということになるわけです」。



 コーニング社は161年前にアメリカで設立され、本社はまだニューヨーク州北部にある。理論的に言えば、同社は国内ですべてのガラスを製造できる。しかし、そうするには「業界の構造の全面的な見直しが必要でしょうね」とフローズ氏は言った。「家庭用電化製品の業界はアジアのビジネスになってしまいましたね。アメリカ人としてはそれが気懸りですが、私がどうにかできることではありませんからね。アジアは、この40年間のアメリカにとって代ったのです」。




 中流階級の職が消えていく



 エリック・サラゴサがカリフォルニア州のエルク・グローブにあるアップル社の製造工場に初めて足を踏み入れたとき、彼はまるでエンジニアのワンダーランドに入り込んだような気分になったものだった。


 それは1995年のことで、サクラメントの近くにあるその施設には1500人以上の従業員がいた。それは、ロボットアームや回路基板を運ぶベルト・コンベアや、最後には、組み立てラインの様々な段階にあるカラフルなiMacなどからなる万華鏡だった。サラゴサ氏はエンジニアだったが、すぐに工場でのランクを上げ、エリート集団である診断チームの一員になった。年収は5万ドルに上昇した。彼と彼の妻は3人の子供をもうけた。彼らはプール付きの家を買った。


 「ついに、学校に行った甲斐があったと感じましたよ」と彼は言った。「世界はモノ作りができる人間を必要としているのだと判ったのです」。


 しかし、それと同じ頃、エレクトロニクス業界は変化していたし、そしてアップル社も――人気に陰りがでていた商品とともに――立て直しに苦労していた。焦点の一つは製造過程の改善だった。サラゴサ氏が職についた数年後、彼の上司が、カリフォルニア州の工場が海外工場と比べてどうなのかを説明してくれたことがあった。材料費を別にするならば、エルク・グローブで1500ドルのコンピュータを製造するコストは、マシン一台当たり22ドルだった。シンガポールでは6ドル、台湾では4.85ドルだった。こうした差がどうして出るのか、その大きな理由は賃金ではなかった。むしろ、在庫のコストや、労働者が一つの仕事を果たすのにかかる時間などが大きかったのだ。

 

 「1日12時間仕事をして土曜も来なければならない、と僕たちは言われましたよ」とサラゴサ氏は言った。「僕には家族がいたし、子供たちがサッカーするのを見たかったんですけどね」。


 近代化はいつも、ある種の仕事が変化したり消えたりするのを引き起こしてきた。アメリカの経済が農業から製造業に移行し、さらに別の産業へと移行したとき、農民は鉄鋼所の労働者になり、さらにセールスマンや中間管理職に変わった。こうした変貌は多くの経済的な恩恵をもたらしたし、一般的に言えば、進歩するたびごとに、スキルのない労働者であっても、よりよい賃金と社会の上層に昇るチャンスが広がっていった。

 
 しかし、この20年間というもの、もっと根本的なものが変わってしまった、と経済学者たちは言う。中位の賃金の仕事(midwage jobs)が消滅し始めたのだ。特に大学の学位のないアメリカ人にとって、今日の新しい職は著しくサービス業に偏っている――レストランやコール・センターの仕事だったり、病院の付き添い係や派遣労働者などだが――が、そうした仕事についても、中流階級に到達できる見込みは、かつてほどではなくなっている。


 学位をもっているサラゴサ氏でさえ、こうしたトレンドに対して無傷ではいられなかった。まず、エルク・グローブの日常的な業務のいくつかが海外に移管された。サラゴサ氏は気にもとめなかった。その後、アップル社の工場を未来の遊び場のようにしたロボット工学の進展のおかげで、幹部は労働者を機械に換えることができた。診断技術のいくつかはシンガポールに行ってしまった。工場の在庫を管理していた中間管理職たちが解雇されたが、それは、突然、インターネットで接続するわずかな人しか必要でなくなったからである。



 サラゴサ氏は未熟練労働者としてのポジションにいる者としてはあまりに高給取りだった。それに上級管理職になるには十分な資格がなかった。彼は2002年の夜間勤務の後小さなオフィスに呼び出され、解雇を告げられ、工場から閉め出された。彼はしばらくの間、高校で教えた後で、製造業に復帰しようと試みた。しかし、アップル社は、かつてはその一帯が「シリコン・バレー・ノース(Silicon Valley North)」として聖地扱いされることに寄与したものだったが、その頃になるとエルク・グローブの工場の大半は「アップル・サポート(AppleCare)」のコール・センターに変わってしまっていたし、そこで新しい従業員は時給12ドルで働くこともあったのである。




(5ページ終わり)




 シリコン・バレーで職を見つけられる見込みはあったのだが、しかしどれも上手くいかなかった。「本当に求人があるのは、30歳で子供なしのような人間なんです」とサラゴサ氏は言った。彼は現在48歳で、5人の子供がいるのだ。


 数ヶ月間職探しをした後で、彼は行きづまりを感じ始めた。教職の仕事もなくなっていた。そこで彼は、アップル社の専属の電子機器の派遣会社に籍を置き、返品されたiPhoneやiPadを、顧客に送り返す前にチェックする仕事についた。毎日、サラゴサ氏は、かつてエンジニアとして働いていたビルに車で出かけ、福祉手当のない時給10ドルで、何千というガラス製のスクリーンを磨いたり、ヘッドホンを差し込んでオーディオ・ポートの検査をしたりしているのである。



 アップルにとっての給料日 


 アップル社の海外事業と販売が拡大するにつれ、トップの経営陣は潤った。昨年度、Appleの売上高は1080億ドルを超えたが、これはミシガン州とニュージャージー州とマサチューセッツ州の州予算を合計した額よりも大きい数字だ。株式分割をした2005年以降、同社の株価は約45ドルから427ドル超にまで跳ね上がった。


 その富の一部は株主のもとに行った。アップル社は最も幅広く保有されている株の一つで、株価の上昇は、何百万といる個人投資家や401(k)や年金基金に利益をもたらした。報奨金もアップルの労働者を豊かにした。昨年度、アップルの従業員や役員は、給与に加えて、20億ドル相当の株式を受け取り、それに加えて14億ドル相当のストック・オプションンを行使したり発行させた。


 しかし最大の報酬はアップルの経営陣に与えられた。アップルのトップであるクック氏は、昨年、今日の株価に直すと、4億2700万ドルに相当する――10年にわたって発行可能な――ストック・オプションを受け取り、彼の年収は140万ドルに引き上げられた。2010年に、クック氏の報酬パッケージは、アップル社の有価証券報告書によると、5900万ドルとなっていた。

 
 
 アップル社に近いある人は、同社の幹部が受け取る報酬は公正なものだ、同社はそれだけ多くの価値をアメリカや世界にもたらしたのだからと主張した。会社の規模が大きくなるにつれて、アップル社は、製造業の職を含め、国内の労働人口を拡大してきた。昨年、アップル社が雇うアメリカ人の労働者は8000人も増加したのだ。


 他の企業はコールセンターを海外に移転したが、アップル社はコールセンターをアメリカに留めている。ある消息筋の試算では、アップル社の製品の売り上げのおかげで、別の企業は何万人もの米国人を雇うことができたのだそうだ。たとえば、フェデックスやユナイテッド・パーセル・サービスは、両社ともアップル製品の出荷量の増大のおかげでアメリカ人のための職を創出できたと述べている。もっとも、両社ともアップル社からの許可なしに具体的な数字を挙げるわけにはいかないとして、数字の提供を拒んだのであるが。



 「中国人労働者を使用しているという理由でわが社が批判されるいわれはありませんよ」とアップル社の現役幹部は述べた。「アメリカは、われわれが必要としているスキルをもった人々を輩出するのを止めてしまったのです」。

 
 さらに、アップル社のある事情通は、同社は小売店の内部や、iPhoneやiPadのアプリケーションを売りこむ企業家の間に、大量で良質のアメリカ人の職を生み出した、と言う。


 2ヶ月間iPadの検査の仕事をした後、サラゴサ氏は仕事を辞めた。賃金がとても低いので、職探しにその時間を使う方がましだろうと考えたからだ。最近の10月のある晩、サラゴサ氏がMacBookに向かって座りオンラインで履歴書を出していたとき、地球を半周したところで、ある女性が自分の事務所に到着した。彼女はリナ・リンといい、中国の深浅にあるPCHインターナショナルのプロジェクト・マネージャーだ。同社は、アップルや別のエレクトロニクスの企業と契約し、iPadのガラス製のスクリーンを保護するケースのようなアクセサリー部品の生産をコーディネイトする会社だ。彼女はアップル社の従業員ではない。しかし、リナ・リンは、アップル社の製品供給能力にとって無くてはならない存在なのである。

 リナ・リンの給料は、サラゴサ氏がアップルから支払われた額よりも少し低い。彼女は流暢な英語を話すが、それはテレビを見たり中国の大学で学んだものだ。彼女と彼女の夫は毎月給与の4分の1を銀行に預けている。彼らは約100平方メートルのアパートに住んでいて、義理の息子と共有している。

 
 「仕事はたくさんありますよ」とリン夫人は言った。「特に深圳ではね」。





  技術革新の敗者たち




 ジョブズ氏や他のシリコン・バレーの幹部たちと昨年オバマ氏が開いたディナーの終わりごろ、皆が帰るために立ちあがったとき、大統領の周りには一緒に写真に写ろうとする人の群れができた。ジョブズ氏の周りにも、それよりわずかに小さいスクラムができた。彼の病状が悪化しているという噂が広がっていて、彼と一緒の、恐らくは最後の、写真を希望する者がいたのだ。



(6ページ終わり)




 最後には、人々の軌道が重なり合った。「私はこの国の長期的な将来については心配していませんよ」と、ある観察者によると、ジョブズ氏はオバマ氏に語ったそうだ。「この国はめちゃくちゃ偉大だ。私が心配しているのは、私たちが解決策について十分話し合っていないことなのです」。


 たとえば、ディナーでは、企業幹部たちは、政府は、企業が外国人のエンジニアを雇いやすくするためにビザのあり方を改革するように提案した。海外で得た利益を本国に持ち帰って、雇用を生み出すためにその利益を使えるように、企業に「免税期間(tax holiday)」を与えてはどうかと、大統領に勧める幹部もいた。ジョブズ氏も、政府がもっと多くのアメリカ人エンジニアの職業訓練を支援するならば、アップル社の熟練技術の要る製造工場のいくつかをアメリカに設置することも、いつの日か可能になるだろうと述べた。


 

 経済学者は、こうした努力がどれほど有用であるかを議論しているし、低迷する経済が時には予想外の進展によって変貌することもあることに注目している。たとえば、前回高い失業率が長びきアナリストたちが気をもんだ1980年代初頭には、インターネットはほとんど存在しなかった。あの当時、グラフィック・デザインの学位が急速に有望株になる一方で、電話修理の勉強が終りになると推測していた人はほとんどいなかっただろう。


 しかし、明日に起こるかもしれない技術革新をアメリカが利用して何百万人分もの雇用を生み出せるかどうかは、やはり判らない。


 この10年間、太陽エネルギーや風力エネルギー、半導体製造やディスプレイ技術における技術力の飛躍は何千もの雇用を生み出してきた。しかし、これらの産業の多くはアメリカで始まったものだが、雇用の多くが発生したのは海外だった。企業は、アメリカの巨大な工場施設を閉鎖し、中国で再開した。企業の幹部たちは、こうした事情を説明するために、株主のためにアップル社と競争しているのだ、と言う。アップル社の成長と利益率に匹敵できなければ、生き残っていけないと彼らは言うのだ。

 
 「新たな中流階級のための職がいずれは登場するでしょう」とハーバード大学の経済学者のローレンス・カッツは言った。「しかし、40代の人がそうした職に相応しいスキルを持っているだろうか? それとも、40代の人間は、新しい大卒に追い抜かれてしまって、もう二度と元の中流階級に戻れないのだろうか?」。



 技術革新のペースはジョブズ氏のようなビジネスマンによって加速してしまった、とさまざまな業界の幹部たちは言う。GMは、大きなモデル・チェンジをするのに5年もかけた。対照的に、アップルは、ある種の消費者が支払う価格を下げる一方でデバイスの速度とメモリを倍増させながら、4年間に5台のiPhoneをリリースしたのだ。



 オバマ氏とジョブズ氏が別れを告げる前に、アップルの幹部がポケットからiPhoneを引っ張り出して、信じられないほど繊細なグラフィックスの新しいアプリケーション――ドライブのゲームだった――を披露した。そのiPhoneは、部屋の照明の柔らかな輝きを反映していた。別の幹部たち、その価値の合計が690億ドルを超える幹部たちは、われ先に争って肩越しに一目見ようとした。そのゲームが素晴らしいものであることに、誰もが同意した。


 そのスクリーンには、わずかな傷が一つもなかったのである。



」(おわり)









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