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どうしてアメリカはiPhone関連の仕事を失ったのか(2) [海外メディア記事]

 前回に引き続き、『ニューヨーク・タイムズ』の記事の2ページから4ページの部分を紹介する。はじめはアメリカでの工場生産に誇りを感じていたアップル社が、どうして中国に生産の軸足を移していったか、そのプロセスが簡潔に描かれている。


How the U.S. Lost Out on iPhone Work 


By CHARLES DUHIGG and KEITH BRADSHER
Published: January 21, 2012


http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=2&_r=1
http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=3&_r=1
http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=4&_r=1


「  どうしてアメリカはiPhone関連の仕事を失ったのか(2)



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リナ・リンは、アップルと契約しているPCHインターナショナルのプロジェクト・マネージャだ。「仕事はたくさんあります」と彼女は言った。「特に深圳ではね」。




企業や別の経済学者は、そんな考え方は単純すぎると言う。アメリカの労働者の教育水準は世界で最も高いレベルにあるが、国は、工場が必要とするような中間レベルのスキルを十分多くの国民に授けることを止めてしまった、と企業幹部たちは言う。


 
 繁栄するために、企業は技術革新のための費用を払いつづけるのに十分なほどの利益を生み出せる場所に工場を移転する必要があると、企業側は主張する。そうしなければ、長期的にはさらに多くのアメリカ人の仕事を失うことにつながるのであって、そのことは、かつては誇り高かった国内メーカーの多く――GMなどを含む――が、 機動力のある競合他社の出現以降、縮小してしまったことが証明しているではないか、というわけだ。



 アップル社には、この記事のためにニューヨーク・タイムズが作成したレポートの長大な要約を渡しておいたのだが、秘密主義で有名な同社はコメントを拒否した。


 この記事は、経済学者、製造業の専門家、国際貿易の専門家、技術アナリスト、大学の研究者、アップル製品の供給業者、競合他社、パートナー企業、および政府関係者だけでなく、40名近いアップルの従業員と請負業者――現役および元職を含むが、その多くは自分の職を守るために名前を伏せるよう求めた――とのインタビューに基づいている。



 アップル社の幹部たちは、世界は今やとても変化してしまったので、一企業の貢献を、たんにその従業員数を数えることによって測るのは間違っていると、個人的な会話では述べる――もっとも、アップル社は、かつてないほどアメリカ人の労働者を雇っていますよ、と彼らは付け加えてはするのだが。

 
 アップル社の成功は、起業家に活力を与え、携帯電話プロバイダのような企業やアップル製品を出荷する会社に職を生み出すことで産業界に恩恵を与えたではないか、と幹部たちは言う。そして最後には、失業を改善することは自分たちの仕事ではない、と彼らは言うのだ。

 
 「われわれは、百カ国以上でiPhoneを販売しています」とアップル社の現役幹部は述べた。「われわれにはアメリカの問題を解決する義務はありませんよ。われわれの唯一の義務は、可能な限り最高の製品を作ることですからね」。



 「ガラス製のスクリーンが欲しいんだ」



 2007年、iPhoneが店頭に並ぶ予定の一月ちょっと前のこと、ジョブズ氏は一握りの部下をオフィスに呼び寄せた。何週間もの間ずっと、彼はiPhoneの試作機をポケットに忍ばせていた。


 その会合に出席した人によると、ジョブズ氏は怒りにみちた表情でiPhoneを取り出し、そのプラスチック製のスクリーンにできた何十という小さな傷が皆に見えるように、iPhoneを高く掲げた。それから彼はジーンズからキーを引っぱりだした。


 みんなこの携帯電話をポケットに入れるだろう、と彼は言った。キーだってポケットに入れるだろう。「僕はひっかき傷ができるような製品を売りたくないんだ」と彼は語気を強めて言った。唯一の解決策は傷ができないようなガラスを使うことだった。「ガラス製のスクリーンが欲しいんだ、しかも6週間で完璧なやつを」。


 ある幹部は、その会合を終えた後、中国の深圳行きの航空券を予約した。ジョブズ氏が完璧なものを求めているならば、深圳以外に行く場所はなかった。

 2年以上にわたり、同社は、事あるごとに同じ問題を突きつけるあるプロジェクト――コードネームは「パープル2(Purple2)」――に取り組んでいた。その同じ問いとは、「どうしたら携帯電話を根底から考え直せるか?」という問いだった。そして、何百万台もの製品がすばやく、十分な利益をあげられるほど安価に製造できるようにしながら、「どうすれば最高の品質の設計になるのか」――例えば、傷のつかないスクリーンに関して――という問いだった。


 それらの問いに対する答えは、ほとんど何時も、アメリカ以外の場所で発見された。部品はバージョン間で異なるものの、すべてのiPhoneには数百ものパーツが含まれていて、その推定90パーセントが海外で製造されている。最先端の半導体はドイツと台湾から、メモリは韓国と日本から、ディスプレイ・パネルと電気回路は韓国と台湾から、チップセットはヨーロッパから、希少金属はアフリカとアジアからやって来る。そしてそれらのすべては中国で組み立てられるのだ。


 初期のころ、アップル社は、製造に関する問題を解決するために自社の裏庭の彼方に目をやることはなかった。例えば、アップル社が1983年にマッキントッシュを作り始めた数年後に、ジョブズ氏は、マッキントッシュが「アメリカで作られたマシン」であることを自慢していた。 1990年、ジョブズ氏が最終的にアップルに買収されることになるNeXTの経営にあたっていた頃、彼はあるレポーターに「僕はコンピュータと同様に工場のことも誇りに思っています」と語っていた。2002年の頃になっても、アップル社のトップ幹部たちは、本社の北東に2時間ほど車を走らせて、カリフォルニア州のエルク・グローブにあるiMacの工場をしばしば訪れたものだった。


 しかし2004年ごろまでに、アップル社はほとんどを海外生産に切りかえていた。その意思決定を主導していたのは、アップル社のオペレーション担当のティモシー・D.クックだった。彼は、昨年8月、ジョブズ氏の死の六週間前にCEOとしてジョブズ氏の後任になった人だ。アメリカの他のエレクトロニクス企業のほとんどはすでに海外移転に踏み切っていて、当時、苦戦していたアップル社は、どんなアドバンテージでも手に入れなければならないと感じていた。


 アジアが魅力的だったのは、ある意味で、アジアの半熟練労働者が安価だったからだ。しかし、アップル社をアジアに駆り立てたのはその点ではなかった。テクノロジーの企業にとっては、労働力のコストは、部品を購入したり(数百社からのコンポーネントやサービスをまとめあげる)サプライ・チェーンを管理する費用と比べると大したものではないからである。


(2ページ終わり)



 クック氏にとって、なぜアジアに注目するのかの理由は「二つの点に帰着しました」と元アップル社の上級幹部は述べた。アジアの工場は「規模のアップ・ダウンが素早くできる」うえ、「アジアのサプライ・チェーンはアメリカのそれを凌駕してしまった」という二点だ。その結果「現時点でわれわれは太刀打ちできなくなっているのです」とその幹部は言うのだった。


 このアドバンテージの効果は、ジョブズ氏が2007年にガラス製のスクリーンを要求するやいなや明らかになった。


 長年にわたり、携帯電話メーカーはガラスの使用を避けていたのだが、それは、実行がきわめて難しい研磨の精度が求められたからだ。アップル社は、大きな強化ガラスを製造するためにアメリカのコーニング社(Corning Inc)を選んでいた。しかし、巨大なガラスを何百万ものiPhoneのスクリーンに切り分ける方法を考えているうちに、空の切削工場を一つと、実験に使用する何百というガラス片と中間レベルのエンジニアが大勢必要であることがわかった。準備するだけでも莫大な金がかかるだろう。


 そのとき、その仕事に対する入札の申し出が中国の工場からやってきた。


 アップルのチームが訪れたとき、中国の工場のオーナーは新たな作業棟を建設している最中だった。アップルの元幹部によると、「私たちに契約を与えてくれる場合に備えて、工事をしているのです」とマネージャーは言ったそうだ。中国政府は多くの産業に対してコストを肩代わりすることに合意していたし、そうした補助金はそのガラス研磨工場にまで行き渡っていた。その工場には、アップルが無料で使用できるガラスのサンプルで満杯の倉庫があった。オーナーたちはエンジニアをほとんどノーコストで使わせた。彼らは、従業員を1日24時間利用できるよう工場内に宿舎を建てた。


 こうして中国のその工場が仕事を得たのだ。


 「今ではサプライ・チェーンのすべてが中国にあります」と別の元アップルの上級幹部は述べた。「ラバーのパッキンが1000個必要だって? それは隣の工場に行けばいい。ネジが百万個必要だって? その工場は1ブロック先にあるよ。ちょっと違った作りのネジが必要だって? 3時間かかるよ。まあ、そんな具合ですからね」。

 
 

 フォックスコン・シティーにて



 そのガラス工場から車で8時間のところに、非公式にはフォックスコン・シティー(Foxconn City)として知られている生産拠点があり、そこでiPhoneは組み立てられている。アップル社の幹部にとって、 フォックスコン・シティーは、中国がアメリカの労働者よりも優れた労働者――と勤勉さ――を提供できるということを示すさらなる証拠となった場所だ。


 それは、フォックスコン・シティーに似たような場所がアメリカには存在しないからである。


 この施設には23万人もの従業員がいて、その多くは週に6日働き、工場で1日12時間過ごすこともしばしばだ。フォックスコンの労働力の4分の1以上は会社のバラックで暮らし、多くの労働者の稼ぎは一日17ドル足らずだ。あるアップルの幹部がシフト交代時に到着したとき、彼の車は大河のように通り過ぎる従業員の流れにつかまり立ち往生してしまった。「あのスケールは想像を絶するものだった」と彼は述べた。

 
 フォックスコンは、労働者が出入り口に殺到して押しつぶされないように、歩行者を誘導する警備員を約300人雇っている。施設のセントラル・キッチンは一日平均3トンの豚肉と13トンのコメを調理する。工場にはチリ一つ落ちていないが、近くの喫茶店の空気はタバコの煙と悪臭でむっとするほどだ。

 
 フォックスコン・テクノロジー社は、アジアと東欧、メキシコとブラジルに数十もの施設をもっていて、世界の民生用電子機器の推定で40%を組み立ている。アマゾン、デル、ヒューレット・パッカード、モトローラ、任天堂、ノキア、サムスン電子、ソニーといった企業が顧客となっている。


 「彼らは一晩で3000人を雇い入れることができるでしょうね」。そう語るのは2010年までアップルの世界的な需給マネージャーだったジェニファー・リゴーニ。彼女は自分の仕事の詳細について語り合うのを拒んだ。「アメリカのどこの工場が一晩で3000人も見つけてきて、彼らに宿舎で暮らすように説き伏せられますか?」。


 2007年の半ばに、試行実験が始まって一月が経った頃、アップルのエンジニアたちはiPhoneのスクリーンに使用できるように強化ガラスをカットする方法をついに完成させた。カットされたガラスを載せた最初のトラックは、アップルの元幹部によると、真夜中にフォックスコン・シティーに到着した。そのときマネージャーたちは何千という労働者をたたき起こした。労働者たちは這ってユニフォームの場所にたどり着き――男性は白と黒のシャツ、女性は赤のシャツ――、そしてすぐに生産ラインに座り、携帯電話を手で組み立て始めた。3ヶ月間で、アップルは100万台のiPhoneを販売した。それ以来、フォックスコンは2億台以上ものiPhoneを組み立てた。


 フォックスコンは、声明を出して、特定の顧客について語ることは拒否すると述べた。



(3ページ終わり)


 


 「わが社によって採用されたいかなる労働者も、契約条件の概要を記す明確な契約書と、労働者の人権を保護する中国政府の法律によって保護されています」と同社は書簡に記した。ファックスコン社は「従業員に対する責任を非常に重く受けとめており、100万人以上もいる従業員に安全で明るい環境を与えるためにわが社は全力を尽くしています」。

 
 同社は、元アップル幹部の説明の細かな点のいくつかに異議を唱え、上に記したような真夜中のシフトなどあり得ないと書いてきた。なぜなら「わが社には、従業員の労働時間に関しては指定されたシフト時間に基づいた厳密な規則があり、すべての従業員はコンピュータ化されたタイム・カードをもっているため、容認されたシフト時間外ではどんな施設で働くことも禁じられているからです」。会社によると、すべてのシフト時間は午前7時か午後7時に始まり、スケジュールにどんな変更があっても、従業員には少なくとも12時間の告知期間が与えられることになっているそうだ。

 
 インタビューでは、そうした会社側の言い分に異議を唱えるファックスコン従業員もいた。


 アップルにとってのもう一つの重要なアドバンテージは、中国がアメリカには敵わないようなスケールでエンジニアを提供できる、ということだった。アップルの幹部の見積もりでは、iPhoneの製造にかかわる20万人の組立てラインの労働者を監視・監督するには、約8700人の生産技術者が必要だった。同社のアナリストは、アメリカで優秀なエンジニアをそれほどの人数見つけるには9カ月もかかるだろうと予想していた。

 しかし、中国で要した日数は15日だった。


 アップルのような企業は「アメリカで工場を立ち上げる際の難題は、技術的な労働力を見つけることであると言っていますね」。そう語るのは、マサチューセッツ工科大学の副学長のマーティン・シュミット。特に、企業は、学士をもっていなくてもいいが、高卒以上のエンジニアを必要としているという。それ位のスキル・レベルのあるアメリカ人を見つけるのは難しいことだと企業の幹部は主張する。「エンジニアは良い仕事なんだが、わが国にはそうした需要に応える十分な人材がいないのです」とシュミット氏は言った。


 iPhoneのいくつかの側面はアメリカならではのものだ。たとえば、デバイスのソフトウェアや革新的なマーケティング・キャンペーンは、そのほとんどがアメリカで生み出されたものだ。アップルは最近ノースカロライナに5億ドルをかけてデータセンターを建設した。iPhone4とiPhone4S内部にある重要な半導体は、テキサス州オースティンにある、韓国のサムスン社の工場で製造されている。


 しかし、これらの施設は大きな雇用を生み出すものではない。たとえば、アップルのノース・カロライナのデータ・センターにフルタイムの従業員は100名しかいない。サムスンの工場にいるのは推定で2400人の労働者だ。


 「携帯電話の売り上げが100万台から3000万台に伸びたとしても、プログラマーを増やす必要はありませんよね」。そう言うのは、1990年に去るまでアップルの製品開発とマーケティングを監督していたジャン=ルイ・ガッセ。「新しい会社――FacebookやGoogleやTwitterなども――こうしたことから恩恵を得ているのです。こうした会社は成長しても、雇用を増やす必要はないのです」。


 アメリカでiPhoneの工場を建設するとしたら、中国に建設するのと比べてさらにどれくらい多くのコストがかかるかを試算するのは難しい。しかし、色々な学者や製造アナリストの試算によれば、労働力はハイテク製造のごく一部にすぎないので、アメリカ人に賃金を支払ったとしてもiPhone1台のコストには65ドルの上乗せがあるだけだろう。アップルの利益は電話一台当たり数百ドルなので、アメリカ国内に工場を作ったとしても、理論的には、アップル社にはほどほどの利益が残ることになるだろう。


 しかし、このような計算は、多くの点で無意味である。アメリカでiPhoneの工場を作るとすれば、アメリカ人を雇うことよりもずっと多くのことが必要とされるからである――それには、国内経済や世界経済を転換させることが必要とされるだろう。アップル社の幹部は、彼らが必要とするスキルをもつ十分な数のアメリカ人は存在しないし、十分なスピードと柔軟性をもつ工場も存在しないと考えている。アップル社と協働しているコーニング社のような会社でも、海外に行かなければならないと言っているのだ。


 iPhone用のガラスを製造したおかげで、ケンタッキーにあるコーニング社は息を吹き返し、今日でも、iPhoneのガラスの多くは依然としてそこで作られている。iPhoneがヒットして以降、コーニング社は、アップルのデザインを模倣しようと望む別の企業から洪水のような注文を受けた。その強化ガラスの売上高は1年で7億ドル以上に成長し、新規の需要を支えるために約1000人のアメリカ人を雇用するか、従業員として使い続けている。


 しかし、需要が拡大するにつれて、コーニング社の強化ガラスの製造の多くは、日本と台湾の工場で行われるようになった。



」(つづく)





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