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ラストの名セリフ――映画史上のベスト10 [海外メディア記事]

 イギリス『ガーディアン』紙に、映画史上最高の「ラストの名セリフ」ベスト10という企画ものがあったので紹介することにしようと思った。

 選者が(たぶん)高齢のせいか、選ばれたのが古い作品に偏していることもあってか、一覧して得た率直な印象は「あまり大したことないかな」というもの。本当に名セリフと言えるものは『お熱いのがお好き』くらいではないかと思う。まあ、未見の映画もあるので断言はできないが。


 別の人が選べば違う印象を与える結果になるのかもしれないが、ひょっとしたら「名セリフで終わる」映画というものはほとんどないのかもしれない、とも思った。映画は、言葉ではなく映像で締めくくるべきものなのだから。

 言葉がラストに出てきてインパクトを与える例として、私ならば『市民ケーン』の「薔薇のつぼみ」や『沈黙』の「精神」などがとっさに思い浮かぶが、どちらも「セリフ」ではないしね。

 それに、『博士の異常な愛情』(何という邦題だろう!)のラストは、ただただピーター・セラーズの演技の凄さが観る者を圧倒するので、「総統、歩けます!」というセリフだけを切り取っても、あまり意味はないだろうと私は思う。


 ちなみに、未見の映画もあるので理解が行きとどいていない所があるかもしれず、それが誤訳に結びついているかもしれないことをお断りしておく。特に、1931年版の『フロント・ページ』の“bitch”の所がいまいち判ってない。

 もう一つ、ちなみに、最後に出てくる「『テンペスト』においてプロスペローが述べる最後の言葉」とは、“We are such stuff As dreams are made on”(我々は夢と同じ物で作られている)だそうだ。




The 10 best last lines - in pictures

Philip French
The Observer, Sunday 29 January 2012



http://www.guardian.co.uk/culture/gallery/2012/jan/29/ten-best-last-lines-in-pictures






 ラストの名セリフベスト10――を写真でふりかえる

 カサブランカ70周年の今年、最高の映画の結末を選んでみた

1.

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カサブランカ (マイケル・カーティス、1942年)

「ルイ、これが美しい友情の始まりだな (Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship)」。


 レジスタンス運動の夫婦が西アフリカの「自由フランス」軍に加わるために制圧されたモロッコを去っていくとき、リベラルなナイトクラブのオーナーのリック・ブレイン(ハンフリー・ボガート)が対独協力者で警察署長のルイ・ルノー(クロード・レインズ)に言った言葉。『ハムレット』ほど引用どころ満載の脚本の中にあって、洗練されたこの最後のセリフには、戦時下での愛と義務が葛藤する要請に対してこの映画が愛国的な反応を基調としているがよく示されている。この映画には3人の脚本家が名前を連ねているが、この最後のシーンは、ガランとして霧に満ちたセットで、出しゃばりのプロデューサーであるハル・B ·ウォリス自らが脚本を書き演出したものである。



2.

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風と共に去りぬ (ヴィクター・フレミング、1939)

「家に帰ってから彼を取り戻すすべを考えよう。結局、明日という日があるのだから! (I’ll go home and I’ll think of some way to get him back. After all, tomorrow is another day!)」



 この言葉は、ついに堪忍袋の尾が切れたレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)が、「正直に言うが、勝手にするがいいさ(Frankly, my dear, I don't give a damn)」という捨てゼリフとともに去って行ったとき、意を決した南部生まれの美人スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)が示す楽観的な反応である。これは、マーガレット・ミッチェルの1936年のベストセラーの最後の言葉とほぼ同じだが、小説にはテクニカラーの燃えるような夕日も、プロダクション・デザイナーのウィリアム・キャメロン・メンジズも、マックス・スタイナーの『タラのテーマ』もなかった。








3.

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お熱いのがお好き (ビリー・ワイルダー、1959)


「完璧な人間などいないよ! (Well, nobody’s perfect!)」。




 陽気で、何度も結婚歴のある富豪オズグッド・フィールディング3世(ジョー・E.ブラウン)が、モーターボートを操縦してマイアミの桟橋から遠ざかるときに言う言葉。それは、女性だけのバンドで演奏していたダフネ(女装したジャック・レモン)がかつらを捨てて「私、男よ!」と言ったときのオズグッドの反応である。ワイルダーはラストを盛り上げる名人で、たとえば、『サンセット大通り』の「デミル監督、 クローズ・アップの準備はできてるわ( All right, Mr. DeMille, I'm ready for my close-up.)」や、『アパートの鍵貸します』の「黙って配って(Shut up and deal)」などの最後のセリフは映画の古典になっている。






4.
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キングコング (アーネスト・シェードザック、1933)


「いや、飛行機じゃない、美女が野獣を殺したのだ (Oh, no, it wasn't the airplanes. It was Beauty killed the Beast)」。

 これは、巨大な猿コングに対する追悼の言葉。コングは、フェイ・レイをエンパイア・ステートビルの屋上に連れ去った後に戦闘機によって撃ち殺された。追悼の言葉は、スカル・アイランドでコングを捕獲した冷酷な映画製作者カール・デナム(ロバート・アームストロング)が発した。コングが世界貿易センターの上でヘリコプターに攻撃される1976年のリメイク版にはそのような結末はない。ピーター・ジャクソンの2005年版はオリジナルにより近く、大恐慌に時代を設定し、デナムの最後のセリフを盛り込んだ。






5.

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フロントページ (ルイス・マイルストン、1931)


「あのクソ野郎が俺の腕時計を盗みやがった! (The son of a bitch stole my watch!)」


 これは、ベン・ヘクトとチャールズ・マッカーサーの1928年の偉大な新聞小説の最後のセリフで、皮肉屋でゴシップ紙の編集者ウォルター・バーンズが警察への通報として電話ごしに言ったセリフだが、これは、看板記者のヒルディ・ジョンソンが辞職するのを阻止するための最後の一計だった。1931年の映画では、検閲の怒りを買わないために、バーンズ(アドルフ・マンジュー)が「たまたま」タイプライターのキーに触れて“bitch”と打ってしまったことになっている。ウォルター・マッソーがバーンズ役を演じるビリー・ワイルダーの1974年版では、セリフが原作どおりに生かされた。






6. 

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犯罪王リコ (マーヴィン・ルロイ、1931)

 「マリア様! これがリコの最後ですか? (Mother of mercy! Is this the end of Rico?)」



 これは、エドワード・G.ロビンソンを一躍スターにしたワーナー・ブラザーズの映画の中で死にゆくギャングが吐く最後の言葉である。いまや古典となった1948年のエッセイ『悲劇のヒーローとしてのギャング』の中で、ロバート・ワーショーは、リコが自分を三人称で語るのは「撃ち倒された者が、誰とも同じような一人の男なのではなく、名前をもった個人であり、ギャングであり、成功した人間であるからだ」と述べている。それに、ワーショーは「T.S.エリオットが指摘したことだが、シェイクスピアの悲劇のヒーローの多くは自分自身を劇的に見るというこうした手口を使っている」と述べている。






7. 



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ユージュアル・サスペクツ (ブライアン・シンガー、1995)

 「悪魔がしかけた最大のトリックは、悪魔など存在しないと皆に信じこませることだった。そして突然――フッと――悪魔は消えてしまったのさ! (The greatest trick the devil ever pulled was convincing the world he didn’t exist. And like that – poof – he’s gone!)」。


 
 この見事な筋立てのスリラーのオリジナル脚本でオスカーを受賞したクリストファー・マカリーは、この映画の妙に信用のおけないナレーターであるヴァ―ヴァル・キント(この役でケビンス・ペイシーはオスカーを受賞)が、警察の取調官に悪魔的なスーパー犯罪者カイザー・ゾゼのことを説明するときに、このセリフを言わせた。このセリフは、最後に破滅的なフラッシュ・バックとしてリピートされる。タイトルの「ユージュアル・サスペクツ」は、『カサブランカ』で警察署長のルノーが皮肉っぽい口調で繰り返す「常連の容疑者をつかまえろ(Round up the usual suspects)」に由来する。








8.


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博士の異常な愛情 (スタンリー・キューブリック、1964年)

 「総統、歩けます! (Mein Führer, I can walk!)」。



 キューブリックと共同で脚本を書いたテリー・サザンが生み出したストレンジ・ラヴ博士は、ドイツ生まれで車椅子生活のアメリカ大統領顧問なのだが、フリッツ・ラングの『メトロポリス』に出てくるマッド・サイエンティストのロトワングと、『水爆戦争論』の著者であるハーマン・カーンと、ヘンリー・キッシンジャーと、イアン・フレミングのドクター・ノオを組み合わせたような人物だ。しかし、別の二つの役を演じたことに加えて、ストレンジ・ラヴの性格を作り上げたのはピーター・セラーズだった。彼は、意志の究極的な勝利を示唆するこのコミカルなまでに衝撃的な最後のセリフを含め、セリフの大半を即興で編み出した。









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チャイナタウン (ロマン・ポランスキー、1974)


「忘れろ、ジェイク、ここはチャイナタウンだ (Forget it, Jake, it’s Chinatown)」。



 映画の終わりとしては最も美しい言葉の一つであり、ロサンゼルスの私立探偵ジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)に向かって同業者が発した慰めの言葉なのだが、これは、フィルム・ノワールを復活させネオ・ノワールの始まりを告げるこの映画の中でキーとなるセリフである。このセリフは、脚本家ロバート・タウンが戦前の南カリフォルニアを歴史的に調べ上げたことと、ジェイク・ギテスが私立探偵になる前に中国人ゲットーで警官として働いていた経験に由来している。チャイナタウンとは、1930年代のロサンゼルスが解読できないほど不可解な街でその腐敗も迷宮のようだったことを表わすメタファーである。







10.

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マルタの鷹 (ジョンヒューストン、1941)

「夢の中身さ(The stuff that dreams are made of」。





 このセリフは、サンフランシスコ警察の警官(ウォード・ボンド)が貴重なマルタの鷹の偽物を掲げて「重いな、これは何だ?」と尋ねるときに、私立探偵のサム・スペード(ハンフリー・ボガート)が与える答えである。ハメットの小説はこれほど劇的な終わり方になっていない。ヒューストン監督のデビュー作のこの最後のセリフは、『テンペスト』においてプロスペローが述べる最後の言葉のちょっと間違った引用なのだが、これは、ヒューストン映画の多くの登場人物――たとえば、『黄金(The Treasure of the Sierra Madre)』や『王になろうとした男( The Man Who Would Be king)』の登場人物――の手に届きそうで届かない聖杯を予見させるコメントである。






」(おわり)








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