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すたれつつある男性という性(4) [海外メディア記事]

『シュピーゲル』誌の記事の第四部です。歴史的にずーと抑圧されてきた女性に対して、戦後、何かと手厚い政策が重点的に採られ、それに伴い女性がポジティヴな自己イメージを獲得していったのと引き換えに、男性にまつわる従来からのイメージは「時代遅れ」のものとして葬り去られる中、男性は、それに代わるイメージを獲得することに失敗した。そして、ついに男性についてはなんら明確なイメージが形成されないことが、若い男性のアイデンティティの喪失につながり、それがマグマのような形で多くの社会問題の底流に潜んでいる、と、まあそんな感じでしょうか。 

こういう図式的な説明は、普通はあまり面白みが感じられないものですが、若い男性が引き起こすとんでもない事件の数々を思い返してみると、妙に思い当たる点がいろいろあるのではないでしょか?


http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,601269-4,00.html



忘れられた性

 第四部:男子生徒のほうが身体的により能動的でより反抗的である


 今日のドイツの子供は、基礎学校の終了年限(=10歳)までに一度も男性の先生を経験しないという可能性は充分ある。というのも、男性教員は、幼稚園ではほぼ2%にすぎず、養護学校では5%、基礎学校では約13%(という低率)だからである。

 男子生徒は、それにより不利な影響を受けている。少なくとも、ハンブルクの教育学者フランク・ボイスタ-のような専門家はそのように想定している。なぜなら、女性の教育の力では、男性特有の性質と欲求に入りこむことは(男性の教師よりも)難しいから、というのである。 

 男子生徒のほうが身体的により能動的でより反抗的であるし、力比べをして、自らの力を計るのが好きだし、自分の思い通りにしようと努める。彼らのより強い闘争心や、自己主張をして他人の上に立ちたいと思う欲求や、危険を物ともしない高度な勇気が、問題を引き起こす一因になっている。それに対して、女子生徒は、学校の仕組みに容易に順応し、非常に建設的に共同作業をする。


 ボーツェンの発達心理学者ワッシリオス・フテナーキスは、女性の教師は男子生徒に対して体系的に不利な影響を与えるものであり、男女の生徒が同じ成績の場合、男子生徒の評点を低くするものだ、ということを疑う余地のないことと見なしている。わが国の教育体制は、男子生徒に対して多大な不正を生み出している、とフテナーキスは言う。

 さらなる問題がある。この30年間、女子はとりわけ手厚い扱いを受けてきた。女子学生が自然科学や技術的専門学科に進学することを容易にするためのプログラムが数多くあった。女はこうすべきだという役割像は、学校生活を送る若い女子学生を待ち構える常套句やハードルなどと同様に、なくなってしまった。それに対して、授業計画や授業方法で、男子生徒が抱える困難―たとえば読み書きの弱点―とか、情緒的な欲求や関心が顧慮されることはほとんどないのである。


 女性解放という時代の流れにあって、男子生徒はほとんど忘れ去られていた、または少なくとも軽視されていたのである。男性は「強い」、そして長らく支配的であった性であると想定されていたのだから、特別な注意は必要なかったし、注意は向けられなかった。女性が、女性的なものの新たなイメージの習得に取り組んでいたとき、男性は自らの役割がいかなるものかという取り組みを怠ってしまったのである。


 それに、多くの若者は父親なしで成長しているのである。ドイツには単独で子供を育てている親が約3百万人いるが、その80%は女性である。

 
 二人の親がそろっている家庭でも、父親の存在感がないということは起こる。日中は不在で、夜になって、多くの男性は仕事でくたくたになって帰宅するので、もう子供にかかわるだけの意欲が全然わかないからである。

 しかし父親は子供に対しては接し方が違う。赤ちゃんの前では、しかめっ面はやめるし、音や視覚的刺激で気をひこうとする。やがては、動き回らせようと鼓舞する。それがやがては、走ったり、自転車をこいだり、泳いだりすることにつながる。父親は息子と一緒になって走り回り、「男らしい」属性―たとえば最後までやり遂げる力―を伝えるものだし、手作業や技能がいるホビーなどでも手本となる。だから、父親は、息子にとって計り知れないほど重要なのである。


 このことを証明するのは、中でも、オックスフォード大学が数千人の子供に対して何十年間にもわたって行った研究である。それによると、父親なしで育った男の子は、自分を配慮する意識に欠けることがより頻繁にあり、学校に行きたがらず、抑うつや自殺の傾向が強く、後になって、犯罪者やホームレスになる危険がより高いという。父親が―たとえば離婚した後で―、もう同じ家には暮らしていなくても、規則的に息子と落ち合うならば、それだけでも配慮としては十分である。継父も、同様にポジティヴな影響をもつことがある。

 これまで挙げてきた事情のすべてがどのような結果をもつのかは、今になって認識できる。つまり、明確な男性像なるものは存在しないし、それどころか肯定的な男性像も存在しない、という結果に行き着いたのである。

 
 さらに言えば、「男性ならではの」という言い回しは否定的なレッテルになってしまった。多くの専門家の見解では、こうしたことや、学校や家庭で男性的模範が欠如しているために、男の子にとっては、男性としてのアイデンティティーを発展させることが困難になっているのである」。


 






 


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すたれつつある男性という性(3) [海外メディア記事]

『シュピーゲル』誌の記事の第三回目です。
http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,601269-3,00.html



忘れられた性

 第三部:女児より男児のほうが出生時において多く死亡する

 そうした区別に、脳に関する若干の発見が呼応するのである。女性の言語中枢には神経細胞が特にぎっしり詰まっており、男性よりも大きな脳の領域があるほどである。たとえば、感情のコントロールに関係する前頭皮質がそうである。男性では、空間把握に一役買っている側頭葉の領域がすぐれて発展している。

 両性間には、まだ、更なる注目すべき違いがある。すでに出生時において死亡するのは男児のほうが女児より多いし、幼児の突然死も男児のほうが多い。男児のほうが早く病気になりやすいし、無力症にかかるのも男児のほうが多く、それに事故にあうのも男児のほうが多い。男性はバランスの取れた栄養状態ではないし、スポーツをすることが少なく、健康のためにはスポーツより薬に走り、それでも病気にかかる頻度は高い。男性の平均寿命は、西側社会では、平均して6~7年女性のそれよりも劣る。

 
 男性の体が女性より弱い理由は、発生時の特別な仕組みが提供するかもしれない。なぜなら、ある生体が女性になるか男性になるかを決めるのは性染色体で、それには大きなX染色体ととても小さなY染色体がある。Y染色体があれば、男性が誕生する。染色体はすべて対で存在するので、男性はY染色体以外にX染色体も所有している。女性にはY染色体が欠けている。その代わりに、その体細胞はすべてX染色体を2個ずつ含んでいる。

 さて、X染色体上には1000個以上の遺伝子があるが、小さなY染色体が含む遺伝子は100に満たない。したがって、二つのX染色体をもつ女性にとっては、その都度保険となるコピーとして役立つそれら遺伝子の各々が二つのことをなし遂げるのに対して、男性は、そのX染色体のすべての遺伝子が機能することに頼るか、それとも弱点を我慢しなければならないのである。


 男児がその生物学的構成によって不利な立場にいるということが証明されたのだろうか? 男児は、生まれながらにして、特定の特徴をもっていて、そのために学校生活が女児よりも困難になる、ということが証明されたのだろうか?


 しかしそれほど簡単なわけではない。第一、すべての発見で問題となるのは、つねに平均値なのである。つまり、個人が型どおりの役割像からかけ離れてしまうことはあるのであって、たとえば、男児が社会的能力で秀でたり、女児が数学的能力で秀でることだってあるだろう。

 
 他方で、環境と生物学的要因は、つねに、複雑な相互作用の関係の内に立っている。そしてこの関係が、時には、性差をさらに強化してしまうことだってある。

 
 たとえば、おもちゃを考えてみよう。ある研究が、大人の被験者に、生後数ヶ月の幼児を示し、見た目で判断した性別にしたがって区別して扱うように、と指示をだした。被験者には、女の赤ちゃんの場合は、おもちゃとして人形を差し出し、男児の場合は自動車のおもちゃをあげるようにと言っておいた。


 子供は、被験者の行為が、自分の性に典型的な関心に見合うときは、乗り気の反応を見せた。たとえば、男児は人形よりも自動車を選んだし、女児はその反対の反応を見せた。ドリス・ビショフ=ケーラーが言うように「自然と環境はつねに協働しているのである」。

 1960年世代の教育学の実験もそのことを示している。当時の親たちは、固定した役割といったものなしで子供を育てようとしたし、女児も男児も等しく扱おうとした。親は、性の固定した差異が次第に縮まるだろうと期待した。しかし結果は正反対であり、差異はむしろ強化されたのである。男児は、さらに攻撃的になったし、女児を手ひどく抑えつけることには変わりがなかったのである。

 
 性に典型的な行動は、相互に作用するプロセスであり、そこには多くの要因が関係している。つまり、それは変更不能なほど確定したものではないのである。男児が女児とは異なる関心や欲求や能力を持っているとしても、それ相応の支援や励ましをすれば、通常は苦手のことも習得できるようになるのである。


 そのような支援や励ましがないので、今日の男子生徒は、女性の方に定位した教育の世界において自己主張をしようとして問題を起こすのである。われわれがそのような世界の中で暮らしているということは、多くの教育学者、社会学者、心理学者が確信していることである」。(以下続く) 











 


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すたれつつある男性という性(2) [海外メディア記事]

 前回の記事をアップしたときには気がつきませんでしたが、この記事は5部構成になっていて、昨日紹介したのが「第一部:忘れられた性」で、今日紹介するのは「第二部:進化の敗者」です。

http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,601269-2,00.html
 




 「忘れられた性


  第二部: 進化の敗者


 1960年頃はまだ男性にとって単純であった。はっきりした役割のイメージが支配的であったからだ。女性はまず家事をして育児をしなければならなかったし、社会的にも経済的にも男性に依存していた。しかしその頃でも、性の役割は疑問視されていたし、親も、先生も、教師も女子に等しく教養を積む機会を提供しようと努めていたし、目的意識をもつよう向上心を植えつけた。

 その成果が生じないはずはなかった。女性たちは、男性ならではの仕事と思われていた多くのものを自分のものにしてきたし、指導者の地位に就き、重要な官職を占めるようになった。

 OECD生徒の学習到達度調査が示しているように、学校では、女子生徒のほうが男子生徒よりも読解力という点ではよりよい成績を収めている。文章の理解力は上だし、文章を使って課題を成し遂げる力も上である。男子の成績が悪いために、ドイツは悲惨なことに学習到達度調査を打ち切りにしたのだと、想定する専門家もいるほどである。

 
 自然科学の基礎教養科目は、かつては男子の得意領域だったが、そこでもいまや両性間の差はないし、数学においてですら女子学生はかつての劣勢をほとんど挽回してしまった。女子学生は授業の妨げになることは減ってきたし、より建設的に参加するようになった。女子学生は男子学生よりも読書量は多いし(男子はコンピュータやテレビのほうが好きなのだ)、余暇の利用法もより創造的である。つまり電子媒体を利用するだけではなく、ダンスやスポーツや音楽や手芸をして時間を費やしている。


 現代では女性のほうがホモ・サピエンスの優越したヴァリアントなのだろうか? 数ミレニアムも続いた男性による抑圧がほとんど完全に捨て去られた今となっては、女性は自らの特質を充分に生かせることができるのではないか?


 両性間に生物学的差異が存在することを否定する研究者はほとんどいない。その差異は早い時期から始まる。母体にいるときにもう、女児は男児より手足をばたばたさせることは少ない。女児の新生児は抽象的な物体よりも人間の顔の絵のほうを長く眺めるのだが、男児はそれと正反対の行動をする。

 研究者がそこから引き出すのは、女性の関心は概して感情に向かい、男性の関心は抽象的システムのほうに向かう、つまり技術的なものに向かうということである。


 多くの研究が証明していることだが、1歳から2歳の子供がおもちゃに対して示す好みにも明らかな違いがある。女児は人形やぬいぐるみの動物や馬車を好む。より年長になるにつれて、手芸やお絵かきや服のコーディネートを好み、繊細な動きの技能を示す。


 それに対して男児は車やロボットに夢中になり、「災難の恐れのある」もの――たとえば水がいっぱい入った花瓶とか吸い殻で満杯の灰皿――に引きつけられる。


 こうした好みは、子供が自分自身の性をまだ意識しない年齢でもう明瞭になるのであり、親が子供に性の典型的な役割をあらかじめ示すかどうかに関係なく発達するものであることは明らかである。未開民族の子供も、遊ぶときに、それに似た好みを示す。女児はものを人形として使い、ダンスや球技を好むが、男児はいろいろなものを実験的に扱ったり、つかみ合いのけんかをしたり、競技で競うのが好きである。

 ミュンヘンの心理学者ドリス・ビショフ=ケーラーはそこから、子供の自然な選択が問題なのであって、それは親によってもたらされたものではなく、発生的な土台をもっていると推論する。多くの教育学者や教師も同様に、女児と男児は生まれつき異なっているということを確信している。

 男児のほうが暴れまわるし、喧嘩する時期も早く、より遠くに物が投げられ、それを何かに当てるのもうまい。競争志向的で、進んで危険なことをし、未知のものを探り出そうとするのが好きで、自分を過大評価し示威的行為に走りやすい。そのために学校ではよく怒られる原因になる。それに対して、女児は思いやりがあり、社会的な感性があり進んでコミュニケーションをとろうとするし、したがって担任の先生にも受けが良い。


 多くの調査が示しているように、一般的にいって、女性は男性よりもより良い言葉の能力に恵まれている。そのかわり、男性は数量的・数学的思考や分析的思考で優れているのである」。(以下続く) 









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すたれつつある男性という性 [海外メディア記事]

 多くのデータや証拠から見て、男性という性はもう時代にそぐわない、時代遅れの遺物なのではないかという問題提起の記事を『シュピーゲル』誌から紹介します。かなり長い記事なので、4~5回に分けて載せる予定です。

http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,601269,00.html
 




 「 忘れられた性

 
 多くの科目で男子生徒は女子生徒より劣っており、融通が利かず、暴力的で、病気にかかりやすいことが判明している。要するに、かつてはプライドにあふれ力強かった性が弱体化しつつあるのだ。研究者たちは、この男性という性の没落に対して驚くべき説明を見いだしている。

  

 2008年6月、ベルリンのツェーレンドルフ区にあるヴィルマ・ルドルフ中等学校が新聞の一面に登場した。14歳の二人の学生が13歳の同級生を男子トイレに押し込んでは殴り、その暴行の様子を携帯電話で撮影したことが判明したからであった。彼らは、その同級生に、他の生徒から電話を奪うように強要しようとしていたのであった。

 昨年の6月にも、ベルリンの若者が、都合の悪い目撃者を消すために、58歳の女性教師に鉄パイプで襲いかかったことがあった。その前年には、小学校の校長が殴り倒されたことがあったし、12歳の少年が62歳の女性教師の顔面を殴打したため、女性教師は目の裂傷で通院治療しなければならなかった。

 明らかに、葛藤をすぐに肉体によって攻撃的、暴力的に解決しようとする傾向が高まっている――少なくとも少年のグループの中ではそうであって、しかも、そのグループは年々低年齢化しつつある。(子供や少年が一般的に暴力的になったのか、それとも世論とメディアによって彼らに対する見方が変わったにすぎないのかという問いは、決着がついていない。いずれにせよ、2005年のボーフム大学の調査によれば、中学2年生の7人に1人は殴り合いの喧嘩のため、医者に診てもらわなければならない羽目になっている)。

 それに確かなことは、攻撃性は、とりわけ少年に関わる問題であるということで、傷害罪で検挙された者の83%は少年であった。それと平行して、男性という性について、さらに不安にさせるようなデータや事実がある。それらをつき合わせると、思わず心配になってしまうような事実の連なりが浮上してくるのである。


 注意欠陥・多動性障害の男子は女子より3倍から9倍多い(こうした数字の変動は、どの診察基準を適用するかによる)。読字に難ありと評価された男子は、女子1に対して2から3の割り合いで存在する。

 少年の学校での成績はもっと劇的である。就学可能になる年齢は少年のほうが遅いし、成績も悪いし、落第する回数も多いし、必要とする補習授業も多い。(進学コースではなく職業コースである)Hauptschuleや特殊学級や学習促進学校では、男子が全生徒数のほぼ70%を占めている。

 しかも、卒業することなく学校を辞める年間約8万人の若者のうち、男子学生は女子学生の2倍である。しかも、2006年、18歳から21歳のうち大学入学資格を得たのは、女性33,8%に対して、男性は26,1%にすぎなかった。


 以前は男性の方がやり通す能力があり、時には「優越した」性として、少なくとも支配的な性として見なされていたとしても、今や立場が根本的に変わってしまったのである。


 この原因は何であろうか? 広く行き渡っている見解では、今日では主に女性の管理下で成長するので、少年には不利にできているというのであるが、そういうことなのだろうか? 幼稚園や小学校の先生はほとんどすべて女性であるし、家では、父親がしばしば会社から過度な要求をされたり、それどころか家庭から切り離されて生活している間、母親が支配権を握っているのだから。


 社会は少女の向上にあまりに気を使いすぎて少年のことは忘れていたのだろうか? それともこの問いは、もっとずっと根本的な問題にかかわっているのではないだろうか?

 
 なぜなら、かつては男性特有のものと見なされたものは、今日ではもう時代遅れのもののように見えるからであり、社会が変わってしまったからである。おそらく、かつての「強い」性は、単に、現代の世界に順応するほど柔軟ではないからなのだろう。


 それだけではない。ひょっとして、男性は、太古の昔からある生物学的な仕組みのせいで、そのような順応ができないのかもしれない。もしそうならば、男性は、いわば、型落ちのモデル、ということになるだろう」。(以下続く)
  
 









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鳥インフルエンザ深刻化のきざし [海外メディア記事]

鳥インフルエンザが深刻化しつつあるかもしれない。『インディペンデント』紙からの記事です。

http://www.independent.co.uk/news/science/new-bird-flu-cases-suggest-the-danger-of-pandemic-is-rising-1667526.html

「 鳥インフルエンザの新たな事件は世界的流行病の危険が高まっていることを示唆している

 エジプトでの感染は、ウィルスが人間によって広められるという科学者の懸念を広げている

 
 まずは良い知らせから。それは、鳥インフルエンザが致命的なものでなくなりつつあるということ。ついで悪い知らせ。それは、まさにそのために、ウィルスが何億もの人を殺す世界的流行病をひき起こすようになるかもしれないと科学者が恐れていることである。

 このパラドクス―この病気のもっとも最近の発信地であるエジプトから生じた―は、人から人に広がるこの病気の可能性を増大させ、それによりウィルスの突然変異が引き起こされ、黒死病以来イギリスを襲う最大の疫病になるかもしれない。昨年、政府は鳥インフルエンザ・ウィルス(コード名HSN1)を国が直面する最大の―英国人の死者だけで推定75万人におよぶ―脅威と認定した。

 世界保健機構は、アジア以外でもっとも被害が深刻なエジプトでこの病気のパターンに変化が生じたことに対する研究を援助する予定でいる。感染は今年になって増加中であり、先週新たに3例の報告があった。12か月前は主に大人や年齢が上の子供が発症していたのに、今年は、ほとんどが3歳以下の子供の発症なのである。しかも、感染はこれまでよりもずっと穏やかなものであった。これまでは、このインフルエンザにかかった者の半数以上が死ぬのが普通であった。しかし今年になってこれまで感染した11人のエジプト人は皆、まだ生存している。


 専門家によれば、こうした展開のせいで、ウィルスが広まる可能性が高まるのだという。皮肉なことだが、毒性があったために広がらずにすんでいたのである。犠牲者をすみやかに殺してしまってほかの人に広がる機会がなかったわけだが、しかし今や、突然変異をして広く伝わる可能性が高まったのである。


 WHOが懸念しているのは、今年になってから幼児の間に感染が広まっているものの、似たケースが年齢の上の人には見られないので、大人も感染しているが病気になるには至らず、症状の出ないキャリアーとして行動しているのではないかという疑問が出てくることである。この点についての研究は、この夏に始まる予定だが、感染した鳥に接触したかもしれないが発病はしていない人の血液を調べることによって、懸念されている事態が起こっているかどうかを調査するのだという。


 カイロでWHOの一員として活動しているジョン・ジャブールは、先週ロイターに次のように語った。「エジプトでは奇妙なことが起きています。なぜいまになって子どもに発症し、大人は発症しないのか。エジプトで潜伏期の人がいるのかどうか見る必要があります」。彼は、もし調査の結果そうしたケースが見つかるならば、それは世界で発見される最初のケースとなるだろう、と付け加えている。


 この病気が人から人へ伝染しているという証拠はまだないと彼は強調するのだが、別の専門家は警戒を強めている。テネシー州メンフィスの聖ジュード小児研究センターに勤め、鳥インフルエンザの世界的権威ロバート・ウェブスター教授は、まだ確固としたデータは見ていないが、エジプトのWHOが提起しているのは「とても興味深い問題」で、それは「最大限注意して」扱われるべきである、と日曜に『インディペンデント』紙に語った。また、次のように付け加えた。「間違いであってくれればと思います。もしウィルスの病原性が弱まれば、伝播力は高まるわけですから」。

 ロンドン大学、クイ-ン・メリー校のジョン・オクスフォード教授は、関心を払うべき最大の点はこの病気の感染能力なのだから、HSN1が致命的でなくなっているということを示すどんな証拠も深刻なものとなるだろうと述べる。

 もっとずっと毒性の弱い新型ウィルスであっても破壊的な世界的流行病になることもある。数々の研究が示していることだが、感染者の5%しか死亡しない伝染病であっても、世界中に広がれば何億もの死者をもたらすことがあるからである」。







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子供の誕生は夫婦関係を悪化させる [海外メディア記事]

 「子はかすがい」というけれど、現実には子供の誕生は夫婦関係を悪化させる。場合によっては、そのことが夫婦関係の解消につながる口実になることも…

 しかし、たいていの場合は、やはり「子はかすがい」です。単純な二人の関係から、より複雑な関係に移行するうえで、多くの困惑が生ずるけれど、そのことを含めての夫婦関係であるはずですから。

 この子供をもつものには誰にでも身に覚えのあることを記した記事は『シュピーゲル』誌に掲載されたもの。
 http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,618427,00.html





 「 第一子誕生が結婚生活を悪化させる


 ついにベイビーが誕生:多くのカップルは、共通の子供ができて二人の愛はクライマックスを迎えると信じて疑わない。さて、とある研究によると、10人のうち9人の親が子供のことで悩みを抱えている。もっとも心理学者によると、それは子供をあきらめる理由にはならない。長い目で見れば、結婚生活の幸福から家族の幸福が出てくるからである。
 

 妊婦のお腹が大きくなるにつれて、子供をもつことへの緊張と喜びも大きくなる。しかし、ほとんどのカップルは、共通の日常が第一子の誕生でどれほど大々的に変わってしまうかということに対する準備はできていない。大体、あらかじめ知ることなどできないわけである。子供は愛を完全なものにするだろうという期待とは裏腹に、アメリカの心理学者の研究は、第一子の誕生が、夫婦のパートナーとしてのあり方に悪影響を及ぼす、ということを示している。


 (コロラド州)デンヴァー大学のスコット・スタンリー教授のチームは、第一子誕生の前後で夫婦の関係がどう変わったかを調べる長期研究の枠組みの中で、218組の既婚カップルに聞き取り調査を行った。90%の親が、第一子の誕生以降、夫婦の親密な関係に支障が生じたと述べている。研究者たちは専門誌『性格および社会心理学ジャーナル”Journal of Personality and Social Psychology”』に寄稿した論文でそう記す。父親と母親はこの印象を同程度に共有している。ひとたび生じた関係の悪化は、一時的であるばかりか、たいていの場合、研究の全期間にわたって続いていた。

 
 「子供のいない夫婦でも、夫婦関係のあり方は時間とともに悪くなります」とスタンリー教授は言う。「しかし子供はこの悪化の速度を速めるのです。子供が生まれた直後の、新しい状況に順応しなければならないときは、特にそうです」。



 しかし心理学者は、子供が生きる喜びを根本的に曇らせてしまう、などという結論を引き出さないように警告する。「結婚生活の喜びのいくつかの輝きが、この人生の局面で一時的に消えてしまうことがあるとしても、家族が喜びと満足の新しい次元を開いてくれることもあるわけですから」。この幸福も強力なものになりうるのですが、今回の研究対象ではありませんでしたからね、とスタンリー教授は言う。


 悪い方への変化が、あらゆる夫婦を等しく見舞うというわけではない。時には、子供の誕生が夫婦のあり方を強化する場合もあった。とりわけ、結婚してすでに長い年月がたっている夫婦や、高い年収を得ている夫婦には、このことが当てはまった」。






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不況の心理的影響 [海外メディア記事]

 不況が、人間の心に落とす影についての報告記事をニューヨーク・タイムズ紙から紹介します。日本でも、こういう人、多いのでしょうね。

 http://www.nytimes.com/2009/04/09/health/09stress.html?_r=1&hpw




 「不況による不安が日常の暮らしに浸透する

 アン・ハバードは職も家も貯蓄も失っていないし、彼女も夫もお金に関してはいつでも保守的だった。

 しかし、数ヶ月前、マサチューセッツ州ケンブリッジに住むグラフィック・デザイナーのハバードさんは、息苦しくなり「なにもかも失った」鮮明な光景が見えたような気がして、経済のことでパニック発作を覚え始めた。


 「経済についてのどんな記事でも、読んだら止められなく」なり、何度も「胃がむかむかするので体重が12ポンドも減り」、「活動することができなった」ハバードさん(52歳)は、生まれて初めて精神科に通い始め、投薬治療とセラピーを受けている。


 マイアミでは、ヴィクトリア・ヴィラルバさん(44歳)は、毎日1日8時間は眠っていたが、彼女が経営している雇用サービス会社に必死な顧客が何波にもなって津波のように押し寄せてくるため、午前二時になっても眠れないようになった。そうなるともう眠気も覚めるので、彼女はまずメールの返事を出し始めたのだが、眠っている同僚のブラックベリーを鳴らして同僚を起こしてしまうため、今では、経営の本を読んだりクローゼットを隅々まで整理をしている。


 「どうしたらいいのでしょう」と彼女は言う。
 「普通の人はこんなことしてませんよね」。

 経済の被害が数ヶ月あるいは数年続くと予想される中、こうした反応が普通になりつつある、と専門家は言う。不安、抑鬱、ストレスが人々をいたるところで苦しめているが、多くの人は著しい経済的損失の被害を蒙っているわけではないが、いつかはそうなるかも知れないことを心配したり、あるいは単に、不安の広がりに反応しているだけなのである。

 
 カウンセリングや投薬治療を生まれて始めて探し求めている人もいる。治療を再開したり受診回数を増やしたりする人もいるし、他の問題のためのセラピーを経済不安のセラピーに切り替えた人もいる。

 経済と、これから起こるかもしれないことに対する恐れはとてつもない影響を及ぼしています」。そう語るのは、ワシントンのセラピストで、商務省の雇用援助プログラムを指揮しているサラ・バラード・ステックさん。 
「ひどい不安、夫婦不和の拡大、家庭内暴力、薬物乱用などの問題を抱えてやってくる人が増えています」。

 ピッツバーグの精神科医アラン・A・アクセルソンによると、「ピッツバーグは経済的にとても順調なのですが」、初診の患者やめったに来なかった患者が「ぶり返しを経験していっそう多くのセラピーと投薬治療を必要としているのが現状です」。

 不況の結末を推し量るのは時期尚早だが、不況の影響がますます増大しているという調査結果が出ている。9月に行われた全米心理学協会のアンケートでは、経済が重大なストレスの原因になっていると報告した会員は、昨年4月の66%から、80%に増大した。全米睡眠協会によると、昨年秋に調査した人々のうち27%が経済的不安による不眠を訴えている。

 全米自殺防止ライフラインに寄せられる電話本数は、2008年1月の月39,465本から、2009年1月では50,158本に跳ね上がった。経済がおよぼすストレスが「中心の役割を果たす」ことが増えましたと、このグループの連邦プロジェクト幹部のリチャード・マキオンは語った。

 財務省や労働省や他の省は、ストレスを経験している人々のためのウェブ・サイトを開設した。薬物乱用・精神衛生管理庁は、普通はトルネードや洪水に被害を受けた人々を援助するカウンセラーを、不況でつらい状況にある人々を助けてあげられるように訓練しているのです、と管理庁アドバイザーのマキオン博士は言う。

 ニューヨーク・タイムズとCBSニュースの調査によると経済が悪化したと答える人の数は減ってきたが、ほとんどの人は経済が上向いているとは考えていない。不況はあと一年かそれ以上続くと考えている人は群を抜いて多く、家族の誰かが無職になるのではという心配を抱えている人が70%にも及ぶ。

 
 不安は、高齢者や自宅所有者のように、失うべきものを多く持つ人を苦しめているだけではない。エリザベス・デューイ・フォークト(25歳)は弁護士補助員をしているが、超過勤務手当が減ったため両親とともにヴァージニア州のアレクサンドリアに移住したのだが、「家計についていつも悩む」ようになったと言い、不安の発作が起きたり、「動悸がして、喉が詰まるような感覚になり、悪寒や発汗、指がしびれたりズキズキしたり」、「ほとんど心が体から離れたような」感じになるという。


 デューイ・フォークトさんによると、彼女は今、抗不安薬を処方してもらっており、運転中にパニックの気配があったら路肩に停車するか「前の車のナンバー・プレートをじっと見なさい」、そして職場でパニックになったら椅子の肘掛のところをぎゅっと握っていなさいというアドバイスをセラピストから受けている。


 子供もサインを出してる。

 マンハッタンの精神科医ダニエル・コーエンによれば、子供が不安と鬱のサインを出したり悪夢を見て行動化する回数が増えことで危機状態に陥った家族が増えているという。

 クイーンズ地区に住むジョシュア・バティスタ君(16歳)は、タクシー事故にあった後、鬱とPTSDの治療を受けているのだが、彼によると、「不況とあのことが始まってから」「気分が沈んでストレスを前より感じるようになった」。学校で「神経が参っちゃって、自分の髪の毛を引き抜いて頭を壁に打ちつけた」という。ジョシュア君は、弾き語りのシンガーで、不況で引き合いが減り収入も減ったという。セラピーと投薬治療が増えた。卒業するよう言われているので、自宅で授業を受けることにしている。彼の母親のエリサ・レヴァインによると、「不況と同時進行なのはあの子も気づいています」。

 
 保険に入っている人にとっても、経済は不安のもとになり、援助を手の届かないものにしている。

 デラウエア州ウィルミントンの写真家スーザン・バンドロウスキーさん(30歳)は躁うつ病をわずらっているのだが、彼女によると、夫が長期のコンサルタント契約を解除されたため、長距離の移動を要する短期の仕事をせざるを得ないために、4歳になる自閉症の息子は不安がちになり、それで彼女も精神的な負担を感じるようになったという。保険の資格喪失は怖いので、バンドロウスキーさんは、もっとセラピーの回数は増やしたいが、自己負担金を節約するために、受診を間引いている。そしてそれが「不安を高めているのです」と彼女は言う。

 援助を求めている人の多くは恐れを抱いてはいるが、経済的困難を実際に引き起こしているわけではない。…  ミシガン州バーミンガムの心理学者スティーブン・クレイグは「収入が少ない人のほうがうまくやりくりしている場合もあります」と言う。「そういう人は、どれほどお金をもっているかということに、金持ちほどこだわりませんからね」。
 
 … …


 ヴィラルバさんは投薬治療にうんざりして、瞑想教室に通いだした。自分の事務所を出て車に乗り込んで瞑想をすることもあるそうである。
 
 
 ハバードさんは、「家計は良好」であることを知っていたので、「こんな風に感じるべきじゃない、私は幸運なんだ」と思ったそうだ。彼女は、主治医を尋ねたとき、セラピーと投薬治療を薦める主治医に対して、そんなの受け入れられません、だって「自分の足で立て」が、あの大不況時代を生きのびた両親の信念だったのですから、と声を張り上げたそうである。


 「私は精神的に中流階級で、力が弱くて自力で人生の問題に対処できない中年女性のようね。もっと強くならなきゃと思います。たかがお金のことでしょう、お金のことでビクビクしないために、どうして薬なんか飲まなきゃいけないのよ」。

 しかし治療を受け家計を見直したことは役に立ったのである。彼女によると、依然として弱い経済のおかげで、「たとえ自分が正しいことをすべてやったとしても、悪いことが何か起こるかもしれない」ということが心配になるのだそうである」。
 
 












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プライドの意義 [海外メディア記事]

  この失業、就職難の時代。 体面をたもつことに苦労している人がそこらじゅうにいるかもしれない。そういう状況と、感情についての心理学の研究を結びつけたような記事です。http://www.nytimes.com/2009/04/07/health/07mind.html?_r=1&hpw

 自分でも身に覚えがあるのですが、感情というのは、簡単なようで奥が深いというか・・・。




 「まわりを見渡してみてください。列車を待つプラットホームでもいいし、バスの停留所でも、カープール用の車線でもいい。最近、行くべき職場がないのに、通勤し続けているかのようなふりをしている人が、そこにいないでしょうか。

 サスペンダーをして、書類が詰まったブリーフケースをもったウォール・ストリートにいそうなタイプの男性。真珠のネックレスをして、ブラック・ベリーを操作する女性。作業用の靴をはきツール・ベルトを巻いた建設作業員。ひょっとしたらその人たちは皆、その日一日のために、同じコーヒー・ショップかバーに向かっているのかもしれない。

 「最近のクライアントの一人に一時解雇の憂き目にあった弁護士がいるのですが、彼が毎日通勤する先は――行きつけのスター・バックスです」。そう語るのは、サンフランシスコ州立大学のカウンセリングの教授で、全米カウンセリング協会就労部会会長のロバート・C・チョープ氏。「バリッとしたスーツ姿で、同僚に会ったり、ネットでやり取りをしています。彼に言わせると、行きつけのスターバックスは彼の西海岸のホワイト・ハウスなのです。彼には、日々のそうした仕事は続けなさいと言ってあります」。

 体面を保つ技術は、浅はかで不正直のように思われるかもしれないが、そう思うことはまさに否定することである。しかし多くの心理学者は、その意見は改めてほしいと願っている。


 良い習慣を維持し個人的なプライドを反映している限り、この種のお芝居は、非常に有効な社会的戦略になりうるし、不確実な時代においては特にそうである、と心理学者たちは言う。



 「もしこうした状況でプライドを示すことが常に不適応な行動であるならば、なぜ人々はこうもしばしばそういう行動をするのでしょう?」と語るのは、ボストンのノース・イースタン大学の心理学者デイヴィッド・デステーノ氏。「しかし、もちろん人々はプライドを示そうとするし、プライドは、物理的危険を生き延びるのに重要であるばかりでなく、困難な社会状況の中で巧くやっていくためにも重要であることを、私たちは見いだしつつあるのです」。

 
 誕生から今日にいたるまでのほとんどの期間、心理学という分野はプライドを根本的な社会的感情として扱ってこなかった。それは、恐れや嫌悪、悲しみや喜びのような基本となる感情表現と比べると、あまりにもマージナルで、あまりにも個人差のありすぎるものと考えられてきたからである。おまけに、それは文化が違えば違ったものを意味することもあると考えられてきた。

 しかし、ブリティッシュ・コロンビア大学のジェシカ・トレーシーとカリフォルニア大学デービス校のリチャード・ロビンスによる最近の研究は、西欧の社会でプライドに結びついた表情―たいていは、かすかな微笑み、上向きの顔、両手を腰に当てたり、高く掲げる―は、文化が違ってもほとんど同じであることを示した。色々な研究が示唆するところによると、子供は2歳半でプライドを初めて経験し、4歳までにはそれを認識する。

 これは、また、単に人まねで覚えるようなことでもない。トレーシー博士とサンフランシスコ州立大学の心理学者デイヴィッド・マツモトは、2008年の研究で、2004年のオリンピックとパラリンピックの柔道の試合で勝ったり負けたりすることに対して自然におこる反応を分析した。彼らが発見したことは、勝利の後のプライドの表情は、37カ国の選手(53名の盲目の選手も含み、その多くが生まれつきの盲目だった)にとって類似したものであった、ということだった。


 「これは自意識がにじみ出る感情、自分についてどう感じているかを反映する感情で、非常に重要な社会的要因をもっています」とトレーシー博士は言う。「それは、感情のうちでもっとも強力に社会的な地位を表わす信号なのです。幸福なときや満足したときの表情より強力なものです」。
 
 
 一つの連続的な研究において、トレーシー博士は、ブリティッシュ・コロンビア大学の博士課程の学生アジム・シャリフとともに、人々がプライドの表情を高い地位に結びつけがちであることを発見した。仮にその表情をしている人が低い身分であることを知っている場合でも、そうであった。研究の参加者たちは、敗北に打ちひしがれているチームのキャプテンよりも、プライドが高そうな給水係の少年のほうが地位が上であると判断せざるをえなかった。


 この研究の含意することは、どれほど強調してもしすぎることはないほどである。研究者はプライドを少なくとも二つの幅広いカテゴリーに大別しがちである。いわゆる真正のプライドは、難しい子供を育てたり、起業したりエンジンを組み立てなおしたりといった本当の成果に由来するものである。トレーシー博士がいう思い上がりによるプライドは、傲慢やナルシシズムに近く、実質的な基盤のないプライドである。体面を保つという行為は、両方の要素を利用しているのかもしれない。


 しかしその違いは、外側からは判らない。プライドに満ちた表情は、その由来がどんなものであれ、同じに見える。「あなたが大根役者ではなく、また人々があなたの置かれた状況についてあまり知らないならば、万事O.K.でしょう」。ノースイースタン大学の博士過程で心理学を学んでいるリサ・ウィリアムズはそう言う。


 プライドの様々な趣きは、かけ金が高い場合、内側から見ても同じように感じられるかもしれない。「彼女は、自分自身に対して体面を保ち続けることに細心の注意を払っていた」。イーディス・ウォートンは、『歓楽の部屋』で悲劇のヒロインのリリー・バートについてそう書いた。「彼女の個人的な潔癖は道徳に近いものがあり、彼女が内省をして心の中を経めぐるとき、彼女が開けない閉ざされたドアがいくつかあった」。自分が信じれば、人もそう信じてくれるだろう、というわけである。


 プライドは、それが説得的なものであるならば、感情的な磁石のような働きをする。ノース・イースタン大学のミズ・ウィリアムズとデステーノ博士は、最近の研究で、62名の学部学生からなるグループに、空間のIQを計ると称するテストを受けさせた。パターンが非常に早く現れては消えていくので、誰も、自分がどれくらいできたか判らないようなテストだった。

 
 研究者は、参加者が自分の点数にどれくらいのプライドを感じるかを試してみた。彼らは、点数については何も言わず、ただ事務的な口調でこれまでの最高点ですと述べるか、それとも大げさに、あなたの成績はすばらしい、ほとんど最高点に近いですと言ってみせた。

 参加者は、その後、グループになって座り、似たような問題を解かされた。案の定、暖かい励ましをうけた学生は、そうでない学生よりもよりいっそうのプライドを感じると述べた。しかしそればかりか、そういう学生は、グループ演習のパートナーに、内心で自画自賛の炎がめらめらと燃えていない他の学生よりも優越していて好ましいという印象を与えた。おだてられていようといまいと、参加者は、このことが集団の力学に及ぼす影響のことはまったく気づかせないでおいた。 


 「最初は、こういう学生が傲慢な愚か者として見なされるかどうかを見たいという気持ちでした」とデステーノ博士は言う。「でも、そんなことはなかったんです。まったくの逆でした。彼らは優れていると見なされただけではなく、好ましいとも見られたのです。それは、私たちが予期した組み合わせではありませんでした」。



 いずれは正直に告白するほうが通常は良いのですとセラピストたちは言う。「今は失業中の人がこんなに多いのだから、ある意味で、今、正直に言ったほうが楽でしょう」。そう言うのは、ニュージャージー州南部で就労カウンセラーをしているマイケル・ラザーシック氏。「他の人も自分と同じような経験をしていることを発見できるかもしれません。自分は賃金が大幅にカットされただけだ、という発見があるかもしれませんからね」。

 しかし短期的には、プライドを発散することは人に与える印象を良くする以上のことをするかもしれない。心理学者の発見では、悲しい顔やうれしい顔をすることは、自分の感じ方そのものに影響を及ぼすのである。微笑んでみると、束の間だけでもうれしい気持ちになれるかもしれない。同じことはプライドの表情にも当てはまる。2008年の研究で、ノース・イースタン大学の研究者は、空間に関する難問を解いていた人々のうちにプライドの感覚を呼び覚ましたところ、彼らは、次のラウンドに取り掛かったときよりいっそう気合を入れて問題に取り組んだそうである。

                          …」。












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男より女のほうが生き残る価値がある [海外メディア記事]

 記事の題名だけを見れば、男女の産み分けに温度が関係しているという早とちりをする人も出てくるかもしれませんが、そういう場合によっては人の関心を強くひきつけるような実際的な話題ではありません。

 結論は、最後の数行を読めば書いてあって、ナヴァラ博士の研究はさほど重要ではないような…。進化論的に単純化して言うと、男より女のほうが生き残る価値がある。これが結論です。

 しかし、そりゃ、進化論的に言えば、女性のほうが重要に決まっています。何といっても、進化論にとっては、子孫を増やすという観点が、すべてに優先する観点ですから。そういう意味では、この記事は当たり前のことを述べているにすぎないように思います。一応、BBCの記事なんですがね(http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/7972993.stm)。


(付記 : しかし考えてみれば、「困難な時代に直面しているときは、男児より女児が多く生まれる傾向がある」ということは、どうやら真実らしいので、ここには深い意味があるのかもしれない、と考え直した次第です。しかし、その先のことに関しては、各自で考察をお楽しみください)。



「 暑い気候は女児を生みだす


 熱帯に住む人々は、世界のそれ以外の地域に住む人々と比べ、より多くの女児を生むということが研究の結果判明した。


 結局はより暑い気候かより多くの日数に帰着するかもしれない。アメリカの研究者クリスチャン・ナヴァラ博士は王立協会の会報『バイオロジー・レターズ』でそう述べている。

 気候が流産の率や精子の性質を変えるのかもしれない、と彼女は語る。


 あるいは、赤道付近に住んでいるならば、男児より女児を多く生むほうが進化の上で何らかの利点があるのかもしれない。

 専門家は、地球上で男児と女児の出生率に地域的な差があることはすでに知っていた。

 このことのある部分は社会的に説明できるが―中国のような国では、男児が優遇され、出生前の女児の多くが人工的に中絶される―、自然のプロセスが作用しているのである。

 研究の示唆するところでは、女性の(妊娠3カ月以後の)胎児は男性の胎児ほど脆弱ではなく、環境が妊娠中の女性に対して及ぼす影響は男性の胎児の方により波及するのだという。

 戦争を含め、環境からのストレスが極端になる時代では、女児の出生率は男児の出生率を凌駕するのである。


 多岐にわたる変数

 
 専門家は、緯度も影響を及ぼすのではとにらんでいる。過去の研究が示すことは、男児を生む確率は、南に行くほど高まるというものだったが―ただし、これはヨーロッパでの話。多岐にわたる変数、いくつかをあげれば、文化や社会や経済などの変数があるので、地域を孤立状態で取り上げてみて結論を引き出すことは難しい。

 ジョージア大学のナヴァラ博士は、10年間にわたり202の国の出生時における男女比を見て、国家間、大陸間の社会-経済的格差を考慮に入れることによって、グローバルな観点を得ようと試みた。

 
 一般的に認められたグローバルな平均値は、やや男性に偏っていて、女性100人に対して男性106人、すなわち男性51.5%という平均値である。

 「男性より女性を多く生み出す世界で唯一の国が中央アフリカ共和国なのです」と、彼女はBBCネットワーク・アフリカに語った。

 研究中にナヴァラ博士は、赤道に近い国々では、男児の出生数が温暖な気候帯(51.1%)や亜極地の国々(51.3%)よりもかなり低いことを発見した。

 このパターンは、「ライフ・スタイルや社会-経済の状態が大陸ごとに著しく違う」にもかかわらず、当てはまるものであった。

 「この結果は人類が利用した適応上の戦略を示しているのかもしれませんし、適応とは関係のない別の戦略があるのかもしれません。

 ひょっとしたら、男性の射精の質とか流産率が、緯度が変わると変化するのかもしれません」と彼女は言う。



 生き残りにとっての利点


 男女比のパターンの研究を専門にしてきたユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのビル・ジェイムズ博士によると、ナヴァラ博士が見いだした違いは統計的に有意ではあるが、出生時における男女比に結びつけられてきた別の要因ほど意味あるものではないのだという。

 「一般的には、困難な時代に直面しているときは、男児より女児が多く生まれる傾向があります。例外はありますよ。

 たとえば、B型肝炎ウィルスをもつ女性は、男児を生む確率のほうが高いのです。妊娠中に子癇前症にかかる女性もそうです」。

 男女比の変化は進化論的に説明できる、と彼は言った 。

 「哺乳類の場合、子孫を残す成功の度合いに関しては、オスの方がバラツキが大きいのです。

 子孫をたくさん残すオスもいれば、全然残さないオスもいますが、たいていのメスは少なくとも一つの子孫は残すでしょう。

 平穏な時代ならば、何人も子供を生めるような女性が男児を生んでも割りに合うでしょう。その男児が彼女に孫を何人も与えてくれるかもしれないからです。

 しかし、時代が困難で女性が何人も子供を生めないならば、女児を生む方が良いのです。そうすれば少なくとも一人の孫が得られますからね」。
 




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熟睡が必要である理由 [海外メディア記事]

 熟睡が大切なことは、誰でも知っていること。その理由なんて、とっくの昔に判っていたことかと思いきや、そうでもない? それとも、昔から判っていたことの裏づけが、きちんと取れるようになった、ということ? 
 
 いずれにせよ、このショウジョウバエの説明はずいぶんと判りやすい。脳を中心に置いて単純化すると、日中の活動は、脳にガラクタを溜めることであり、睡眠はそれを取り除くこと。その繰り返しの中で辛うじて残るものが私たちの意識を形成する。こんな感じでしょうか? 

 夢などは、脳がガラクタを捨て去っている最中に発生する破片、ガラクタの断片ということになるでしょうか? ずいぶん夢のない話です。

 ちなみに、この記事ではじめて知ったことの一つは、ハエも、人間に劣らないほどの気苦労の多い生活を送っているらしいこと。「人間どもがうるさくて、おちおち休んでいられねえ」と多くのハエも内心舌打ちしながら、ストレスの多い毎日を送っているのかもしれません。

『インディペンデント』紙の記事より(http://www.independent.co.uk/news/science/revealed-why-we-need-a-good-nights-sleep-1661100.html)。






 「 熟睡が必要である理由が解明された


 「眠れば、夢を見るだろう」とハムレットは言った。いま科学者が示すのは、睡眠は夢を見るためにあるというよりも、前日にたまった心のガラクタ(mental rubbish)を取り除くためにある、ということである。

 眠りについてのある研究が発見したことによると、忙しい日中、脳にたまった神経間の結びつきは、夜の間に、積もり積もったガラクタ情報から心を軽くしようという試みのうちで取り除かれるのである。

 この発見により、夜熟睡することは、前日の重要な記憶を確かなものにし、取り除かれなければシステムを停滞させてしまうものを除去するのに必要不可欠であるという考え方が、よりいっそう有力なものとなったのである。

 この研究に携わった研究者によると、この結果が示しているのは、一晩ぐっすり眠ることは、翌日絶好調でいるためにどれほど重要であるかということである。

 
 「今は、多くの人が仕事や経済のことで心配を抱え、こうした心配のために睡眠を削っている人も、きっと、いることでしょう」。そう言うのは、この研究結果の著者の一人、セントルイスのワシントン大学医学スクールのポール・ショウである。

 「しかし、これらのデータが示唆しているのは、調子を維持し、仕事をつづけるチャンスをふやすためにできる最善のことは、充分な睡眠時間を確保することを最優先事項とすることなのです」。

 
 この研究はショウジョウバエの分析に基づいていた。科学者たちによると、この単純な生き物が、人間の睡眠の適切なモデルであるのは、人間と同様、ハエも一晩に6時間から8時間の睡眠時間を必要しており、充分な睡眠がとれないと、肉体的にも精神的にも変調のきざしを示すからである。

 
 人間と同様、ショウジョウバエも日中忙しく活動すると、いつも以上の睡眠を必要とする。過密な条件のもとで飼育されているハエは、孤独な状態で閉じ込められているハエよりも2~3時間長く眠るし、「精神的な作業」で忙しく活動しつづけるハエは、そうでないハエよりも睡眠時間が長い。

 以前の研究が示したことによると、睡眠は動物の学習や記憶を促進する。最新の研究はさらに進んで、脳の神経細胞を相互に結びつけるもの(シナプス)は日中に増加し、一晩ぐっすり眠った後に取り除かれているということを示している、とショウ教授は言った。

 「脳が無際限にシナプスを増やせないのは、頭蓋骨の空間が限りあるという制約を含めて、多くの理由があります。私たちは、学習の経験をしている最中のショウジョウバエのうちに新たなシナプスが生み出されるのを跡づけることができたし、眠るとその数が減少することを示すこともできました」と彼は言った。

 科学者たちは、ショウジョウバエを特別に考案した「ハエ振動機(fly agitator)」で飼育した。振動機にはロボット・アームがついており、それが、時折、ハエが眠らないように、ハエが止まる台を揺さぶるのである。科学者は、眠りを奪われたハエの脳の中に物理的な変化を見いだした。具体的にいうと、神経細胞を別の神経細胞に結びつけるタンパク質が増加したのである。


 科学者たちが眠った後のハエの脳を分析したところ、そのタンパク質のレベルが低下していたのだが、このことが示しているのは、神経間の連結そのものが、夜の間に、弱まったか削除されたということである。


 「睡眠が終わるころには、最強のシナプスでさえも収縮し、最弱のシナプスは消え去っているかもしれません」と述べるのは、『サイエンス』誌に掲載された研究のもう一人の著者であるウィスコンシン大学マディソン校のチアラ・キレッリである。


 「私たちが一日に覚えるものの多くは、実は、記憶しておく必要はありません」と彼女は言う。「もし脳のスペースをすべて使い果たしてしまったら、脳につまっているガラクタをきれいにしないかぎり、それ以上覚えることはできませんからね」。











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