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脳とアイデンティティー(3) [海外メディア記事]

 連続記事の三回目。回復過程にあるアダム・リパックとその周辺のことが簡潔に語られています。脳科学に焦点を当てたケイリー記者のこのシリーズはこれからも注目していきたいと思っています。 



By BENEDICT CAREY Published: August 8, 2009

http://www.nytimes.com/2009/08/09/health/research/09brain.html?pagewanted=3&_r=1&hpw
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「  負傷した後、自己の感覚を取り戻そうと奮闘する 
 

 アダムは、家では家の親密さを経験し、ヨロヨロとではあったが歩き始め、短いセンテンスではあるが、しゃべり始めた。母は、記憶訓練をさせたり、たえず問いかけてみてたり、昼の介護者を手配したり、保険業者と言い争ったり、家で彼の面倒を見るという困難な仕事の多くに当たった。リパック家は民間の保険と州および国の補助金の組み合わせでやりくりして来た。父は家をわずかに増築して、アダムが動き回りやすいようにした。彼はまだ大半の時間を車椅子ですごしているのだ。

 しかし、彼の人生にかかわりのある人々は、できる限り、彼をアダムとして扱い始めた。「いろんなことがあったけど、もう元の関係に戻る時期だと思う」とニックは言った。「結局、彼は僕の兄さんなんだし」。

 彼の友人たちはしばしば家に立ち寄って、愉快な時間をすごそうと、彼をランチに誘う。

 最近のとある午後、食堂のテーブルに腰掛けて、8人の友人が事故前の数年の話を聞かせてくれた。話題の中心のアダムは最初むっつりしていたが、おなじみの話をいくつか聞くうちに彼は身をのりだした。その土地のコーヒー・ショップから古くなったドーナッツの入った袋をいくつも盗んでそれをタクシーめがけて投げつけた話が出たとき、アダムがタイミングよくクラッカーを鳴らすと、友人の一人がイスからころげ落ちてしまった。別の話題になるたびに笑い声が大きくなり、アダムも微笑んだ。しばらくすると、グループは静かになった。


 「アダム、君には話題はないの?」と友人の一人ショーン・スタインベイカーが言った。

 「そう、言ってみてよ」と、もう一人の友人シェーン・ディリジオも言った。彼はふざけているわけではなかった。「どうかしたの、アダム? 話題はないの? 」。

 彼は話題はもっていなかったが、コメントはもっていた。彼は親しみをこめてみんなのことを見わたし、微笑みながらこう言った。「お前ら、みんな最低だよ」。



 再出発


 アルバート・アインシュタイン大学のファインバーク博士は誤認妄想を、その妄想を見るほとんどの患者が苦しんでいる右脳の前頭葉の損傷の結果として生じる、単純な心理的防衛と見なしている。その防衛には、自分が無力であることを否認したり、問題を他者の方に投影したり、日常生活が何となく現実的でないという幻想などが含まれる。


 「これらは3才から8才までの子供に見られる防衛的態度です。しかし大事なのは、こうした防衛的な態度が積極的な順応であることを理解することです。脳が生き延びるために奮闘しているわけですから」。

 
 このような防衛的態度を抑止して、みんながこれらの態度を共有しているわけではないことを理解できるようになると、それは脳の前頭部のもろもろのエリアが復活しつつある証拠なのです、と彼は言う。


 最近の数週間、アダムは妄想を見る回数が減りつつある。ニューヨーク州ゴードンで、障害をもつ人々に乗馬の機会を提供している牧場に、7月、1時間かけてドライブしたとき、アダムの心は大きく動いた。「ママ、僕に何が起こったんだっけ? 」と、彼は何度も尋ねた。

 「話してごらんなさいよ、アダム」。母は、機を見てそう言った。「一分前にも同じことを言ったばかりなんだから。何が起こったか判っているんでしょう。判っているのよね」。

 「言いたくないんだ」と彼は言った。

 「どうして? 」。
 
 「きっとママは、僕がおかしいんじゃないかと思うだろうから」。

 「そんなこと思わないから。話してみて」。

 「いやだ」とアダム・リパックは言い、しばらく窓の外を眺めていた。物思いにふけっているようだった。

 「ママ? 」と彼はまだ窓の外を眺めながら言った。

 「なに、アダム」。

 「僕、バイクの事故にあったんだよね」

」(おわり)。








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脳とアイデンティティー(2) [海外メディア記事]

 前回の続きで、脳の回復にも、人々との接触、社会性あるいは社交性が必要だということが述べられています。

 ちなみに、途中で出てくる「中国の水責めの拷問(Chinese Water Torture)」とは、この文脈のまま、中国で被疑者に対して行う、額に水滴を一滴ずつゆっくり垂らす拷問なのだとか。私は初耳でしたが、アメリカでは結構ポピュラーなよう。テレビか映画で使われたのでしょうか?



By BENEDICT CAREY Published: August 8, 2009

http://www.nytimes.com/2009/08/09/health/research/09brain.html?pagewanted=2&hpw

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 負傷した後、自己の感覚を取り戻そうと奮闘する 
 

 人格の同一性に関わる情報を処理するときの脳をスキャンしてきた研究者たちは、いくつかのエリアが特に活発であることに気づいた。それらのエリアは、大脳皮質正中内側部構造(Cortical Midline Structures)と呼ばれ、額近くの前頭葉から脳の中心へとリンゴの芯のような形で横たわっている。


 これらの前頭部や正中内側部のエリアは、両耳の下部深いところにある側頭葉内側部にあって、記憶や情動を処理する脳の領域と連絡している。もろもろの研究が強く示唆しているのは、アイデンティティーに関わる妄想では、こうした情動の中枢が前頭部正中内側部のエリアと上手くつながっていないか、充分な情報を提供していないかのいずれかである、ということである。ママはママにそっくり見えるし声もママの声に聞こえるけれど、ママがいるという感覚が欠落しているのである。ママはどこかしら非現実的に見える。

 古典的な誤認妄想は、フランスの精神科医マリー・ジョセフ・カプグラ博士にちなんで、カプグラ症候群(Capgras syndrome)と呼ばれる。カプグラ博士は、ジャン・ルブール・ラショー博士とともに、1923年、53歳の患者の症例を書き記したが、「その患者は、自分の周囲にいるものは誰であっても、たとえそれが夫や娘のような一番身近な人であっても、多種多様な替え玉に変えてしまった」。


 専門誌『神経学(Neurology)』一月号に発表した症例の分析で、ニューヨーク大学の神経学者オーリン・デビンスキー博士は、そうした妄想をもつ人は左脳よりも右脳によりいっそう多くのダメージを負っていると記した。直線的な推論や言語は、主として左脳の働きによる傾向があり、全体的な判断――抑揚や、強勢が何を意味するかについての判断――は、右脳のほうでより多く処理されがちである。デビンスキー博士によれば、親や愛する人と一緒にいてもおなじみの情動の動きが欠けている場合、左脳が、ダメージを受けた右脳にチェックされることなく、その葛藤を論理によって一刀両断に解決するというのである。つまり、その人物は替え玉であるに違いない、と左脳は判断するのである。

 「しかも、現実をチェックして、善悪の判断をする大脳皮質のエリアに別のダメージがあるならば、その間違いを訂正するすべはありません」と、デビンスキー博士は言う。

 理学療法をうけたあの朝のような天気の良い日には、アダムの情動の中枢は脳の活動する回路に参加しているようだった。鏡をじっと見つめながら、彼の微笑みは不安な微笑みからいたずらっぽい微笑みに変わり、彼は質問に答えた。

 「僕かな?」と彼は言った。



 兄弟、友人、息子

 
 あの事故の後、アダムの弟のニックはできるだけ手助けをするようになった。手助けをする一つの方法は、ただ単にまた兄弟として振舞うことです、と専門家は言う。ニックはできるだけのことをした。

 「この前、僕は、台所の床にアダムを横にして、アイスキューブを頭上にもっていって、水を額に一滴ずつたらしたんだ。中国の水責めの拷問(Chinese Water Torture)みたいにね」とニックは言った。「そしたらびっくりして、めちゃくちゃ怒っていたよ。でも、その後は快適な一日だったよ」。


 どんな治療や運動をすれば、損傷した脳が一貫したアイデンティティーを維持したり再構築できるようになるのか――つまり、神経回路を作っていけるようになるのかは、誰にも判っていない。しかし脳はそれができるという点で、神経学者の意見はおおむね一致している。最近の研究が示唆しているように、脳には「可塑性がある」。損傷を受けていないエリアが、近くの健全な脳組織を動員して、ダメージを受けた部分を迂回して、失われた機能の埋め合わせをすることができるのである。

 
 しかし、それは努力なしに生ずるようことはないようだ。裏ルートを使って新たに信号のデータを送るには、脳はある程度のデータ量を必要とする、と科学者は言う。脳は、問題を解決したり、社会的な期待に応えたり、活動的である必要がある。

 
 最近のいくつかの実験によると、重大な脳の損傷から回復途上にある人にとって、その脳が失ったもの、つまりなじんだ社会的環境との接触をリハビリの中心にすることは有望な手段であるのだという。2005年の脳スキャンに関するとある研究で、ニューヨークの神経学者は、時折命令に反応することしかできない重大な脳損傷を抱えた二人の患者に愛する人の声を聞かせたところ、その脳の広い範囲にいきわたっている神経回路が活性化したことを発見した。去年、スペインのとあるチームはその発見を再現できた。


 痴呆症の研究では、高齢にいたるまで頭脳明晰だった人の中にもアルツハイマー病に蝕まれている脳をもっている人がいることを研究者は発見した。そういう人の多くは最後まで社交的で、頭を使う定期的なカードゲームや友人たちとの歓談に参加している。


 ニュージャージー州のケスラーでの最初の半年間、無言で横になりながら、アダムは多くの聞きなれた声を耳にしていた。母親は毎日彼の側にいた。父親は、週末になるとニューヨークから4時間かけて車でやって来た。彼のガールフレンドのサラ・ヒューイは、隔週の週末ごとに、彼女の母親と一緒に訪ねてきた。友人たちはグループでやって来た。そのうちに、彼は問いかけや命令に対する答えとして親指を動かせるようになった――それは、最低限の意識活動ができる段階に入ったことの確かな合図であり、完全な意識を取り戻す上で必要な移行期だった。「最初は、とても辛かったですね」と、彼の父であるマイク・リパックは言う。「どうにかして彼の脳を活性化できればと願うしかないのですから」(つづく)。 
 






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脳とアイデンティティー(1) [海外メディア記事]

 原爆投下の話題から一転して脳神経科学の話題に移ります。自分の興味をひくものがあれば紹介する、それがこのブログの主義です。
 
 以前、ニューヨーク・タイムズ紙の『脳の老化とブリッジ』という記事を取り上げましたが(https://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/edit/input?id=12975867)、あれは人間の「脳」をテーマにしたシリーズ物の一環だったということが、この記事を読んで今更ながらに知るに至りました。ここで紹介するのも、同じケーリー記者による脳シリーズものです。科学の最前線を伝えるという側面もありますが、人情話でもあります。ニューヨーク・タイムズ紙の記事では、こういう洗練された人情話が好きですね、私は。

 この記事の主人公の症状は、「カプグラ症候群」として知られているものですが、その症状そのものというよりは、それが私たちの「自己」、あるいは「アイデンティティー」の謎を解く鍵になるのではないかという期待感が、一応は、この記事の核心なのだと思います。3回に分けてアップする予定。

 
By BENEDICT CAREY Published: August 8, 2009

http://www.nytimes.com/2009/08/09/health/research/09brain.html?hpw

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「 負傷した後、自己の感覚を取り戻そうと奮闘する   




 アダム・リパックは自分の母親の方を見て、こう言った。「あなたは偽者だ」。

 7月のとある火曜日の夜のことだった。シンディー・リパックは、19歳になる自分の息子が疲れていることが判った。何時間にもわたって理学療法や記憶訓練をした――僕はオートバイの事故にあいました、僕は頭を打ち新しいことを覚えるのが苦手です、僕はオートバイの事故にあいました――その日のような長い一日の後では、しばしば彼はそうした非難をするようになった。

 
 「アダム、偽者ってどういう意味なの?」と彼女は言った。彼はうなだれた。「本当のママじゃないっていうことさ」と彼は言った。「シンディー・リパックさん、お気の毒です。あなたはこの世界に住んでいる。本当の世界に住んではいないのです」。

  
 精神病の患者の中には、最も近い関係にある人を心底から疑ったり、自分を愛する人や自分の世話をしてくれる人から自分を遮断しようとする者が少数ながらいることは、ほぼ100年前から医師たちによって知られていた。そうした患者は、自分の配偶者が詐欺師であるとか、自分の子供が影武者であるとか、介護者や親友や、それどころか家族全員が偽者でまがい物であると言い張ることもある。

 こうした妄想はしばしば統合失調症の徴候である。しかし、ここ10年の間に、研究者は、統合失調症を患っているわけではなく、脳神経に問題をもつ(痴呆症や、脳外科手術や頭部への外傷を残すような打撃を含む)何百という人のうちに似たような妄想が見られることを実証してきた。

  
 先にあげた妄想は誤認症候群(misidentification syndrome)と呼ばれているが、とある脳科学者の小さなグループが、脳科学におけるもっとも難しい問題の一つである「アイデンティティー」を解く鍵として、この症候群を研究している。脳はいかにして、そしてどこで「自己」を維持しているのだろうか?


 研究者が見いだしつつあるのは、脳の中に単一の「アイデンティティーの場所」があるわけではないということである。その代わりに脳は、自己や他者のアイデンティティーを維持したりアップ・デートしたりするために、緊密に共働しているいくつかの違った神経の領域を使っている。研究者によると、何がアイデンティティーを作っているのかを学ぶことは、しのび寄る痴呆にもめげずにある人々が自分のアイデンティティーを維持しようとしている仕方を理解する参考になるし、また別の人々が、アダムズのように脳の損傷と戦いながら、しばしば自分のアイデンティティーを再構成することができるのはどうしてかを理解する参考になるらしいのである。 


 「私が1987年にこれに似た最初のケースを論文に書いたとき、大きな関心を寄せてくれる人は一人もいませんでした。珍しい研究だったのです」。そう語るのは、アルバート・アインシュタイン医科大学の神経学者にして精神科医でもあるトッド・ファインバーク博士。彼は、この問題に関して『軸索からアイデンティティーへ(From Axons to Identity)』という著作を出版したばかりである(軸索とは脳神経線維のこと)。

 「今ではこうしたケースに対する関心が爆発的に広まっています」とファインバーク博士は語る。「こうしたケースが自己に関係あるからですし、アイデンティティーの神経生物学に関係あるからです――つまりは、人間であることは何を意味するのかという問いに関係があるからです」。 
 

  あの人は誰?

 「アダム、あの人は誰?」。マイクという名前の理学療法士が、等身大の鏡の前でアダムのやせた体を支えながら、最近のとある朝そう尋ねた。一人の看護師が反対側でマイクを支えていた。「そこに誰が見える?」。

 「マイクが見える」。
 
 「そうね」と看護師のパット・テイシーが言った。彼女は、リパック一家が仕事で不在のときは大抵、アダムと一緒に家ですごしている。「だけど、誰かほかに鏡に見えないかしら? アダム」。

 「パット、君が見えるよ」。

 「そうね、でもほかには?」と彼女は言った。

 不安げな微笑のためにアダムの顔に皺(しわ)が走った。


 二年前だったら、それは答えられないような質問ではなかった。そのとき彼は、ガールフレンドが一人と気の会う仲間のグループがいる大学一年生だった。菜食主義者で、健康に気を使い、皮肉や馬鹿馬鹿しいいたずらがとても上手かった。シラキューズ地区の「ストレート・エッジ」(ドラッグも、アルコールも、見境のないセックスもやらない)バンドであるセイクリッド・プレッジが好きなドラマーだった。

 ウィードスポットの高校を卒業すると、彼はヴァンに乗り込み、バンド仲間と一緒に国中を走り回り、クラブやパーティーで演奏し、公道で寝て、食料を求めてゴミ箱をあさり、カリフォルニアでは浜辺で寝た。

 「私たちは喜んで彼を出してあげたわ」とリパックさんは言った。「彼はそんな生活が自分にあってないと判ったの」。彼は、近所のオーバーンにあるカユガ・コミュニティ・カレッジに入学した。

 2007年の10月、彼は授業に遅刻しそうだったので、ホンダのインターセプターに乗ってウィードスポットのセネット・ロードのわずかな上り坂を飛ばしていたが、ふと見ると――もう手遅れだった――彼の車線を走っていた車がUターンをするために停止した。車は回避できた。彼はヘルメットをかぶっていたが、バイクから投げ飛ばされ、アスファルトに激突した。彼はそれに続く半年のほとんどを、無言でほとんど身動きもせずに、植物人間に近い状態ですごした。

 
 医師の診断は、びまん性軸索損傷(diffuse axonal injury)だった。「教科書的な定義は、要点だけを言えば、私たちの意識活動を維持するのに関係している神経の束の活動を停止させる損傷、ということです」。そう語るのは、アダムのゆっくりとした回復を見守ってきた、ニュージャージー州ウェスト・オレンジにあるケスラー・インスティテュート・フォー・リハビリテーション(Kessler Institute for Rehabilitation)の神経学者ジョナサン・フェーラス博士。「まるで、大きなハイウェイが打撃を被ったおかげで、脳が、機能するためには裏道を使わなくてはならないかのような状況です。でも、脳はさまざまな反応をします。私は、予言はしないことにしました」(続く)。
 







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とあるアメリカ人が見る原爆慰霊祭 [海外メディア記事]

 前の記事で「カーチス・ルメイ」に触れましたが、その後も気になって検索をしていたら、ジェームズ・キャロルという人のコラム記事を見つけました。約一週間前の、たぶん広島の原爆の日の祈念式に合わせて書かれた記事のようです。

 ジェームズ・キャロルという人は経歴も才能も多彩のようで、翻訳されている著作もあります(『戦争の家―ペンタゴン』緑風出版)。『ボストン・グローブ』紙にコラムを執筆して17年になるらしい。原爆投下の正当性に固執する人々が多数いる一方で、原爆慰霊祭をこんな風に見ているアメリカ人も少なからずいるのだということを紹介したく思い、ここにアップします。ちなみに、あの「カーチス・ルメイ」も登場しますが、あくまで憎々しい人物のようです。

 さらなる蛇足として、文中に出てくる「第二次核時代(Second Nuclear Age)」とは、冷戦期の核不拡散体制に対比される、冷戦後の時代のことで、そこでは核兵器の拡散の恐れが顕在化するとして、すでに10年以上も前から使われていた言葉のようです。
 

By James Carroll August 3, 2009

http://www.boston.com/bostonglobe/editorial_opinion/oped/articles/2009/08/03/reinterpreting_early_august/


「  8月の上旬を解釈しなおす


このコラムを書き続けてきた17年間、私の特権は、たとえ読者の同意が得られないと知っていても、自分が考えていることを言うことにあった。たいていの年、8月の上旬になると、私は広島と長崎の原爆の日を、トルーマン大統領の原爆投下命令に批判的なまなざしを向けながら、見つめてきた。自分のコラムにつけた題名の一つには「過ちと犯罪」というのがあった。これらのコラムは、私が書いた他のどんなものよりも、読者の不評を毎年買ってきた。


 日本への原爆投下という話題になると、わが国は、この問題が難解でまだ解決されていないと思う人と、これは個人の問題でありしかも決着済みであると思う人に二分される。この出来事の直接の記憶をもたない者として(私は当時2才だった)、私は必然的に前者のカテゴリーに属するが、それでも私は、1945年の原爆の生々しい記憶がいつまでも消えることのない人々から多くのことを学んできた。

 
 歴史家でかつて海兵隊員だったウィリアム・マンチェスターは、原爆の知らせに接して「これで生きていられる、大きくなって大人になれるんだ」という反応を示したが、それに似たような反応を、私が受け取る多くの手紙は伝えている。ヒトラーが敗北した後で、何十万という若いアメリカ人が太平洋での血なまぐさい結末のために身構えていたが、すると、急に、終わってしまったのだ。彼らやその家族はただただほっとしたことだろう。戦争の終わりは、国民に何年かぶりの掛け値なしの幸福感をもたらした。8月の初旬といえば、永遠にあのときの幸福感の記憶がよみがえるという反応で何が悪い? というわけである。


 しかし、記憶とは一体なんだろう? それは、琥珀にある化石の一片のように、過去のある時点に戻ってそれを再体験することだけではない。記憶は、人間が積極的に経験を解釈する能力である。8月6日が1945年において意味していたことは、それが、ジョン・ハーシー(John Hersey)が『ニューヨーカー』誌に感動的な記事「ヒロシマ」を発表した1946年において意味していたこととは違う。あるいは、アメリカ空軍がモスクワに対する戦略として原爆の攻撃を組織化した1948年とも違う。ソビエト連邦が自分たちの原爆を獲得した1949年とも違う。水爆(反対していた物理学者の言い回しを借りると「人類皆殺し兵器」)が生まれた1952年とも違う。その他いくらでも続けられるが、どの時点に立って振り返っても、1945年に起こったことの意味は必然的に変化したし、そしてそのプロセスが今日まで続いてきて、人類は第二次核時代(Second Nuclear Age)の入り口のところに立っているわけである。

 
 思い出すことは解釈しなおすことである。したがって、原子爆弾を使おうというトルーマンの決定は、トルーマンや彼の同時代人が当時考えていたよりもずっと複雑で道義的問題に満ちていたと想定したとしても、第二次世界大戦の正真正銘の忘れがたい経験から何も取り去ったことにはならない。原爆は、日本の降伏をもたらすために必要だったとして正当化されたが、今、歴史家たちは、コンセンサスの程度にバラつきはあるものの、外交的な交渉で日本の降伏は引き出せただろうという結論に至っている。トルーマンは日本の抵抗を終わらせるのと同じくらいソヴィエト軍の侵攻を食い止めることに関心があったという結論を下す充分な理由がある。戦争の最後の半年間の通常の爆弾によるアメリカ空軍の攻撃(百万以上の民間人を殺した)は、原爆使用が倫理的であったかどうかという問いを既にどうでもいいものにしてしまっていた、ということは今日では承認済みの事柄である。かつてカーチス・ルメイが言ったように、「われわれがやったことが道徳的だったかどうかと心配するなんて」「アホくさい(Nuts)」のである。


 毎年の上旬に行われる祈念式典の要点は、一段高い道徳という馬の鞍上から過去を振り返って審判を下すことではない――まるで、もしあの時の人々の気持ちを知り、彼らの心情を感じながら、われわれがあの場に居合わせたならば、われわれは違った振る舞いをしたかのように、過去を振り返ることではない。道徳的な熟慮の差し迫った課題は、過去に関わるのではなく、現在と未来に関わるのである。原子爆弾がもし使われなかったら、合衆国と世界――日本は言うまでもなく――はもっとより良い状態になっているだろうという結論を下すことは、それ以降アメリカの国力がそれに依存してきた核貯蔵庫について根本的な問いかけを投げかけることである。原爆の使用を真摯に悔いることは、現在及び未来における核兵器の絶対的放棄を促すことである。過去において試みられなかった行動があったということは、現在まだ試みられていない行動があるということを意味する。実際、第二次世界大戦を生き延びた人たちが証言しているのは、人間が生き延びるということ自体が新しい道徳的な責務であって、このことが8月の上旬の意味を変えるのだということなのである」。
 








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広島というロールシャハ・テスト [海外メディア記事]

 8月6日は「原爆の日」でしたが、海外の反応はいかにと思い、グーグル・ニュースのアメリカ版を見てみたら、このイベントを取り上げているところが結構多いことを発見。その中から『ウォール・ストリート・ジャーナル』の記事を取り上げます。
 これは、原爆投下に対するアメリカ人の意識が、徐々にではあるが、変わりつつあることを示唆した記事です。あの戦争に直接参加した人々が消え、新たな世代が登場するにつれて、あの出来事の評価も少しは変化していくのだろう、ということを推測させる記事です。アメリカ人もそれほど意固地ではないのかなあと一瞬思わせ、その限りで後味が悪い記事ではありません。


 それとは関係ないのですが、一番最後にあるように、この記事の著者は最近「カーチス・ルメイ将軍」の伝記を上梓したばかりだとのこと。さて、「カーチス・ルメイ将軍」とは? と思って検索したら…、あら、あの東京大空襲の立案・実行した人だとは…

 たとえば下にあげるサイトを参考されたし。そのサイトの最後の部分にも書かれてますが、このカーチス・ルメイ将軍に対して、1964年、当時の佐藤内閣が勲一等旭日大綬章を授与したなんて私には信じられませんね。1964年といえば東京オリンピックの年。どうです、あなたが丸焼けにし、粉々にしたこの都市で、オリンピックができるようになりましたよ!  すべてあなた様のお陰です、有難うございましたという倒錯した感謝の念からなのでしょうか? これ以上に「自虐的」な振る舞いがあるとは思えませんね(私は個人的には、「自虐史観」だの何だの言っている人々に与する気持ちはないので、あまり「自虐的」という言葉を使うこともありませんが、あえて使うならば、戦後の「自虐的」な歴史を作ってきたのは自民党なのでは? と思ってしまいます)。

http://yantake-web.hp.infoseek.co.jp/page18.html

 


By WARREN KOZAK AUGUST 6, 2009


http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204619004574324373352808620.html?mod=googlenews_wsj



 「 広島というロールシャハ・テスト

  アメリカ人が原爆をどのように見るかは、その人が自国をどう見るかについて多くを語るものである。


 64年前のこの日、エノラ・ゲイと名づけられたアメリカ軍の爆撃機B-29が広島市に原爆を落とした。8万人もの日本人が一瞬にして死んだことを私たちは知っている。広島市が粉々になったことを私たちは知っているし、放射線の被爆で推計で10万人以上の人々が後に亡くなったことを私たちは知っている。私たちはまた、広島の原爆と、三日後に投下された長崎の原爆が原爆時代の先駆けになったことも自覚している。

 原爆投下当時、ギャラップの調査によると、アメリカ人の85%が原爆投下を支持した(反対は10%)。あれから歳月がたち、態度にも変化が生じた。2005年、ギャラップの調査によると、原爆が必要だったと考えるアメリカ人は57%にすぎず、反対は38%に達した。調査の対象になった人々のほとんどは、原爆投下以降に生まれた人々だった。

 1945年8月、世界の多くは、6年にわたる全面戦争と数千万人の死者のために疲弊していた。あの夏、ほとんどの人は広島の出来事がどのような意味をもつのか全く理解していなかった。人々が知っていたことといえば、原爆が、トップシークレットの計画が生み出した新しく、きわめて強力な一種の兵器であるという位のものだった。それは、合衆国の驚くべき科学技術の優越性を証明するもので――24年後の月面着陸に似てないこともなかった。

 しかし、原爆が広島に落とされる以前から、その使用についての疑念が、その生みの親である物理学者のグループの中に浮上していた。アルバート・アインシュタインは、最初、原爆設計に尽力したレオ・シラードと一緒になって、原爆をフランクリン・デラノ・ルーズベルトの注意を引くように仕向けたのだが、彼らは二人ともそれを日本の民間人に対して使うことには反対だった。

 時が経つにつれて、原爆使用に懐疑的な人の輪は大きくなった。これらの批判者たちは、1945年の8月ごろ日本はほとんど敗北も同然で、原爆は不必要であると主張した。彼らによると、焼夷弾による爆撃はすでに日本の都市の大半を破壊していたし、内陸の水路の破壊によって軍需品はほとんど無に帰していた。市民は栄養不良で、国内には燃料もほとんどなければ、そのほかの原材料も残っていなかった。このように考える人々のグループによれば、日本は、連合国から最善の取り引きが出されるのを待っているにすぎない疲弊した国だった。

 他方で、原爆投下は必要と信じていた人々は、最後の日々は壊滅状態だったナチス・ドイツと違って、日本人は、アメリカ軍が本土に近づくにつれてますます勇猛に闘うだろうと指摘した。ほとんどすべての日本人が天皇のために喜んで死ぬだろう、そのことは沖縄侵攻作戦で証明されていたし、史上最大の水陸両面の上陸となるだろう本土侵攻作戦でも同様だろう。陸軍参謀総長のジョージ・C・マーシャル将軍は、日本本土への侵攻が長く、犠牲の多い戦闘になることが判れば、アメリカの兵士たちは士気を保つことができなくなるのではないかと心配したほどだった。

日本人もまた長い戦闘になることは覚悟していた。原爆が投下されたとき、百戦練磨の米兵たちはヨーロッパから合衆国に戻され、その後太平洋の中間準備地域に送られた。ダグラス・マッカーサー将軍の指揮の下での侵攻の第一陣は1945年11月に、第二陣は1946年3月に上陸する予定であった。予想される何千という負傷者を収容するための病院が、マリアナ諸島に急いで建設されつつあった。アメリカ人が降服後の日本に見出したものは、日本が、軍人による決死隊のみならず民間人の決死隊を組織することによって、アメリカ軍の侵攻を迎え撃つ準備をしていたということを十二分に証明していた。

 原爆をめぐる議論は、14年前スミソニアン博物館が回顧展を開き、それに退役軍人のグループが抗議したときクライマックスを迎えた。退役軍人たちが抗議したのは、その回顧展があまりに犠牲者に焦点をあわせていて、原爆使用の理由には焦点を合わせていなかったためだった。この展示会は最終的に中止された。その後、今年の春、コメディアンのジョン・スチュワートがハリー・トルーマン大統領を、原爆投下の命令を下したことで「戦争犯罪人」と呼んだのだが、そのとき彼は猛烈な非難を引き起こした。スチュワート氏は後に謝罪した。

  戦争を速やかに終わらせたことで、アメリカ軍の日本本土への上陸・侵攻が避けられ、それによって原爆による死者以上の多くの人命が救われたという言い分は、詳しく見るまでもなく捨てられるべきだと考える批判者もいる。彼らは、膨大な数の死傷者を算定する根拠が何もないと言う。しかし当時、驚くべき数のアジア人が日本人の手中にあって死につつあった。毎月25万人もの人々が死んでいった。この異常なまでの死の発生――総計で1700万人が死んだ――が、帝国陸軍がついに本国に帰還せざるを得なくなるとピタリと止んだという事実はめったに言及されることはないのである。

 原爆投下に対するたぶんもっとも単純でもっとも説得力のある言い分は、トルーマン大統領が真っ先に投下しようと決心した主たる理由に求められるだろう。つまり、原爆は日本が降伏せざるを得なくさせるほど狼狽させることをトルーマンは願ったのである。まさにその通りになったのである。


 今日、広島はアメリカ人にとってのロールシャハ・テストになった。私たちは同じ絵を見て同じ事実を聞く。しかし、私たちが自分の国や自国の政府や世界をどのように見るかによって、私たちはこれらの事実をとても違った仕方で解釈するのである。

 かつてのアメリカ兵で、ヨーロッパでの戦争を生き延び太平洋に送られる寸前だった90歳の人間ならば、原爆が自分の命を救ってくれたことをとてもはっきりと理解する。彼の孫たちはこの出来事をとても違った仕方で見るかもしれない。


 この記事の筆者コザック氏は『ルメイ:カーチス・ルメイ将軍の生涯と戦争』(LeMay: The Life and Wars of General Curtis LeMay (Regnery, 2009) )の著者である」。








 


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水を奪い取るものとしての輸入――ウォーター・フットプリントについて [海外メディア記事]

  食糧を輸入することは、間接的に生産地から水を奪い取ることでもあるという考え方は、これまで何度か見た(聞いた、あるいは、読んだ)ことがあったので未知の事柄ではありませんでしたが、それでも「仮想水(virtual water)」やウォーター・フットプリント(水の足跡)といった言葉の詳細は知らなかったので、このドイツの『フォーカス』誌の記事をきっかけに少し勉強しようと思いました。興味がある方は、以下のサイトもご覧ください。

*「仮想水」… http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E6%83%B3%E6%B0%B4

 しかし、直感的な判りやすさという点では、次のグラフが一番か? 水を浪費する「三悪」はTシャツ、ハンバーガー、牛肉なのだそうです。

*「ウォーター・フットプリント」… http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4220.html 


 水が持つ潜在的(または戦略的)価値に世界各国が目覚めたら、日本はどうなるのでしょうか?  そうなったら、中国産の野菜がどうのと不平を言ってられなくなるのではないでしょうか?
 最後に、記事の中で言及されている組織「ウォーター・フットプリント・ネットウォーク(Water Footprint Network)」のHPは、英語ですが、それなりに楽しめますよ。http://www.waterfootprint.org/?page=files/home



Von FOCUS-Online-Autorin Eva Kuck und FOCUS-Online-Redakteurin Christina Steinlein

http://www.focus.de/wissen/wissenschaft/mensch/deutschland-wasserverschwendung-auf-fremde-kosten_aid_422919.html




「 他国を犠牲にした水の浪費

 ドイツは、商品の輸入とともに、大量の水を間接的に輸入している。ある実際の研究が、われわれの食料に潜む水がどこに由来しているかを示してくれる。 

直接的な水の消費という点で、ドイツは模範生である。水およびエネルギー関連企業連邦同盟によると、ドイツ国民は、一人あたり、一日に124リットル必要としている。これは、浴槽を満杯にする量よりも少ない。この点で、ドイツはベルギーとともにトップに立っている。工業国で、なおかつ、一人当たりの水消費量がこれ以下である国はない。しかし、環境団体WWFの新たな研究によると、ドイツ人の事実上の水消費量は何十倍にも跳ね上がる。すなわち、5288リットル、浴槽25杯分にもなるのである。模範的どころではない――この数字によれば、ドイツはアメリカと日本とともに最大の水消費国なのである。ドイツ人は、年間で、ボーデン湖の3倍の水を消費しているのである。

 このとてつもない数字が成り立つのは、WWFの研究が、飲用や、洗濯や、料理や、水洗のために直接ドイツ人が必要としている水だけを顧慮しているわけではないからなのである。この計算には、食料品や工業製品の生産のために必要とされる水、いわゆる仮想水の数字も入っているからである。


 
 Tシャツにどれほど多くの水が潜んでいるか?  

1キロの牛肉とともに、ドイツ人は15,000リットルの水を輸入している。肉用牛は、成長するために、多くの飼料を食べるが、その飼料用のものも生育のために水を必要とする。誕生から3年後に屠殺に回されるまでに、一頭の牛は1.3トンの穀物、7.2トンの牧草と発酵飼料、24立方メートルの飲用水を消費する。

 ドイツ人の水消費量のおよそ半分は、WWFの研究によれば、工業製品と食料品の輸入を通して間接的に生じる。これらの商品の大部分は、慢性的な水不足に苦しむ国々で作られている。これらの国々に対する影響は、生産地域での水不足が拡大しているので、壊滅的なものがある。ドイツ人が商品の消費を通して最も損害を与えている国は、ブラジル、インド、ケニア、スペイン、トルコが挙げられる。

 
 水を奪い取られることがその地域にもたらす結果

 「輸入によってグローバルな水の循環が変わるわけではありません。消費される水は大いなる水の循環に戻っていくわけですから」。そう説明するのは、コトブス工科大学の水文学および水資源経済学のウーヴェ・グリューネヴァルト教授。「しかしそれでも、ウォーター・フットプリント(水の足跡)という概念は、水が小さな地域の水循環から奪い取られるのですから、正しいのです」。たとえば、イスラエルは、オレンジの栽培のために法外ともいえる水を使用している。「植物が吸収する水は、川や地下水にすぐに戻るわけではないので、もう他のものには使えません。ですからそれはイスラエルではもう利用できないのです」とグリューネヴァルト教授は説明する。「オレンジが輸入されると、それとともに仮想的な、隠れた水が、姿を変えてですが、ドイツにやって来るのです」。

 「人々は、テレビで報道されるような水不足や水質汚染と自宅の近所での日々の買い物との結びつきをめったに認識していませんね」。そう言うのは、オランダのトウェンテ大学の水質管理のアルイェン・フックストラ教授。教授は、WWFと同様に、一つ一つの消費財にどれほど多くの水が隠れているかということを示す研究書を出した「ウォーター・フットプリント・ネットウォーク(Water Footprint Network)」の科学的リーダーでもある。「企業は、その生産の道筋を透明な形で開示することをしばしば行っていません。ですから、一人ひとりの消費者は、どれくらいの水が費やされたのか、まったく推し量ることができないのです」。

 しかし専門家によれば、企業や消費者ばかりではなく、政治もなすべきことがあるのだという。ヨーロッパの水をめぐる方針を首尾一貫した形で転換すれば、淡水を溜池に流すことで湖沼の水位を下げないようにすることはできるはずである。「水の消費は自然の出来事です」。WWFの水問題の専門家のマルティン・ガイガーは次のように総括する。「しかしいつでも大事なのは、いつ、どこで、どれくらいの水が自然からくみ取られているか、ということなのです」。
 








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石油危機の再来の懸念 [海外メディア記事]

 IEA(国際エネルギー機関 International Energy Agency)からの警告に基づいた記事は、2月にも取り上げましたが(『2013年にまた経済危機が』http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-02-28-1)、今度の『インディペンデント』紙の記事の方がより核心に迫っていると思います。予想よりも「ピーク・オイル」が早まって2020年ごろまでには、石油生産が頭打ちになり以後減少に転じるだろうというIEAの予測は脳裏に刻んでおきたいと思います。
 
 しかし、それ以前に、需給のギャップが顕在化して石油危機の再来が訪れるかもしれないという予想(今年2月にすでに出されていた予想)は、ピーク・オイルが目前にまで迫り、石油という商品がすでに異常なまでの投機的性格を帯びてしまったことを考えるならば、当然起こるべくして起こることと割り切っておくべきなのではないのか、と私は思っています。今度「底を打った」なんていう認識がグローバルな規模で共有された暁には、1バレルどれほどまで上がるのか? 1バレル200ドル?  そうなったら、ハイブリッド車の持ち主でも苦しいでしょう。 トヨタもハイブリッドの車種を増やすなんて戦略で大丈夫なの? たぶん駄目なのではないでしょうか?  麻生総理は、今後10年間で所得100万アップを公約にしたけれど、根本的に認識がずれているとしか言いようがない。むしろ石油危機の再来に備える長期的視点と環境整備のほうが急務だと思います。

 何が大事なのか? この記事の結論を引用すれば、「再生可能なエネルギー、エネルギー効率、代替輸送機関の結集を加速化すること」でしょう(少し抽象的すぎますね。この中身をもっと具体的にすることは別の機会に譲ります)。今は、こういう長期的な視野を持つことが、かつてないほど重要になっているのです。特に政治家には長期的な視野をもってほしいところです(いずれ起こる石油がらみの「危機」が政治的意味合いを帯びないとも限らないわけですから)。
 

 

By Steve Connor, Monday, 3 August 2009

http://www.independent.co.uk/news/science/warning-oil-supplies-are-running-out-fast-1766585.html



警告: 石油の供給量が急速に減少しつつある
 壊滅的な不足が経済の回復を脅かしていると、世界で屈指のエネルギー経済学者が語る。

 世界は壊滅的なエネルギー危機に向かいつつある。このことは、世界の主要な油田のほとんどが生産のピークを越えてしまったので、グローバルな経済の回復を不可能にするかもしれない、と優れたエネルギー経済学者の一人が警告した。

 急激な需要の増加によって石油価格が上昇しているにもかかわらず、石油の供給量が停滞し、それどころか減少さえしていることは、経済に打撃を与え回復軌道から外してしまいかねない。そう警告するのは、OECD諸国による今後のエネルギー供給量を算定するという任務を負っている、パリの名望ある国際エネルギー機関(IEA)のチーフ・エコノミストのファティー・ビロール博士。
 
 インディペンデント紙とのインタビューで、ビロール博士は、一般大衆も多くの国の政府も、現代の文明が依存している石油が以前の予測よりもずっと急速に減少しつつあり、地球全体での生産量は今後約10年――たいていの国の政府の見積もりよりも、少なくとも10年早く――でピークを迎えるだろうという事実を忘れているように見える、と語った。

 しかし、世界中の800以上の油田(地球全体の埋蔵量の4分の3にあたる)を初めて綿密に調査したところ、最大級の油田のほとんどはすでにピークを過ぎていて、石油生産量の低減率は、たった2年前に計算されたものよりもほとんど2倍もの速いベースで進んでいることが判明した。おまけに、産出国による慢性的な過少投資という問題があり、このことは今後5年のうちに必ずや「石油危機」に帰着することになり、それによって今のグローバルな経済不況からの回復の期待はすべて駄目になってしまうだろう、と彼は述べた。

 イギリスや他の西側の強国への厳重な警告として、ビロール博士は、相当な石油埋蔵量を抑えている少数の石油産出国――主に中東諸国――の市場支配力は、2010年以降石油危機が世界をとらえ始めるにつれて急速に上昇するだろうと述べた。


 「いずれは石油がなるなるわけですが、それは今日、明日というわけではない。しかしいずれは石油はなくなり、私たちは、石油が私たちのもとを去る前に、石油のもとを去らなければならず、その日のために備えなければならないのです」とビロール博士は言う。「私たちの経済・社会のシステムはすべて石油に基づいているので、始めるのが早ければ早いほど良いのです。だからそのシステムを変えるには、多くの時間とお金がかかるでしょうし、この問題を極めて深刻に受け止めなければならないのです」と彼は言う。

 「少数の石油産出国、主に中東諸国の市場支配力は、とても急速に上昇するでしょう。それらの国はすでに石油市場の約40%のシェアを握っていますが、このシェアは今後もっとずっと強力に上昇するでしょう」。

 現在の油田の産出量の減少を補って新たな供給量を増やすために充分なことがなされていないので、需要が増大する来年以降に石油供給の不足が生ずるというリスクが見込まれているのである。


  IEAの算定によると、現行の油田の石油産出量の減少は年間6.7%のペースで進んでいる。IEAは2007年に3.7%と算定したのだが、それが間違いであったことをIEAは今認めている。


 「市場の逼迫を私たちが目にするとき、普通の人々はそれを、今よりもいっそう高いガソリン価格という形で目にすることになります。経済に影響が出るでしょう、とくに市場でのこうした逼迫をこれから数年間に目にすることになれば、そうなるでしょう」とビロール博士は言う。

 「グローバルな経済は依然としてとてももろく、とても弱いままでしょうから、この逼迫はとても重要になるでしょう。多くの人は、あと数年すれば回復するだろうと考えていますが、しかしとてもゆっくりとした回復、とてももろい回復となるでしょうし、ひょっとしたら、その回復は石油価格の高騰によって抑えられてしまうというリスクもあるのです」と彼はインディペンデント紙に語った。


 世界の主要油田の史上初となる査定において、IEAは、世界のエネルギーシステムは岐路に差しかかっており、予測される需要が供給をはるかに上回っているので、石油の消費は「明らかに持続可能ではない」と結論づけた。

 Opec以外の国での石油生産はすでにピークを越しており、安く手に入る石油の時代は終わった、とIEAは警告した。

 ほとんどの油田で石油の生産はもうピークに達した。それはつまり、現在の需要に見合うためには、他の供給源が見つけられなければならないということを意味する。

 たとえ需要が一定にとどまったとしても、今の生産量を維持するために、世界はサウジ・アラビアを4つ見つけなければならず、現在と2030年の間に需要が増加した場合、その予測される増加分に追いつくためには、サウジ・アラビアを6つ見つけなければならない、とビロール博士は言う。


 「これは、地質学の観点から見ても、投資と地政学の観点から見ても、超難問です。だからこれは大きなリスクであり、それは主に、油田からの産出量の減少の割合が高まったせいでなのです」と彼は言う。
  

「多くの国の政府は、少なくとも、安くて気軽な石油という時代は終わったということをますます自覚するようになってきてはいます。しかし、私は、各国政府が、私たちが石油の供給という点で直面している困難を自覚しているかどうかということについてはあまり楽観的ではないのです」。


 「環境運動家たちが恐れていることは、従来通りの石油の供給がストップすると、各国政府は、カナダのアルベルタに膨大に眠っているタール・サンドのような、もっと汚れた代替物を利用せざるを得なくなり、それが即座に環境にダメージを与えることになる、ということです。タール・サンドから1バレルの石油を回収するために必要とされるエネルギーは、同量の原油を回収するために必要とされるエネルギーと比べると大きいものになるからです。


 「石油が私たちみんなの想定以上の速さで枯渇しつつあるからといって、気候変動に対する重圧がなくなったわけではありません」。そう述べるのは、以前石油産業のコンサルタントをしていたが、今ではソラー・センチュリー社とともに環境企業家として活動しているジェレミー・レゲット氏。

 「シェルや他の石油メジャーもタールに目を向けたり、石炭から石油を抽出しようと思っています。しかしこうした作業は二酸化炭素を多大に排出するプロセスであり、気候問題をさらに深刻化させるでしょう」とレゲット博士は言う。

 
 「私たちがすべきことは、再生可能なエネルギー、エネルギー効率、代替輸送機関の結集を加速化することなのです」。


 「私たちは、地球温暖化に対処するという理由で、こうしたことをしなければならないのですが、目前にせまったエネルギー危機のおかげで、その責務はいっそう強いものになるのです」。



 石油: 不明確な未来

 * なぜ石油はエネルギー源としてこれほど重要なのか?
 原油は、経済が発展し、社会のほとんどすべての側面が円滑に機能するために決定的に重要なものであった。農業や食糧生産は、燃料と殺虫剤のために石油に著しく依存している。たとえば、アメリカでは、一頭の肉用牛を育てるのに、直接間接を問わず、約6バレルの石油を使う。石油はほとんどの輸送システムの土台である。石油はまた、薬や化学産業にも不可欠なものであり、軍隊のための戦略兵器にもなる。


 *石油の埋蔵量はどのようにして見積もられるのか?
 
 回収可能な石油の量は、常に、経済――石油の価格を決定し、石油を採掘することは価値があることか否かを決定する――と科学技術――油田を発見し石油を回収することがどれほど容易かを決定する――の変動によって変わる推定値である。推定鉱量(probable reserves)とは、石油を回収できる確率が50%以上のものを指す。予想鉱量(possible reserves)とは、その確率が50パーセント以下のものを指す。




 *石油の埋蔵量についてなぜ意見の不一致があるのか?

 あらゆる数字は、どちらかといえば情報に基づく推定値にすぎない。違う専門家が違う推測をたてるので、彼らが違う結論に至るのも当然といえば当然である。自国の油田の規模を国の安全保障の問題として見ていて正確な情報を提供したがらない国もある。また別の問題として、すでにピークの生産を超えてしまった油田で石油の生産がどれほど急速に減少しているかという問題がある。減少率は油田ごとに違うので、この点も埋蔵量の規模に関する計算に影響を及ぼしている。石油に対して将来どれほどの需要が見込まれるかということも、さらなる要因である。



 *「ピーク・オイル」とは何か、そしてそのピークにいつ到達するのか?

 これは、石油が生産される最高率が技術的・地質学的制約のためにピークを迎え、それ以降は総生産量が減少に転ずるような時点のこと。イギリス政府は、他の多くの政府と歩調を合わせて、ピーク・オイルは21世紀もかなり経つまでは、少なくとも2030年以後までは起こらないだろうという立場をとってきた。IEAは、ピーク・オイルは多分2020年までにはやって来るだろうという見解である。また、IEAによると、2010年以降の需要は、減少しつつある供給を上回ることになりそうだから、われわれはそれよりずっと早い「石油危機」に向かっている、というのである。
 

 *地球温暖化だけではなく、どうしてピーク・オイルのことも心配すべきなのか?

 カナダのタール・サンドのような非ー従来型の石油は大量に埋蔵されている。しかしこの石油は汚れていて、気候変動に関してどんな協定を結ぼうとも、それを無意味なものにしてしまうほど大量の二酸化炭素を生み出すことだろう。さらには、すでにピークの生産を超えてしまった油田で石油の生産がどれほど急速に減少しているかという問題がある。減少の割合は油田ごとに違っているだろうが、このことは石油埋蔵量の規模に関する計算に影響を及ぼすことになる。ピーク・オイルに対して適切な準備をしなければ、地球温暖化は予想よりもはるかに悪いものになるかもしれないのである」。







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イギリスで安楽死問題再燃 [海外メディア記事]

 しばらく家を空けておりましたが、昨日帰ってきてBSのニュースを見ていたら、目に飛び込んできたのがこの記事。何か因縁めいたものを感じたので、紹介します。前回と同様、安楽死関係で『インディペンデント』紙の記事です。主役の「パーディー」は、6月19日の記事(『安楽死がイギリス上院で審議される』http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-06-29)でも登場していたデビー・パーディー(Debbie Purdy)のことです。

 直前の記事で紹介したように、このときの法案は上院で否決されて終わったわけですが、今日の記事で書かれているように、デビー・パーディーの訴えが上訴院判事たち(これは日本の最高裁判事に当たると考えていいでしょう)を動かし、判事たちは、公訴局に自殺幇助に加わった人を起訴する基準を明らかにするように要請し、公訴局長官のキアー・スターマーは来年までにこの問題について基準を明らかにすることを約束した、という流れになっているようです。


 はたして、デビー・パーディーは英国における安楽死問題のヒロインになるのか、それとも、この記事でも英国国教会の見解で締めくくられているように、従来の倫理観のハードルは依然として高かったという結果に終わるのか、イギリスはそういう岐路に差し掛かっているということが明確に理解できるのではないかと思います。
Debbie Purdy.jpg


By Andy McSmith Saturday, 1 August 2009

http://www.independent.co.uk/news/uk/home-news/purdy-now-let-me-die-in-britain-1765867.html



パーディー:「もう私をイギリスで死なせて」

 多発性硬化症に苦しむ患者が画期的な法的勝利を勝ち取った今、自殺幇助を認めよとする世論の後押しが高まる



 国営保健サービスのもとで自分の命を終わらせる権利がここ数年のうちに得られるだろうと、イギリスの自殺法を変える戦いをいっそう推し進めている運動家たちは昨日予言した。

 多発性硬化症のデビー・パーディーのケースでの上訴院判事の裁定に勇気づけられて、自殺幇助の合法化を目指す運動家たちは法を変える努力を再開することを誓った。パーディーさんは、昨日、いざという時、自殺幇助に関する法律が英国よりもきびしくないスイスに行くより、自国で死ぬことができればいいのですと主張した。


 「スイス人はディグニタス・クリニックを利用しませんが、それは彼らが法的に病院であろうと自宅であろうと死ぬことができるからです」と彼女は言う。「外国人がディグニタス・クリニックを利用するのは、私たちにはそれ以外の選択肢がないからなのです。私の望みは、医学の進歩で多発性硬化症の治療法が発見された後、90歳の高齢で死ぬことですが、たぶんそんなことは起きないでしょうから、生きていることが耐えがたくなったときは、この国で幇助された形で死を迎えることができるようになっていてほしいのです。スイスに行く必要もなくね」。


 彼女の発言は、1961年制定の自殺法(Suicide Act)の変更を求める運動に火を注ぐような勢いを与えるだろう。その自殺法はいかなる状況であれ誰かが自殺することを手助けすることを非合法としたのだが、その結果、115人のイギリス人がスイスに旅立ちそこで死んだのである。


 その自殺法を変更しようとして上手く行かなかった最近の試みに加わった一人である最高法廷弁護士のレスター卿は、「結局は変わりますよ」と予言する。彼は、どんな改革も手ごわい反対に直面するし10年はかかるだろう、と警告していた。「私たちは上院で努力しますし、下院の人々も努力するだろうと思います。しかし極端に意見が分かれる論点ですからね。反対意見は宗教的理由によるものばかりではありません。大衆は反対していないけれど、苦痛緩和医療の従事者や法律の専門家の多くが反対しています――だから私としては、どんな政府であっても10年もかければこの法案を通せるとは断言できません」。


 しかし、夫のオマール・プエンテ(Omar Puente)が自分をスイスに連れて行くなら夫は起訴されるのかどうかを知りたいと願ったパーディーさんの訴えを聞いた後で、上訴院判事たちは、公訴局長官のキアー・スターマー(Keir Starmer)に対して、自殺幇助のケースで控訴するかどうかを公訴局はどのように決めるのか明確化するように命じた。スターマー氏は9月には中間報告を出し、2010年の春に最終報告を出す前に一般の識者からなる会議を開くことを約束した。最終報告は、愛する者が外国で死ぬために付き添う人々のケースのみならず、イギリスでの自殺幇助までもカヴァーすることになるという。


 パーディーさんは昨日次のように語った。「司法官がこんなに速く動くなんて誰が予期したでしょう? かりに司法官がこれほど速く動くことができるとしても、政治家が素早くそうさせるべきなのです――それでも素早すぎるというわけではありません。一般大衆は政治的圧力のような問題についてとてもまじめな議論を望んでいるのですから。私たちは、「おぉ、一般大衆は自殺幇助を望んでいるのか、ではわれわれは来週それを取り上げよう」といったお決まりの反応を望んでいる訳ではありませんが、政治家は至急この問題に取り組むべきだと思います」。


 以前の健康相パトリシア・ヒューウィットと自由民主党のエヴァン・ハリスをリーダーとする下院議員のグループは、最近、自殺法を修正しようと試みたのであるが、与党院内幹事を説き伏せて、下院で議論するための時間を認めさせることはできなかった。上院でも似たような試みがあったが、否決された。「下院がどうしてこの問題の討議を続けないのか、私には判りませんね」とハリス氏は述べた。「世論の支持はいつも高かったし、意見を変えるオピニオン・リーダーたちもますます増えています。だから改革の機運はあるのですが、道のりはまだ長いですよ」。


 『ディグニティー・イン・ダイイング(Dignity in Dying)』の最高責任者サラ・ウートンは次のように述べた。「議会が動くまでに10年もかかるでしょうね、そうじゃないことを望んでいるけど。けれどデビーのケースが証明したように、事態はとても急に変わることもあるのです」。


 労働党の下院議員デイヴィッド・ウィニックは、昨日、この問題を再び下院の協議事項に盛り込むために、議員立法法案を提出するつもりであると語った。


 「私は何も「人が死ぬように働きかけよう」などと言っているつもりはないのですが、末期の病気を抱えた人が、もう続けたくないという結論に達して、幇助された死を望んでいるのであれば、そのような人を受け入れる施設は存在すべきでしょう」と彼は語った。

 
 「もし法律が変更されることになるならば、私たちとしては、悪用されないための厳しい条項を定めたり、そうした決定を下した人に考え直すためのあらゆる機会を与えたり、この法律が末期の病気に苦しむ人にのみ限定されることを明確化する必要があります」。


 英国国教会は昨日声明を出し、自殺幇助を認めるいかなる法律に対しても反対である旨を繰り返した。「どのような変化であれ、それは病気の人、弱い立場にいる人、または高齢者に対する直接的、間接的圧力となって、そうした人々が自分の命を終わらせることを考えるようになるのであれば、そうした法律改正の試みに対して議会が抵抗してきたのは首尾一貫していたし正当でもあった」とその声明は述べている。


 「少数の者には偉大な選択と考えられるかもしれないことが、多くの者にとっては重圧となるだろう。あらゆる人間の生命には価値があるのであり、自殺幇助が起こりうる領域での法律制定や医療行為はこの点を反映して行われ続けるべきである」」。









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自殺幇助の修正法案は否決 [海外メディア記事]

 少し古い記事になってしまいますが(7月8日)、以前ここで、安楽死(というより自殺幇助)に関してイギリス上院で審議・採決があることを伝える記事を紹介したことがありましたが(6月19日:『安楽死がイギリス上院で審議される』)、その結果をまだ知らせていなかったので、ここにそれを知らせる記事を紹介します。『インディペンデント』紙の記事です。


Lords reject amended law on assisted suicide
By Tom Peck Wednesday, 8 July 2009

http://www.independent.co.uk/news/uk/politics/lords-reject-amended-law-on-assisted-suicide-1736329.html



「 上院は自殺幇助に関する修正法案を否決する


 「自殺幇助」を手助けするために外国に行く人々から起訴される恐れを取り除くための動議は、昨夜、上院で否決された。

 検死官及び司法法案(Coroners and Justice Bill)に対する修正案は、前労働党大法官のファルコナー卿によって提出されたもので、ファルコナー卿は、明確化されることを求める法的な「中間地帯」があると述べていたのである。現在では、末期の病気にかかった人が外国で死ぬために外国に連れていくことで自殺の手助けをすることは違法であり、最高で懲役14年の犯罪である。現在までのところ、少なくとも115人のイギリス人がスイスのディグニタス・クリニックに行ったことが判っているが、まだ一人も起訴されていない。

 自由投票の結果、上院は、検死官及び司法法案に対する修正案を、194対141で否決した。上院での審議のおかげで、自殺幇助という問題に対して世間の注目が再び集まり、教会の指導者や障害者団体の推進者たちから激しい批判がまき起こっていた。


 修正案は、問題となる人が末期の病気に侵されていて、かつ、自分の命を終わらせる決断を出来るだけの知的能力をもっていることが二人の医師によって確認された場合、「検死官及び司法法案」の適用が控えられることを求めていた」。  









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女性は不幸になった [海外メディア記事]

 かなり長期にわたる調査の数字をたどると、自分を不幸に感じる女性の割合がコンスタントに増加しているらしい。社会的な平等や経済的独立も勝ち取ったのに、なぜ?  ちなみに男性には目立った変動はないようです。男性は鈍感なんでしょうか? いずれにせよ、今の社会の動向は、敏感な女性にとって住みよい環境ではないようです。『ガーディアン』紙の記事より。

Madeleine Bunting guardian.co.uk, Sunday 26 July 2009 20.00 BST
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/jul/26/women-wellbeing-unhappiness

 「 消費社会のナルシシズムは女性たちをかつてないほど不幸にした
 
  非常に個人主義的で、極度に競争的な社会の要請は、母親、姉妹、友人のアイデンティティーとは調和しない。


 通常の想定によれば、女性の生活は過去50年にわたって劇的に向上した。女性が個人としてもてる自由はかなり増加したし、教育や雇用の機会も改善された。結果として女性たちははるかに多くの経済的自立を享受しているし、それによって自分の人生を自分で形作る力をより一層もてるようになった。と、この点までは、頭を悩ますことはない。


 しかし、だれにも説明できない奇妙なことが起っているのだ。上にあげた大きな社会的変化は女性たちを幸福にしてはいないし、いくつかの重要な研究によれば、男性の幸福に比べて女性の幸福は過去25年間で下落してしまったのである。このことは、あらゆる年齢層の女性を含んでおり、多くの国、とくにアメリカとイギリスで顕著なのだという。

 もっとも気がかりな証拠から始めよう。それは、1987年、1999年、2006年にスコットランドの同じ場所で15歳の男女を対象に行われたウェストとスウィーティングの研究によって判明したことである。1999年の結果が公表されたとき、不安、ウツ、パニック発作、無快感性(快感を経験する能力の喪失)といったよくある心的障害の発症率が、女子の場合、19%から32%へと著しく高くなっていたことに関心が集まった。男子の場合、上昇は、わずか2%伸びただけで、ずっと小さいものだった。しかし最新の結果はもっとずっと劇的である。両性とも数字は上昇した。男子は、いまや21%であるが、女子は44%と気の遠くなるような発症率である。

 この増加率は衝撃的である。女子の3分の1以上が「絶えずストレスを感じている」に同意した。「困難な問題を克服できないと感じている」人は倍の26%にのぼった。「自分を価値のない人間と考える」に同意した人の数は、1987年から2006年にかけて3倍になった。こうした発見は、最近報告が相次いでいるように、女性が飲酒の上で大騒ぎをしたり攻撃的な行動に出る事件が急増していることを、部分的に説明するものかもしれない。


 真っ先に思いつくのは、たぶんこうした両性間の差異は10代に特有の現象であるということである。10代のメンタル面での不健康が目立って増大していることを示す別の研究には、大人への移行がかつてよりもずっと困難できついと考えるように促したものもあった。しかし男女間でのメンタル面での不健康のギャップは他の年齢層でも同じくらいはっきりしている。イギリスのナショナル・ヘルス・サービス(NHS)が今年出した研究によると、1993年から2007年にかけて、通常の心的障害は、45歳から64歳までの女性にとっては5分の1だけ増加し(男性は変化なし)、75歳以上の女性における発症の確率は女性の方が男性よりも2倍も高かった。


 色々な説明が提起されている。女性のセロトニンのレベルは男性よりも刺激に弱いのだという説が出されたが、それで長期におよぶ変化が説明されるわけではない。女性は仕事に家事に忙しく、高齢の両親の世話をしたり、子供が巣立った後の空っぽとなった巣のことをどうにかしなくてはならない。二人のアメリカの学者が、真の解明を得るためにアメリカとEUの手に入るありとあらゆるデータを調べてみた。

 スティーヴンソンとウォルファーズの発見によると、アメリカの女性たちが――あらゆる階級、あらゆる年齢層の女性が対象であり、仕事に就いているか、専業主婦であるか、子供がいるかいないかは問わない――自分は幸福だと感じる割合いが70年代初頭から減少していたのだという。30年前、自分は幸せであると答える割合は、合衆国では男性よりも女性のほうが多かった。このアドバンテージはすっかり消えてしまった。そして今や多くの場合男性のほうが女性より幸福なのである。では、どうして、女性たちは、ジェンダーの平等という点では数々の前進を見たこの一世代がすぎさったいま、自分と同じ年齢だった母親よりも幸福でなくなったのはどうしてなのか?
 
 簡単な答えはない、とスティーヴンソンとウォルファーズは言う。彼女たちはただならぬ問いを立てる。「男性は、女性の運動が生み出した恩恵を分不相応に横取りしたのではないか?」。彼女たちが示唆するのは、「たぶん、幸福にかかわるデータは社会の変化が男女に対して別々のインパクトを及ぼしたことを示しているのであり、女性は家族生活の衰退や不平等の増加や社会的つながりの減少によって大きく傷ついている」ということである。彼女たちが浮き彫りにする発見の一つは、自分の経済状況の満足度に関しては、男性の満足度は一定であるのに、女性の満足度は減少していることであるが――一つの考えられることは、女性にとっての「準拠集団」や期待値に変化が生じたため、自分の現状での生活では物足りないようにかんじられてしまうからという説明である。


 この後の方の考え方は、別のアメリカの心理学者で、もっとも最近の著作では、アメリカの女性にとりわけ深い影響を及ぼしている「ナルシシズム病」と言うべきものを分析しているジーン・トゥインジの仕事にとってもキーとなる考え方である。彼女のメタ分析は3万7千人の大学の学生を対象とした。それによると、1982年にナルシシズム型の人格指標で高得点を取ったのは15%だった。2006年までにそれは25%に増加した。しかもその増加分の大半は女性だった。

 ナルシストは自分自身および自分の人生にとても高い期待を抱く。よくある例で言うと、ナルシストは自分ができることについて、たとえば学位と雇用の点で、非現実的な予測をする。ナルシストは名声と地位を求め、それらが手に入ると今度は拝金主義が生まれる――金によってブランド名と浪費的な生活スタイルが可能となり、今度はそれらがステイタス・シンボルになる。これが何百万もの人間が共有するパリス・ヒルトン症候群である。

 トゥインジは、1950年代には「自分は重要な人間だ」に同意する大学生は12%にすぎなかったのに、80年代までには80%までになっていたという事実を指摘する。1967年には「裕福であることは人生の重要なゴールだ」に同意したのはたった45%だったが、2004年にはその数字は74%にまでなっていた。

 問題は、部分的には、自分の子供にあなたは特別なのよと言って聞かせる甘い親たちの世代があったことに由来する、とトゥインジは考える。それについで、個人主義的な文化のせいで、自我とそれをどう伸ばすかという点に対する関心が高まったこともある。ナルシストにはしばしば見返りが与えられた。ナルシストは外交的で、自分を売り込むのが巧く、競争にも強い傾向がある。しかしナルシストの成功は短命である。その陰の面としては、リスクの高い行動に走ったり、嗜癖障害に陥り、親密な関係を維持することに困難を覚える傾向があり、拒絶された場合攻撃的な行動に走る傾向が強い、といったことがあげられる。

 
 若い女性のナルシシズムは彼女たちがいつかは卒業する一段階にすぎない、ということはトゥインジも認めているが、彼女の関心は、ナルシシズムの証拠が、高度に消費的で、個人主義的な社会のいたるところに現われていて、そのナルシシズムに結びついた気分の落ち込みや不安にとりわけ苦しむのが女性たちである、という点なのである。


 これは、心理学者のオリヴァー・ジェイムズが警告を発している点でもある。彼は今、物質的により豊かになったにもかかわらずメンタル面での不健康が増大したことを初めて指摘した先駆的著書『診断されるイギリス』の改定に取り組んでいる。ジェイムズは、イギリスの10代の少女たちが坑道の「カナリア」のようなもので、自分たちの幸せを深いところで蝕んでいる社会的に影響力のあるものの在りかを指し示しているのではないかと心配している。少女の外見に重きを置きすぎる「商品化され、商業的に追い求められた女性らしさ」の圧力を彼は指摘するのである。

 少女は、少年よりも従順で気に入ってもらうことに熱心であるが――そのようにして少女はいつも社会化されてきたのだが――今や、社会が少女に対して寄せる支配的な期待値は、彼女たちの幸福を深いところで破壊している。トゥインジによると、豊胸手術は2006年には(1982年と比較して)5倍になったという。少女や女性に対する期待値は、試験に受かることから、Facebookで感じ良く映り、そこでもっとたくさんの友人をもち、そこにもっとよい写真を掲載することにいたるまでの、ありとあらゆる点で多様化し高度なものになった。テクノロジーのおかげで、自分を売り込むことが必要とされる場所が激増したのである。


 一つ考えられることは、女性のアイデンティティーは常にもろもろの関係のまわりで――つまり、母として、妻として、友人として、姉妹として形成されてきた、ということである。「関係性」は、依然として、自分の人生に対する女性の見方にとって中心をなすものであるが、それは、個人主義的で、極度に競争的で、ナルシスティックな文化とはまったく調和しない。女性たちは、社会の是認を求めるように育てられ、競合しあう観点の間にはさまれて悪戦苦闘しており、多くの女性は、いろいろな点で自分が失格者であるとか力量不足であると感じる結果になるのである」。










 


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