大学の図書館で3冊ばかり本を借りる。

 一つ目は『ニーチェと宗教改革』(H.Heit &A.U.Sommers(ed):Nietsche und die Reformation)。
 
 これは、二年くらい前に、図書館に購入希望を出した本。しかし、どんなトラブルがあったかは知らないが、発売が遅れに遅れ、ようやく、最近になって入手可能になったようだ。宗教改革についての捉えなおしの機運があって、それが反映されているのかなと勝手な期待を込めていたのだが、どうもそうではないらしい。月並みな内容にがっかり。

 二つ目は、1979年刊の少し古い本で『中世ドイツの異端抑圧』(R.Kieckhefer: Repression of Heresy in Medieval Germany)。中世の異端排斥のことを、いつかはきちんと調べたいと思っているのだが、いつになるかは判らない。とりあえずコピー&スキャンして、PCに取り込んでおく。これが私の「積読(つんどく)」の流儀。

 三つ目は、翻訳物で、H.E.テート著『ヒトラー政権の共犯者、犠牲者、反対者』。ヒトラー時代のプロテスタントの関係者の内面に焦点を当てた書物らしいが、冒頭の言葉にひきつけられた。

 「文明化された国において、国家権力が一人の賭博師で政治的な扇動家である人間の手に落ちるというようなことが、どうして起こりえたのだろうか」。


 原著は1997年に出たらしい。こういう問題意識をもって出された書物はたくさんあると思うが、20世紀の終わりになっても、こういう問いかけで始まる書物を出す人がいるということは、この問いが、まだぜんぜん解明されていないことを示唆しているのだろう。

 ナチスは滅んだが、その後の歴史においても大量虐殺は繰り返された。「一人の賭博師」によって、「文明化された国」が翻弄される例は、最近のアメリカが示してくれた。ロシアや東欧、中国や東南アジアにも同じ危険はあるのだから、周囲の状況次第でまたひどい体制が復活しないとも限らない。というか、もうすでに存在しているか。いずれにせよ、ナチに関する問題はつねに重要であり続ける。そういうことを心にとどめながら、しばらくこの本を読んでみようと思った。