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何のための熱気?

 やはり、この時期は、真っ直ぐ家に帰らず、浅草神社に迂回してみたくなる。勤務先から地下鉄で浅草駅に着いたが、足は仲見世に向かう。


 
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 夜9時を回っていたが、神社に詣でる人が少なくなかった。地元の人間が会社の同僚に説明しているのだろう、「俺なんか、3才から神輿をかついでいたからね・・・」と得意話。「やっぱり、良いものは、時代が変わっても、変わらずに伝えられるんだよ」という言葉も耳にした。そうだな、そうだけど、東京の「下町」といえば、昔からの伝統が連綿と伝わっているかに見えるが、形として残っているものは驚くほど少ない。今の浅草寺の本堂自体昭和33年に造築されたものであるのは一例にすぎない。戦災の影響が大きいのは確かだが、はたしてそれだけだろうか? 浅草の近辺はビルだらけである。私の住んでいる近くに小さな祠があった。「嬉(うれ)しの森神社」という何やら由緒ある名前だった。だが、最近、ホテルの建設にともない、あっさり撤去されてしまった。それがすべてを語っている。東京の中心地近くは全部そんなものだろう。要するに、伝統なんて金にならないものは、容赦なく捨てられるのである。そんな中で、祭りの熱気だけは昔から変わらない、と言うべきだろうか? でも、神輿をかつぐ人々の熱気はどこに向かっているのだろう? 神社や祭りなどの伝統を骨抜きにするような動きをさらに加速するための熱気を煽っているにすぎないのではないか、としか私には見えないのである・・・。




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コメント(1) 

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太田

中世の関東平野あちこちの小さな谷間に武士たちが拠点を作って要塞化し自活していて、そこが結局は後世に神社仏閣として残ったと思うのですが、東京はそういった谷間(鎌倉では谷戸と呼んでますが)自体が崩され均されていくことが残念ですよね。祭りの熱気というものはある種戦争の熱狂の代替品だとも思いますが、そのエネルギーの根源が失われれば空虚としか言いようがないですからね。鎌倉なんかでは谷戸の深い森がどうにか残っていますがすでに訪れる人々は稀で、駅前の商店街でアイスクリーム食べながらそぞろ歩きの人々の熱気しかありませんからね。近代化が進めば進むほどに虚無感が増して行くとしか言えませんね。
by 太田 (2019-05-19 21:15) 

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