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妄想とともに暮らした後で生きる目的を発見する(2)  [海外メディア記事]

前回に続く第二回目。さ迷い歩き続けた男性の、幼いころから大学院を出て職を見つけるまでの軌跡を、簡潔に描いている。



Finding Purpose After Living With Delusion


By BENEDICT CAREY
Published: November 25, 2011

http://www.nytimes.com/2011/11/26/health/man-uses-his-schizophrenia-to-gather-clues-for-daily-living.html?pagewanted=2&_r=1&adxnnl=1&partner=rssnyt&emc=rss&adxnnlx=1322486851-NQPsFAcDKAPOGLWJGy2rEg


妄想とともに暮らした後で目的を発見する(2)


 やたら目立つ学生が一人いた。「彼が当時どれほど強烈だったかは想像がつかないでしょうね」。アテネでビジネス・コンサルタントをしている友人のジューン・ホーリーはそう言った。「髪はこんなに長くて、分厚くカールがかかっていて、目は獰猛だった。ライオンみたいだった。大声で吠えそうな感じよ。そんなのと関わり合いたいと思う人は多くはいないでしょ」。


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 グリーク氏は、オハイオ州アテネの自宅裏の森の空き地でマインドフルネス瞑想を習慣的に行っている。


 
 地元の住民は怖がって彼のために道を空け、目を合わせないようにし、誰もが彼のことを村によくいる狂人の一種のように遇した――その手の伝説がたくさんある街だったのだ。

 彼には、ある意味で、その役割が判っていた。大学の数学の教授と弁護士の両親(二人とも進歩的な考えの持ち主だった)の子どもとして生まれたミルトン・トーマス・グリークはイリノイ州ロアノークと、その隣にある、シカゴから南西に車で約二時間行ったところにあるベンソンで育った。彼は子供のころから、しかもしばしば、自分は無神論者だと言い放ったが、そのことは、キリスト教に熱心なコミュニティーでは、その場の空気を壊し、校庭を支配する子供たちを刺激したのであった。


 「ろくでなし、ろくでなしと言われて、追いかけ回わされましたよ」とグリーク氏は言った。「今になって判るんです、あれは口実にすぎなかったということがね。太った子どもを太っていると言っていじめたり、間抜けな子どもを間抜けだと言っていじめるようなものでしたからね。当時の僕は宗教が問題と思っていましたけどね」。

 彼は世界平和の秘訣を発見することはなかった。トラブルばかりの結婚生活を送っていた大学4年の頃、人に見えも聞こえもしないものが、彼に見えたり聞こえるようになった。ある日、アテネのバス停にホームレスの男性がいるのが目に入ったが、その男の目が「男の頭のはるか彼方にまで達し、どこまでも先へ先へと続いていくような光景」に見えた。神の目だった。それ以外の何者であろうか?

 もっと後で、ヒッチハイクをしていた時、長髪でサンダルをはいた男が車を止めて彼を乗せてくれたことがあったが、その男の目があのバス停の男と同じ永遠の光をたたえていた。イエス・キリストなのか? そうに違いなかった(「僕はもう神に会ったことがあるのだから、イエスに出会うことも意味があったのです」)。その男は森の中の小さな町について語っていたが、その町は天国に違いないとグリーク氏は思った。

 
 彼の結婚は破綻した。友人たちは電話をかけてこなくなった。イリノイの自宅に帰ったときに、ある医師の診療を受け――統合失調症と診断された――薬を処方してもらった。

 
 それは、最初から最後まで、言葉遊びにしか思えなかった。その医師は自分の幻覚が何を意味すると思うかとか、その奇妙な考えが自分の人生の経験に関連しているかどうかなどと尋ねたりはしなかった。彼は薬を飲むのをいつしか止めてしまった。


 「僕は自殺にとても近づいていました」と彼は言った。「あの頃、自分の身に何が起こっているのかまるで判らなかった。僕は徹底した無神論者だったのに、キリストと出会う喜びが始まろうとしていて、なおかつ僕は反キリスト者だと考えていたりして――どれもこれも宗教的なイメージなんですよね」。

 
 どうしてだろう?

 その答えは明らかだし、それは最終的に彼を解放に導いてくれたのだが、その答えをみつけるために、彼は森の中を長い時間――文字どおりの意味で――さ迷う必要があった。

 
 1984年、彼はオハイオ大学の大学院で社会学を研究するために復学願いを出したが、気持ちの整理はついておらず、一日ごとに彼の気持ちは暗くなっていった。クラスメート、教授、友人を遠ざけていた。

 ほとんど唯一の例外と言える人がミズ・ホーリーだった。彼女は、彼より15歳年上の大学院生で、彼と一緒にいることを楽しんでいた。ある日彼は、彼女が、自分の家族や他の数家族と一緒に暮らしているコミューンを訪問することにした。彼がそのコミューンを見つけるのに二日かかった。一日目は霧深い森の中を、目覚めているのに妄想まじりの夢を見ながら、暗くなるまでさ迷った。二日目、フーパー・リッジ・ロードから少し離れた空き地に入ると、そこでミズ・ホーリーと友人たちが彼を迎えてくれたのだ。

 数ヶ月にわたって彼らは彼とテーブルをともにし、同じコミューンの一員として彼を受け入れ、世界を改善しようとする彼の使命を額面通り受け入れて励ました。そして、彼には助けが要るということをそれとなく悟らせることで、彼らは彼の命を救ったのだ。

 
 そのメッセージを伝えたのはホーリーだった。「僕は彼女のことを完全に信頼していたので、僕が幻覚を見ている――彼女は「幻覚(hallucination)」という言葉を使ったのです――と彼女が言った時、それは本当なのだと判ったのです」とグリーク氏は言った。「もう一度薬を飲んでみようという気持ちになりました」。

 彼は幸運だった。薬が効いたのだ。精神病の勢いは弱り、彼はプログラミング・コースを修了することができた。そして、まずはイリノイで、それからアテネにあるオハイオ大学情報技術学科で職を見つけることができた。そうこうしている間に、それ以外のものも彼は発見した。1996年の吹雪の日のこと、グリーク氏はアテネで知り合いになっていた隣人のドアをノックした。彼女は、10代の子供を二人抱え、フルタイムの仕事に加え大学院にも籍をおくシングル・マザーだったが、彼女はちょうどその時、(彼がそのことを知ったのは後になってからだったが)冬を乗り切っていけるものを下さいとお祈りをしているところだったのだ。
」(つづく)





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