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妄想とともに暮らした後で生きる目的を発見する(1) [海外メディア記事]

 精神疾患に苦しむ人が立ち直った軌跡をたどるBENEDICT CAREY氏のシリーズの最新作を紹介する。
 
 これまですでに2つの記事をここで取り上げたが、今度は妄想に苦しんだ統合失調症の男性の物語りである。オリジナルは3ページにわたっているので、3回に分けて紹介する。『ニューヨーク・タイムズ』紙より。

 
 ちなみに、これまで紹介した2つの記事の第一回目のURLを示しておこう。 
 「境界性パーソナリティー障害と闘って」・・・http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-06-25
 「あざける心の声と折り合いをつける」・・・http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-08-15



Finding Purpose After Living With Delusion


By BENEDICT CAREY
Published: November 25, 2011

http://www.nytimes.com/2011/11/26/health/man-uses-his-schizophrenia-to-gather-clues-for-daily-living.html?partner=rssnyt&emc=rss


妄想とともに暮らした後で生きる目的を発見する(1)


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 狂気のうちにひそむ意味: ミルトン・グリークは、統合失調症と診断されたが、妄想の中にあるメッセージを解読できるならばこの病気から立ち直る人もいるだろうと信じている。



  彼女は立ち去り、もう二度と戻ってこなかった。どれほど瞑想に沈んでもこの悲しみを晴らすことはできなかった。奥深い森の静けさが支配するこの地にあっても。




 ミルト・グリークは立ち上がった。母の葬儀が終わってまだ間もない2006年の母の日のことだった、自分には助けが必要だと判っていたので、彼は自宅に向かった。きっと、統合失調症の薬を変えてもらわなければいけない。関心のあり方も改めなくては。自分のことを忘れるために、家族と一緒にいなくては。


 それに、そうだ、彼は精神病的な妄想のうちに表出される衝動にもとづく行動をしなければならなかった。つまり、世界を救わなければならない、と思ったのだ。

 そこで、家の周りの庭を掃除した――大仕事だったが、妻へのプレゼントのつもりだった――後の数日間、彼は机に向かって地元の新聞社の編集者宛ての、騒音公害防止条例を支持する手紙を書いた。

 ちっぽけなことかもしれない。しかし、グリーク氏は、診断された彼の病気に潜むメッセージを理解しそれに基づく行動をすることで、その病気とともに暮らすことができるようになったのだ。その過程で、例外的なものが築きあげられた。つまり、家庭も仕事も欠いていない完全な生活が築きあげられたのだ。


 彼は、重度の精神疾患があると診断されながら成功した人生を送り、なおかつ自分の物語りをあえて公表することにした数少ない人々の一人である。それらの人々は、公表することで、精神の病がもっと深く理解されることに貢献している――そして、他の人々が立ち直る手助けになるような実例を提供しているのである。


 「手紙を書き終えた翌日は、気分もよく体力も戻ったように感じられるようになりましたよ」とグリーク氏(49才)は語った。彼は、治療を受ける前、神やイエス・キリストと会ったという妄想を数年間にわたり抱き続けていた。

 
 「ちゃんとした仕事を準備したり実行してないと、とても不安になります。気分が良くないんです」と彼は言った。「そんな気分は精神病が僕に与えてくれたものだし、僕はそれをプレゼントだと思っていますよ」。


  医師たちは、概して、統合失調症の妄想的な信念をただ単に妄想として片づけるし、妄想を寛大に扱おうとするどんな試みも無謀ななれ合いで、問題を悪化させるものだと見なしている。CIAがテレビの向こうからこちらの様子をうかがっているという信念にどんな心理的意味があるのかを説明しようとしても無意味だ、と医師たちは言う。そこには、精神病以外の根拠など何もないからだ、というのだ。


 しかし、そうした経験をもったことのある人々の意見は違う。彼らによれば、妄想の根源は病気にあるだけではなく、恐れや願いや心の傷などにもあるのであって、そういうことが理解されるならば、治療を受けた後の回復は持続的になりうるのである。

 
 現在、ますます多くの精神病のベテランたちが、ミーティングや講演会に集まり、自分自身の病歴を書きあげて自分独自の精神病理論を展開したりするようになったが、そのおかげで以前よりもはるかに多くのデータ(お互いの物語り)に接することができるようになった。

 
 「生きた経験をもつ人々が大勢で協力し始めるようになっているので、スリリングな時代になりましたよ」。そう言うのはマウント・ホリオーク大学の心理学者で『アグネスのジャケット: 狂気の意味を求める心理学者の探求(Agnes’s Jacket: A Psychologist’s Search for the Meanings of Madness)』の著者であるゲイル・A.ホーンスタイン( Gail A. Hornstein)。「彼らは、自分の経験が何を意味するのかについて、内側から、自分自身の理論、自分自身の言語独自を展開しているのです」。


 グリーク氏は、統合失調症を患っているにもかかわらず、成功した人生とキャリアを築いたという点で、もっとも例外的な人の一人である――もっと、彼に言わせれば、成功したのは統合失調症のおかげだったことになるが。彼は、投薬、個人的なルーチン、そして自分の奇妙な妄想にあるメッセージに気を留めることで、混乱をどうにか切り抜けているのだ。

 
 「統合失調症は、今まで僕の身に起こったことで最良のものです」と彼は言った。「そうした診断を受けた人の多くがそんな風に感じていないことは僕だって知っているけど、この病気の経験は僕を変えました、良い方にね。僕はとても傲慢で、自己愛が強く、自己陶酔的だったけど、この病気のおかげで僕は謙虚になれた。それは僕に生きる目的を与えてくれたし、その目的は僕の回復の一部になったのです」。



 村によくいる変人


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「僕が妄想を自分の実人生で起こる物事の文脈の中で見始めるようになって、ついに妄想は意味あるものになったのです」とミルト・グリーク氏は言った。「そして、自分の精神病の物語りを理解することが、まともでいられるために僕が必要としているものは何かを知る手助けになったのです」





 理想に燃えた多くの新入生と同じように、グリーク氏は、何か使命感のようなものを抱いてアテネにあるオハイオ大学にやって来た。ただし、これも多くの学生と同様に、彼にはその使命が何なのか良く判らなかった。 


 「人がそれによって生きるべき心理的な規約を発見すること、世界平和を作り出すこと」と彼は言った。「まあ、そんなものでしたね」。


 大学のあるこの町では、どんなことにでも喜んで人々は耳を傾けた。1981年の秋だったが、アテネではまだ1960年代のヒッピー文化の名残りがあった。アパラチア山脈の北側の麓にはコミューン(=ヒッピーの共同体)が健在だった。現実離れした考え方がいたる所に、少なくとも、大通りや、教授や学生たちが集まるキャンパス近くのバーに、あふれていたのであった。

」(つづく)





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