子どもたちに残すお願いのリスト [海外メディア記事]
自分が同じ境遇に置かれたならば、どんなメッセージを残すだろうか? と考えてもあまり大したことは思い浮かばないな。「あまりお母さんを困らせるな」くらいかな?
イギリス『ガーディアン』紙の記事より。
Steven Morris
guardian.co.uk, Thursday 30 September 2010 17.03 BST
http://www.guardian.co.uk/uk/2010/sep/30/dying-mother-sons-to-do-list
「
死期迫る母親が夫と子どもたちに残した胸が痛むお願いのリスト
ケイト・グリーンが書いた感動的な「ママのマニュアル」には、彼女が存命中に自分の子どもたちに望む100の事が記されている
死期迫る母が、夫に、間違いなく母が夢見たことを子どもたちがするように、そして母が望んだように育ってくれるようにしてほしいと願った感動的な「なすべきリスト」を残した。
ケイト・グリーンは、フィン君(4才)とリーフ君(6才)を残して37才にしてガンで亡くなったが、それは、100の「なすべき」事柄を含む「ママのマニュアル」を書き上げた後のことだった。
マニュアルに含まれているのは、彼女が子どもたちしてほしい具体的な経験で、たとえば、彼女が子供のころ好きだったビーチを訪れたりとか、ラグビーの国際マッチを観戦するとか、夫のセントジョンにプロポーズされたスイスに出かけるといったことである。また彼女は、子どもたちが四つ葉のクローバーを見つけたり、楽器が演奏できるようになったりヒマワリを育てることを望んだ。
グリーンさんは、家族がいつも一緒に食べられるようにダイニング・テーブルを手に入れるように求め、子どもたちが眠るまえに二度おやすみのキスをするように決めた。
彼女は、男の子に身につけてほしい基本的な原理、たとえば、いつも時間は守り、ガールフレンドには優しく接し、喧嘩をした後で仲直りをするといった基本的な原理のアウトラインを述べた。
そして、喫煙しないように、バイクには乗らないように、軍隊に入隊しないように注文をつけた。
夫には、子どもたちが女性と一緒に成長できるように、別の女性を見つけるよう勧めた。
セントジョン・グリーン氏は、リストに書かれていることはすべて実現するつもりでおり、すでにサマセット州のクリーブドンの自宅に合うダイニングテーブルは購入済みだ。
エジプトへのフライトを予約して、ラグビーの6ヶ国対抗戦のアイルランド対イングランド戦を見るためにダブリンに子どもたちを連れて行こうと計画中だ。
彼は言った。「ケイトを失ったことは言葉では言い表せないほどつらい出来事だったが、リストに書かれているお願いをすべて実行することで、私たちは感情的なきずなを保っていられるのです。リストに書かれていることはもう出来る限りのことはしたし、これからも多くのことをするつもりです」。
ケイト・グリーンは胸部左にしこりを発見してから18ヶ月に及ぶ化学療法を受けた。彼女の夫は言った。「最期になって思ったのです、ケイトの時間がもうないことはケイトも私も判っていると。子どものころからの付き合いでしたから、言葉で言う必要もありませんでした。とにかく判ったのです」。
「それである夜、彼女はもうこの一晩を切り抜けられないだろうと本当に怖がったことがあって、私たちはしゃべりしながらずっと起きていたのですが、朝の4時ごろ、私が子どもたちにしてあげなければならないリストを書き上げよう、ということになったのです」。
「ケイトはアイデアを書き留めるために、ペンと紙を持ち歩くようになったし、私たちは子どもたちにしてほしいことを語り合いながら夜更けまで起きているようになりました」。
病状が悪化してもう書けなくなった最後の数日、彼女は電話のメッセージを残すようになり、それを夫は忠実に記録した。
グリーン氏は、最も困難な願いは別のパートナーを見つけることだと述べた。
「最も難しいのは、もちろん、別の女性を見つけることです」と彼は言った。
「もうすでに「心の友(soulmate)」を見つけてしまったので、恋人市場(soulmate market)に戻るのはとても困難です」。
」
イギリス『ガーディアン』紙の記事より。
Steven Morris
guardian.co.uk, Thursday 30 September 2010 17.03 BST
http://www.guardian.co.uk/uk/2010/sep/30/dying-mother-sons-to-do-list
「
死期迫る母親が夫と子どもたちに残した胸が痛むお願いのリスト
ケイト・グリーンが書いた感動的な「ママのマニュアル」には、彼女が存命中に自分の子どもたちに望む100の事が記されている
死期迫る母が、夫に、間違いなく母が夢見たことを子どもたちがするように、そして母が望んだように育ってくれるようにしてほしいと願った感動的な「なすべきリスト」を残した。
ケイト・グリーンは、フィン君(4才)とリーフ君(6才)を残して37才にしてガンで亡くなったが、それは、100の「なすべき」事柄を含む「ママのマニュアル」を書き上げた後のことだった。
マニュアルに含まれているのは、彼女が子どもたちしてほしい具体的な経験で、たとえば、彼女が子供のころ好きだったビーチを訪れたりとか、ラグビーの国際マッチを観戦するとか、夫のセントジョンにプロポーズされたスイスに出かけるといったことである。また彼女は、子どもたちが四つ葉のクローバーを見つけたり、楽器が演奏できるようになったりヒマワリを育てることを望んだ。
グリーンさんは、家族がいつも一緒に食べられるようにダイニング・テーブルを手に入れるように求め、子どもたちが眠るまえに二度おやすみのキスをするように決めた。
彼女は、男の子に身につけてほしい基本的な原理、たとえば、いつも時間は守り、ガールフレンドには優しく接し、喧嘩をした後で仲直りをするといった基本的な原理のアウトラインを述べた。
そして、喫煙しないように、バイクには乗らないように、軍隊に入隊しないように注文をつけた。
夫には、子どもたちが女性と一緒に成長できるように、別の女性を見つけるよう勧めた。
セントジョン・グリーン氏は、リストに書かれていることはすべて実現するつもりでおり、すでにサマセット州のクリーブドンの自宅に合うダイニングテーブルは購入済みだ。
エジプトへのフライトを予約して、ラグビーの6ヶ国対抗戦のアイルランド対イングランド戦を見るためにダブリンに子どもたちを連れて行こうと計画中だ。
彼は言った。「ケイトを失ったことは言葉では言い表せないほどつらい出来事だったが、リストに書かれているお願いをすべて実行することで、私たちは感情的なきずなを保っていられるのです。リストに書かれていることはもう出来る限りのことはしたし、これからも多くのことをするつもりです」。
ケイト・グリーンは胸部左にしこりを発見してから18ヶ月に及ぶ化学療法を受けた。彼女の夫は言った。「最期になって思ったのです、ケイトの時間がもうないことはケイトも私も判っていると。子どものころからの付き合いでしたから、言葉で言う必要もありませんでした。とにかく判ったのです」。
「それである夜、彼女はもうこの一晩を切り抜けられないだろうと本当に怖がったことがあって、私たちはしゃべりしながらずっと起きていたのですが、朝の4時ごろ、私が子どもたちにしてあげなければならないリストを書き上げよう、ということになったのです」。
「ケイトはアイデアを書き留めるために、ペンと紙を持ち歩くようになったし、私たちは子どもたちにしてほしいことを語り合いながら夜更けまで起きているようになりました」。
病状が悪化してもう書けなくなった最後の数日、彼女は電話のメッセージを残すようになり、それを夫は忠実に記録した。
グリーン氏は、最も困難な願いは別のパートナーを見つけることだと述べた。
「最も難しいのは、もちろん、別の女性を見つけることです」と彼は言った。
「もうすでに「心の友(soulmate)」を見つけてしまったので、恋人市場(soulmate market)に戻るのはとても困難です」。
」
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