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東京の素晴らしきラーメン新世界(3) [海外メディア記事]

 MATT GROSS 氏の東京ラーメン紀行第3回目。今回が最後です。

 しかし、そうですか、アメリカ人のジロリアンもいるとはすごいですね。多分、外国人のラーメン・マニアがこれからますます増えていくのでしょうね。

 ラーメンという話題に限定されているものの、たしかにこれは、東京についての十分楽しめる素敵な旅行記に仕上がっていると思いました。私としても、訳していて楽しかった。Thank you, Matt. 日本のラーメン・ファンはみんな君の記事を誇らしく読むはずだよ。

http://travel.nytimes.com/2010/01/31/travel/31ramen.html?pagewanted=3&ref=travel

「(『斑鳩』は完璧だと言ったが)、しかし、完璧にも色々な形がある。『斑鳩』の対極は『二郎』である。『二郎』とは小規模ながらチェーン展開しているラーメン店だが、『ラーメントウキョウ・ドットコム(http://www.ramentokyo.com/)』というブログを運営している42歳のアメリカ人のボブにとってはほぼ強迫観念と化しているのだ。マクダクストン氏が麺だとすれば、ボブ――彼は名字が使われることを望まなかった――は、肉であることを恥じる風もないチャーシューといった感じの人である。それも、彼の目標を考えるならばうなずけることである。彼の目標は、33軒ある『二郎』の系列店すべてを制覇することなのだから。

  

 「『二郎』はラーメン界の『ホワイト・キャッスル(White Castle) 』みたいなものです」と彼は言った(訳者註――『ホワイト・キャッスル』とは、アメリカのハンバーガー・チェーン)。安いし、洗練されていないし、目に見える約束事をみんな破っているし。つまり、丼はでかいし、麺は大雑把な切り方だし、スープは濁って豚肉っぽいドロッとしたものだし、トッピングはモヤシと、キャベツと、豚肉の切れはしとにんにく、にんにく、にんにくからなるゴミの山みたいなものだしね。でもとにかく味は信じられないんだ」と彼は言った。「普通のラーメンと比較して語ることさえできないんだ」。  

 実際、『二郎』は素晴らしかったし、それなりに完璧と言えるものだった。しかし、私が怪物みたいな丼を平らげようと試みていた時(結局できなかったが)、行列に交じって45分も待ったことがどれくらい私の判断力に影響を及ぼしたことだろうかと思ったのだ。あれほど長く待って、なおかつ出てきたラーメンを素晴らしいと思わない人がいるだろうか? マクダクストン氏の言葉を借りていえば、私も変だったのだろうか。それとも、他の誰もがそうであるように、ラーメンに取りつかれてしまったのだろうか?

 

 東京で数日過ごした後で、私は、ラーメンの人気についての考え方をいくつか収集した。新横浜ラーメン博物館--多くの有名なラーメン店の支店が入っている、1930年代の街並みのような装いの地下の洞窟のように広がった施設--での展示の説明によると、1960年代、和食が産業化し洋食が「グルメ」の地位を得るにつれて、ラーメンはより単純な時代に先祖返りするための食べ物となった。1980年代までに、ラーメンは、豊かな若い世代が自らのルーツに結びつく方法の一つになった。

 メーター・チェンの助手のヨコイ・ナオコは、別の見方もあるよと言った。今では若者にとって、ラーメンは最新流行であることを証明するものの一つなのだと。「彼らにとってはステータスなんです。有名なラーメン店のことを知っていて、そこに行くことがカッコいいことなんです」。

 ボブは簡潔にこう言った。「地球という惑星上で、ラーメンを食べることを楽しめない人がいるだろうか?」。

 ラーメン狂の多くにとって--私自身を含めて--要するに狩猟のようなものではないかと、私は思った。先陣争いのために日本のメディアを調べようが、鼻をクンクンさせ怪しい行列はないかと目を光らせながら街中をぶらつこうが、東京の4137軒のラーメン店(ちなみに、この数字は控えめな数字である)の中に宝石のような店を発見することは根気のいるプロセスであり、だからこそ、遂にやって来たラーメンの最初の一口がそれだけ堪らないほどの美味しさになるのだ。

 洞窟のようなレストランの『五行』を見つけようとしながら道に迷ってなければ、『五行』の黒インクのように黒い「焦がし」味噌ラーメンをあれほど楽しめただろうか? 『中華そば井上』で年配の人が作っていた教科書通りの醤油ラーメンは、1ブロック離れたところでは観光客が築地魚市場の寿司屋で大金を使っていることをもし私が知らなければ、あんなに素晴らしく見えただろうか? 他の店が閉まってしまった後で、マクダクストン氏と私が雨の中2マイルも歩かなかったら、『四代目けいすけ』の焼いた麺のつけ麺にあんな一目惚れのような気持ちを抱いただろうか?

 そうしたプロセスの中の一つ一つが別の見返りとなって返って来た。おかげで、道が判りにくいことで悪名高い東京という街の歩き方が前より判るようになった。日本語が上手くなった(少しだけどね)。それに、(その由来がどうであれ)ラーメンが好きだということで、人と人とのつながりが得にくい街で、見知らぬ者たちが知り合うのがどのようにして可能になるかが判りかけた。今は亡きブリタニー・マーフィーを、明日を夢見るラーメン店主に配した2008年の映画『ラーメン・ガール』でマーフィーの恋人を演じたパク・ソンヒと、ある晩私は一緒に粉チーズをトッピングしたラーメンを食べていたが、その時、今度東京のラーメンのことをやってみたいんだがと口にしただけで、途端にあの店が良いよといったアドバイスや、あそこはどうだったという思い出話や、私も参加したいという要求が私めがけて殺到したのだった。パク・ソンヒの意見(私の意見でもあるが)は、「面白そうだからやってみれば」だった。

 

 「面白そうだからやってみる」は大したことのように聞こえないかもしれないが、しかし東京--しばしばどんな経験にもオープンであるが、社会的慣例を知らない者にはそれと同じくらいしばしば冷淡である街--では、「面白そうだからやってみる」は大したことなのだ。そういう心構えでいれば、ラーメン狂のかもし出す硬く、おたくっぽい角は柔らかくなるし、45分も行列で立ち続けたり火曜定休日なのに火曜日に行ってしまったりといった失敗は笑い飛ばせるのだから。

 例えば、マクダクストン氏と私が『凪』で食べた晩、私たちは人混みの渋谷の一角をかき分けるように歩いていたが、その時、彼は若者たちが列をなして通りまではみ出ているのを見逃さなかった。彼は、ラーメンに対する渇望に目を輝かせながら、端にいた若い女性に近づき、日本語で、何を待っているのと尋ねた。

 エレベーターです、と彼女は言ったのだ。

 そんな具合に、私たちは、ガツガツと臆することもなく探し回ったのだった。次のすごいラーメンがどこかにあるはずで、たとえ一晩かかろうとも見つけてやるぞと思いながら」。








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