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ローマへ (サン・クレメンテ聖堂 -- 準備編その4) 

サン・クレメンテ聖堂(英語: Basilica of Saint Clement )




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 この聖堂は教皇クレメンテ1世に捧げられたが、特徴的なのはこの建物が三層構造になっていること。(1)現在の聖堂は1100年の直前に建てられたもの。(2)現在の聖堂に下に4世紀の聖堂があり、それはローマのとある貴族の邸宅を改造したもの。その邸宅は、一世紀に短期間、初期の教会として使われていたようだが、その地下は2世紀にはミトラス教(=秘儀宗教の一種)の礼拝堂として使われていた。(3)そのローマの貴族の邸宅は、64年のネロ帝の大火で焼失した共和制時代の別荘兼倉庫だった建物の跡地に建てられた。

 これだけの歴史の重曹の上に成り立っている点で、この聖堂は、歴史好きな人間には、たまらなく魅力的である。一度キリスト教の集会所として使われていながら、その後ミトラス教の礼拝所に変更されたのは、おそらく、一般に市民には、キリスト教とミトラス教のうるさい区別など大して重要ではなかった、ということなのかもしれない。


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  上の画像もそうだが、ミトラス神の典型的なポーズは「牛を屠る」ポーズである。これは、ミトラス教の儀式のクライマックスをなした「タウロボリウム」の決定的瞬間を描いたものである。そもそも、「タウロボリウム」とは何か?


  うえに挙げたような図像がミトラス礼拝所の中央に必ず置かれ、その前ですべての儀式が行われた。儀式には不明な点が多々あるにせよ、牛を屠るというアルカイックな供犠の形態がミトラス教の中心にあったことは確実である。さてタウロボリウムだが、この儀式は凄惨なものであったらしい。天井部分を梁である程度覆った穴に秘儀参入者をしゃがませ、その真上で牛を屠るのである。50リットルもの鮮血が参入者に降り注ぐ。文字通り、血の洗礼である。この洗礼を受けた者は尊敬の念で見られ、より高次の身分、新たな生を獲得したと見なされた。ここには、犠牲獣の死が同時に新たな生の誕生でもあるという、古代の供犠一般に共通する論理が、もっとも剥き出しの形で現われているように思われる。


 この儀式は、おそらくイニシエーションの儀式に由来するものであろう。世界のどこであれ、イニシエーションは、子供の時代に別れを告げ大人の仲間入りをする儀式であった。古代では、大人になるということは、男にとって、戦士になることを意味した。したがって、死の覚悟を心に刻み付けるために、死に直面するような体験を通過することが求められるのである。タウロボリウムは、秘儀参加者に、そのことをもっとも直接的に体験させたのである。

 
 キリスト教の儀式は、そうした古代の残酷な儀式性をすべて否定する方向に向かう。確かに、血なまぐさい犠牲はあるのだが、それはイエスの死のみである。他の宗教儀式が、屠った動物を結局は料理し豪勢な食事を享受したのに対して、キリスト教徒は、イエスの贖罪の死を回想し、イエスの肉体と血のシンボルであるパンと葡萄酒を味わうという質素な晩餐にもって代えた。貧困を旨としたイエスの生き方に倣ったものだったろう。

















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