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ニーチェの言葉「神は死んだ」の政治的メッセージ [海外メディア記事]

 ニーチェの政治嫌いは有名なので、「「神は死んだ」の政治的メッセージ」というタイトルを見たとき、これはさぞひねった内容なのだろうなと思ったのだが、最後まで読んでみると実にまっとうな内容だった。

 「神は死んだ」という言葉は多義的で幾通りにも解釈できるし、実際これまで数知れないほどの仕方で解釈されてきた。中には、ニーチェは無神論者ではなく、19世紀ドイツの俗物ども(広くとれば、近代の人間たち)によって神が殺されたことを嘆き悲しんだのだと、初めて「神は死んだ」という思想が語られる『華やぐ智慧』の個所を解釈する人もいるほどである。

 この記事を読むだけでも、この言葉の厄介な側面は感じ取れるはずだ。でも、『ガーディアン』紙が最近ニーチェのこの言葉を取り上げているのか、いまいちよく判らないのだが、まあ、そんな疑問はこの際、脇に置いて純粋な知的好奇心から読んでみたいものだ。


The political message of Nietzsche's 'God is dead'



Lesley Chamberlain

guardian.co.uk, Tuesday 7 February 2012 09.00 GMT


http://www.guardian.co.uk/commentisfree/belief/2012/feb/07/political-message-nietzsche-god-is-dead



「 


ニーチェの言葉「神は死んだ」の政治的メッセージ



 「神は死んだ」というニーチェの宣言を今日的な文脈で考えると、それは無神論的な批判ではなく、理性と神との関連に対する攻撃なのだ



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プロイセンの軍服姿のフリードリヒ・ニーチェを写した1864 年の珍しい写真。




 フリードリヒ・ニーチェは「神の死」を1884年の著作『ツァラトゥストラかく語りき』で詩的な形で告知し、『アンチ・キリスト』(1888) では哲学的な主張としてそのテーマに立ち戻った。「哲学的な」ということで私が言いたいのは、この言葉が今の時代のわれわれの見慣れた信仰や信者に対する無神論的な批判ではなかった(あるいはそれだけではなかった)ということだ。それは、プラトンに始まり、17 世紀のルネ・デカルトにいたるまでキリスト教の伝統を通して受け継がれてきた理性と神との堅い結びつきに対する攻撃だったのだ。


 デカルトは『省察』の中で、主体は世界の中で手にできるどんな「真理」であっても、それを合理的に証明することができないならば、それを疑わなければならないと述べた。デカルトは、理性が真理に達することを神が保証してくれることに関して6種類の証明を行うことで、彼の方法を精緻に仕上げた。しかし、デカルトの同時代の人々は、神が存在するかどうかは新たな時代の科学的方法にとってはどうでもいいことだと見なすことができた。


 だが、デカルトの科学的な革命や啓蒙思想――そのいずれもが合理性を文化一般を前進させる力として確立させた――のおかげで、フランスやドイツの表舞台から(そして、ディヴィッド・ヒュームの登場とともに、イギリスでも)神は引きずり降ろされてしまったが、人間と自然と生命の意義をめぐる体系的な説明をする段になると、やはり依然として神を引き合いに出さざるを得ないのが実情だった。ある種の神の理念があったからこそ、ドイツ観念論として知られるヘーゲルやシェリングの偉大な体系は可能になったのである。


 19世紀半ばのドイツの哲学者であったニーチェはこうした観念論の文脈で神は死んだと宣言した。彼は同時に「理性」も死んだと宣言してもよかったのかもしれない。実際、まさにニーチェはそうしたのだ。なぜなら、観念論的な文脈での理性とは、ただ単に経験についての命題が真であると証明する精神の能力だけではなかったからだ。ヘーゲルにとって理性とは実在する超自然的な力であって、世界を進歩に向けて動かしていくものだった。ニーチェの反抗が意味するのは、人間の生を統率したりそれに意味を与える枠組みを生み出すような偉大な形而上学的な力は存在しないということであり、すべての人間はたった独りで不条理ともなりうる存在に直面しているのだ、ということだった。しかし以上が「神の死」の唯一の意味というわけではなかった。


 ニーチェは哲学者であると同じくらいドイツの著述家でもあった。彼の父は、ニーチェが4歳の時亡くなったが、プロテスタントの牧師であったし、ニーチェも陰鬱なルーテル派の敬虔な雰囲気の中で母と姉妹によって育てられた。彼が力を込めて反抗したのは、彼の感受性豊かな存在にキリスト教的な道徳が抑圧的な重圧を及ぼしたことに対してだった。この反抗心は慢性的な病気によってさらに焚きつけられたが、この病は彼が人生を愛する機会をさらに狭めていった。


 こうした個人的な反抗心に、当時ビスマルクの下に新たに統一されたドイツの状況に対するニーチェの憤りも加わった。ビスマルクはドイツの文化をプロテスタント的で国家的なものとして統一しようとする国を挙げての「文化闘争(Kulturkampf)」を追求していた。ニーチェは教会を一つの制度として毛嫌いしていて、政治的にも文化的にも彼は当時の時代よりをはるかに超えたヨーロッパの自由思想家になったのである。


 そこで、「神は死んだ」という言葉は、権力者どもよ、お前たちの制度を支えるために神の名を呼んでも無駄だ、ということだ。それは政治的なメッセージだった。

 そして、「神は死んだ」が意味するのは、理性、大文字で書かれるべき「理性」、プラトン哲学を可能にした実在する力として理性、キリスト教の保守本流や西洋の哲学を通して理性と神との密接なつながりを可能にしてきた理性は、「人間」の本性を説明するためには用いることができない、ということである。しかし、このことが意味するのは、人間もまた死んだということだ。実際、ニーチェの神の死がもたらす最も深刻な結果は、理性的な能力によって定義され理性の進歩の道を歩む存在としての人間または人類なるものが死んでしまった、ということなのだ。

  
 そこで「神は死んだ」は、ニーチェにとってさらに、肉体は自由だということも意味しているのだ。神の死に対してニーチェ的に応えるにはどうしたらいいかを探す必要があるとすれば、『華やぐ智慧(Die frohliche Wissenschaft )』(1886)にまで遡ってみるべきだろう。私ならばこの書を「喜びの科学(The Science of Joy)」と翻訳するだろうが。ニーチェがこの著作のために書いた二番目の序文からちょっとだけ引用してみよう。



 「生理的欲求が客観的で、理想的で、純粋に精神的なものという衣装を着せられ無意識のうちに偽装させられることは、恐るべきほど隅々にまで行きわたっている――私はしばしばこう自問したものだった、大局的に見れば、哲学とは肉体の解釈であるばかりか、肉体の誤解でもあるのではないかと」。



 第三書には「祈りとは、本当は決して自分の考えを持ったことがなく魂のいかなる上昇も知らない人々のために作られたのだ…」とか「世界を醜く悪しきものと見ようとするキリスト教的な意思が世界を醜く悪しきものにした」といったアフォリズムを含んでいる。「神は死んだ」という思想は、ここでは、一人ひとりの人間が、自己自身を再発見して、キリスト教が抑圧した生きる喜びそのものを知る者とならなくてはならないという考え方に近づくのである。


 かくして、「神は死んだ」は、人間のどうしようもなさが神を殺した、ということを意味する。これが『ツァラトゥストラ』の多くの部分のテーマであり精神である。このことがこのメッセージを悲しげなものにしているのである。


 それとは対照的に、『華やぐ智慧』の遊び心が爆発しているような叙述は、人類に対して、この世界で真に生きるために自己を完全に再創造せよという――おそらく不可能な――課題を課しているのである。


 ニーチェ以前からこうした再創造が行われてきた文脈は「唯物論」だった。それは、哲学的な意味で、ヘーゲルやシェリングの観念論の対極にあるものだった。ルートヴィヒ・フォイエルバッハが1830年代にそれを開始し、マルクスに哲学的な出発点を与えたことはよく知られている。


 こう書いたからといって、ニーチェはマルクス主義者だと言いたいわけではない。そんなものからは程遠いのだ。そうではなくて、ニーチェの考え方でさえも全くの無から生じたわけではないということを言いたいのである。彼は、自分が生まれた時代のもっともラディカルな精神に乗っかって時代を過ごしたのだし、自分なりのやり方で、つまりドイツの著述家として、反-観念論者として、反-キリスト教徒として、時代を生きたのである。彼の著作の『アンチ・クリスト』というタイトルは、「反キリスト」を意味するとともに「反-キリスト教徒」をも意味するのである。

 19 世紀半ばにすでに神が死んだことを西洋の世界に告げていたもう一つのナラティヴは、もちろん、ダーウィンのナラティヴだった。ニーチェは「ポスト-ダーウィニズム」の一部ではないが、彼が述べていることは20世紀の「神なき」文化的な潮流に流れ込むことになった。

 私たちが今日の無神論者の文脈でニーチェを考察するときにとても重要となるのは、彼は理性を神の地位にまで引き上げなかったし、しかも、彼が立ち去ろうとしていた精神的伝統に対して真剣な関わり方をしたということに留意することである。


」(おわり)









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