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ホロコースト犠牲者追悼の日 [海外メディア記事]

 
 今日1月27日はホロコースト犠牲者を追悼する国際デー(International Holocaust Remenbrance Day)だった。アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所の解放に因んで、2005年に国連総会本会議で決議されたそうだ。

 ドイツのどの新聞や雑誌も強制収容所について何らかの形で触れている。語りつくされた感じもない訳ではないが、いまだに新たな研究書が途絶えることなく出ている現状を『シュピーゲル』誌は伝えている。やはり、なぜあのような歴史が生み出されたのか、まだ謎だらけなのだろう。もっとも、この分野の研究は、最近あまり進展がないようだが。 

 最近、アウシュビッツの囚人だったプリーモ・レーヴィの著作(『溺れるものと救われるもの』)を読む機会があったが、彼によれば、収容所からの解放は決して心から喜べる出来事ではなかったのだそうだ。なぜなら、すでに十二分に非人間的な体験を収容所の中で味わいつくした(自らも恥辱的なことに加担した)以上、もはや真人間の社会に復帰できるかどうか深いためらいがあったからだ。4枚目の写真の、決して単純な喜びに浸っている訳ではない顔の中に、そうした複雑な心情を垣間見ることが出来るような気がする



 ドイツ『シュピーゲル』誌のスライド・ショーより。http://www.spiegel.de/fotostrecke/fotostrecke-63964.html

 「

・ 1944年5月: ユダヤ人の囚人たちがアウシュビッツに到着する





・ ナチス占領下のオーストリアにおける反ユダヤ的な暴言

ヴィーンのユダヤ人地区の商店。(「ユダヤ人よ、一掃されたら、ダッハウ(強制収容所)で休暇を取りな!」と読める落書きが書かれている)





・ 1943年のワルシャワのゲットー(ユダヤ人隔離地域):ユダヤ人の一般市民がナチス親衛隊の将校によって自宅から追い立てられる。




・ 1945年5月、オーストリアのエーベンゼー強制収容所の解放後の囚人たち。「私たちは、ベルリンの壁の崩壊後、ナチスのについての議論は片づいてしまうだろうと思っていましたよ」と語るのは歴史学者のズザンネ・ハイム。「でも明らかにそれほどの進展はありませんでしたね」。





」  






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