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花火大会開始前の浅草寺周辺

 今日(7月25日)は隅田川花火大会の日だった。

 花火大会の由来は「川施餓鬼」にあるのだという。「川施餓鬼」とは川に明かりを灯した灯ろうを流し、精霊を送るいわゆる「灯ろう流し」のこと。

 享保18年5月28日に、前年に起こった大飢饉や疫病による死者の尉霊と悪病退散を祈って、幕府(8代将軍吉宗)は隅田川において水神祭を行った。その際、両国橋にある料理屋が許しを得て、同日、川施餓鬼を行い、花火を上げたという。これが恒例となり、隅田川の花火と知られるようになったそうな。さて、それから280年あまりが経ったいま、慰霊という意味合いはすっかり消え、たんなる毎年恒例の祭りという意味しかなくなったわけだが・・・

 6時半ごろ浅草寺の境内をぶらっとしようと思い、家を出た。すでに馬道通りは人がいっぱい。弁天山を通り過ぎると屋台が目に入る。

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 やはり浴衣姿の女性が多い。浴衣姿の女性は綺麗だと言いたいところだが、メークのせいか、浴衣と首から上が調和していないように感じる例が多かった。


 ご存知の方も多いと思うが、今、浅草寺は改築中で、フードを被せられているような状態。

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 で、視線をその下にやると、この有様↓  昼ごろからずっと待っていた人も結構いたはず。ご苦労様としか言いようがない。

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 すでに歩行は困難な状態。ここで何かあったら・・・などと仕様もないことが頭を掠める。

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 やっと二天門のほうに抜け出られるところまでたどり着いたが、新たな趣向の屋台があったのでここに紹介。どこも長蛇の列だったが、とくに「カクテル」の屋台は評判がよかったようだ。

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 ふたたび馬道にでると、こんな感じで道路は占拠されている。浅草から今戸にかけての、見晴らしのいい道という道は大体こんな感じである。

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 地元民でこの日を楽しみにしている人も多かろうが、ただ騒々しいだけと思っている人も決して少なくないのではないか?  わが家は後者で、この花火大会やサンバ・カーニバルのある日などは、あらかじめ日付の決まった台風のようなもので、なるべく外に出ないようにしている。今日は禁を破って直前に外出したが、花火が始まる10分前には帰宅した。






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