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レイプ、殺人、浮気を進化論的に考える(3)   [海外メディア記事]

 これほど長大な記事になると、最初にすべてを読み通した上で訳し始めるのができないことがしばしばあり、そのため、後になって訳の不都合に気づくということも間々あるのですが、一つそういう不都合を発見してしまいました。タイトルに現われていた「乱交」は「浮気」に改めました。お詫びします。


 なお、文中に出てくるアンナ・ニコル・スミスとJ・ハワード・マーシャルとは誰?  調べたら、なんと、Wikiに載っていたのには驚きました。かいつまんで紹介すると、アンナ・ニコル・スミスは、アメリカ合衆国の月刊誌『PLAYBOY』の元プレイメイトでモデル、女優。アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身。・・・1991年10月ヒューストンのナイトクラブ「ジジズ」でストリッパーとして働いていた店に客として出入りしていたテキサスの石油大富豪、J・ハワード・マーシャル(J. Howard Marshall)と出会い、63歳年上の大富豪との結婚に世間を騒がせた。1994年6月27日に結婚し、翌1995年8月4日にJ・ハワード・マーシャルが死去。遺産をめぐって法廷闘争に発展…という二人だそうです。


 今回は、原文の3と4を合併して紹介します。進化心理学の現状を批判的に見て、ついにそれが全うな学問になることに失敗した経緯が簡潔に述べられています。訳しながら、私も色々勉強になりました。


By Sharon Begley | NEWSWEEK Published Jun 20, 2009
http://www.newsweek.com/id/202789/page/3
http://www.newsweek.com/id/202789/page/4


「 なぜわれわれはレイプ、殺人、不貞をするのか?


 しかし、これらの研究は批判にさらされたのだが、その理由を書き出せば長いリストになるほどである。たとえば、子供福祉関係の記録は、虐待者が誰なのかを示さないものが多い。 義理の子供が虐待される場合でも、義父ではなく母親が手を下しているケースがあることは、2005年の『児童虐待およびネグレクトの全国発生率調査(National Incidence Study of Child Abuse and Neglect )』lが報告している通りである。そのことが示唆するのは、記録上、義父による虐待の事例数が水増しされているということである。また、当局も義父を怪しいと思いがちなのである。義父の家庭で子供が虐待で死亡すると、生物学的な親だけの家庭で死亡事故が発生した場合に比べて、当局が死亡原因を父親に帰した報告書を書く確率は9倍も高いことが、1990年から1998年までにコロラドで死んだすべての子供の報告書を調べ上げたバラーの2002年の研究で明らかになった。つまり、児童虐待のデータは生物学的父親による虐待の事例を見落としている、ということである。最後に、2008年のスウェ-デンでのとある研究は、義理の子供を殺す男性の多くが(驚くべきことに)精神障害の持ち主であることを明らかにした。シングル・マザーが再婚する場合、義理の子供が増えることはないと想定しても大過ない。シングル・マザーの再婚相手が麻薬常習者で、大酒のみで精神病者であるならば、義理の子供に降りかかるさらなるリスクはその事実を反映しているだけであって、新たな女性の連れ子を虐待せよと男たちに命ずる普遍的な心的モジュールを反映しているわけではない。カナダのマックマスター大学のマーティン・デイリーとマーゴ・ウィルソンは、かつての著作で男性は義理の子供をネグレクトする心的モジュールをもつという見解に至りついたのだが、いまでは、そうした虐待がかつては適応的だったという主張を否認している。しかし、デイリーに言わせると「{義理の父親であること}が虐待のリスク要因であることを否認する試みは馬鹿げていますし、時には、デイヴィッド・バラーの著作のように、不正直でもあります」。


 義理の父親による児童虐待についてのデータが矛盾しているように見えるとすれば、まさにそこが重要な点だからであるかもしれない。他の男の子供を排除することが適応的であるような場合が実際あるかもしれないのである。やはり、それは場合による、としか言えない。アメリカの都市とアフリカの狩猟採集民の村といったさまざまな場所で行われた調査が示しているのだが、男性が義理の子供の面倒を見たり養育することは普通のことである。こうした状況ならではの特徴と思われることは、結婚生活の不安定さであるとヒルは言う。つまり、男女が一緒になり、子供をもち、そして分かれる。このような状況で、柔軟な人間の心は「母親をひきつけたり、母親と性交するためのアクセスを維持する」方法を見つけ出す、とヒルは説明する。品のない言い方をすれば、女性の子供に優しくすれば、女性はあなたと寝てくれるだろうし、あなたの適応度を最大限にしてくれるだろう。女性の子供を殺してしまえば、女性は恨めしく思い、あなたを寄せつけず、あなたの精子がそのダーウィン的使命を果たすことを不可能にしてしまうだろう。しかも、親戚に頼って子供の養育を手伝ってもらうような社会で、「10歳の義理の子供を殺すことは、その子だって手伝ってくれるのであるから、意味をなしません」とヒルは指摘する。義理の子供を、その子が手伝えるようになる年頃まで養育することの適応度に及ぼすコストは、進化論的生物学者が主張するよりもずっと、ずっと小さい
のです。生物学は、義理の子供を殺すことは人の適応度を高める適応の事例であると述べる単純なシナリオよりもずっと複雑なのです」。


 勇敢な戦士であることは、男性が女性を獲得し多くの子孫を残すことに利するという考え方でさえ否定された。エクアドルのアマゾン川流域のワオラミ族は、1958年に伝道師が入り込むまで、科学的に知られる限り、最も高い殺人率をほこっていた。女性の39%と男性の54%が、他のワオラミ族のメンバーに殺されたのであり、しかもしばしば、数世代続く血なまぐさい抗争の中で殺された。「知恵ある言葉として伝えられたものに、男性はより多くの奇襲に参加すればするほど、より多くの妻を得られるし、より多くの子孫を残せるというものがありました」と述べるのは、ペンシルベニア州立大学の人類学者ステファン・ベッカーマン。しかし、95人の戦士の家族の歴史と襲撃と殺戮の記録を苦労して構成してみたところ、ベッカーマンとその同僚はその信念を覆さざるをえなかった、と彼らは先月の『米国アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences)』で報告した。「気性の荒い男は夫になるには非常に不向きです」とベッカーマンは言う。「女性はそういう男を夫として選びませんし、彼らは反撃の標的となるので、その巻き添えを食らって妻や子供も殺される傾向にあるからです」。結果として、スーパー戦士になればなるほど残せる子孫は、それほど攻撃的ではない男性よりも少なくなるのである。タフ・ガイの行動はある環境では適応をもたらしただろうが、別の環境ではそうではなかっただろう。やはり、場合によりけりなのだ。「進化心理学の人々に対するメッセージは、ヒトが進化した単一の環境などというものはなかったということであり」したがって単一の人間本性というものもなかったということです、とベッカーマンは言う。



 わたしは、嫉妬に言及せずに、科学的な精査のもとで崩れさった進化心理学の主張のリストを終えることはできない。進化心理学の主張によれば、嫉妬も、それ独自のモジュールを備えた適応の事例であって、生殖の成功に対して脅威となるものを見つけて邪魔をするためのものであった。しかし、男性の嫉妬モジュールと女性の嫉妬モジュールは異なっているとされた。男性のものは、性的不貞を見つけ出すためのものである。別の男がはらませることを許す女性は、自分の子宮を少なくとも9ヶ月間は使用不可能にしてしまい、自分の夫から生殖の機会を奪ってしまうからである。女性の嫉妬モジュールは精神的不貞には敏感だが、夫が不実であってもあまり気にしない。男性は、見境のないところがあるので、たとえ性的に不実であっても、ナンバー1の妻とその子供から離れたりはしないだろうが、別の女性と本当に恋仲になったならば、妻や子供を見捨てるかもしれないからである。



 夫が他の多くの女性と寝ても大して気にしないように妻はプログラム化されていると(概して男性の)進化心理学者が主張するときにどんな動機をもっているのかと、せんさくするのはやめて、その代わりに証拠を求めるようにしよう。アンケートをとって、精神的不貞よりも性的不実のほうが動揺するだろうと答えたのは女性より男性のほうが多く、その比率は2対1以上の割合だったことは、テキサス大学のデイヴィッド・バスがアメリカの大学生を対象にした以前の研究で発見したことである。しかし、どちらの種類の不貞が自分をより動揺させるかという点では、男性の意見は半々に割れた。半数は、自分の彼女が別の男と恋仲になることを考えただけでも動揺すると答えた。半数は、彼女が別の男と寝ることを考えただけでも動揺すると答えた。男性のほうが性的不貞をより気にかけるという主張にはさほど強力な証拠があるわけではないのである。しかもある国、特にドイツとオランダでは、精神的な不貞よりも性的不貞のほうに同様させられると見なす男性のパーセンテージは28%と23%だった。このことが示唆するのは、何度も言うことだが、すべては状況次第ということである。女性の性について鷹揚な見解をもっている文化では、女性が、つかの間の、深い意味があるわけではない情事をしたとしても、男性はそれほど動揺しない。女性が自分のもとを去ってしまうという前兆ではないからである。男性も女性も彼らの絆を脅かすような行動を見つける要にできているということはもっとありそうなことだが、その行動が何であるかは文化によって違う。不倫が夫婦関係の終わりの前兆となる社会では、男性はそのことに気を配る。それが大したことではない社会では、男性は気を配っていないはずだし、気を配っていないように見える。女性の嫉妬心の引き金をひくものについての新たなデータは、単純な進化心理学がくりだすストーリーの信憑性を下げるものだった。自分の彼氏が別の女性とアクロバティックなセックスをするか、その女と恋に落ちるかの情景を想像してもらって、そのどちらの方が動揺するかと尋ねられて、後者の方と答えたのは、アメリカの女性では13%、オランダの女性では12%、ドイツの女性では8%にすぎなかった。あのよくありがちな「彼女は俺が他の女と寝ても気にしない性質なのさ」という言い訳については、これくらいで充分であろう。 


 進化心理学の批判者は、男性も女性も嫉妬心を抱くようにできていることを疑ってはいない。不貞をキャッチするレーダーのようなものがあれば、それは本当に適応に貢献するだろう。しかし証拠が指し示しているのは性的に中立的なものである。男性も女性も、相手を捨てる前兆となる行動とそうではない行動を区別し、前者にのみ動揺するという能力を発達させてきた。どの行動がどちらなのかは社会次第なのである。


 進化心理学の行く手は平坦ではない。それは、ほぼこの20年間、話題、とくにメディアでの話題を独占してきた。それは主に、今は亡き進化生物学者ステファン・ジェイ・グールドをリーダーとする初期の批判者たちが、進化論の約19人の専門家を除くすべての人に理解される議論によって攻撃したからであった。進化心理学は、まだ主導権を手放そうとはしない。ソーンヒルは、レイプが適応の一事例であるという点については、ヒルのアチェ族の研究結果にもかかわらず、譲歩するつもりはない。「もしある形質なり行動が何かをするために組織されたのであれば」、そしてレイプがそうなのだと彼は信じているのだが、「それは適応の一事例なのであり、進化によってそれが残るように選択されたのです」と彼は私に言った。そして新たな『スペント(Spent)』という本で、ニュー・メキシコ大学のジョフリー・ミラーは進化心理学の基本的考えを繰り返して、次のように力説している。「オスは、メスよりも、多様なパートナーとの多くの性交によってずっと多くのことを得る」のであるし、「人間の配偶者選択の基準には普遍的な性差があって、男性は若く多産の女性を好み、女性は年上で、身分が上で、金持ちの男性を好む」。



 その点について言えば、男性は女性よりも成熟が遅いという点を考慮に入れるならば、両性とも自分と同年齢の相手を好むということを示唆する証拠があるのである。もし男性の心が適応の結果、もっとも多産的である女性を好むようにできているならば、全米退職者協会に入る資格のある男性は23歳の女性と結婚してもいいはずだが――アンナ・ニコル・スミスとJ・ハワード・マーシャルという実例があるにもかかわらず――そんなことはせず、出産の適齢期をはるかに過ぎた女性を選ぶ。しかも、興味深いことに、ミラーが本を売ろうとすることよりも科学に焦点を絞るとき、彼は、「人間の配偶者選択は、男性が若くて美しい女性だけを好み、女性が身分と富を好むということ以上のものである」ことを認めるのである。このことは、彼が私にメールで語ってくれた。


 しかし、進化心理学は、依然として、メディアや大学のキャンパスでは大人気なのだが、その理由は明らかである。それが問題にしているのは「とてもセクシーなトピックス」なのだから、とヒルは言う。「要は、セックスと暴力を扱っているからです」。それは、ヒルが言うところの「太古の昔のなぜなぜ物語りに対する強迫観念」である。しかも、進化心理学の信憑性を揺るがす経験的データと理論的根拠について知る人はほとんどいないし、それを知る科学者もほとんどいない。「たいていの科学者は忙しすぎて、自分自身の狭い研究分野の外にある研究書を読んだりはしませんからね」と彼は言う。


 進化心理学者たちは、譲歩するどころか、戦場を科学の分野(そこで彼らはあやふやな根拠の上に立っている)から、イデオロギー(そこでは、声高に叫んだり悪口を言うことが非常に大きな成功を収めることがある)へと移したようである。たとえば、ニュー・メキシコ大学のミラーは、「批評家たちが教養ある層のかなりの部分を説き伏せて、進化心理学は悪質な右翼の陰謀であると信じ込ませた」と不平を言ったり、進化心理学を信じることは「保守主義的で不愉快で利己的であることの指標」と見なされていると不平をもらしている。悲しいことだが、このようにして、あまりにも多くの論争がやり過ごされてきたのである。「批評家たちには、お前たちは進化心理学に対する憎悪によって駆り立てられたマルクス主義者にすぎないという悪口雑言が投げつけられました」とバラーは言う。「それが、私がこの分野をもう追求していない理由の一つです。科学が行われている仕方が、ここでは、政治運動のようなところがあるからです」。


 では、進化心理学が失墜した今、人間の本性という観念はどうなるのだろうか? 行動生態学はそれを「環境次第である」に置き換えた。つまり、人間本性の核心は可変性と柔軟性であり、環境の社会的、物理的要求に合わせて行動を形作る能力なのである。バラーが言うように、人間における変異はシステムにおけるノイズなのではない。たしかに、シンボルの言語、文化、道具の使用、感情、感情表現のような形質は、確かに、人間の内にある普遍的要素であるように見える。一般大衆の想像力を捉える行動――手当たり次第に女と寝る男性、一夫一婦制的女性、義理の子供を殺す男性等々――は、人間の内にある普遍的要素ではないことが判明した。進化心理学を納める棺に打ち込む最後の釘として、遺伝学者の発見を引き合いに出すが、それによると、人間の遺伝子は、進化心理学が考案された頃、誰もが「現代の」人間は5万年前の人々のDNAとほぼ同じDNAをもっていると想定していた頃、誰もが想像していたよりも、ずっと急速に進化するものである。わずか1万歳としか見えない遺伝子もあれば、それよりも若い遺伝子もあるかもしれないのである。


 この発見が進化心理学のもっとも熱烈な擁護者の注意を引いたのだが、それは、環境が急激に変化しつつあるとき――農耕が考案されたり都市国家が勃興したときのように――は、自然選択が遺伝子プールの内に最も劇的な変化を生み出すときでだからである。しかし、この分野の指導的な人々の大半は、「人間の進化にかかわる遺伝学のここ10年における驚くべき進歩に追いついていない」とニュー・メキシコ大学のミラーも認めている。石器時代のケイブマンほど古い遺伝子ではなく、農耕や都市国家のような新しい遺伝子の発見が意味しているのは、人間の不変的要素があるという主張やそれらが石器時代の脳の産物であるということから始めて、「私たちが進化心理学の根底をなす前提を考え直さなければならない」ということである、とミラーは言う。進化が人間の脳を形作ったのは事実である。しかし、進化はその作用を、石のような硬いものにではなく、可塑的なプラスティク状のものに及ぼしたのであり、その結果として、世界を吟味してからそれに適応することができるような柔軟な心を私たちに残してくれたのである」。
 









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