SSブログ
 

3/31上野を歩く [雑感]

 3月最後の日、いつものように湯島から上野方面に歩いた。
 
 上野公園は、テレビで何度も見たが、花見は禁止。去年もそうだったが、去年よりも人出が少ないように見えたのは、たまたまか?

DSC_0242.JPG


そういえば、もう桜はピークは過ぎてましたね。ここ数日、ニュースや天気予報など見てなかったので、これからが見ごろかと思い込んでいた私がずれていたのか。しかし、例年ならば、少々、桜が散っていようが、花見客でごった返していたはずだから、やはり、みんな自粛の要請を守っているのだろう。やはり日本人は律儀だ、感心、感心・・・と言いたいところだが、それは日本人の一面を見ているだけだろう。多分、アメ横あたりに行けば、全然違う光景が見えるに違いないと思い、わざわざ行ってみると、案の定の賑わいだった。

DSC_0243.JPG

 これはまだ7時を少しすぎた頃だったから、まだおとなしかったが、誰もマスクなんてつけてない。まあ当たり前だよね、酒をマスクしながら飲んだりできるか、という魂の叫びが聞こえてきそう。まあ、その代償も大きいことは、いずれすぐ判るのだが。このイタチごっこ、いつまで続くのだろう?






コメント(0) 

湯島天神をまた通り過ぎる [雑感]

 しばらくぶりに湯島天神の境内を通る。一か月前に通ったときは、大学入試が始まったころで、わが子のことが気にならないわけでもなかったので、賽銭をあげたのだが、その功あってか、なんとか、かすって、この四月からニートになることもなく大学に通えることになった。
 
 もっとも、正直に言うが、あのとき賽銭としてあげたのは財布にたまたまあった小銭の15円だけで、他に百円玉がいくつかあったにもかかわらず、ついケチってしまった。思い返してみると、そんなケチ臭い賽銭をあげて、むしろ罰(バチ)が当たらなかった方が不思議だと思うのみで、功徳に感謝などという殊勝な気持ちなどまったくない。今日も、境内をただ通り過ぎただけであった。

 しかし、絵馬がまだいっぱいありますね。湯島天神の絵馬は、横から見ると、最初はいったい何なのか、誰も判らないにちがいない。すごい時は、これが爆発したみたいに膨れ上がっているように見えるのである。今日のボリュームは、まだ全然おとなしい方。

DSC_0235.JPG


 ちょっと歩いた先にも、まだ絵馬の棚がある。何を書こうかと思い悩んでいる人が数名いた。これからなのか? それとも結果はすでに出ていて、お礼の文言を考えていたのか?

DSC_0236.JPG 


 とりあえず、受験シーズンが終わり新学期である。しかし、コロナの感染者数が一向に減らないのが気がかりではある。私は、新年度はすべて対面で授業をする予定。ズームは性に合わないので、受講希望者が想定を超えても、数を絞って対面で行う予定。しかし、非常事態が解除されず、オンラインの授業にせざるを得なくなったら、どうしよう?






コメント(0) 

湯島天神 02/09 [雑感]

 夜7時ごろ湯島天神を通る。
 土曜日に通りかかったとき、多くの参拝者が列を作って待っている状態だったので、素通りしたのだが、平日の夜はさすがに誰もいなかった。

DSC_0223.jpg

 受験シーズンだから、混雑するのは当然だよね。我が家でも、6年前は中学受験で大変だった。そして今年は大学受験。もう親がどうこうすることもないので、ほとんど何もしない。だがせめて賽銭でもと、やって来たというわけ。本人の怠惰ぶりを嫌というほど見て来たので、受験の成否にはほとんど関心はないのだが。

 梅が綺麗だ、なんか造花っぽい感じだが。月日は流れるが、また同じ春がめぐって来る。

 
コメント(0) 

図書を借りる [雑感]

 大学の図書館で3冊ばかり本を借りる。

 一つ目は『ニーチェと宗教改革』(H.Heit &A.U.Sommers(ed):Nietsche und die Reformation)。
 
 これは、二年くらい前に、図書館に購入希望を出した本。しかし、どんなトラブルがあったかは知らないが、発売が遅れに遅れ、ようやく、最近になって入手可能になったようだ。宗教改革についての捉えなおしの機運があって、それが反映されているのかなと勝手な期待を込めていたのだが、どうもそうではないらしい。月並みな内容にがっかり。

 二つ目は、1979年刊の少し古い本で『中世ドイツの異端抑圧』(R.Kieckhefer: Repression of Heresy in Medieval Germany)。中世の異端排斥のことを、いつかはきちんと調べたいと思っているのだが、いつになるかは判らない。とりあえずコピー&スキャンして、PCに取り込んでおく。これが私の「積読(つんどく)」の流儀。

 三つ目は、翻訳物で、H.E.テート著『ヒトラー政権の共犯者、犠牲者、反対者』。ヒトラー時代のプロテスタントの関係者の内面に焦点を当てた書物らしいが、冒頭の言葉にひきつけられた。

 「文明化された国において、国家権力が一人の賭博師で政治的な扇動家である人間の手に落ちるというようなことが、どうして起こりえたのだろうか」。


 原著は1997年に出たらしい。こういう問題意識をもって出された書物はたくさんあると思うが、20世紀の終わりになっても、こういう問いかけで始まる書物を出す人がいるということは、この問いが、まだぜんぜん解明されていないことを示唆しているのだろう。

 ナチスは滅んだが、その後の歴史においても大量虐殺は繰り返された。「一人の賭博師」によって、「文明化された国」が翻弄される例は、最近のアメリカが示してくれた。ロシアや東欧、中国や東南アジアにも同じ危険はあるのだから、周囲の状況次第でまたひどい体制が復活しないとも限らない。というか、もうすでに存在しているか。いずれにせよ、ナチに関する問題はつねに重要であり続ける。そういうことを心にとどめながら、しばらくこの本を読んでみようと思った。









コメント(0) 

近況(2021/02/03) [雑感]

 しばらくの間、家と大学の間を往復するだけで、いわば蟄居の生活をしていた。もっとも、ステイ・ホームの呼びかけに呼応したというわけではなく、身体がなまるのを避けて頻繁にウォーキングはしていた。よく行った場所は、湯島と不忍池、北千住近辺。不忍池では、鯉にパン屑をやるのが楽しかった、それと山谷のあたりも、なぜか急ぎ足で通過したりしながら、夜の散策を楽しんだ。

 読書もなるべく控え、少し音楽に没頭してみた。ブラッド・メルドーやブライアン・ブレイドに少しはまったが深入りはせず。アルヴォ・ペルトのCDを集めまくったが、まだ集中して聴き込むという感じにはならない。最近のお気に入りは、VoxLuminisやウエルガスといったベルギーの古楽アンサンブル。あー、自分は、こういうのが好きなんだなということが、この年にして初めて判る。

 あまり書物は集中して読めない状態なのだが、最近の関心は、20世紀初頭のプロテスタント神学者が、(そのころにはもうすっかり読まれなくなっていた)ルターを復活させて、ルターの毒を徐々に撒き散らして、いかにナチス台頭の土壌をつくったかに関心があって、すこし本を取り寄せたりしている。まあ、ぼちぼち行こか~、というところかな。

 このブログも、ちょっと中断していたけど、やはり愛着があるので止めるわけにはいかない。こっちも、ぼちぼちやって行こか~、という感じでやって行こうかと思っている。






 
コメント(0) 

上野の花見 [雑感]

 今日(3月25日)の夜7時ごろ上野の山を少し歩いたが、自粛要請にもかかわらず、やはり、多くのカップルが柵に腰かけながら、(男性はビール片手で)、楽しそうに話し合っている様子が目についた。

DSC_0166.jpg

まあ、ブルーシートを敷いて酒盛りしているわけじゃないのだから大目に見てよ、ということかもしれないが、やはり危機感が少なくなっているよね。

 この前の三連休の最後の日に、やはり上野の盛り場を通り過ぎたら、ものすごく混んでいた。あら~、みんなもう危機は過ぎたと感じているんだな~と感じたのだが、同じ楽観ムードが上野の山にも漂っていたというわけである。


 ところが、家に帰って、ニュースを見ると、「東京、週末の外出自粛要請」と出ている。小池都知事が会見をしている。いや、これは少しタイミングが遅い。東京都は、三連休の前に、楽観の空気をいさめるべきであった。先週の楽観ムードが大きな傷にならなければよいが。






コメント(0) 

隅田川沿いの散歩 [雑感]

 今日の日曜は、隅田川沿いを浅草から汐入公園をぐるっと回って町屋まで、ひとまず歩いた。途中の桜のある風景↓ 

DSC_0165.jpg


 家族連れが目についた。子供は外で遊びたくて仕方ないだろうな。みんな折り目正しくくつろいでいた。新型ウィルスに対する政府の政策が良くないにも関わらず、被害が広がってないのは、国民の折り目正しい対応にあるのだと思う。我慢もあと少しであることを願うのみだ。


 町屋駅から少し地下鉄を使い根津まで。この休みを利用して、これまで聴いてこなかった音楽家のCDを集中的に聴いてみようと思い、ジャコ・パストリアス関連とストラヴィンスキーのCDを借りまくっている。

 根津図書館からはまた歩いて帰宅。
 合計21969歩 距離15.77㎞ 消費680kcal。








 
コメント(0) 

あの混雑も今は昔 [雑感]

 今日、帰宅するとき雷門のところを通りかかったら、やはり、閑散としていた。夜の8時少し前だが、今回のウィルス騒動以前は、夜の8時頃はまだ観光客で騒然としていたものだ。


DSC_0161.JPG


 短期間で、観光客急増以前の頃に戻ったかのようである。私としては静かな方が良いけど、商売している人は大変だろうな。何となく、兵どもが夢の跡なんて場違いな言葉が浮かんできた。


 家に帰って、金融市場の状況を見ると、アメリカ10年国債の利回りが、何と10%以上の下落。こんな数字、初めて見た。誰もが、うっすら恐怖感を感じるようになっているのではないか?







コメント(0) 

ローマの旅 2020/02 その六  [雑感]

 ローマ滞在中に書かなかったが、最後の日に、Cimitero Acattolico に立ち寄ってみた。

 ”Cimitero Acattolico” の ”Cimitero”が、英語の”Cemetery”に当たるのは判るだろう(英語にある程度くわしければ)。しかし、”Acattolico” は、最初、私も判らなかった。しかし、よく見てみると、” cattolico” に ”a” (否定を表わす前つづり)が付いた ものと判ると、意味が自ずと理解できる。ああ、「非カトリック」のことか、「非カトリック教徒のための墓地」ならば、グーグルマップにも表記されていたなあ。そのことに気づくまで、私は、ひたすら「チミテーロ・アカトリコ」と心の中で念じていたのである。

 墓地の内部は静寂が漂い、かすかだが、日本の墓地とは違うにおいが漂う。十字架が並んでいるのも、(変な言い方だが)やはり少し新鮮に感じられる。

 0.jpg


 なんと、日本人の墓もあるではないか。「大日本山田貴一郎之墓」とある。帰ってから調べたが、どういう人物かは分からなかった。

1.jpg


 そもそもこの墓地に来たのは、天使が嘆くような構図の墓の写真をかつて見て印象に残っていたので、時間があったら見に行こうと決めていたからである。しかし、肝心の墓がなかなか見つからない。ほぼ諦めかけて出口に向かっていたところ、一番上にそれらしきものを見つけた。あれだ、間違いない。


2.jpg

 
この墓は、アメリカの彫刻家ウィリアム・ウェットモア・ストーリー(William Wetmore Story)が妻のエメリンのために1894年に造ったもの。嘆きの天使(Angel of Grief or the Weeping Angel)の名で知られる(https://en.wikipedia.org/wiki/Angel_of_Grief)。

 

3.jpg



 私は、以前たまたま、『ガーディアン』というイギリスの新聞でこの墓のことを知って、それを記事に取りあげたこともあった(https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2013-03-11)。しかし、この墓を見るために、わざわこの墓地に来るような人間はいないだろうなと思っていたが、そんなことはなかった。この墓は世界的に有名らしく、やはりこの墓目当てに来た人たちであろう、何もの人がこの墓を写真に収めていた。


4.jpg


 この彫刻家にとって、妻の死はあまりに大きな打撃だった。ストーリーは、妻の後を追うように、妻の死の翌年に死去。妻の存在は、彼の生きる希望だったのだろう。妻の死を悼むこの作品は、彼の生涯の最大の作品となったようだ。彫刻家自身も、いま、妻の隣で永遠の眠りについている。






コメント(0) 

ローマの旅 2020/02 その五 [雑感]

 出発を明日に控えて、今日は、家人ためのお土産を買う日にする。

 私は、何が土産として好まれているかなど知るはずもない。ネットで少し勉強した上で、どうもローマはチョコが美味いらしいことを知ったので、ここという店に絞って行ってみた。スペイン広場近くの”Quetzalcoatl”という読みづらい店名。どうもスペイン系で「ケツァルコアトル」と読み、アステカ神話の文化神・農耕神を表わすらしい。しかし、店に入ると、そういういかめしい感じとは無縁で、たぶん夫婦で切り盛りしているのだろう、対応はとても柔らかだった。約5000円のセットを購入。

DSC_0120.JPG


それと、あらかじめ、ソープやハンドクリームでも買ってきてと言われていたのだが、さすがに男一人でコスメの専門店に入るのは様にならないので、こちらは、三越のローマ店で済ます。カウンター近くの一番目立つところに置かれていたのが、レルボラリオ ( L'ERBOLARIO)の商品群。ローマで人気化している自然の成分で作られたコスメで有名なメーカーであるのは、予習してて知っていた。「これ、日本でも買えるんでしょう?」と聞くと、「いえ、ここからここまでは日本では発売されておりません」とベテランの店員は言う。そう言われると買わなきゃ損という気分になる。一つ一つは高いものではないので気前よく買うことに。

DSC_0152.JPG


まあ、これだけ買えば一週間の不在の償いというか、穴埋めにはなるだろう。これで、ローマ滞在中の義務は一応すべて果たした。帰国したら、本業の方面でどういう成果があったかを、少しだけ振り返ろうかなと思っている。








コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。