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微妙な消費者行動 [海外メディア記事]

  消費者の行動の愚かさを指摘する研究は掃いて捨てるほどありますが、ここで取り上げられている研究は少し違うようですが、消費者行動といっても、食は特別のようだというのが結論でしょうか、それとも「サイズが大事」というのが結論でしょうか?  何がテーマなのか少し判然としません。『ニューヨーク・タイムズ』紙の記者ジョン・ティアニーの記事です。
 
  なお、文中に出てくる「報酬系」とは、「ヒト・動物の脳において、欲求が満たされたとき、あるいは満たされることが分かったときに活性化し、その個体に快の感覚を与える神経系」のことのようです。

 
By JOHN TIERNEY  Published: June 29, 2009

http://www.nytimes.com/2009/06/30/science/30tier.html?_r=1&ref=science

 「消費者の幸福度を何とかして計算する


 人間は喧伝されているほどだまされやすいわけではないのか?

 もう何十年にもわたって、社会心理学者や行動経済学者は、消費者を操って奇妙なことをさせては、それを笑いの種にしてきた。彼らは、ホモ・エコノミクスという概念、つまり、最大の経済的効用を合理的に得ようとする人間という理論の産物の誤りを暴いて、はしゃいできたのだ。

 昔ながらの価格にうるさい消費者ならば、価格の上昇に対して、その製品に対する需要を抑えることによって、反応すると考えられてきたが、私たちはしばしばそれと正反対のことをする。価格が上昇するのであれば、それは思ったより良い製品にちがいないと思って、私たちは、その製品をもっと買いたくなる――そして体が思わずそちらに向いてしまうほど完璧にだまされるのである。 

 もし人々に「これは2ドル50セントする鎮痛剤だ」と言って偽薬を与えるならば、その薬は20セントだといわれる場合よりも、より良く痛みに耐えることができるだろう。栄養飲料を値引きされた安い値段で得た場合、その直後のテストの成績は、正規の価格を払った場合よりも、悪くなるだろう。いま味わっているワインが一本90ドルだと言われた場合、それが10ドルだと言われた場合よりも、脳の報酬系(reward centers)はいっそう活性化するだろう。


しかし、実験室でワインを飲んでいるときの脳をスキャンする代わりに、もっと現実的な状況で人々を調査しているものとしよう。たとえば、自腹をきってレストランで食事をしている状況を考えてみよう。そうした研究課題が、テルアビブの高級レストランで、コーネル大学のオーリ・ヘフェッツよイェルサレムのヘブライ大学のモーゼス・シャイヨーという二人の行動経済学者によって行われた。彼らは、メニューに載っている価格を変えることで、ディナー客の選択を自由に操ることができるだろうと見込んだのである。


 ディナー客やウェイターには知られずに、経済学者は、コース・メニューから注文する人々の選択をモニターを通して見ていた。コース・メニューの価格表には、エビのニョッキ、豚のすね肉、ヒメジのフィレット、ソーセージ、アーティチョークの詰め物の5つの前菜が自由に選べると記されてあった。


 メニューに記されたこれら前菜の横には、カッコつきで、一品料理のメニューからその前菜を注文した場合の価格が載っていた。これらの価格は、コースメニューの値段には関係なく、前菜が何であれコースメニューは30ドルだった。しかし研究者は、一品料理のメニューでの前菜の値段を目にすることがどのような違いを生み出すかに注目した。ヒメジが20ドルでその他が17ドルならば、より多くの人が釣られて、他のものよりも価値があるように見える魚を注文するだろう、と研究者は考えたのである。

 しかし、値段の組み合わせを色々変えて3ヶ月調査した後で、研究者は、消費者を意のままにすることはできないことを発見した。エビやその他の前菜により高い価格をつけても、ディナー客はそれを注文しようとは思わなかったのである。これと同じような頑固で価格の影響を受けない心理は、同じ研究者による別の食べ物の実験でも明らかであった。彼らは、今度は、二種類の――ピーナッツ・バターの棒状のアメとキャラメルの――キャンディーを試食させて、それぞれの表示価格を変えてみた。

 表面的に見れば、この価格操作はうまく行ったように見えた。というのも、人々はより高い価格が付いていたらそっちのキャンディーのほうを買いたいと言ったからだが、しかしそれは、仮の質問に対する答えにすぎなかった。キャンディー一袋を家に持ち帰ってもいいよと言われると、人々は表示価格などまったく無視して自分が気に入ったものを選んだからである。

 なぜ人々はだまされて高い値段のキャンディーや前菜を選ばなかったのか? なぜ彼らは自分の嗜好にしたがったのか?

 「たぶん、時によりけりですが、昔ながらの経済学はほとんど正しいのです」とシャイヨー博士は言う。「たぶん食べ物となると、人々の好みはかなり安定しているのです。仮に高くても、エビが好きな人もいれば好きでない人もいますからね」。


 消費者は、実験室での実験で表示価格を変えた場合、その影響を受けることがあるということを研究者たちは否定しない。しかし、そうした要因は、テルアビブのレストランのように値段がそれほど極端に上下しない現実世界というセッティングでは、どれほど重要なのかと研究者たちは疑問視する。「サイズがすべてです」とヘフェッツ博士は言う。「私たちの発見が思い起こさせてくれるのは、「AはBに積極的な影響を及ぼす」ということを知っているだけでは充分ではないということです。影響力があるとしても、問題にならないくらい小さいということもありますからね」(たかだか数ドルの違いでは、それほどの影響を及ぼさないという意味――訳者註)。

 この「サイズが大事」という効果は、ニューメキシコ大学の革命的心理学者ジョフリー・ミラーの助けを借りて私のティアニー・ラボ・ブログで行ったもっとずっと厳密ではない調査においても現れたように思われる。ミラーの新著『浪費される金:セックス、進化そして消費者行動』(Viking社)において、彼は、人間はしばしば、自分が大金を出して買うぜいたく品が自分の知性や輝かしい人格的特性を、自分の仲間になりうる人々に示してくれるだろうという無意識的な――そして間違った――信念のゆえに、大金を浪費するということを論じている。

 考える素材として、ミラー博士はブログの読者に、これまで買ったもので最も値段の高いものを10個をリストアップするよう求め、そしてその次に、最大の幸福をもたらした購入品を10個リストアップするように求めた。200人以上の人が回答を寄せてくれた。予想通り、多くの人が、喜びをもたらしてくれなかったものに多くのお金を使ったことを後悔していた。幸福をドル換算して、その幸福をもたらすという点で、ボートはとくに低い効用しかもっていないように見えた。多くの車もそのカテゴリーに当てはまったし、高くついた多くの結婚式もそうだった。。
 
 しかし私たちの印象に残ったのは、最も高額だったもののリストと買って最も幸福になれたもののリストがいかに重なり合っているかという点だった。どの人も、両方のリストに、自宅、大学教育、休暇での旅行、高額な電化製品(大画面テレビ、ブルーレイ・プレイヤー、オーディオ機器、コンピュータ)やある種の車(BMW325、AudiA4、ジャガー、スバルWRX、トヨタ・プリウス、ホンダ・シヴィック)を挙げていた。
 
 実は、ミラー博士が特定した最初のトレンドが幸福リストと出費リストとの合致だった。その中には購入後に自分を納得させようとして思いついた合理化もあったが、高額品の購入者の多くは買ったことを後悔することだけはしてなかった。読者の一人として、ジャネット・ハッブスは次のように述べた。

 「過去10年間に私が最大のお金を費やした三つのもの(必需品は除く)は、ケープコッドの別荘、レクサス、ロレックスよ。そしてこの三つは、かかったお金の順番で愛してるわ。それが私の何を語っていようと、そんなこと知ったことではありません」」。
  









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安楽死がイギリス上院で審議される [海外メディア記事]

 以前3月6日の記事『夫婦そろって安楽死』(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-03-06)で伝えたように、安楽死のためにスイスのディグニタス・クリニックを訪れるイギリス人が後を絶たないという状況の中で、安楽死をめぐる法律改正の審議が今週イギリスの上院で行われるようです。それに焦点を当てた『インディペンデント』紙の記事です。



http://www.independent.co.uk/news/uk/home-news/suicide-is-legal-helping-someone-to-die-is-not-must-the-law-be-changed-1722465.html

 「自殺は合法だが、他人が死ぬのを助けることは合法ではない。法律は変えられなければならないか?
  デビー・パービーとマイケル・ヴェンハムは、ともに末期の病を抱えて生きているが、彼らに、今週行われる上院での審議に先立って、対立する意見を語ってもらった。
 
 生きるべきか死ぬべきか。もっと適切に言えば、個人のための決定なのか、国家のための決定なのか? イギリスでは自殺は合法的だが、他人が死ぬのを助けることはそうではない。過去7年間に、115名のイギリス人が親戚や友人の助けを借りて、自らの命を終えるためにスイスの安楽死クリニックのディグニタス協会に旅立った。ほとんどが癌や運動ニューロン疾患のような末期の病気を患っていたが、ごく少数の人は、関節リウマチのような慢性的ではあるが生命を危険にさらすような病気ではなかったことが先週明らかになった。しかしこれまで起訴された者は一人もいないのである。

 
 上院は、今週、検死官及び司法法案(Coroners and Justice Bill)に対する修正条項を審議して、他人が自らの生を終えることを手助けすることが合法となるような状況を設定しようとしている。

 
 デビー・パービーはこの修正条項を支持している。多発性硬化症の患者である彼女は、自分の夫やそれに類する人が、彼女が自分の生命を終わらせることを手助けした場合、起訴されるのはいかなる状況なのかを明確化してほしいと望んでいる。マイケル・ヴェンハムは、運動ニューロン疾患をわずらっているが、この修正条項に反対である。『インディペンデント日曜版』は二人に、メールでこの問題を論じ合ってほしいという要望を出した。



 デビー・パービー(DP):何千という人が、自分で下した決定が尊重されることを知る必要があるから、あなたの思い通りになるといいわねと私に言ってくれました。だから、私が愛する人の問題だけではないのです。最近BBCが行った世論調査では、自殺幇助が犯罪だと考えている人は4パーセントにすぎませんでした。つまり私の解釈では、96パーセントの人が起訴されるべきではない状況があると考えているのです。ですから、私たちは、そういう状況がどのようなものであるかを明確にしておく必要があるのです。あなたは、法的な明確さが最低限の必要条件であることに賛成ではないのですか?


 マイケル・ヴェンハム(MW):私はその世論調査を違った仕方で読みましたけど、法律と、法律が実施される仕方が明確に理解される必要があるという点についてはあなたと同意見です。しかしあなたが「明確化」を「変更」を表わす別の言葉として理解しているのであれば、私は同意しません。他人が自らの命を絶つのを手助けしたり促したりすることは、法制化すべきではありません。私の理解では、あなたのような人が自分の置かれた状況を知ることができるように、規則に対する例外が書面で明文化されることをあなたは望んでいるのでしょう。私の見解は、どんな状況も漏らすことのないような例外のない規則などというものは作れない、というものです。生や死は、そのようなものではないでしょう。必要とされる明確さは、現行の法とその適用についての明確な説明だけでしょう。


DP: 現在の法によれば、自殺を忠告したり、実行したり、幇助することは違法となりますが、自殺そのものはOKなんです。つまり、私の車いすを押したり、旅行の手配をしたり医学的なデータを集めることも違法だし、安楽死について夫と話し合うことですら違法、ということになりかねません。

 医療機関の助けを借りて自らの命を終わらせるのは自分自身の選択であるという医学的、または法的保証が得られるように患者が申請ができることを、法律は明記すべきです。幇助の事前申請がないならば、公訴局長官(Director of Public Prosecutions (DPP) )は自由に起訴を検討すればいいでしょう。これが、「明確」ということで私が言いたいことです。修正条項が採択されたところで、スイスに行ったり自殺することが「より簡単になる」わけではないでしょう。それはもう合法なのです。修正条項がしようとすることは、これが患者本人の選択であるという事前の保証の枠組みを設定して、患者が期待する手助けを開始することなのです。


 MW:この条項が、病気と闘っている人に圧力が加えられることをどうして防げるのか、私には判りません。がんを患っていて自分が家族の重荷になっている感じている在宅の気弱な老女が、次のように言っていると想像してください。「もう私が終わりにした方がみんな楽になれるわね」。(それに対して周囲の人々が次のように言うものと想像してみてください)。「そうね、私たちはあなたにプレッシャーをかけたいと思っているわけではないのですが、もしあなたが望むのであれば、医者に診てもらうよう手はずを整えることはできますよ…」。ここには利害関係者からの明白なプレッシャーはありません。ただ、あなたが望まれていないという言外に込めた遠まわしな意図があるだけです。いま問題の修正条項は、その老女がスイスに連れて行かれるとき、書類がすべてそろっているからという理由で、連れていく人々を守ってくれるでしょう。現在の法は、弱い人々をひどく扱うことに対する強力な抑止力となるのです。

 こう言っても、あなたの抱えている問題は残ったままです。DPPがきちんと処理するのを信頼しなさいと言っても、あなたにとって十分でないことは私も知っています。あなたはDPPを信頼してないでしょうし。あなたが望む保証に答えがあるのかどうか私には判りません。仮に答えがあったとしても、人生に何か保証があるかどうか私には判りませんけどね。
 
 修正条項の重大な欠陥は、それが末期の患者に対する自殺ほう助が、もし外国でなされるならば、許されると述べていることです。一体、なぜイギリス国内では自殺ほう助は別様に考えられなければならないのですか? 実は、この条項はイギリスの法律に全く新たな原則を持ちこもうとしているのです。

 この点が肝心なのではありませんか? この点こそ、あなたに少しの安心感を与えるとともに、自殺ほう助の合法化に向けた第一歩ともなるのです。


 DP:この国の慣習法では、愛する人が死ぬために外国に行くのを手助けする人は起訴されないことになっています。だから先ほど出た「おばあちゃん」は、現在では守られていないのです。法律は、21世紀のイギリスにふさわしい仕方で、スイスではなく我が国で必要とされる保証をつけて作成される必要があります。「ディグニティー・イン・ダイイング(Dignity in Dying:死ぬ者の尊厳)」を含む、安楽死運動を展開している多くの人々は、この法律が死のプロセスが始まってしまった者にだけ、つまり末期の患者にだけ適用されることを望んでいます。私個人としては、苦しみが耐え難く気力が尽きてしまった不治の病の患者や慢性疾患の患者に自殺ほう助を認めるような法律に賛成したいのです。私たちが必要としているのは、一般社会でのオープンな議論と、条文に書いてあることとその意図に乖離のない法律なのです。


 MW:私ならば、妻のジェーンや家族の誰かに自分が自殺するのを手伝ってくれと頼んだりはしないでしょう。絶対に嫌だと思うのは知ってますからね。私は、自著の”My Donkey Body Inside a terminal illness(ロバのような私のからだ。末期の病の中で)”で、私の状態が悪化して全面的に家族の世話に頼りっきりになるのを見るのは家族にとってどれほど辛いかについて書きました。それは家族にとって地獄の苦しみでしょうが、もし私が自分でそれを終わらせようと決めたら、それはもっと悪いことになるでしょうし、家族に手伝うようにお願いしたら、それは最悪というものでしょう。それは、私が彼らにとってもう何の価値もないこと、彼らが私にとってもう何の価値もないこと、苦痛と苦しみの方が彼らの愛よりも勝っていることを語っているからです。私が失禁したり、よだれを流したり、支離滅裂なことを言ったとしても、私が自分の尊厳を失ってしまったと家族の者たちが考えることはないでしょう。それ以上に悪くなっても、そういうことはないでしょう。しかし、それほど「幸運」でない人もいるわけです――たった一人で苦しんでいる人々がね。彼らは何のために、あるいは誰のために生き続けなければならないのでしょう? これは、私には、私たちの社会の失敗の一例であると思えるのです。


 DP:あなたは、どのような人生を送るか、どのように死に直面するかについて選択をしたわけです。あなたは、最後の息を引き取るまで、運動ニューロン疾患と闘うことに尊厳を見いだされている。しかし、死ぬ時期や死に方を自分で決めることに尊厳を見いだす人もいるかもしれないでしょう。個人の決定に誰か別の人が判断を下す権利があるとは私には思えないのですが、現在の法はそういう判断を下しているのです。

 「幇助された自殺」とは誰かが放棄したことを示唆しています。誰かある人が自分自身に対する自信を失うことは見ていて胸が張り裂けそうな気持になりますし、家族や友人は「何か」をしなかったことで後悔の念で一杯になります。私たちが話題にしているのは、死の確実さや耐えがたい苦痛に直面している人があえて自分で決めようとする時の「幇助された死」なのです。


 MW:私は「あいつらは信仰心があるから、そうじゃない者に自分たちの意見を押しつけようとしているんだ」といった言葉をしばしば耳にします。しかしこれは問題を回避する逃げ口上というもので、真の問題は、社会にとって何が最善か? ということです。誰もが信念をもっています。あなたは神が存在していないと思っている。私は神が存在していると思っています。国民の多数派が神の存在を信じていると言っていることは重要ではありません。問題は、法律は現在その目的を達しているか、それとももっと改良することができるか、という点です。緩和ケアはとてつもなく進歩しました。まだ完璧でもないし一様に良好というわけでもありませんが、しかしそのことは緩和ケアを拡大したり改善したりするための議論とはなりますが、経済的代案として安楽死を提案するための議論とはならないのです」。 

 






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夢には意味がある [海外メディア記事]

 メンタル・ヘルス的な話題が続きますが、今日は夢について。脳研究の進歩によって、かつての夢判断的な解釈は全面的に否定されてしまった感がありましたが、最近になって、また「夢には意味がある」という方向を向いた研究が進んでいるようです。もちろんフロイト的なものではありませんが。『タイム』誌の記事です。


By Tiffany Sharples Monday, Jun. 15, 2009

http://www.time.com/time/health/article/0,8599,1904561,00.html

 「願望充足? いやそうではない。しかし夢は確かに意味をもっている


  夢は、1889年にジグムント・フロイトが最初に想定したように、無意識の充たされない欲求に通じる秘密の窓ではないにしても、ますます増える証拠によって、夢が――睡眠はもっとそうである――人間の感情の処理に密接に結びついているということが示されているのだという。

 シアトルで行われた睡眠協会連合の年次総会で先週発表された新たな研究によると、しっかり睡眠をとっていると、覚醒時に複雑な感情を適切に理解するわれわれの能力もしっかりしたものなるらしい。「睡眠は、本質的にいって、感情の羅針盤が示す磁気北位をリセットしているのです」。そう語るのは、カリフォルニア大学バークレー校の「睡眠と神経画像研究室」の室長マシュー・ウォーカー。


 ウォーカーと共同研究者による最近の研究は、睡眠――とくに急速眼球運動睡眠(レム睡眠rapid eye movement (REM)sleep )――が他人の顔に表われる感情を読み取る能力にどれほど影響を及ぼすかということを調べた。36人の成人を対象にした小さな実験で、実験参加者は、昼間60分または90分の昼寝をしたりまったく昼寝をとらないまま、写真に写った人の表情を言い当てるように求められた。昼寝の間レム睡眠(そこで夢が非常にしばしば生ずる)に達した参加者は、レム睡眠に達しなかったりまったく昼寝をしなかった参加者に比べて、他人の表情のうちに、幸福といったポジティヴな感情が表われていることをより良く見極められた。レム睡眠に達しなかったり昼寝をとらなかった参加者は、怒りや心配を含むネガティヴな表情の方により敏感だった。

 
 医学雑誌『カレント・バイオロジー(Current Biology)』に発表された、ウォーカーと共同研究者がハーバード・メディカル・スクールで行った過去の研究でも、睡眠を奪われた人々において、前頭葉――感情をコントロールすることに関わる脳の領野――の活動が著しく低減していることが判明した。ウォーカーは、似たような反応は、程度は劣るが、昼寝を奪われた参加者にも生じており、このことは進化に原因があるのだろうと示唆する。「ジャングルを歩いていて疲れを感じるとき、ネガティヴな事柄に過度に敏感になる方が有利になるでしょう」と彼は言う。つまり、余分な心的エネルギーがない状態では、身近で起こりそうなもっとも悪いことの方に感情を同調させようとする、ということである。逆に、充分睡眠をとっていると、ポジティヴな感情の方により敏感になり、そのことが長期的なサバイバルには有利となるでしょう、とウォーカーは示唆する。


 わたしたちの日常生活は、「社会での相互作用を理解したり、他人の感情のあり方を理解したり、他人顔に浮かぶ表情を理解する」能力に多大な影響を受けます。そう語るのは、ウォーカーの研究室の上級研究員で、最近出版のために提出された研究所の主執筆者のニナード・グジャール。「そうした能力は、私たちの一個人としての、または一職業人としての生活を導いている最も根本的なプロセスなのです」。


 レム睡眠は、他人の内にあるポジティヴな感情を見極める能力を向上させるだけではないようである。それはまた、私たち自身の感情の経験のとがった角を穏やかなものにするのかもしれない。ウォーカーが示唆しているところによると、レム睡眠の――特に夢の――機能は、脳がその日の出来事を
ふるいにかけて、それに付着しているネガティヴな感情を処理し、それを記憶から引きはがすようにさせることだという。彼はそのプロセスを夜に焚く「鎮静効果のある香油」の使用になぞらえる。レム睡眠は「生きていくことで与えられるとげとげしい感情的なあれこれを改良しようと試みているのです」と彼は言う。


 「それは忘れたことではありません。忘れてはいないのです。それは、ある感情的出来事の記憶ですが、それ自体はもう感情的なものではないのです」と彼は言う。


 睡眠がもつこの一時的な安全弁のような特質は、私たちがレム睡眠に達しなかったり、レム睡眠が妨げられたりするとき、機能しなくなるかもしれない。「もし感情が取り除けなかったら、絶えず続く不安の状態がそこから生ずるのです」と彼は言う。


 この理論は、睡眠と自殺念慮や行動の関係を専攻し今週の睡眠会議で研究発表したフロリダ州立大学臨床心理学の博士課程進学予定者のレベッカ・バーネットが行った新たな研究とも矛盾しない。

 精神病理学上の緊急診断のために精神科に入院した18歳から66歳までの82名の男女を対象にした研究で、甚だしく頻繁に生ずる悪夢や不眠の存在が自殺念慮や行動の強力な前触れであることを彼女は発見した。研究に参加した半分以上の人が、過去に少なくとも一回は自殺を試みたことがあり、前月に自殺を試みた研究グループの17パーセントは、そうでない人々に比べ、悪夢の頻度や強度において劇的なまでに高い得点を得た。バーネットの発見によると、研究者がウツのような他の要因の対照実験したときでも、悪夢ないし不眠と自殺との関係は依然として続いたのである。



 過去の研究からも、慢性的な睡眠障害と自殺のつながりは立証されていた。悪夢、不眠、その他の睡眠障害を含む睡眠の病気は、現在の薬物乱用・精神衛生管理庁が掲げる自殺予防危険信号の一覧にも並んでいる。しかし、バーネットの研究を際立たせているのは、悪夢と不眠が別個に診断された場合、悪夢はそれだけで自殺の行動の前兆になるものであることを示したからである。「悪夢は自殺の兆候を示す他に類のないリスクを表わしているのかもしれませんし、このことは、私たちが夢の中で感情をどのように処理しているかという点と関係があるのかもしれません」と彼女は言う。


 もしそうならば、心的外傷後ストレス障害(PTSD)のような精神病理的な症状を特徴づける再三にわたって発生する悪夢を説明するのに役立つかもしれない、とウォーカーは言う。「脳は、その経験の記憶から感情的な外皮を剥ぎ取れなかったのです。だから翌日になって、脳は同じことをしてはまた失敗し、壊れたレコードのようなことになるのです。PTSDの患者が訴えていることは、「私はこの出来事を乗り越えられません」と聞こえるのです」。


 ウォーカーの説明によると、生物学的レベルでは「感情的外皮」は、睡眠中、交感神経系の活動に翻訳される。つまり心拍数が高くなりストレスを生み出す化学物質が分泌される。なぜ悪夢が再発したり、どうしてレム睡眠が感情の処理を促進するのか――もしくは、悪夢が取って代わり肉体的なストレス症状を永続化するときは、レム睡眠は感情の処理を妨げてしまうのはどうしてか―――を理解することは、結局、苦痛に満ちた精神障害の効果的な治療の手がかりを与えてくれるかもしれない。おそらくは、たんに睡眠の習慣をとりあげるだけで、医者は、自殺にいたる感情のサイクルを遮断することができるのかもしれない。「自殺を予防するチャンスがここにあるのです」とバーネットは言う。


 こうした新しい研究が強調するのは、研究者たちが精神の障害と睡眠の障害との間の双方向の関係としてますます認識しつつあることである。「現代の医学と精神病理学は、心理的障害には睡眠の問題が同時発生的についてまわっていて、心理的障害が睡眠の問題を永続化させていると一貫して考えてきました」とウォーカーは言う。「しかし実は、睡眠の障害が精神病理的な障害に寄与しているということも考えられるのではないでしょうか? 」」。







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リタリンで良い成績を [海外メディア記事]

よく問題になる「リタリン」ですが、良い成績を収めるためにこれを使うことがアメリカの学生の間で蔓延しているらしい。しかも、その風潮を正当化する生命倫理の教授も登場したようです。この記事の著者も、こういう風潮に対して頭から否定するという態度ではないよう。『インディペンデント』紙の記事です。

Friday, 19 June 2009 Mind-enhancing drugs: Are they a no-brainer?
 
http://www.independent.co.uk/news/science/mindenhancing-drugs-are-they-a-nobrainer-1708988.html

能力を高めるドラッグ:馬鹿げている?

 支持者によれば、こうした薬は学生の成績を高める抵抗しがたい方法なのだという。批判者は危険な流行り物だと主張する。ジェレミー・ローレンスがこの論争を調べてみた。


 試験シーズンの最中に、テストの結果を良くしてくれるドラッグが提供されれば、学生たちは喜ぶかもしれないが、その両親はびっくりするだろう。さて、生命倫理の著名な教授によると、「脳のブースター」というべきもの――認知能力を高める医薬品――の可能性を受け入れる時がきたようなのである。この物議をかもす提案をしているのは、マンチェスター大学の科学、倫理、イノヴェーション研究所の所長で『ジャーナル・オブ・メディカル・エシックス(Journal of Medical Ethics)』の編集長のジョン・ハリス。


 リタリンは多動性障害をもつ子供の治療薬としてよく知られた中枢神経刺激薬である。しかしそれは、試験にうかろうと必死になり、コーヒーやタバコといった伝統的な刺激物よりもリタリンに頼ろうとする学生、特にアメリカの学生の間に、買い手が途切れることのない闇市場を見いだしてしまったのである。ユーザーによると、リタリンを飲むと集中できるようになるそうで、このことは大人に対する臨床研究でも確かめられた。


 ハーヴァード大学の学生のデイヴィッド・グリーンはワシントン・ポスト紙にこう語った。「正直に言うと、高校の一年の頃からリタリンなしで書いたレポートなんて一枚もないですね」。


 フロリダ大学で企業財務を専攻する学生のマットは、リタリンに似た薬であるアデラールのおかげで成績が良くなったと主張する。「奇跡の薬だよ」と、彼はボストン・グローブ紙に語った。「これを飲んだときどれほど集中力が高まるか、信じられないくらいですよ」。


 このトレンドを好ましく思わず、学生たちがドーピングによって「不正なアドバンテージ」を得たといって非難する専門家もいるが、しかし、薬を用いることが、私的に家庭教師を雇ったり試験用のコーチにお金を払ったりすること以上に不正であるのはなぜかを、それらの専門家は説明してくれないのである。


 ハリス教授によれば、薬に反対する議論は「説得的でなかった」し、社会は能力の向上を望んでいるという。


 「人間が向上するに反対するのは合理的ではない」と彼は言う。「人間は、進化と呼ばれる向上のプロセスに由来し、おまけにあらゆる仕方で絶えず自己を改善している生き物です」。


 いかなる副作用もないことが保証されている薬はありえないが、リタリンは注意欠陥多動性障害(ADHD)の子供が服用しても安全であると判断されてきたし、長年にわたってそうした子供を治療するために広く使われてきたのです、とハリス教授は言う。 


 この薬は1956年に使われ始めた中枢神経刺激薬で、いまでは脳が刺激をフィルターにかけたりそれに反応したりする仕方に影響を及ぼすと思われている。それは自信とともにエネルギーをも増大させてくれるので、コカインに比較されてきた。副作用がありうることは中枢神経刺激薬にはつきもので、不眠、食欲減退、めまい、欝または引きこもりなどを引き起こすことがあるという。


 能力を高める特性が研究されている別の薬には、認知症の治療薬のドネペジルや、発症者が絶えず眠りに陥ってしまう病気であるナルコレプシーに用いられるモダフィニルがある。

 どちらの薬も、集中力や注意力が必要とされる高度な技能の実行力を高めると考えられている。ある研究が明らかにしたところによると、一ヶ月間ドネペジルを服用した民間のパイロットは、飛行シミュレイターで緊急事態を対処する上で、偽薬を服用したパイロットよりも成績が良かったそうである。モダフィニルについてのある研究が明らかにしたところによると、モダフィニルは、長時間眠っていなかった状態でシミュレイター上で飛行するヘイリコプターのパイロットの成績を向上させたそうである。


 『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(British Medical Journal)』(オンライン版)に寄稿した論文で、ハリス教授は、認知能力を高める薬の使用は、教育のプロセスの自然の延長線上にあるものと見なされるべきだ、と言っている。薬を認可する機関は、他の医事問題に対して行うのと同じように、こうした薬がもたらす便益とリスクを評価すべきであるというのである。


 「ある大学が学生の心的能力を向上させることに慎重に着手したとしましょう。さらに大学関係者が、そのことに成功しただけでなく、学生たちが大学史上かつてなかったほど知的で精神的に活発になったと主張したとしましょう。私たちは懐疑的になるかもしれませんが、もしその主張の裏づけが取れたら、私たちは喜ぶべきではありませんか?」。

 
 この問いに対する彼の答えは明確な「イエス」である。彼は、健康的な人間がリタリンを飲んで心的能力を高めることを阻止することは非倫理的である、と結論づけている。


 しかし、ペンシルヴェニア大学のアンジャン・チャッタルジー教授は、それに真っ向から反対して、あまりにも多くのリスクがありすぎると『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』で主張している。アメリカでは、リタリンには「黒枠」で囲われた警告文が記されているが、これは、リタリンが乱用の可能性が高く、心臓に対するリスクや突然死のリスクもあるために、もっとも重大な警告文なのである。


 チャッタルジー教授はまた、リタリンを服用するときに認知能力が高まる代わりに創造性が失われるというトレード・オフの現象が見られると補足し、「成績が良くなったからといって賢くなったわけではない」と指摘する。また彼は、トップの予備校に通う子供たちが「伝染病が広まるような割合で」リタリンを服用したり、パイロットや警官、医師などが勤務につくときリタリンを服用しなければというプレッシャーを感じたりしなかと懸念を抱いている。


 しばしば進歩にはリスクが伴う、とハリス教授は言う。「人工の太陽」が発展した(火の明かり、ランプの明かり、電気の明かり)おかげで、夜通し働かざるを得なくなった人もいただろう。しかしそれに対する答えは電気の明かりを禁止することではなく、労働時間を規制する法律を導入することであった。「認知能力を高める医薬品にも同じことが当てはまります、あるいはいずれ当てはまることになるでしょう」とハリス教授は結論づけるのである」。








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拒食症と自閉症は別物ではない [海外メディア記事]

 拒食症と自閉症とは遺伝的につながっているのではないかという記事を『タイム』誌から。 

By Maia Szalavitz Friday, Jun. 19, 2009

http://www.time.com/time/health/article/0,8599,1904999,00.html


「 拒食症と自閉症との遺伝的つながり?

 ロンドンのモーズリー・ホスピタルの摂食障害科では、拒食症は社会的障害とは見なされていない――そもそも心理的な障害とは見なされていないのだ。アメリカの治療者の大半は、(機能不全の行動の中でも特に)摂食障害の責任を完璧を求める親や、頬のこけた女優をメディアが理想化することに求めるけれど、モーズリーの研究者によると、根本の原因は社会からのプレッシャーとはほとんど関係がない。むしろ、拒食症は遺伝によって――おそらく、自閉症に結びつけられるのと同じ何らかの遺伝子によって――よりよく説明される、と彼らは考えている。


 ロンドンの研究者はこれら二つの病気の共通性を数年にわたって調べてきた。見かけ上、これら二つの病気はまったく異なっているように見えるが――自閉症の場合、患者は外の世界の人々とつながりをもつことが困難であるのに対して、拒食症に苦しむ人は他者に見られることによってへとへとに疲れてしまうように見える――モーズリーの研究者は、それぞれの疾病に顕著な特徴は類似していると指摘する。

 たとえば、拒食症の患者も自閉症の患者も偏執的に行動したり、硬直した考え方に苦しむ傾向がある。チック障害は、自閉症児によく表われるものだが、重度の拒食症の患者の27%にも見出される。どちらの病気の患者も、セット・シフティング(set-shifting)、すなわち事態の変化に応じて心の中で柔軟に行動を変えていくことに困難を覚えるのである。

 「自閉症スペクトラムの病気と拒食症が共有しているのは、注意の狭い焦点、変化に対する抵抗、細部への並はずれた注意です」。そう語るのは、ケンブリッジ大学自閉症研究センターの所長のサイモン・バロン・コーエン。彼は今回のモーズリー研究には加わっていない。

 過去の研究が示唆していることによると、拒食症の患者の約15%から20%は、自閉症スペクトラム障害の一つであるアスペルガー症候群をもっていると、モーズリー摂食障害科の科長のジャネット・トレジャーは言う。研究の示すところによると、これらの病気は、たまたまとはいえないような頻度で、一緒に生ずるのだという。自閉症と拒食症に対する同じ遺伝的素因が性に応じて違った形で現れることも考えられる、と彼女は言う。

 アスペルガー症候群と診断される少年は少女に比べて約15倍多く、拒食症を発症する少女は、少年に比べてほとんど10倍多い。どうして、女性において完璧を求める過度な意識がスリムであること――社会は女性の外見に関心があるのだから――に対する不健康なまでの執着となるのに対して、男性は、自閉症の子供によくあるように車や電車に執着するのかは容易に理解できる。「アスペルガーという診断が女性において少ない理由は、それが違った形をとるからなのでしょう。拒食症はその形の一つにすぎません」。そうバロン・コーエンは語り、それに付け加えて、拒食症に至るルートはいくつもあり、自閉症的な特徴がそれらすべてに現れるわけではないのかもしれないと語った。

 トレジャーの発見によると、飢餓状態そのものが硬直した思考や強迫観念のような自閉症的特徴を強化するのだという。この現象はあらゆる人に当てはまるが、拒食症の人々にはとりわけ当てはまるのだという。「拒食症の人は、体重が減少すると、自閉症の人のようになります」とトレジャーは言う。「他人の感情を解釈することができなくなり、自分自身の感情を制御できず、怖がったり怒ったりすると、その感情に圧倒されてしまうのです」。

 事実、専門誌『臨床心理学と心理療法( Clinical Psychology and Psychotherapy)』に今月発表した研究において、トレジャーと共同研究者たちが発見したところによると、体重が減った拒食症患者は、自閉症スペクトラム障害の人々の欠陥を調べるためにバロン・コーエンが考案した感情理解の標準的なテストにかけてみると、成績は思わしくなかった。そこで考え出された理論によると、空腹は脳を食物を得ようという課題に集中させるので、ストレスの原因となる他の要因と同じく、他人の感情を読み取るといった高度な認知の機能を閉ざしてしまうというものであった。


 ニューヨークのモンテフィオーレ・メディカル・センターの精神科に勤務する自閉症の専門家エリック・ホランダー博士によると、自閉症と拒食症をともに特徴づける「反復的な思考や行動、硬直した日課や儀式化した行為、完璧主義」は脳の同じ領域にたどれることを示す証拠があるという。どちらかの病気をもつ人をスキャニングによって調べたら、混乱によって強迫的行動や異常な社会的行動が生み出された時、前頭皮質のような脳の領域の活動に変動が見られたのである。


 「拒食症は高い確率で遺伝しますし、世代から世代に受けつがれます。それが不安や完璧主義のような(人生の早い段階における)一連のもろさによって引き起こされることは今となっては明らかです。こうしたもろさをもっていないならば、拒食症を発症することはないでしょう」。そう語るのは、カリフォルニア大学、サン・ディエゴ校で摂食障害プログラムの指揮をとるウォルター・ケイ博士。


 実用面を意識して言えば、このことが意味するのは、拒食症を発症する恐れのある子どもを特定するのに役立つ早期のリスク要因を研究者がピンポイントで指摘できるようになる――専門家が生後12か月くらいで自閉症の兆候を認識できるのとまったく同様に――かもしれない、ということである。「私たちは、自閉症が20年前に置かれていた状況に、いるのです。あの頃も同じ議論があって、母親が子供を自閉症児にしてしまうのだとうことが言われていましたし、ほとんどの理論や治療もそういう考え方に基づいていました」。ケイ博士は、自閉症は冷たく、怠惰で「冷蔵庫のような」母親によって引き起こされるという古い考え方を引き合いに出しながら、そう言った。「拒食症は自閉症と同様に生物学的な要因によって起こると私は思います。研究という点では、拒食症は20年遅れています」。 


 モーズリー・ホスピタルのトレジャーとその同僚によると、現在の治療も同様に時代遅れなのだという。1980年代後半、イギリスの研究者たちの最初期の研究は、10代の拒食症患者を治療するモーズリー方式として知られるようになったものを記述することだった。そしてそれが、対照標準のある試験において有効であると認められた唯一の治療法である。拒食症は環境の要因や低い自尊感情によって引き起こされ、しばしば入院型の治療センターでの集中的な治療を必要とするということを前提していた伝統的な治療とは違って、外来型のモズリー方式は心理学的療法や「親と子の分離」に重点を置かない。


 その代りに、研究者は患者や家族に食事を薬だと見なしなさいと説いて、介護者には、患者の体重を回復させるためにご褒美やポジティヴな圧力を用いるように勧められる。車を使ったり、10代の子が望む別の活動に行かせることは、食事を規則的に食べきるための動機となるだろう。プロザックのような、セロトニンのレベルに影響を及ぼし拒食症患者の強迫的思考を低減してくれる抗ウツ剤の投与は後にずらした方が良く、患者が健康的な体重に達するまでは駄目である――脳に十分栄養が行きわたらないと、投薬は上手くいかないのである。


 肝心な点だけを述べるならば、トレジャーとその同僚たちは、家族の機能不全が摂食障害を引き起こすという考え方を放棄したのであり、その代りに、家族には患者の回復を導くための手助けをするようにと要請する。ごく最近になって、モーズリー方式は新たなタイプの認知行動療法を取り入れた。それは、自閉症とのつながりに基づいて、拒食症の狭い思考法による日課を広げようと試みるものである。「われわれとしては、彼らがもっと柔軟になってもらうように試みているのです。彼らは自分の硬直した習慣を手放したくないし、われわれは、彼らがそこから脱却してもっと大きな視野をもてるようにしたいのです」。


 この治療は、2002年に拒食症を発症したラウラ・コリンズさんの14歳になる娘には上手くいった。「彼女はリンゴを食べているとき、自分の腕が大きくなるのが目に見えるように判ると思ったのです」。コリンズさんは、自分の娘の病気がおしゃれでスリムであることに対する強迫観念以上のものであることは明らかでした、と言う。コリンズさんは、モーズリー方式についての新聞記事を読み、それを積極的に試している医師を探した。「アメリカでは、ほとんどすべての治療法は、親を責めたり過小評価したりすることに基づいていますね」とコリンズさんは言う。今日、彼女の娘は大学で優秀な成績を収めており、コリンズさんは、摂食障害のための根拠に基づいた治療を家族が見つける支援をしているFEASTという団体を運営している。


 ケイ博士や似た考えの研究者は、モーズリー方式ともっと伝統的な家族療法を比較するための、臨床試験を6つの施設で開始した。カリフォルニア大学サン・ディエゴ校で、ケイ博士のグループは自閉症の患者を抱える家族に、1週間集中的にモーズリー方式を試してみる機会を提供している。彼によれば、「最初は」こんな短期間の治療が役に立つなんて「馬鹿げている」と思ったそうである。しかし「今は私も信者です。だれにでも効くというわけじゃないけれど、ともかく効くんですよ」」。








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イェルサレムという場所(3) [海外メディア記事]

 シュピーゲルの特集記事「ここにくるとわれわれの胸は高鳴る」の最終回です。それぞれ重い宿命を背負った、ここで登場する3人、ジャワド・シーヤム、ドロン・シュピールマン、ヨニ・ミズラッチの顔写真がスライド・ショウ(記事の中に割り込む形の写真)で見ることができます。

http://www.spiegel.de/spiegelgeschichte/0,1518,628373-3,00.html


 「 第3部 「私はここで暮らしていたいのです」


 イェルサレム、イスラエル、エラードは連携して作業しており、「シルワン」という地名はすでにパレスチナ人から奪い取られてしまった。いまでは、「シルワン」だった地区は「イル・ダヴィデ」と、大通りのワディ・ヒルワー通りは「イル・ダヴィデ登坂道」と呼ばれている。


 空いている土地があれば掘削が開始され、そこに建てられる家にエラードのシンパが移住することもある。移住者は、テロリストが電話線を切断する場合に備えて、屋根に無線アンテナを取りつけ、街灯にはカメラを設置している。安息日の散歩に際しては自動小銃を携行し、車体に張り巡らされた金網が彼らのオフロード車を守っているが、こうして不恰好になった車はまるで亀のように見える。


 シュピールマンにとって重要なことは、ここが常にユダヤ人の土地であったし、ダヴィデ王の後は何もやって来なかった、少なくともシャベルですぐに片づけられないようなものは何もやって来なかったことを示すことである。彼の配下の考古学者たちはイスラム風の建物を一つとして残さなかったし、数百年を経た墓地を骨と一緒にパワーショベルでさらい上げさえしたのである。

 「私たちは定住地のない民でした。今日でもメッカやメジナに相当する場所をもっていないのです。私たちに残されているのは、地上のこの小さな一区画、イスラエルだけなのです。それはとても危うい存在なのです」。だから、できるだけ深く根を張らなければならない、できれば、今後3000年にわたって根が成長できるほど深く、というのである。

 
 「彼らは考古学を自分たちの計画の道具として利用しているのです」と語るのは考古学者のヨニ・ミズラッチ。本来、考古学者はあらゆる文化の痕跡を調べるはずのものです。しかし彼らは、この土地が彼らのものであるという証拠のみを探しているのです」。
   

 ミズラッチは髪を後ろで束ね、白髪がそろそろ目立ってきており、敵対者は古くから知っている。「エイラート・マザールは優秀だが」と彼は言う、「彼女は連中のスケジュールどおり動いている。彼女は聖書を証明したいのだろうけど」。

 ミズラッチ自身、長い間、文化遺産の役所のために発掘作業をしてきたし、しかもパレスチナの土地で発掘作業をしたこともあった。ボディーガードに守ってもらわなければならなかった。「考古学者は人々の目に映るものを変えるだけではなく、それがどう見えるかも変えてしまうのです。それは絶大な権力ですよ」。そしてその権力はしばしば誤用されるのだという。

 それゆえ、ミズラッチは自らの職を投げ出してしまった。「決断したわけですが、その後の人生も決断つづきです」。今、彼はエッセイを書いたり、ダヴィデ王の街の廃墟を観光客に案内している。どの石がどんな物語を語っているかを、観光客に伝えるのである。しかしまた、どこで歴史的真実が終わりどこで政治的な虚構が始まるのかも伝えている。去年一年間、ミズラッチや彼の仲間とともに廃墟を巡り歩いたのは1500人だったが、シュピールマンの観光ガイドによって、ダヴィデ王理論を真実として吹き込まれた観光客は50万人にのぼる。


 友人のジャワド・シーヤムがいなければ、ミズラッチにチャンスはなかっただろう。シーヤムの人生は複雑である。彼の妻はドイツのパスポートをもってボスニアからやってきたキリスト教徒のセルビア人である。彼自身も大きなアラブ人一族の出だが、大学教育はとりわけベルリンで受けた。彼は5ヶ国語を話し、博士論文(アメリカ研究)はもう頭の中で出来上がっている。しかし彼にはパスポートがない、イェルサレムの第三種居住者であることを証明するカードしかないのである。彼は税金を払う義務があり、選挙権はなく、イェルサレムは彼の住む地区を荒廃するにまかせている。

 シーヤムは抵抗勢力を組織している、長い時間をかけてそのための手筈を学んできたのだ。インティファーダのときまだ少年だったが、彼は石を投げ、その後ファタハの一員となって(彼の言葉を借りると)帝国主義と戦った。

 彼はもう石を投げない、いま彼には弁護士がいる。彼は、イスラエルの非合法的な進撃について講演を開き、『ワシントン・ポスト』紙と中東政策についてのインタビューを行い、観光客のグループと話し合う。シーヤムは、証人がいることを望んでいるのだ。彼がまた石を投げてくれれば良いのに、そのほうが話が早く済むのだから、と願うイスラエル人もいる。


 シーヤムは、イスラエル人とパレスチナ人とともに、ある団体を設立し、家を一軒共同で借りた。鉄筋がむき出しになっていて、ヤモリがざらついた壁をすばやく横切ったりする所だが、ここでは教師が女性たちに、日常の暮らしで勝手が判るように、ヘブライ語を教えてくれる。彼らは新聞や、ウェブサイトを作っており、時にはサーカスがやって来ることもある。「私たちはシルワンでの生活に意義を与えようと思っているのです。ここは、ただきれいにすれば良いだけのゴミの山ではないのです」。


 パレスチナ人は、どんな家、どんな1平方メートルの土地をめぐっても争う。どの家族も自ら進んであきらめることはしないが、最近になってまた、覆面をした特殊部隊の兵士に守られたブルドーザーがやって来るようになった。警官が家族を家から無理やり連れ出し、キャタピラが家の壁を砕いていった。

 
 いつもこの調子なのだが、それでもシーヤムは弱気になったりはしない。「私はここで暮らしていたいのです」と彼は言う。ここが父の家なのだから。そこはダヴィデ王の街の中心地のほぼ近くなのである。「私たちのアイデンティティーも問題なのですから」とシーヤムは言う。どうして妥協が成り立ちうるだろうか?

 
 ジャワド・シーヤムは39歳。エラードのドロン・シュピールマンは35歳、考古学者のヨニ・ミズラッチは38歳。彼らは同じ世代に属しており、この世代が中東の未来を決めるのだろう。しかし、この世代が平和を締結できるとは、いまのところ見えないのである」。
















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イェルサレムという場所 (2) [海外メディア記事]

 三部構成の記事である「宗教の発生地」の第二部です。純粋に学問的な話で終始するかと思いきや、最後は、やはり、どうにもならない政治的な話題に戻ってしまいますね。イェルサレムでは、政治的でないものは何一つないということを再確認させられた次第です。しかしロシアの政商の名前まで出る展開になるとは予想外です。やはりユダヤ人のネットワークはすごいというか・・・

 蛇足ながら、「シオニズム」のもとになった「シオン」は、文中にも書かれているように、元来はエブス人の丘(城砦)の名前。これだけからも、「シオニズム」の独善性が判るはずです。   

26.05.2009 Von Clemens Hoges
http://www.spiegel.de/spiegelgeschichte/0,1518,628373-2,00.html



「 第二部:「わたしたちのアイデンティティーも問題なのです」 

  しかしダヴィデ王がかつて実際に存在していたことになれば、伝説の背後に真実が隠されていたことになるのだろうか? 聖書は千回以上もダヴィデ王に言及しているが、それ以外の場所でダヴィデ王を示唆するものは何もなかった――しかしついに、1993年に考古学者がイスラエルの北部で二つの碑文を刻んだ石碑を発見した。その一つは「ダヴィデの家」に言及し、第二の碑文には「イスラエルの王」という文字が並んでいたのである。

 その発見の10年前に同僚の考古学者たちは、今日のイェルサレムの旧市街の真南のところに巨大な土台を、そしてその下にトンネルにつながる長い入り口を発掘した。城壁はおそらく征服された都市のものだったのだろう。4000人ほどのエブス人が3000年前この丘の上に暮らしていた、彼らはこの城を「シオン」と呼んでいた。

 聖書によるとダヴィデ王はこの城砦の弱点を見て取った。それが「チソール」、つまり、エブス人が包囲されたときにケデロン渓谷の水源から水を引っぱってくるのに用いた秘密の地下水路だった。出撃隊がこの地下水路を通って都市の中に入り込み、シオンは陥落し――イェルサレムが誕生した。ダヴィデ王はすぐにこの都市を拡げ始めた。真っ先に彼がしたのは、宮殿を建設させることだった。


 ダヴィデ王が実在の人物でありこの丘の廃墟がかつてのシオンであるならば、王の痕跡も発見されるに違いない、と考古学者のエイラート・マザールは考えた。

 彼女は、スコップと発掘現場のほこりと聖書とともに大人になったような人だった。彼女の祖父は建国してまだ間もないイスラエルの考古学者のリーダー格と見なされていた。エイラート・マザールは今ではがっしりした金髪の女性である、彼女は女手一つで四人の子供を育てた、不信に陥るような暇はなかった。そして今でも聖書を信じている。「片方の手に聖書を、もう片方の手に発掘道具をもって仕事をしてるんですよ」。

 
 1997年、彼女はぺリシテ人がダヴィデ王の都市を攻撃する『サムエル記』のところを読んでいた。「攻撃の直前、ダヴィデ王は要塞へ降りていった」という一節がマザールの注意をひいた。「どこから降りていったのかしら?」とマザールは自問した。王は宮殿から出るしかなかったわけで、そうすると宮殿は少し高いところにあったはずである。

 
 1997年彼女は自分の理論を、エブス人の要塞の設計図を図解にして、専門誌『ビブリカル・アルケオロジー・レヴュー(Biblical Archaeology Review)』に発表した。図の中に彼女は一本の矢を書き込んだ。その矢は今日の神殿の丘の南にある一点を指していた。その下にはこう書かれていた。「ここに彼がいるに違いない」。

 
 考古学は時間のかかる仕事であるが、2005年にマザールは発掘を開始することができた。発掘して数ヶ月して、彼女は巨大な建造物の壁に突き当たった。5メートルもあるぶ厚い壁だった。その他に陶磁器や、地下水路、聖書に出てくる宰相の名前を刻む陶土の印章などが発見された。


 考古学者達は彼女の発見と発見場所に番号をつけていった。3000年前に人間ダヴィデがここで暮らしていたというマザールの理論の核心をなすのは"Locus 47”と呼ばれる場所である。それは壁のわずかな亀裂なのだが、キッチンタオルで覆い隠そうとすればできるほどのわずかな亀裂である。いま、"Locus 47”にはつぶれたプラスティックのコップが置いてあり、岩の割れ目から雑草が顔を覗かせている。しかし、マザールがそこで発見した陶器の破片を分析したり建造様式から推測して、彼女はこの廃墟の年代を正確に測定できると信じている。それは紀元前1000年である。これこそダヴィデ王の宮殿の一角なのだというのである。


 この年代測定を疑う考古学者もいるが、それよりも大きな問題がある。マザールや彼女にしたがう同僚の学者達は、これまで古代都市のほんのわずかの部分しか発掘できなかった。というのも、ダヴィデ王の息子ソロモンがすでに都市の中心を北部の隣接する丘へと移し替えたからである。もっと後になるとバビロニア人がきてダヴィデ王の街を焼き払ってしまった。 

 
 マザールは地中に埋まっていた地下水路に、たぶん古代イェルサレムの最後のユダヤ人が、敵から逃れようとした際に持っていたランプを当時のままの形で見つけた。「そこで生が終わったのです」と、シュピールマンは言う。


 何百年もの間、この丘は放置されたまま、ゴミ捨て場になり、オリーブが植えられ、山羊が草を食む牧草地となった。そしてアラブ人が廃墟の上に建物を建てた。彼らの居住地は周囲の谷に広がり、アラブ人たちはそこをシルワンと名づけた。今日、そこには5万人のパレスチナ人が暮らしている。古代のイェルサレムは、パレスチナ人の家々の下にある。それを発掘しようと望むものは、そこに暮らす人間を追い払わなければならない。第二の問題は、イスラエルの古代史を管轄する役所は発掘作業に金を払うことはできない。しかしエラードという名のユダヤ人入植運動を進める組織は金をもっている。シュピールマンのプロジェクト『イル・ダヴィデ』のバックにいるのもエラードである。右派のグループが役所勤めの考古学者たちに金を払っているのである。何百万ドルもの金がどこから出るのか、シュピールマンは明かさない。しかし、新たな観光センターの竣工式のときに主賓として招かれたのはユダヤ系ロシア人で寡頭資本家のロマン・アブラモヴィッチだった。


 シュピールマンの部下はどんどん前に進んでいる。パレスチナ人から家を買い取ることもあるが、それができなければ没収するのだ。イスラエルにはこうしたことに対する実用的な法律があって、たとえば、パレスチナ人が長期間住んでいない家は没収することができるという法律がそれである。それに、イェルサレムのアラブ人は住宅の建築許可を決してもらえないに等しいので、多くのアラブ人が自宅を形式的には非合法的に建ててきたということも、こうした事態を生み出す一因になっているのである」。(つづく)
 






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イェルサレムという場所(1) [海外メディア記事]

 『シュピーゲル』がイェルサレムについて特集した本の中から、「宗教の発生地」というタイトルがつけられた記事を紹介します(「発生地」は複数形です)。   

26.05.2009 Von Clemens Höges

http://www.spiegel.de/spiegelgeschichte/0,1518,628373,00.html


「 ここにくると、われわれの胸は高鳴る

 秘密のトンネル、数メートルもの厚さの壁、3000年前の刻印: 考古学者たちはイェルサレムの起源を求めてダヴィデ王の宮殿を発見したと主張している――ただし、アラブ人地区にである。

 ジャワド・シーヤムは、再三イスラエルに拘禁された経験があるので、喫煙に慣れてしまった。たびたび囚われの身になったので、もういつのことだったか思い出せないほどだ。シーヤムはゴロワーズに火をつけ、いつものようにサングラスを短く刈った頭上に押し上げ、まぶしい日中の日差しに目を細めた。


 このパレスチナ人が通りを見上げると、イェルサレムの神殿の丘が、自宅から約300メートル離れたところに見える。眼差しを通りに戻すと、そこで考古学者たちはパレスチナ側の坑道にも通じる坑道を掘ったのだ。網状に組み上げられた鉄パイプの上にはイスラエル国旗がはためいている。民家の屋根には武器をもった男たちが見張っている。もし彼が何かへまをしたら、男たちは彼に向けて発砲するだろう。しかし彼はへまはしない、もう二度と。「私たちは暴力を望んではいません」と彼は言う。しかし「この土地は私たちにとって神聖な土地なのです」。


 少し後になって、そこから100メートルも行かない所で、ドロン・シュピールマンは網のように張り巡らせた鉄パイプの向こうを見ていた。部下の労働者たちが太古の壁を通ってこの鉄パイプのところにたどり着いたのだ。イスラエルのこうした光景はテレビの報道番組を通して世界中の人が知っている。最近のガザ侵攻のときに、ドロン・シュピールマン隊長はたいてい燃えさかるパレスチナの街並みを背景に語った。軍の広報官として、彼は、なぜイスラエルが攻撃しなければならないかを、世界に向かって説明しようと試みていたのである。


 シュピールマンはテレビ映りがよく、決然として、ハンサムで、非常にアメリカ的である。彼は中西部なまりのある英語を話す、彼はデトロイト生まれで、数年前初めてイスラエルにやって来たのだ。それ以降、イスラエルのために戦うことが彼の人生なのである。どの前線に立つかは問題ではない。

 「ここが、すべての始まりの場所です」とシュピールマンは言う。自分の足元の廃墟のことを言っているらしい。ユダヤ人はどこに流れ着こうと、「ここにくると、われわれの胸は高鳴る」。軍務がないとき、彼は、『イル・ダヴィデ』という名前の組織の長として、大勢の労働者や考古学者を率いている。

 彼らが発掘しているのは、3000年前のユダヤ人の初めての王であるダヴィデの宮殿であるに違いないと信じるものもいる。ダヴィデ王の都市も探求の対象であり、『イル・ダヴィデ』とはまさにそのこと、つまり最初のイェルサレム、いわゆる旧市街よりももっと古いイェルサレムを指すのである。

 パレスチナ人のシーヤムとイスラエル人のシュピールマンが語り合うことはない。彼らは互いを知っているが、互いに監視しあっているのだ。なぜなら発砲がなされていなくとも、この二人の男たちは戦っているのである――3000年前に始まった戦いを。


 問題なのは、ここが三つの宗教の聖地の始まりだったということだけではない。ユダヤ人のアイデンティティーとユダヤ人としての証明が問題なのであり、それを考古学者達はもたらそうとしているのだという。さらに、イェルサレムにおける、イスラエルにおける権力関係が問題なのであり、パレスチナ人自身の国家や国際政治が問題である。だから、アメリカの新たな国務長官のヒラリー・クリントンが新たなイスラエル政府と、ジャワド・シーヤムがそのために戦っている家々のことで言い争っている最中なのである。EUも数週間前、ここで起こったことは和平交渉にとって「現実的な危機」であるという警告を発したのである。


 なぜならシュピールマンと考古学者たちは旧約聖書のイェルサレムをよりによってシルワン地区――イェルサレムの東部のパレスチナ人居住地区――の下に発見したと主張しているからである。シルワンはいつ頃からかパレスチナ人の首都の一部になっていた。そこで、国際的な交渉にしたがって起草された多くの文書にはそう明記されているのである。

 しかし今イスラエルの保守派は家族単位でパレスチナ人の追い出しを計っている。民家は壊され、考古学者たちは神殿の丘に隣接する丘の上にある地区を掘り崩している。一億ドルをかけて聖書ディズニーランドが計画されている――イスラエルはダヴィデ王の都市を明け渡すことはしないだろうし、パレスチナ人もシルワンを諦めることはないだろう。かくして、かつての王が明日の平和の障害となっているのである。


 なぜなら、イェルサレムでは、他の場所とは違って時間は過ぎ去らないからである。数千年前に起こったことは数十年前に起こったことと変わりはしない。過ぎ去るものは何もないし、忘れられるものも何一つとしてない。今日の人間は、どうすることもできないまま、先人たちの戦いに引きずり込まれるのである。

 最も最近の戦闘は1993年に始まった。当時までダヴィデ王は神話的な人物とみなされていた。ダヴィデ王は、聖書の時代の計算によれば紀元前1000年頃に巨人戦士ゴリアテを倒した羊使いの若者であり、策略によって周囲の部族を一つにまとめ上げた外交的手腕にたけたトリックスターであった。彼はまた詩篇を創作する王であり、新たな民族のために首都イェルサレムを征服する戦士であった。「イスラエルの子供はみんなダヴィデ王になりたがるのです」とシュピールマンは言う」(つづく)。
 








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「動かぬ証拠」は見つからず [海外メディア記事]

 北朝鮮による核爆発の「動かぬ証拠」はついに見つからなかったようです。これが何を意味するか? どうも藪の中のようです。この記事は、表題とは別に、「爆発のミステリー」という別の見出しをもっているのですが、後者の見出しの方が、この一件についての今ひとつハッキリしない状況を語っているように思います。BBCの記事から。   

Susan Watts | 20:35 UK time, Wednesday, 10 June 2009

http://www.bbc.co.uk/blogs/newsnight/susanwatts/


「 北朝鮮からの希ガスはまったく検出されず
 
 ウィーンのホフブルク宮殿の大広間が、今朝、800人の科学者、外交官、ジャーナリストで一杯になり始めたとき、子供たちが一列になって壇上に進んだ。やや緊張した面持ちで各人がその国の衣装に身を包んだ子供たちは、世界平和についての感動的な歌を歌うことで、この核実験に関する科学者会議のオープニングを飾ったのであった。

 この会議の目指すところは、公式には、世界の至る所で生じる爆発を検知・理解して、その爆発やそのような爆発が核実験であるかもしれない可能性について、世界中の政治家に警告を発する上で科学がどれほど首尾よい成果をあげているかを報告することにある。

 そのツールは包括的核実験禁止条約(CTBT)を下から支えている科学者たちのネットワークであり、賛同者によれば、この条約こそ核実験のない世界を創造する上で、そしていつの日か、核兵器のない世界を創造する上で、鍵となる役割をはたすものなのである。

 しかし、この大広間に居たすべての者が知りたがっていたことが一つあった。それは、センサーのネットワークが二週間前の北朝鮮の爆発から放射性核種を検出したか、ということだった。出席していた地震学者によれば、あの爆発が核実験だったことは自信をもって言えるが、その「動かぬ証拠」となるのが放射性ガスという形で放射性核種の証拠を検出することである。そしてそこでのビッグニュースは、彼らがそのシグナルを見つけられなかった、ということだった。

 おまけに、科学者たちはその理由を本当に知って居るようには見えない。放射性核種検出の専門家であるスウェーデンの代表は、2006年の北朝鮮の核実験の後、センサーのネットワークがどれほど高い成果をあげたかを会議に向けて語った。あの出来事の12日後、ネットワークは、カナダでキセノン133という希ガスの原子を数百個検出した。彼は、今回は、今のところ、何も検出されていないことに「驚いている」と正直に認めた。彼は、センサーがしっかり作動していることは確信していると述べた。なぜシグナルがないのか? そしてそれは重要なことだろうか?

 コロンビア大学の著名な地震学者ポール・リチャーズ教授は、それは大して重要ではないと言いたいようだった。このネットワークは各種のテクノロジーを含んでいる――地震検知、インフラサウンド、水中音響、放射性核種のテクノロジーを使い、リチャーズ教授が「もろもろの矢からなる一つの振動」と呼ぶものを世界に発信する。もしある矢がターゲットに当たらなくても、別の矢が当たるだろう。つまり、もし一つの検出装置には核実験のシグナルが見えなくとも、別の装置には見えるだろう、ということである。そして彼の個人的見解は、今回の爆発が核実験であった可能性はきわめて高いというものである。

 だから、北朝鮮による爆発の封じ込めの慎重な試みがあったのではないか? それとも爆発は偶然封じ込められたのだろうか? 爆発力の大きい核爆発では、周辺の岩石が「溶けて」しまうことがしばしばあり、そうなると漏れ出る希ガスは少なくなる。希ガスのシグナルがないことを説明する試みは、目下のところ科学的な推量にとどまっている。この会議の表向きの声明では、だからこそ包括的核実験禁止条約が発効して、現地の調査チームが乗り込んでこのような実験をチェックできるように、より多くの国がこの条約を批准する必要性があるのだということになる。

 だが、この会議に出席している科学者たちで、何かがすぐ出てくることを祈っている者もいるかもしれないが、しかし彼らはすでに諦めていて、もう何も出てこないという可能性を受け入れているように思われる。

 ワシントンやその他の場所にいて、CTBTのような条約に何の価値も認めていない人々は、この事態を別のように、たとえば脆弱性の一例として見ているかもしれない。5月の爆発に由来する希ガスを検出する機会は閉ざされようとしている。もう一週間もすれば、手遅れになるだろう。放射性物質はあまりに広く拡散してしまうか、放射性という性質を失ってしまって、もう検出できなくなるからである。

 今朝歌った子供たちは、聴衆に「友達の輪」に加わるように誘ったが、聴衆の脳裏には、世界に平和をもたらしてくれる魔法の歌が浮かんだはずである。冷笑的になるのは簡単だろう。しかし、このモニタリングのネットワークを、たぶん楽観的にではあるが、「子供たちへの平和の約束」と捉えたオーストリアの外相は、お返しのメッセージを与えたのである。

 結局、この会議に出席した科学者たちによれば、かれらのゴールは、最良のデータを世界に与えることであり、政治家たちにどうすればいいかを決定させることである。少なくとも、北朝鮮によるこの第二回目の核爆発のデータは、同日にでも安全保障理事会が招集されることができるように、すぐに鍵を握っている人々のもとに届けられた。しかし、世界は、次に(もしあるとすれば)起こることを静観しているだけなのである」。






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風が弱まったのは・・・ [海外メディア記事]

 気温が上がると風が弱まり風力発電の将来にかげりが?
しかしこうした研究はまだまだ初期の段階にすぎないので研究者も断定は避けているようです。AP通信の記事です。  

http://news.yahoo.com/s/ap/20090610/ap_on_sc/us_sci_diminishing_winds


「 風はかつてほど強くない:風速が弱まりつつあることを研究は示唆している


グリーン・エネルギー運動に好まれる電力源である風力は全米中で勢いを失いつつあるようだ。しかもその原因は、皮肉なことに、地球温暖化―まさに風力発電が解決しようとする問題―かもしれないというのである。

 風力が弱まっているかもしれないという考えはまだ実証されたものではないし、それが進行中であるかどうかについて科学者の意見は一致していない。だがこの分野の第一人者の研究が示唆するところによると、平均風速と最高風速は、1973年以降、特に中西部と東部においては、目に見えて下落の一途をたどってきたのである。

 「とても大きな影響をもつ調査結果ですよ」。そう語るのは共同研究者で、アイオワ州立大学の大気科学のユージーン・テイクル教授。中西部では10年間のトレンドの示すところでは10パーセントかそれ以上下落した地域があるという。この地域の平均風速が時速10~12マイルであるならば、つじつまが合う数字である。

 この研究の主任で、インディアナ大学の大気研究者のサラ・プライアーによると、中西部で風が弱い、または無風の日数は大幅に増えた。

 プライアーが全米の地図上に書き記した風速の計測値を見ると、風速がミシシッピ川沿いとその東側で下落していることがわかる。テキサス州西部や大平原地帯西部のような風力発電に頼っている地域のいくつかでは、風力がそれほど低下したわけではない。しかし、オハイオ、インディアナ、ミシガン、イリノイ、カンザス、ヴァージニア、ジョージアの各州や、メーン州北部とモンタナ州西部は風速の落ち込みが最大である地域に数えられる。

 「五大湖に接しているステーションが最大の変化を経験したように思われます」と、プライヤーは火曜日に語った。それはたぶん、湖の氷が減少したからで、風は水面上よりも氷上のほうが速く進むからです、と彼女は言う。
 
 しかし、この研究は、8月に同業者の論評つきで『ジャーナル・オブ・ジェオフィジカル・リサーチ(Journal of Geophysical Research)』に掲載される予定だが、これはまだ予備的な調査にすぎないのだという。まだ難問が山積していて、研究書の著者自身でさえも、これが現実のトレンドなのかどうか知るのは時期尚早であると言っているのである。だがこの研究は、地球温暖化のかつて調査されたことのない新たな副作用を提起しているのである。
 
 プライアーによると、この結果の曖昧さは、長年の間に風速を計る計器が変わってしまったためらしい。しかも、実際の計測値によれば風速は下落しているのに、気候に関するある種のコンピュータ・モデルでは―それは直接の観察ではないのだが―そうなっていないと彼女は言う。

 けれども、以前なされた研究のいくつかがオーストラリアとヨーロッパでの風速の減少を発見しており、アメリカでの発見が現実のものであるという希望を与えてくれると、プライアーとテイクルは言う。

 テイクルによれば、天候と気候がどのように作用するかという点に基づいても、この発見は意味をなすものであるそうだ。地球が温暖化する場合、極地はその他の地域以上にそして急速に温暖化するもので、気温の記録、特に北極の気温の記録がそのことを示している。このことは、極地と赤道との温度差が縮まり、それに伴って、それら二つの地域における気圧の差も縮まることを意味する。気圧の差が強風を生み出す主な原因である。それゆえ、気圧の差の減少は風の減少を意味するわけである。

 そうであったとしても、あの情報は、風速の低下を地球温暖化に結びつけるために科学が必要とする決定的証拠を提供してはいない、と今回の研究報告書の著者たちは言う。気候変動科学においては、ある結果を地球温暖化に帰するためには、この科学特有の厳格な方法―それは、あらゆる可能的な原因を視野に入れてそのそれぞれに特有の結果を描く方法なのだが―があるのだという。結局は風に関してもその方法がとられなければならないと科学者たちは言う。


 大気科学者のジェフ・フリードマンは同じテーマを研究してきたが、まだその結果を科学雑誌に発表していない。彼は、自分の研究では地表の風速が低減したことを示す決定的なトレンドはなんら発見されなかったと言う。

 プライアーが自分の研究について認める問題の一つは、長年の間に、風速を計る計器付近の条件が変わってしまったために、データが歪んでしまうことはありうるということである。風速計のそばで樹木が成長していたりビルが建てられたならば、風速の計測値が下がってしまうかもしれない。

 外部の専門家には、風速が低下している兆候があり、おそらくは地球温暖化が犯人だろうという点でおおむね賛同するものもいる。

 この新たな研究「が示している―私の考えではかなり確定的に―ことは、最近の数十年間で全米各地で平均風速と最大風速が減少したということである」と語るのは、ペンシルヴェニア州立大学の地球システム科学センター所長マイケル・マン。

 否定的なのは、ニュー・ヨーク在住のナサの気候科学者ゲイビン・シュミット。彼は、この研究結果が、地球温暖化による結果をなんら示さない気候モデルと矛盾していると述べた。それに彼は、風速が仮に落ちているとしても、それが風力にそれほど影響をもつことはないだろうとしている。    
 しかし別の専門家である、ジェームズ・マジソン大学のジョナサン・マイルズは、風速が10年間で10パーセント減少すれば「電力生産に多大な影響を及ぼすだろう」と述べた。

 プライアーによれば、最大風速が10パーセント変われば、発電量が30パーセント変わることを意味する。しかし研究はまだ非常に初期の段階なので、「現時点で風力エネルギー開発計画を修正したりするのは時期尚早でしょう」と彼女は言う。

 アメリカ風力エネルギー協会の政策局長のロバート・グラムリッチは、風力が低下したかもしれないという考えは初耳だと述べた。心配するのは別の研究による検証を見てからにしたいそうである」。







 

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