SSブログ
 

ローマの旅 2020/02 その六 

 ローマ滞在中に書かなかったが、最後の日に、Cimitero Acattolico に立ち寄ってみた。

 ”Cimitero Acattolico” の ”Cimitero”が、英語の”Cemetery”に当たるのは判るだろう(英語にある程度くわしければ)。しかし、”Acattolico” は、最初、私も判らなかった。しかし、よく見てみると、” cattolico” に ”a” (否定を表わす前つづり)が付いた ものと判ると、意味が自ずと理解できる。ああ、「非カトリック」のことか、「非カトリック教徒のための墓地」ならば、グーグルマップにも表記されていたなあ。そのことに気づくまで、私は、ひたすら「チミテーロ・アカトリコ」と心の中で念じていたのである。

 墓地の内部は静寂が漂い、かすかだが、日本の墓地とは違うにおいが漂う。十字架が並んでいるのも、(変な言い方だが)やはり少し新鮮に感じられる。

 0.jpg


 なんと、日本人の墓もあるではないか。「大日本山田貴一郎之墓」とある。帰ってから調べたが、どういう人物かは分からなかった。

1.jpg


 そもそもこの墓地に来たのは、天使が嘆くような構図の墓の写真をかつて見て印象に残っていたので、時間があったら見に行こうと決めていたからである。しかし、肝心の墓がなかなか見つからない。ほぼ諦めかけて出口に向かっていたところ、一番上にそれらしきものを見つけた。あれだ、間違いない。


2.jpg

 
この墓は、アメリカの彫刻家ウィリアム・ウェットモア・ストーリー(William Wetmore Story)が妻のエメリンのために1894年に造ったもの。嘆きの天使(Angel of Grief or the Weeping Angel)の名で知られる(https://en.wikipedia.org/wiki/Angel_of_Grief)。

 

3.jpg



 私は、以前たまたま、『ガーディアン』というイギリスの新聞でこの墓のことを知って、それを記事に取りあげたこともあった(https://shin-nikki.blog.ss-blog.jp/2013-03-11)。しかし、この墓を見るために、わざわこの墓地に来るような人間はいないだろうなと思っていたが、そんなことはなかった。この墓は世界的に有名らしく、やはりこの墓目当てに来た人たちであろう、何もの人がこの墓を写真に収めていた。


4.jpg


 この彫刻家にとって、妻の死はあまりに大きな打撃だった。ストーリーは、妻の後を追うように、妻の死の翌年に死去。妻の存在は、彼の生きる希望だったのだろう。妻の死を悼むこの作品は、彼の生涯の最大の作品となったようだ。彫刻家自身も、いま、妻の隣で永遠の眠りについている。






コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。