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絶滅寸前の中流階級(2) [海外メディア記事]

前回からの続きで、金融界にいた中流から上流へとつき抜けた男性の話題から始まります。

http://www.guardian.co.uk/uk/2010/jul/24/middle-class-in-decline-society

「 イギリスの中流階級は絶滅危惧種か?

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  三か月前まで、アレックス・プレストンはその「別世界」にいた。彼がその世界に足を踏み入れたのはまったくの偶然からだった。彼の母と祖父は学者だったし、オックスフォードで彼が専攻したのは英語だったし、小説家になりたいと思っていたのだ。しかし、彼が大学で仲良くなった人たちの「父親がシティー[=ロンドンの金融街]で働いていた。彼らの家に行ったとき、こう思ったよ。「欲しいものがいっぱいある」ってね。シティーで働くのはちょっとの間だけだ、と彼は自分に言い聞かせた。「ちょっとお金がたまったら、南フランスの農家に腰を落ち着けて、自分の『ユリシーズ』[=ジェームズ・ジョイスの代表作]を書くことにしよう」。

 プレストンは30歳で、小ざっぱりしていて自信に満ちあふれていた。私たちはスタンステッド空港のカフェで落ち合った。母親の60歳の誕生日のために、週末フランスに向かう途中だった。今年の始めに彼は、ロンドンの銀行家を描いた半自伝的な小説“This Bleeding City(このとんでもないシティ)”を出版した。「私はいつもシティを何か別のもの――イギリスの階級システムのまったく外側にあるものとして見ていました。つまり、階級=金だけに関わるものというあのアメリカ流の階級観ですよ」。彼は10年間シティにとどまり、銀行、投資会社、ヘッジファンドなどに勤務し、シティは別個であるということが実際シティの特徴の一つであることを発見した。「民間人(シティにいない人々)」という言い方をするんですよ。「民間人の給料に戻れるかどうか判らないな」というふうにみんな言うんです」。

 勤務時間が長いため、銀行に勤めていない友人と連絡を保つことは難しくなった。しかし彼は努力した。「彼らの考え方を改めさせようと努力した時期もありました。みんな政府系の仕事をしていたんです。ある火曜日の夜サッカーをしながら、こう言ってみたんです。「ねえ、すぐにでも給料が4倍になるんだぜ」。彼らはこう答えました。「僕らには理想があるし、職の安定性が大事だよ」」。

 彼はすぐに沈んだ表情をした。「シティーに勤めていない友人のことで本当にイラッとくるのは、彼らが、自分の仕事のことを情熱をこめて話題にすることでした。シティーでの仕事は、基本的には、自分に興味のない仕事ですからね。シティーは、知性のある人々にうんざりするほど反復的な仕事をさせるんです」。長期的な仕事の満足度は中流階級が仕事に期待する一つの特徴的な指標だと社会学者は考えている。その点で、プレストンはシティーを欠けるものがあると見ている。

 もちろんその代償はお金であり――お金のおかげで作り出せる様々な機会である。「シティーで仕事を始めたころ、みんなの趣味はきらきらしたものに向いてましたね。ちょっとエセックス風というか――「このデカイ時計を見てよ」といった感じでした。それから、ツイードの服を着て、狩猟に出て、田舎の土地を歩き回ってワインの貯蔵庫に入り込むようなことをしましたね」。プレストンは、役者が疑念をもつときのように首を振りながら、「僕も狩猟に行きましたよ!」と述べた。銀行家の消費習慣のこの変化は一体何なのだろう? 「それは中流階級の他の職種の人々に対するセリフで、つまり「われわれがボスだ」と言いたいわけですよ」。


 それにもっと微妙なシティーの人間を表わすステイタス・シンボルがある。資金援助を受けた転職や、きわめて早期のリタイアである。プレストンは、シティーで稼いだものを「大して貯金しなかった」と言ったが、彼は現在第二作目の小説に取りかかっている一方で英語の博士論文も執筆中で、ロンドンに2人の子供と一緒に暮らす30歳の男性としては羨ましい選択である。オグデン・ニュートンはこう述べた。「もし子供が私立学校に通うようになれば、シティーでたんまり稼いでもう働く必要もないような父親を見かけるようになりますよ」。彼女の声に熱がこもった。「「写真でしか見たことのない仕事」についているのよね」。 

 イギリスの中流階級にもずっと以前からエリートや階級内部の分裂はあった。どんな階級だってそうである。それが、しばしば中流階級を複数形にして語る理由の一つである。しかし、中流階級の幅が広がり境界線も曖昧になったので、中流階級は独特に断片化されたものとして見えることがしばしばある。「億万長者の金融家、農夫、小売店主が何らかの社会的カテゴリーにまとめられることがどうしてあり得ようか?」と、アラン・キッド(Alan Kidd)とデイビッド・ニコルズ(David Nicholls)は、1998年に出た共著『イギリスの中流階級の創出(The Making of The British Middle Class)』で疑問を投げかけている。


 実は、中流階級であることは、つねに、扱いにくいものだった。召使いがいて、かなりの土地を貸したり、かなりの土地を所有したり、会社を所有したり、「知的職業」の一つに就いていたり、どのような話し方をするか、ナイフやフォークをどのように使うか――時代は異なっても、こうしたすべてのことが、中流階級の生活に不可欠なことだと見なされてきた。19世紀には、野心、創意工夫、努力を強調する国民性――オグデン・ニュートンが言うように「人はてきぱきと働くものです」――が生み出され、中流階級は、自信に満ち外向的なイギリスを引っ張っていく勢力として現われた。しかしこの勝利主義(triumphalism: 自分の宗派を絶対的に正しいと思い込み他の一切を悪と決めつける態度)には、羨望と不安が常にない交ぜになっていた。自分を社会の中間のグループとして見ることは、独りよがりに感じるか、それとも他のグループに包囲されているように感じるようにさせることがあるからである。

 20世紀の大半の時期を通して、上流階級の没落と管理職・事務職の拡大は大いに中流階級に恩恵をもたらした。しかし70年代のように、労働者階級の戦闘力――並びに労働者階級の人気――の高まりが中流階級の優位を脅かす時期もあった。「中流階級」は、たとえ中流が大半を占める大学のキャンパスであっても、軽蔑語となったのである。アクセントや個人史が修正されたこともあった。1975年、イギリスの外交官の息子のジョン・メラーはジョー・ストラマー(Joe strummer)と改名し、そのすぐ後に、バンド「クラッシュ(Clash)」の一員としてサッカー場の立ち見席で交わされるようなロンドンなまりで歌い始めたのであった。

 
 中流は恥でプロレタリアがシックだとする時代は、もう遠い過去のものになったようだ。1979年サッチャーが首相に選出されたが、彼女は商店主の娘としの育ちに絶えず敬意を込めて言及したことで、中流階級の政治的潜在力が復活した。シティの規制緩和や所得税の最高税率の引き下げといったサッチャーの政策は、実際に、今日数多くいる中流の億万長者を生みだした。


 今日、経済状況の不安定さにもかかわらず、イギリスの中流階級の食やインテリアでの趣味は、ますます広く模倣の対象となっている。デイビッド・キャメロンは、上流の家庭出身のほとんどすべての人々が最近そうするように、典型的な中流の人間として自分自身を紹介するように努めている。TVで何度も放映された彼のロンドンのキッチンはハビタ社(Habitat)やジョン・ルイス(John Lewis:イギリスのデパート)の製品であふれている。ジャーナリズムのような、かつてはさまざまな階層からの人がいた職業でも、中流階級の人間はいたる所にいる。教育や自己鍛練やネットワークづくりに対する中流階級の才能は――多分これこそ、中流階級が何世紀にもわたって変わらずに示してきたものだろう――、現代の世界ではかつてないほど有益になったように思われる。「お金をもっていなくても中流にとどまる人はいるのです」と、社会学者のレイ・パール(Rey Pahl)は言う。「かわいそうに、誰々は一文なしだそうだ。彼をイタリアのわが家に招待してやろう」と言ってくれる人がいますからね。 


 しかし、長い目で見て同じ社会階級の他の部分を思いやるためには「食事や歓待の交換といった相互性が大事なのです」とパールは警告する。中流階級の給与や労働パターンの二極化はこうしたことをより困難なものにしつつある。プレストンには自宅での夕食に「多分150回は」来たが一度もお礼に招待してくれたことがなかった友人が一人いると言った。もっとも、それでも親密な友人関係に変わりはないと彼は言い張っているが。

 地理やライフスタイルも現代イギリスの中流階級をますます隔てている。「場所が違えばそこに暮らす中流階級も違うのです」とパールは言う。60年代初頭から、ロンドンの中流階級の家庭は市内の中心部に移り住むようになったが、イギリスの他の大都市圏のほとんどでは市外へと移り住む傾向がある。その結果、イギリスの家や街並みや学校は枝分かれしてしまった。ほとんど完全に中流階級的な通りや遊び場を備えたエディンバラやリーズの小奇麗で中流階級的な飛び地は、もっとみすぼらしく、もっと社会的に雑多だが最近次第に住宅地化しているハックニーやランベスとは違った生活を提供している。

 オーヴレルは中流階級内の別の分裂をリスト・アップしている。フレックス・タイム制のパート労働者とフルタイムの労働者、共働きの家庭と単一収入の家庭、アメリカ流の仕事中毒と8月いっぱいは休暇でいなくなるヨーロッパ流の専門職といった区別があげられる。「かつては職場での経験にもっと共通性がありましたよ」と彼は言う。「今では、他人の仕事に関わることが前より難しく感じられるようになりました。仕事がとても専門化されたこともあるでしょう。職業と職業の間に裂け目がぽっかり口を開けているのです。それは、最終的に、社会的な連帯感の減少に帰着するでしょう」。

 たぶん、中流階級は、結局、あまりに広範囲に及び、そしてあまりに緩い連合体になってしまったので、まとまることは出来ないのである。国立統計局(Office for National Statistics)は中流階級という言葉は使わずに、「高度な管理階級(higher managerial)」とか「下位の知的職業階級(lower professional)」とか「高度な監督階級(higher supervisory)」といったもっと地味で、もっと技術的なカテゴリーを好んで使う。何十年もの間、労働者階級のいわゆる消滅という事態が、イギリスでは階級に関わる大きなストーリーだった。おそらくそのために、中間の階級も解体しつつあることに人々は気づくことができなかったのだ。少なくとも、リタイヤした銀行家を除けば、何の苦労もない人生という感覚は消え去ってしまった。「自惚れた自己満足はもう中流階級を表わす精神状態ではなくなりました」とガンは言う。


 午後の3時近く、綺麗なリッチモンドの裏庭で、私と話しながら、オグデン・ニュートンは、ランチとしてスーパーのスモーク・チキンとチーズ・ベイグルを食べていた。彼女の後ろのキッチンには開いたノート型パソコンがあり、空港行きのタクシーが来る前にソーシャル・エンタープライズ・ロンドンのために彼女がブログやツイッターの書き込みをするのを待っていた。「多分、最近の中流階級を特徴づけるものは、一つの仕事を交代で務める熱意があって、それを立派にこなせる能力があることね」。ガーデン・チェアに浅く腰掛け、靴はきれいだがTシャツは古びていて、髪は大急ぎでまとめたという格好で、彼女はそう言った。「一日12時間働いていますよ。育児は夫と分担しています。いま自分がしていることは大好き。家族の生活も大好きだし、ガーデニングも大好き。だけど時間が足りないのよ」。 

」(終わり)




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