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 蛇は何のシンボルだったのか?

 古代の宗教のあちこちで姿を見せる「蛇」。何となく気にはなっていて関連する書物を読んだこともあるが、いま一つ断片的で散漫な知識の集積以上のものにはならないという印象しかもたなかった。その印象は変わってないのだが、とりあえずここで、思いつくことを列挙してみようと思う。


 古代の宗教における「蛇」というと、『創世記』冒頭でイヴをそそのかす蛇がもっとも有名だ。キリスト教的な解釈では、直ちにそれは原罪の誘引となった「悪」のシンボルと捉えられる訳だが、それは「蛇」に対して非常に偏った捉え方にすぎない(ちなみに言うと、ユダヤ教は、原罪という意味合いを読み込むことはしない。それは、人間が当然犯す過ちの一つ、という以上の意味はないのである)。

 「蛇」がネガティヴでない意味をもって登場する箇所を若干挙げてみよう。

 「主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれたものがそれを見上げれば、命を得る」。モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た」(『民数記』21:8-9)。

 ここで「蛇」は生命を付与するものとして捉えられているが、これはギリシア神話の「アスクレーピオス」の蛇とも共通して、広く地中海一帯やインドにまで広がっていた蛇観であるそうだ。脱皮を繰り返しながら生を更新していく蛇のうちに、個体の生死を超えて続けられる生そのものの連続性を古代人は見たのだという解釈がよくなされるようだ。ちなみに言えば、現在のWHOのシンボル・マークは蛇だが、これはアスクレーピオスに由来する。

 さて、このモーセと蛇の結びつきは、新約聖書の一人の作者によって利用された。


 「そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」(『ヨハネによる福音書』3:14-15)。
 

 蛇=悪という教義が障害となって、この箇所と『民数記』の上の箇所との関連が追及されることはこれまでなかった。この関連を追求した例外的な書物が私の手もとにあるが(James H.Charlesworth : The Good & Evil Serpent,Yale University Press 2010)、その出版年を見ても判るように、聖書学者がこういうテーマをテーマにすること自体、これまで非常に稀なことだったようである。

 
 しかし、宗教的カリスマを蛇のイメージにおいて捉えることは決して珍しいことではなかった。たとえば、福音書が書かれた時期にはまだ地中海一帯で命脈を保っていたディオニューソスには蛇のイメージがついて回る。ヨハネ福音書の作者がイエスを造形するに際して、「解放者」ディオニューソスをモデルにしたという解釈はすでに相当あるようだ(たとえば、イエスが甕に入っていた水をたちまちワインに変えてしまう箇所などが典型的だと見なされている)。 



 翻訳もあるケレーニーの『ディオニューソス』で、ケレーニーはディオニューソスの由来をクレタ島のミノワ文明に求めたが、過去に遡るにつれて、ディオニューソスとゼウスの区別は薄れ、それらは時には牛に時には蛇に近接していき、「牛は蛇を生み、蛇は牛を生む」という謎めいた呪文(おそらく何らかの儀式で唱えられた呪文)に行き着くのだが、ケレーニーによればこの蛇や牛は「破壊されることのない生命」のシンボルだった。(残念ながら、ここら辺は、大変粗略にしか紹介できない)。

 (クノッソス宮殿で発見された蛇を掲げる女性像ととぐろを巻く蛇をいただく女性像。おそらく蛇巫(へびふ)と呼んでいいのだろう)

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 さて、こうした蛇観は日本の神話にも見い出せるだろう。吉野裕子の定評ある『蛇』を最近読んだのだが、そこでケレーニーの書物を想起させる箇所に再三出くわして驚いたのだが(特に、蔓科の植物と蛇の親近性については興味深いと思ったが)、一番おもしろいと思った箇所を紹介しよう。

  『古事記』上巻の「少彦名神」の箇所の解釈が問題なのである(「大国主神が出雲の美保崎にいたとき、白く高く立つ波頭の間から羅摩(かがみ)船に乗って、蛾の羽を丸ごと剥いだ着物を着て帰ってくる神がいた。そこでその神に名前を聞いたが答えてくれず、また連れていた神に聞いても皆「知りません」と答えた。しかしここでヒキガエルが、「久延毘古(くえびこ)なら必ず知っているでしょう。」と申し上げると、すぐ久延毘古を呼び聞くと、「彼は神産巣日神の子供で、少彦名の神です。」と答えた。それを神産巣日御祖(みおやの)命に申し上げると「これは確かに私の子です。子の中で私の手の指の間から漏れ落ちてしまった子です・・・・・」)。
 

 吉野裕子は「少彦名神」がやって来る「羅摩(かがみ)船」とは「蛇」のことであるという仮説を立てて、その仮説を補強する材料として「少彦名神の神格」に言及する。



 「(古代日本人の考えでは生命の種は東方から)渡って来て男性の中に蓄えられる。きわめて「小さい男」の名称を負う少彦名神は、種神・生命の源・精虫の象徴であって、その神格化ではなかったろうか。

 種神・少彦名神は常世からカガミという蛇の船に乗ってこの現世に顕現し、国津神・大国主神に宿る。その結果、大国主は男としての活気に溢れて国土経営に当たるが、この少彦が常世に帰ると同時に生気を失って見る影もなく衰えた、というのが神話の狙いであろう。

 古代日本人によって、すでに生命の源は、精液中の微小な虫として捉えられていたに相違なく、少彦名神は大国主の掌中に弄ばれているうちに、いきなりとび出して大国主の頬に喰らいついたとか、高皇産霊神の指の間から漏れ落ちたとか、その去るに当たっては男根状の栗の穂先から味かれて常世に渡ったというが、それらの表現は暗然のうちに種神・精虫の神格化としての少彦名神の本質を物語っているとしか思われない」。


 「少彦名神」=「精子(生命の源)」、それを運ぶものとしての「カガミ」=「蛇」という着想は、少なくとも私にはとても興味深い。羅摩(かがみ)は元来ガガイモのことだが、吉野説によれば、いずれも、かが(蛇の古名)+身に遡るという。そういえば、ディオニューソスをシンボライズするものの一つとして蔓草状のものが挙げられるが(葡萄はその一つにすぎない)、ガガイモも蔓草状のものらしい。そして、蛇巫が日本にもいたらしいという吉野氏の指摘も、とても興味深い。途方もないことだが、古代のギリシアやエルサレムを包括する地中海世界からユーラシア大陸の東端まで連綿と続く人間のベーシックな世界観の一端を垣間見えるような思いがするのだ。今日のところは「興味深い」としか言えないのだが、次回書くとき(があるとして)には、それ以上のことが言えるようになっていたいものである。
 







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